アルゼンチン発フレグランス「フエギア1833」創業者が来日 自然の変化や楽器の演奏者までも想起させる香りとは

 アルゼンチン発フレグランスブランド「フエギア1833(FUEGUIA 1833以下、フエギア)」の創業者であるジュリアン・ペデル(Julian Bedel)が来日した。「フエギア」は2010年に誕生。ベデルが愛するポエムやタンゴ、アルゼンチンのパタゴニアに広がる大自然や歴史、文化、人物などをインスピレーション源にしたフレグランスを提案している。日本では、六本木の「グランドハイアット東京」と「ギンザ シックス」内にブティックがあり、約100種類ものフレグランスを販売。香りのリサーチも兼ねて来日したべデルに、ブランドに込めた思いや調香のプロセス、こだわりなどについて聞いた。

WWD:学術的なアプローチでブランドをスタートしたが、どのような思いでフレグランスを制作しているか?

ジュリアン・べデル=フエギア 1833 創業者(以下、ベデル):香りのインスピレーションはあらゆるものから。アートや文学、植物、動物など何でもインスピレーションになる。私はアルゼンチンの都市と農村の間で育った。アルゼンチンの伝統的な文化であるタンゴやダンスはエリアにより異なり、それが文化の中心になっている。タンゴはアルゼンチンの文化を凝縮しているといってもいい。そういった文化的な思いが私のクリエイションの根底にある。

WWD:多くのオリジナルのフレグランスブランドがあるが、「フエギア」が他のフレグランスと違う点は?

ベデル:香りのアイデアが生まれたとき、イメージだけでなく、技術的にその香りを分析して香りの要素を化学的に分析する。それにより、香りを構成する分子を元に構成していくという点。例えば、世界最高峰の弦楽器である「ストラディヴァリウス(STRADIVARIUS)」の香りを表現するために、バイオリンに使用されている木の香りだけでなく、それを演奏してきた優れた音楽家の演奏時の空気感も忠実に再現するんだ。夏を感じさせる新作“アルマ”は、スペイン・メノルカ島に咲く花のサントリナやカモミール、ローズマリー、ジャスミンなどを採集して蒸留した香りだ。島で原材料を採集することにより、メノルカ島の夏の太陽を純粋に再現できた。このように、さまざまな場所の自然の香りを捉えて届けている。私は、植物のメッセージを伝えるパフュームクリエイターだ。調香師は、会社の香りのパレットから美しい香りを予算内で制作するが、私は、納得のいく自然素材を使用して予算に関係なく香りを作り出している。

フレグランスはある意味透明であるべき

WWD:フレグランスの原料=自然原料へのこだわりの理由は?それらは、全てオリジナルか?

ベデル:「フエギア」では植物の香りを、元来の美しさと同じレベルで再現できるかというのがポイント。色々な場所の自然の香りを捕まえて届ける香りのメッセンジャーだ。フレグランスとは、自分の中の美を覚醒させるものであるべき。フレグランスは化粧品ではない。植物のエッセンスを取り込むことで気分を高めるものであるべきだと思う。だから、南米の薬効成分を持つ植物の香りを使うこともある。

WWD:調香にかかる期間は?香りが完成したと感じる決め手は?

べデル:アイデアが浮かんで、それに命を吹き込むための原料を考えるのに時間がかかる。ラボに原料があれば、あまり時間はかからない。香りにもよるが、木に菌を埋め込み樹脂が出るのを待ってから制作した“ウード”には約10年を費やした。樹脂とは、木が自分を菌から守るために発酵してできる化合物のようなもの。それは、バニラやタバコ、コーヒー、チョコレートの制作過程に起こるメイラード反応(食品の加工や貯蔵の際に生じる、製品の着色、香気成分の生成、抗酸化性成分の生成などに関わる反応)と同じ。自然変化には時間がかかり、結果が出ないこともある。フレグランスが完成したと感じる瞬間は、絵画と一緒で、一番難しい。香りの説明はせず、他の人に感想を聞いてみて、手直しを加えて完成させることも。なぜなら、フレグランスは付ける人の肌と影響し合うから。付ける人の香りと相まっていい香りかというのが大切だ。フレグランスは、付ける人が本来持つ香りを消してはならないある意味、透明であるべきものだと考える。

自然の美しさ、演奏などの擬似体験を可能にする香りを提供

WWD:さまざまな香りを調香する際に意識するものやことは?何をイメージして調香するか?

べデル:フレグランスの調合は作曲するのと同じように本能的なもの。理屈ではなく、頭に浮かんだものを直感的に感じ取り、香りに反映している。ラボには約3000種類の香料の原料があり、技術もある。だから、直感を信じて、自分の周波数で調香するんだ。

WWD:調香師はザ・ノーズと言われ、嗅覚の鋭さや特殊な感覚が必要とされるが、調香師になろうと思ったきっかけは?

べデル:私は、自分を調香師とは思っていない。植物のメッセージを伝えるパフュームクリエイターだ。調香師は、会社の香りのパレットから美しい香りを予算内で制作するが、私は、納得のいく自然素材を使用して予算に関係なく香りを作り出している。芸術家一家の1人として育ち、画家や彫刻家として活動してきた。工房で素材と向き合う作業が好きだったが、自分に向いていなかった。植物が好きだったということもあり、絵の具の色素を植物の香りの分子に置き換えてみようと思った。絵の具のパレットを香りのパレットに置き換えたといってもいい。絵の具も香りも、何かを表現する“媒体=言語”だと考える。私自身、香水はつけない。だが、自然の香りは大好きで、素晴らしい植物の美しさをフレグランスで届けられればと思った。「フエギア」は、植物学者が持つ植物へのこだわり、化学者の香りを分子の状態まで分析するアプローチ、芸術家の直感が融合して生まれる。植物学者、化学者、芸術家の各アプローチは切り離せない。自然の香りもそうだが、演奏などを擬似体験できるようなさまざまな香りを提供している。

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世界に誇る日本の絞り染め”有松絞り”の魅力 ファッションデザイナー高谷健太と巡る“ときめき、ニッポン。”第7回

 昨年、山梨県西桂町にある機織り企業、武藤を訪問した際に、面白い出来事があった。約束の時間に同社の代表をたずねると、同じ時間に客人がもう一人訪れたのだ。明らかにダブルブッキングである。「あれ?」という空気が漂った後、代表がにこりと笑って「せっかくの機会なので、お二人を会わせたかったんです」と言った。これが、有松絞りの若手作家、藤井祥二さんとの出会いだった。

 藤井さんが手掛ける“有松絞り”とは、愛知県名古屋市の有松・鳴海地域で作られる絞り染めの織物のこと。江戸時代の初め、徳川家康が江戸に幕府を開いて間もない頃に東海道のこの地域に竹田庄九郎らが新しい町を開き、街道を行き交う旅人のために絞り染めの手ぬぐいを作って売り出したことが、有松絞りの始まりとされている。100種以上の絞りや染色の技法から生み出される複雑で繊細な文様は、世界に誇る日本の伝統産業のひとつだ。

 この有松絞りには、寛斎も僕も思い入れがある。2004年、日本武道館の床全面に水を張った「KANSAI SUPER SHOW(寛斎スーパーショー) アボルダージュ」において、有松絞りを施した浴衣姿の女性陣の舞いによって、幽玄で情緒溢れる情景を演出したのだ。ダークブルーの照明と、深い藍の中に艶やかに白地が散った浴衣のコントラストがとても美しかった。

 このシーンに使った浴衣は、有松絞りの研究に一生を捧げた、故・竹田耕三さんに製作してもらったもの。竹田さんは、先述の竹田庄九郎の流れをくむ竹田嘉兵衛商店の旧家に生まれ、有松絞りの可能性を幅広い分野で広げた人物だ。

 そんなことを思い出しながら、藤井さんの作品を見るために有松に赴くと、「竹田嘉兵衛商店の日本間をお借りしているので、是非そこで作品を見て欲しい」と提案を受けた。実に不思議な巡り合わせだ。同商店の日本間は、藤井さんの作品によって、完璧な芸術空間になっていた。昼下がりの日の光をまとった羽衣のようなストールに、竹田嘉兵衛商店の美しい庭園が浮かび上がる。絞り染めが施された生地は、すべて武藤で織られた超極薄のシルクやカシミヤ、麻だ。有松絞りとともに歩んだ同商店の歴史と、先人たちの知恵が、今日の職人の中に息づいていること。そしてその伝統技術が、今なお進化し続けていることを深く感じた。同時に、藤井さんの強いこだわりと美意識、心血を注いだ作品への愛がひしひしと伝わってきた。

 今回は、そんな若き染色家、藤井さんへのインタビューをお届けする。

高谷:藤井さんとお会いするたびに、有松絞りはもちろん、日本の伝統産業の未来に対する考えを聞いてワクワクしています。そもそも、藤井さんはどういった経緯で染色家になったのでしょうか?

藤井祥二カゴノトリ代表(以下、藤井):もともと学生時代に名古屋の大学でプロダクトデザインを学んでいて、地場産業を学ぶ授業で、鳴海の会社と絞り染めの風呂敷を作る機会があったんです。絞りや染めの基礎や歴史を学ぶ中で、「将来は伝統産業やそこで働く人々にフィーチャーをしたものづくりをしたい」と思うようになりました。そこで、まずは実際に全国の現場を見て回る必要があると思い、大学を1年間休学して日本全国の伝統産業を巡る旅を始めました。各地の工房に赴いて、時には半年ほどキャンプ場にテントを張って生活することもありましたね。最終的にどこに根を張って仕事をしようかと考えたときに、何の所縁もない若者を温かく迎え入れてくれた有松という産地の懐の広さに引かれて、ここで仕事を続けています。

高谷:有松との出会いは、藤井さんの運命だったようですね。

藤井:はい。有松絞りの仕事をゼロから始めた当初は、住む家も、作業する場所もなくてとても苦労しましたが、学生時代から交流のあった有松の人々が応援してくれました。その一人が、竹田耕三さんでした。

高谷:そうだったのですか。藤井さんの人柄とバイタリティーが、有松の方々にとっても大きな刺激になったんでしょう。

藤井:そうだとうれしいです。作家を目指した理由は、単純にものづくりに興味があったからではありません。社会との柔軟な関わり方を模索して、作家という道を選んだのです。

高谷:というと?

藤井:社会で生きていくためには、大学や専門学校を出て会社に就職することが一般的ですが、そういった現状に対して違和感がありました。社会ともっと柔軟に関わる方法はないかを考えたとき、有松のような“産地”がその答えになるのではないかと思うようになったんです。

高谷:なるほど。作品はもちろん、 人生の選択肢として“作家としての生き方”を世の中に発信しているのですね。そんな藤井さんが考える、有松絞りの魅力とは?

藤井:布を通して光の陰影を感じられるところでしょうか。どれだけ作品を作っても、毎回新しい発見があります。ほかには、人々の暮らしの中で自然に生まれた民芸品とは異なり、“東海道を行き交う人々のお土産”として生み出されたという点も面白い。売れるためには、時流にあわせて人々の心に刺さるもの作り続けなくていけないから、柔軟な発想で技術が多様化してきたんだと思います。

高谷:絞り染めは、アフリカをはじめインドや東南アジア、紀元前の古代アンデス文明でも行われていたようで、その歴史に比べると、有松絞りの歴史は400年ほどなのに、世界に類を見ない100種以上の技法が編み出されている。それには、“お土産”としてのルーツが大いに関係していそうですね。一方で、技法ひとつひとつが芸術性の高さも備えているし、一人の職人が一生をかけてひとつの技術を極めて受け継いでいく“一人一芸”の考えも素晴らしい。この商売と伝統の2面性が、有松染めの魅力かもしれません。

 そんな藤井さんは、有松絞りをはじめとした伝統産業の未来についてどんなことを考えていますか?

藤井:伝統産業には、技術やものの価値だけでなく、目に見えない価値があります。職人がものづくりにどう向き合うか、どうやって商売を成り立たせるかはもちろん、その地域に根付いた歴史や文化、教育的な価値も含めて、もっと多面的に考えて、いろんな立場の人々が関わるようにしなくてはいけないと思います。

高谷:今、挑戦していることはなんですか?

藤井:10月に開催する個展に向けて、“紙と布のあいだ”をテーマに素材や繊維について研究を重ねています。最近は「参九染太郎(さんきゅうそめたろう)」という事業名で、持ち込まれた古着を絞り染めの技術で好きな色に染め替えるプロジェクトも始めました。 “伝統”という重厚なイメージは置いておいて、気軽に絞り染めを楽しんでもらうために考えたもので、価格は1着あたり3900円。参加者の中には「絞り染めを勉強したい」という人もいるので、こうした取り組みを通して作り手としての第一歩を踏み出してもらえたらうれしいですね。7月30日にスタートする国際芸術祭「あいち2022(有松地区)」では、有松の次世代メンバーを中心に「有松ゆかたまつり」という催しを企画します。会場に、寛斎さんと竹田耕三さんがコラボした有松絞りの浴衣を展示できることも、とても楽しみにしています。


 昨今の有松では、藤井さんや竹田嘉兵衛商店の竹田昌弘さんなど次なる世代の方々が、職人と絞り屋という見えない分断の溝を埋めるべく、積極的に連携事業を重ねている。伝統と革新が互いに刺激し合うことで、今、町そのものが熱気を帯びているのだ。

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【9月23日まで無料公開】アニエスが立ち上げた海洋調査団に聞く海の今【海の危機、私たちはどう動く?】

 デザイナーのアニエスべー(agnes b.)は、海洋探査を目的とした「タラ オセアン(Tara Ocean)」プロジェクトを2003年に立ち上げた。アニエスとその息子で現アニエスベーフランス本社最高経営責任者のエティエンヌ・ブルゴワ(Etienne Bourgois)にとって、海は常に身近な存在だったのだという。海を守ることに情熱を持っていたアニエスとブルゴワは、極地探検などにも用いられたスクーナー船を購入し「タラ号」と名付けた。映画「風と共に去りぬ」の主人公が住んでいた農場の名前からとったもので、アニエスにとっていつでも戻りたくなる故郷を意味する。

 科学調査船「タラ号」は、地球温暖化が海に与える影響や生物多様性、マイクロプラスチック汚染の現状などについて調査を進めている。これまでに世界中で12の海洋科学探査プロジェクトを遂行した。「タラ号」を運営する公益財団法人タラオセアン財団のパトゥイエ由美子日本支部事務局長に、海洋汚染の現状について聞いた。

WWD:海洋汚染の主な原因は?

パトゥイエ由美子(以下、パトゥイエ):大きく言えば人間活動だ。生活および工業廃水やプラスチックごみも汚染の要因だが、特に影響が大きいのは温暖化だ。人間が排出する温室効果ガスが温暖化を進め、海水の温度が上がることで生物多様性が減少し、生態系のバランスが崩れたりしている。海はこれまで大量の温室効果ガスを吸収してくれていたが、余分な二酸化炭素を吸収したことで海洋酸性化が進んでいる。酸性化によっても、海洋の生物多様性が脅かされている。

WWD:海洋プラスチックごみとは具体的にどんなものが流れている?

パトゥイエ:8割が陸からくると言われている。残りの2割は漁網など船舶から発生する。陸のどこから来るかというと、主に川から。タラ号では19年にヨーロッパの大きな9本の河川を調査したところ、川でもすでに大量のマイクロプラスチックが含まれていることがわかった。中には、化学繊維から派生するマイクロファイバーも多く含まれていた。

WWD:マイクロプラスチックによる汚染が特に深刻な地域は?

パトゥイエ:タラ号が14年に調査した地中海は深刻な地域の1つだが、特に日本や東南アジアがホットスポットだ。日本沿岸海域は、マイクロプラスチックの濃度が世界平均よりも27倍高いと言われている。そこでタラ オセアン ジャパンでは、20年に日本のローカルプロジェクトとして「タラ ジャンビオ マイクロプラスチック共同調査」を立ち上げ、調査を進めている。北海道から沖縄までを対象領域とし、海の表層水と海底の堆積物、砂浜の状況を同時に調べる、国内最大規模の調査だ。

WWD:日本の沿岸地域でマイクロプラスチックの濃度が高い原因は?

パトゥイエ:明確な原因はわかっていないが、世界の川由来のプラスチックごみのうち8割以上はアジアから流れている。諸外国が自国で発生したプラスチックごみを輸出した結果、処理しきれなかったものが海に流出しているとも考えられる。日本も輸出する側だったが、海に流れ出たものが海流にのってまた戻ってきているケースも多い。日本沿岸地域で外国語のラベルがついたプラスチックごみが見つかることもあるが、一方で日本からでたごみもどこかの海を汚染している。つまり、海洋プラスチックの問題は、自分たちは被害者でもあり、加害者でもあるということだ。

WWD:日本沿岸の生物多様性の状況は?

パトゥイエ:生物種の約20%が生息すると言われるサンゴ礁は、海の生態系において重要な役割を果たしている。しかし、日本近海でも、沖縄のサンゴ礁の7割近くが温暖化による白化現象で破壊されている。タラ号では16~18年に太平洋のサンゴ礁の調査を行い、サンゴの耐性と適応に関する研究を進めている。また、海面温度の上昇で北上しているサンゴもいるが、このまま温暖化が進み、地球の平均気温が産業革命時と比較し、2℃以上上昇したら、99%のサンゴ礁が喪失すると推計されており、その後の生態系への影響は計り知れない。

WWD:プラスチックごみは実際に海にどんな影響を与えている?

パトゥイエ:海亀の鼻にストローがささっている衝撃的な映像は世界的にも有名だろう。魚がごみを間違えて食べてしまったり、プラスチックでお腹がいっぱいになった生き物たちが餓死してしまったりといった生物への被害は大きい。プラスチックを製造するときに添加する有害物質が海に流れて、魚の体内に蓄積されているとも言われている。人体への影響はまだわからないことも多く、影響がないとも、絶対にあるとも言えないが、科学者たちは警鐘をならしていることは事実だ。

WWD:タラ号にアーティストが乗船する理由は?

パトゥイエ:創設者であるアニエスべーは、アートを愛するデザイナーで長年若手アーティストのサポートにも積極的だ。そんなアニエスの意思をきっかけに、科学やデータだけではリーチできない層に、アートを通すことで問題の大切さを伝えられることがブランドらしいアプローチとして根付いたのである。アーティストにとってインスピレーションがあるだけでなく、タラ号に乗船する科学者にとっても新たな視点を得るきっかけになっている。

言葉だけでなく本気のアクションを

 現在「アニエスべー」は、タラオセアン財団のメインパートナーとしてサポートを続けている。海洋問題の認知を広げるべく、子どもたちを対象としたビーチクリーン活動ビーチクリーンやワークショップ、「タラ号」を題材にしたポスターコンクールなどを定期的に開催する。ローラン パトゥイエ(Laurent Patouillet)=アニエスベー ジャパン代表は、「私たちはサステブルという言葉を一人歩きさせるのではなく、自分たちが率先して行動を起こすことを大切にしている。マイクロファイバー汚染や大量廃棄の問題など、ファッション企業にとってもこの問題は大きく関係している。私たちはそれを自覚し、完璧ではないかもしれないが、大量生産から脱却し、サステナビリティに配慮した商品を少なく作って長く使ってもらうようなビジネスを実践している。業界全体で、言葉だけでなく本気のアクションをトレンドにしていきたい」と話す。


【WWDJAPAN Educations】

【第2期】サステナビリティ・ディレクター養成講座
2022年9月30日(金)開講

 昨年初めて開催し好評を得た「サステナビリティ・ディレクター養成講座」を今年も開講。サステナビリティはこれからの企業経営の支柱や根底となるものであり、実践が急がれる事業の課題である。この課題についてのビジョンを描くリーダーの育成を目的に、必要な思考力・牽引力を身につける全7回のワークショップとなる。前半は各回テーマに沿った第一線で活躍する講師を迎え、講義後にはディスカッションやワークショップを通して課題を明確化し、実践に向けたアクションプランに繋げていく。

 また、受講者だけが参加できるオンライン・コミュニティーでは、「WWDJAPAN」が取り上げるサステナビリティに関する最新ニュースや知っておくべき注目記事をチェックでき、更に講義内容をより深く理解するための情報を「WWDJAPAN」編集部が届ける、まさに“サステナ漬け”の3カ月となる。
講義のみが受講できるオンラインコースも同時に受け付けています。


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元AKBこじはるが語る「ECで成功していても実店舗を出す理由」 7月30日に「ハーリップトゥ」初の直営店をオープン

 小嶋陽菜が代表取締役CCO(チーフクリエイティブオフィサー)を務めるheart relationは7月30日、小嶋がプロデュースするブランド「ハーリップトゥ(HER LIP TO)」初の直営店「ハウス オブ エルメ(HOUSE OF HERME)」を、東京・神宮前にオープンする。店は表参道から1本入った通りにある2階建てビルの2階で、面積約213平方メートル。“ブティックホテル”がテーマの店内は、大理石の壁に組み木細工やモザイクタイルの床、小嶋自らが世界各国から取り寄せたという什器や照明を組み合わせており、非常に豪華で凝った空間だ。週末の入店はしばらく抽選による予約制で、オープン初日の入店には約3000人の応募があったという。「プロダクトを提案するだけでなく、その先の経験を届けたい」と語る小嶋に、ECで既に影響力を持つブランドが実店舗を持つ狙いや、ブランドの今後について聞いた。

WWD:2018年にブランドを立ち上げて以来、ECを主販路にしつつ、ポップアップストアを定期的に開催する形で成長してきた。常設店出店を決めた背景は。

小嶋陽菜heart relation代表取締役CCO(以下、小嶋):コロナ禍以降、出掛けることや誰かに会うことがすごく特別なものになったと感じています。これまで、ポップアップストアを行う際も妥協することなくブランドの世界観を作り込んできましたが、従来以上に非日常感というか、「せっかくお出掛けするからこその特別感」みたいなものが求められるようになっています。それを感じられる場所を作りたいと思いました。

 今はわざわざ実店舗を持たなくても、ソーシャルで何でもできる時代です。「ハーリップトゥ」もSNS上のクリエイティブが好評だし、ECで買った商品が届いた時の梱包の紙がかわいいって支持されています。そんなふうにオンラインでの体験がどんどん進化している中で実店舗を持つからこそ、オンラインではできないことをやらないと意味がない。オンラインで支持されてきたから、それでも店をやる意味は何かとすごく考えました。「これくらいならオンラインでいい」とは思われないような、わざわざ時間を作って来てもらったからこその意味を感じてもらえる空間を目指しています。

WWD:店内は確かに非日常を感じさせる凝った作り。どこを撮っても“映える”ようになっている。

小嶋:コロナ禍で海外旅行にもなかなか行けなくなって、気分が上がる瞬間が少なくなっています。私の好きなものを詰め込んで、世界中を旅しているような気分になれるようにコーナーごとに作り込みました。例えば今私が座っているコーナーは、イギリスの壁紙とイタリアから取り寄せたビンテージのランプを組み合わせています。ランプは以前からかわいいなと思っていたけど、自宅のインテリアにはちょっと合わなくて購入していなかったもの。でも、お店にはちょうどいいなと思って取り寄せました。他にも、フィンランドのアーティストや家具デザイナーなどにインスタのDMで私が直接連絡して、店内に置きたいものを集めました。内装はやりたいことがたくさんあったので、(特に建築デザイナーなどとは組まず)それをリストに全て書き出して施工の会社に渡しています。

 ドレスルーム(試着室)は5つあって、壁紙や床の組み木模様を1つ1つ変えています。以前パリで泊まったホテルが、部屋ごとに内装イメージが全く違ってワクワクしました。そんなときめきを感じてもらいたくて。スイートルームと呼ぶコーナーでは、ロイヤリティーの高いお客さまに何か特別なプログラムを提供していきたい。コーヒースタンドのコーナーは、私が好きな神宮前のカフェ「ラテスト」と組んでメニュー開発をしています。ブランドのモチーフであるチェリーを使ったオリジナルドリンクも作りました。アパレルの在庫を置くとストックルームのスペースが大きくなってしまうので、服はここでは試着のみにして、ECで購入するショールーミング形式にしています。

購入した“その先”が見えるブランドに

WWD:「気分が上がる体験をデザインする」ことは、今あらゆるブランドが目指しているものだ。

小嶋:お客さまのSNSを見ると、特別な場所に「ハーリップトゥ」を着て行っていただいていることが多いです。服やビューティアイテムを販売するだけでなく、(購入した)その先の自分を想像できるブランドでありたいし、この店もまさにそんな提案をしていくための場所です。立ち上げから最初の2年はリゾートで着るワンピースのブランドというイメージでしたが、コロナ禍以降は「ハーリップトゥ」を着てアフタヌーンティーに行くという声が広がっています。それで期間限定で代官山にカフェをオープンしたり、大阪でホテルと組んだアフタヌーンティーのイベントを行ったりしてきました。そんなふうにお客さまの動向を見ていて気づくことは多いです。

 「ハウス オブ エルメ」のエルメは、herとmeを組み合わせた造語。あなたと私がつながる場所といった意味です。私自身買い物が好きで、これまでさまざまな店で高いホスピタリティーのサービスを受けてきました。その中で、こういう気遣いはすてきだな、粋だなと感じてきたものがあるから、そう感じていただけるようなサービスをこの店からも提供していきたい。

WWD:店ができたことで、イベントもこれまで以上に実施しやすくなった。例えば27日には、一般オープンに先駆けて店を体験できるプレビューイベントも3000円のチケット制で企画しており、抽選で当たった客が入店できる仕組みになっている。

小嶋:27日のストアプレビューパーティーは、一番近いファンの方にいち早く店を見ていただきたいと思って企画しました。どういう形がいいか、考えに考えてこの形にしています。ケータリングを用意し、一部商品は一足早く購入が可能。ブランドのことがより好きな方に来ていただいて、楽しんでいただくために絶妙な金額だと判断して、チケットは3000円としました。お店を完成させることでいっぱいいっぱいだったので、それ以降のイベントなどの計画はこれから。熱量の高いお客さまに、よりエクスクルーシブな体験を提供できるようにしていきたいと思っています。

ブランドはスケールさせればいいわけじゃない

WWD:会社組織の話に移ると、安倉知弘CEOなどIT系企業出身の経営層メンバーが増え、2月に新体制となってパワーアップしている。

小嶋:お店を出し、さまざまな事業を行っていくとなると、人が足りない、私1人では実行できない。それで仲間を増やしてきました。今、社員は約40人です。やりたいことをやり切る力のある、いいチームになってきたと思います。今は毎日が文化祭の前日みたいな感じ。6月は月間売り上げとしても過去最高を記録しました。

 IT系出身メンバーは、それまで「事業をいかにスケールさせるか」という世界で生きてきた人たち。でも、ブランド運営は単にスケールさせればいいわけじゃない。余白とか、アート的感覚みたいなものがブランドを作る上では重要だから、発想としては真逆です。そこの考え方のすり合わせにはものすごく時間をかけました。IT系出身のメンバーは増えましたが、グラフィックデザイナーや動画制作者などクリエイターの方はもっと社内に必要で、クリエイターが働きやすい環境や仕組み作りが大事だなと思っています。

WWD:新事業ではどんなことを考えているか。例えば今は、NFTに大きな注目が集まっている。

小嶋:サプライズを届けることを会社のテーマにしているので、次に何をやるかは秘密です。NFTは2年ほど前に社内で“アメリカのマーケットトレンド共有会”みたいな勉強会を開いたときに知って、何かに取り入れられたら面白いなとは思ってきました。でも、「ハーリップトゥ」のお客さま世代に浸透するにはまだまだハードルがあると感じています。NFTが世の中にどうなじんでいくのかは、個人的な興味としても追っていきたいと思っています。

 “アメリカのマーケットトレンド勉強会”は常にやっているわけではないですが、今は新卒採用で入社したニューヨーク出身の社員もいて、海外のビューティトレンドなどをどんどんシェアしてくれる。そんなふうに、どんどんいろんな情報が出てくるカオスみたいな状態が好きだし、会社としてすごくいい雰囲気だと思います。「自分たちの事業はこれ」って、決めつけないことが大事。アパレルだけ、ビューティだけって決めつけない。私はエンタメ界出身というのもあって、何と何を組み合わせて、どうすれば面白くなるかを常に考えています。

ここから経営として新しいフェーズに

WWD:常設店舗は今後増やしていくのか。

小嶋:まずはこのお店でお客さまとより深いコミュニケーションを取っていきます。それ以降のことはまだ考えていません。ポップアップショップも、いろんな地域のファンの方から「うちのエリアにも来て」と多くの声をいただきます。でも、求められるクオリティーのものを出していくのはものすごく難しい。やりたいけど、まずその体制を作らないといけない。お客さまの熱量が非常に高い分、販売員はそれをさらに超える商品知識やホスピタリティーがないといけません。そういう方を採用するのは非常に大変ですが、それでも一緒にやっていきたいという仲間をぜひ採用したい。

 実店舗を持って、お店と本社というようにロケーションが離れたことで、ここからはまた(経営の)見え方やフェーズが変わってくると思う。そういう中で「みんなで頑張ろう!」という形をどう作るのか。それは私にとっても課題だし、会社としてこれからのチャレンジだなと思います。

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【9月23日まで無料公開】アディダスの海洋ごみ靴誕生秘話【海の危機、私たちはどう動く?】

 アディダスは15年、海洋環境保護団体のパーレイ・フォー・ジ・オ―ション(以下、パーレイ)とパートナーシップを組み、ペットボトルなどの海洋プラスチックごみをアップサイクルした糸“パーレイ・オーシャン・プラスチック”を用いた製品を販売している。14年にパーレイからのアプローチがきっかけで協働が始まったというが、海洋ごみを活用した靴の生産数は17年に約100万足、19年に約1100万足、そして21年には約1800万足にまで拡大。今春発売された「オリジナルス」では“パーレイ・オーシャン・プラスチック”の使用率を50%以上にするなど、アディダスが大きく掲げる「END PLASTIC WASTE プラスチックゴミゼロの未来へ。」に向けた鍵の一つで、海洋ごみを活用した新しいサプライチェーンを構築した点が高く評価されている。メーカーはこれまでの良質な素材を集めて製品を作ることから、廃棄物などをどう活用して製品に生かすか、という視点を持つことが重要になっており、この取り組みはイノベーションが環境問題の解決策につながっている好例でもある。パーレイとの取り組みをマルヴィン・ホフマン(Marwin Hoffman)=ヴァイスプレジデント・アウトドアマーケティングに聞く。

WWD:2015年にパーレイとパートナーシップを結び、アディダスは本格的にサステナビリティに取り組み始めた。わずか数年で数千万足を生産するに至った原動力は?

マルヴィン・ホフマン/ヴァイスプレジデント・アウトドアマーケティング(以下、ホフマン):2015年の国連本部で展示した、漁網をアップサイクルした糸でアッパーを作ったシューズを、多くのアスリートが「ゲームチェンジャー」として取り上げてくれた。そこで当社は、海岸や海沿いの地域で回収されたプラスチックごみを使用した商品生産の実現を目指した。わずか5年で、グローバルなソリューションへと拡大することができた。このシューズは、身に着けることのできる“可能性の象徴”と言えるだろう。ほかにできることはないか、という会話や質問、アイデアのきっかけになるから。

 パーレイはプラスチック廃棄物だけに留まらず、海洋の状態を改善するための新しいイノベーションに着手している。彼らの取り組みが注目を集めるにつれ、その影響力と実行力も増している。そして、共通するゴールに向けたアディダスとパーレイの協力態勢によって、イノベーションのスピードを速め、より効率的に規模を拡大し、よりオーガニックに影響を与えることができると考えている。

WWD:具体的にどのようにサプライチェーンを築いたか。

ホフマン:パーレイと提携した15年以降、“パーレイ・オーシャン・プラスチック”をバージンポリエステルの革新的な代替品として商品生産に使用している。“パーレイ・オーシャン・プラスチック”は、海に到達する前に海岸や海沿いの地域から回収されたプラスチックをアップサイクルして作成される素材だ。パーレイはパートナーと協力して、回収された原材料(主にペットボトル)を収集・分類し、糸を製造するサプライヤーに輸送している。そこで製造された糸は商標登録されており、アディダスはその素材を使用したシューズ、アパレル、アクセサリーなどを、パフォーマンスとライフスタイル両方のカテゴリーで展開している。

WWD:“パーレイ・オーシャン・プラスチック”は、バージン素材に比べて扱いづらい点もあると思うが、どのように解決しているか。

ホフマン:アディダスにとって、アスリートのために最高の製品を作ることが大きなミッションだが、それは地球を犠牲にしてまで行うことではない。25年までに品目の90%にサステナブルな技術、素材、デザインもしくは製造方法を採用するという私たちのゴールで大事なポイントは、ポートフォリオ全体にわたる目標であるということだ。この目標を実現するには、全てのカテゴリーにわたり、綿密な開発プロセスと妥協のないパフォーマンステストが必要となり、また同時に途中で失敗すること、実験を恐れない姿勢も必要となる。パーレイは単一のプロトタイプから始まり、多数のアパレルへと広がった。“メイド・トゥ・ビィ・リメイド(Made to be Remade、以下MTBR)”、(オールバーズと協業する)“フューチャークラフト.フットプリント(FUTURECRAFT.FOOTPRINT)」も同じく、プロトタイプから始まっている。

 アディダスには、200名にも上るエンジニアや技術者、デザイナー、スポーツサイエンスのスペシャリストで構成された強力なイノベーションチームがある。彼らは、アスリートにとって最善のものを生み出すだけでなく、それを再定義し続けるためにも、日々失敗を繰り返している。

WWD:公式サイトで大きく掲げている“END PLASTIC WASTE プラスチックゴミゼロの未来へ。”のメッセージが印象的だ。

ホフマン:サステナビリティにおける当社の大きなミッションは、CO2排出量の削減や、消費者行動の変化促進に焦点を当てたイノベーションとパートナーシップを通じて、プラスチックごみゼロの未来を実現することだ。プラスチックごみは非常に大きな問題であり、一刻を争う状況だ。世界的にも、この問題の緊急性に注目が集まりつつある。国連によってプラスチック汚染の解決に向けた協定が最近承認されたことで、この問題に新たに焦点が当てられている。

 パーレイとのパートナーシップは、このアクションを迅速かつ大規模に実現するための鍵になっている。社内にはない専門分野を持つイノベーターを見つけてパートナーシップを組むことで、より良い解決方法を生み出し、目標を達成することが可能になる。

WWD:アディダスはパーレイ以外にも多くの団体や企業と協働している。

ホフマン:プラスチックごみ問題を解決するには、業界全体のソリューションだけではなく、業界を超えたソリューションも必要だ。また、「Fashion For Good」のような団体を介して、革新的な解決策をもたらすスタートアップ企業を見つけることも非常に重要。もしくは、地球のために競争を脇に置いて、オールバーズ(Allbirds)のような「競合」とも考えられるブランドと協働し、カーボンフットプリントを抑えたシューズを作ることも一例だ。私たちは、ビジネスとイノベーションの方法を再発明しようとしているさまざまなブランドや志を同じくする企業と協力し、可能性を広げることが、業界のリーダーとしての務めだと考えている。

WWD:アスリートや生活者を巻き込んだ“ラン・フォー・ジ・オーシャンズ(Run for the Oceans)”が毎年拡大し、影響力が増している。

ホフマン:ちょうど今年も終了したところだ。6年目となるこの取り組みでは、さまざまな能力とレベルのアスリートやランナーが一つになり、スポーツの力を通じて海洋プラスチック汚染問題への意識を高めることを目的としている。今年は、5月23日~6月8日までの間に670万人以上の参加者(676万161人)が取り組みに参加し、合計7億7100万分以上(7億7122万5511分)の走行時間を記録するなど、世界最大のランニング・ムーブメントの一つとなっている。

WWD:消費者を啓発することは重要だが、非常に難しい。どのようにイベントを企画しているか。ポイントは?

ホフマン:“ラン・フォー・ジ・オーシャン”が効果的に機能している要素として、消費者のアクションと活動が、海岸や海岸地域のコミュニティを保護することに貢献しているという、具体的な体験を提供しているところだと考えている。またその体験を、できる限りアクセスしやすくしているところもポイント。例えば今年は、参加者は幅広いスポーツ、アクティビティー、トレーニングで、このチャレンジに参加することができ、また使用アプリについても、「adidas Runtastic」「Joyrun」「Codoon」「Yeudongquan」「Strava」など、複数用意されていたところも大きいと思う。


【WWDJAPAN Educations】

【第2期】サステナビリティ・ディレクター養成講座
2022年9月30日(金)開講

 昨年初めて開催し好評を得た「サステナビリティ・ディレクター養成講座」を今年も開講。サステナビリティはこれからの企業経営の支柱や根底となるものであり、実践が急がれる事業の課題である。この課題についてのビジョンを描くリーダーの育成を目的に、必要な思考力・牽引力を身につける全7回のワークショップとなる。前半は各回テーマに沿った第一線で活躍する講師を迎え、講義後にはディスカッションやワークショップを通して課題を明確化し、実践に向けたアクションプランに繋げていく。

 また、受講者だけが参加できるオンライン・コミュニティーでは、「WWDJAPAN」が取り上げるサステナビリティに関する最新ニュースや知っておくべき注目記事をチェックでき、更に講義内容をより深く理解するための情報を「WWDJAPAN」編集部が届ける、まさに“サステナ漬け”の3カ月となる。
講義のみが受講できるオンラインコースも同時に受け付けています。


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好業績の陰に「顧客体験」への伴走 ゴールドウインとプレイドの事例

 さまざまなデジタルマーケティングツールが存在する中、数多くのアパレル企業から信頼を得ているのが、プレイドが提供する「カルテ(KARTE)」だ。「ザ・ノース・フェイス」などで知られるゴールドウインは、OMO(オンラインとオフラインの融合)の切り札として「カルテ」を活用し、実績を上げてきた。「カルテ」導入は小売業にどんな変革をもたらすのか。ゴールドウインの梅田輝和氏とプレイドの金井良輔氏が語り合った。

オンライン接客の導入で感じた手ごたえ

WWD:ゴールドウインが「カルテ」を導入した経緯は?

梅田輝和ゴールドウインEC販売部長(以下、梅田):以前から接客ツールの提案をプレイドから受けていた。ただ当社の環境が整っていなかったこともあり、見送っていた。第1回目の緊急事態宣言が出た2020年4月、再び新しいツールの提案があった。コロナ禍での私の問題意識とも一致したため導入を決めた。店舗を休業せざるを得ず、店に行きたくても行けないお客さまがいる。売り上げにも大きな打撃を受けた。ちょうどZOOM接客を始める小売業も出始めていたが、プレイドの提案はさらに進んだものだった。

金井良輔カスタマー・エクスペリエンス・プロデューサー(以下、金井):私たちが提案したのは「カルテ ギャザー(KARTE GATHER)」という店舗スタッフとEC上のお客さまをビデオでつないで接客できるツールだ。ECサイトと店舗スタッフは違う土俵で捉えがちだが、「カルテ ギャザー」を使えばデジタル上で店舗と同じリッチな接客が可能になる。お客さまがECサイトを回遊する中、適切なタイミングでオンライン接客のご案内を提示。店舗スタッフは店頭の端末を通じて、お客さまとコミュニケーションが取れる。店舗スタッフが「カルテ ギャザー」を通じてECの顧客に接客した場合、店舗からお客さまに商品を直送することもできるし、後からECサイト上で購入した場合も、その履歴が分かる。分断されたECと店頭を一体化して、その後の成果検証もできるようにした。

梅田:オンライン接客ツールにつなげるお客さまは、何かしらの商品に興味があり、課題をお持ちだ。「ザ・ノース・フェイス」ならバックパックのサイズ感、あるいはダウンジャケットの暖かさなど、購入前にいろいろ聞きたいことがある。ダウンジャケットの暖かさについて、ECサイトの文字だけで伝えるのは難しい。お客さまから「週末から北海道旅行に行く」と聞いて初めて、「でしたら、これがいいのでは」と具体的な接客ができる。

WWD:顧客データの活用とは具体的にどんなことか。

金井:接客スタッフにも、お客さまのニーズを拾い上げるのが得意な方と、不得手な方がいる。不得意な方でも「カルテ」を使うと、顧客がECサイトでどんな商品に興味を持っていたのか、今はこんなカテゴリーを探しているのでは、ということが分かる。データを集約していけば、過去に店頭で受けた接客も分かる。「以前購入したアウターに合わせるなら、このボトムスがいいと思います」というように、コミュニケーションが洗練されていく。一斉に同じ内容を送っていたメルマガを、顧客に合わせて変えていくことも可能だ。

梅田:デジタルの浸透によって、店舗スタッフの役割が変わった。仕事を再定義する必要性を感じる。店舗での売り上げだけでなく、ECの売り上げに貢献してくれたことを、会社として適切に評価する。インセンティブやモチベーションにつなげることも大切だ。

金井:ゴールドウインはどの部署の人もお客さまのことをすごく考えている。店舗スタッフとECをつなぐというソリューションからスタートしたが、「カルテ」導入から付随するプロジェクトへと取り組みがどんどん広がり、現在は週3回くらいの割合でディスカッションしている。どんな顧客体験を作りたいか、リアル店舗の役割とは何かなど、突っ込んだ議論を重ねてきた。当社がその期待にどれだけ応えられるか、宿題は多い。

WWD:ゴールドウインが考える顧客体験とは?

梅田:難しくは考えていない。お客さまが求めているものを提供する。そのためにお客さまのことを深く知らなければいけない。お客さまをワクワクさせ、お客さまの想像を超える感動を提供できるか。感動によってゴールドウインのファンをいかに増やすか。長い関係性を築いていくか。最高の顧客体験を築く土台にデータがある。

金井:顧客体験というと、漠然としたものになりがち。でも求められる売り上げにも寄与していくことが大前提だ。ゴールドウインがお客さまに対してどんな存在でありたいかなど、抽象的かつ本質的なところから話し合い、ポップアップのメッセージはこんな雰囲気がいいんじゃないか、サイトを訪問したらいきなりクーポンを出すようなことは違うのでは、といった具体的な話を詰める。言語化するのが難しいけれど、ディスカッションを重ねていく中で、ゴールドウインが目指す顧客体験を私たちも理解し、一緒に深めていく感覚だ。

ECサイトの利便性向上に伴い売り上げも伸長

WWD:売り上げも両社で共有しているのか。

梅田:週単位で共有している。やるからには数字を共有して、一緒に成果と課題を考えた方がいい。年間の平均購入単価×平均購入回数というシンプルなLTV(ライフタイムバリュー)の指標も大切にしている。直近ではVOC(お客さまの声)の分析も始めた。

金井:「カルテ」では、お客さまがこの画面でサイトを閉じたなどの行動データが集積できる。そういったアクションとVOCとを合わせて次のコミュニケーションに生かしたい。

梅田:一番大事なのは、デジタルもフィジカルも一つに捉えることだ。これまでは店舗でお客さまと対峙し、ある商品をしっかり売っていればよかった。今は新しいツールを導入することで、店舗スタッフがデジタルに貢献できる。データを活用しながら、人の力をうまく組み合わせるということが非常に大事だ。最近「コトラーのマーケティング5.0」(フィリップ・コトラー著、朝日新聞出版)を読んで、腑に落ちたことがある。情報や知識はAIや機械に置き換えることができるが、知恵を出すとか知見を活かすことは人間の領域であって、機械にはできない。それぞれで線を引くのではなく、データと人の力をうまく組み合わせて、お客さまに新しい価値を提案できるというのが、まさに「カルテ」でやっていることなのかなと。新しい取り組みが、次の新しい取り組みを生む。

金井:まさにそうだ。ゴールドウインにはさまざまなブランドがあるが、「カルテ」はあらゆるケースのお客さまにチューニング可能な設計なので、それぞれ解決策を紹介できる。各社のお客さま一人一人を分析して、どんなソリューションを組み合わせて使っていただくかを提案するのが私たちの仕事。この分野ではどこにも負けない自信がある。

販売に限定しない
「カスタマージャーニー」

WWD:今後の「カルテ」活用の展望は。

梅田:当社のカスタマージャーニーは、販売がゴールではない。特にアウトドアウエアやアウトドア用品は、長く愛用していただけるよう高品質な物作りをしてきた。修理・修繕の仕組みも整っている。膨大なデータの中に、お客さまに喜んでいただけるヒントが潜んでいる。一人一人のデータをしっかり見て、それを積み上げていくことが大切だ。それを磨き上げた結果、当社のファンになってくれる。

金井:ゴールドウインの販売だけでなく、MD、生産のスタッフまでが、僕らの提供するデータを通じて、その向こうにいるお客さまのことを想像し、それを未来につなげていく。「カルテ」を通じて、そんな姿を実現したい。

梅田:金井さん含め、プレイドのチームの皆さんと本音で議論した結果、OMOに本気で取り組む腹を決めることができた。会社は違えども考えているベクトルは同じという安心感がある。週に1回は私と金井さんの2人で話し合っている。現場レベルでも頻繁にコミュニケーションをとる。今も4〜5つの新しいプロジェクトが動いている。スポーツメーカーなので、良い商品を作ればいいと考えがちだった。でもプレイドとの取り組みによって、宝のようなデータを活用すれば、さまざまな可能性が広がっていくことが分かった。長年培ってきたリアル店舗の価値と、デジタルのテクノロジーをうまく組み合わせて顧客体験を磨いていきたい。

PHOTO : KAZUO YOSHIDA
TEXT : MIWAKO ANNEN
問い合わせ先
プレイド
https://karte.io/enterprise/

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7月29日に新規上場 エアークローゼットCEOに聞く「今、上場する理由」

 衣料品レンタルサービスのエアークローゼットは東京証券取引所から承認され、7月29日に東証グロース市場に新規上場する。2014年7月に創業し、翌年2月に月額制レンタルサービス「エアークローゼット」を開始。7年間で会員登録者数70万人超に成長した。創業者でもある天沼聰社長兼CEOに上場の狙いとその後の計画について聞いた。

WWD:上場の目的は?

天沼CEO:社会的な信頼・信用を得ることと、資金調達の2つが大きな目的だ。しっかりと事業成長させていくことが一番大事だと思っている。

WWD:長引くコロナ禍に加え、世界的なインフレなど不安定な情勢が続くが、なぜこのタイミングで?

天沼CEO:市況が悪いことは重々承知で、資金調達価格が下がったり、時価総額もそんなに大きな額にならなかったりという一定のネガティブ要因があり、悩まないわけではなかった。それでも長い目で見たときに、私たちのビジネスモデルが生活に絶対根付くことや、この事業の拡大を見据えると、上場時の時価総額よりも、かねてからの事業計画に沿って、事業基盤ができたタイミングで上場し、その先の成長につなげようと考えた。2007年のZOZOの上場以降、ファッション業界で新しいプラットフォームビジネスでの上場は見当たらないし、コロナ禍によって消費行動も含めて変革が進んでいる。業界を一緒に盛り上げていくと打ち出す意味合いも込めた。

WWD:具体的にどこまで経営基盤ができたタイミングなのか?

天沼CEO:われわれが予定としていたオペレーションコストに達したタイミングだ。

WWD:収益化の目処が立ったということか。21年6月期は売上高が28億円、営業利益は3800万円、純損益は3億4400万円の赤字。22年6月期は売上高が前期比16.1%増の33億円、営業損益は5100万円の赤字、純損益は4億2300万円の赤字を見込んでいる。

天沼CEO:21年6月期に営業黒字を出せたというは一つのマイルストーンだ。当期純利益の赤字は継続しているが、限界利益として黒字を出し、会員数が増えることによって固定費をまかなえれば、持続可能な利益が堅いものとなる。会員数がここまで増えれば大丈夫というラインは割と明確に見えている。計画通りという感じだが、先行投資の状況によって最終的に赤字か黒字かは変動する。

WWD:公募株数は73万3000株で、公開価格は1株あたり800円。調達した資金は何に使う?

天沼CEO:すごい額の資金調達ではないというのもあるが、基本的には今の私たちの事業基盤をさらに強化し、拡大することに投じる。ウィメンズを中心にサービスを展開しているが、まだまだすごく広いポテンシャルがある。ほとんどの方が私たちのサービスを知らない状態なので、まず一つは認知度を高めて、広げていくことが大事だ。具体的には、われわれのレンタル資産である洋服の調達とマーケティング、そして人材採用の3つに充てようと考えている。人材採用はサービス自体が広がっていくので、エンジニアやデザイナー、データサイエンティストのほか、引き続きスタイリストも採用を拡大する。メンズもかねてから計画しているが、また別の機会を考えている。

WWD:まずはウィメンズを拡大し、収益性のあるビジネスモデルを確立することが優先ということか。これまでの知見やネットワーク、物流基盤を生かしてレンタル事業のプラットフォーム展開も始めたが?

天沼CEO:これから本格始動する。これまでコストも時間もすごくかけて物流基盤の構築・改善を続け、独自の倉庫管理システムも開発した。これらを他のブランドやメーカー、セレクトショップ等にプラットフォームとして提供する。自社のレンタルサービスやサブスクサービスとして運用してもらいつつ、われわれが裏方として、洋服を預かり、プラットフォームとして動く。

WWD:「エアークローゼット」事業とは別の大きな柱になりそうだ。

天沼CEO:そのつもりだ。メンズ等のセグメント展開と、プラットフォーム展開は並行して行い、2つの柱にしていく。

WWD:自身がコンサルティング会社や大手IT企業で経験を積んでいるということもあり、上場についても準備万端で、非常に落ち着いているように見える。

天沼CEO:いやいや、コロナ禍でなかなか波瀾万丈だ(苦笑)。ただ、開示こそしていなかったが、事業基盤作りが優先順位として高かったので、数字管理や会計については、社内では情報整理ができていた。上場によって、認知度向上や、お客さまや取引先からの信頼度・信用度の向上加速は期待しているが、経営方針やKPIが変わるようなことはない。上場当日の夜は社内でささやかな祝賀会をして、チームみんなを労いたい。

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雑誌編集とアパレル、巨匠二人からのメッセージとは? 【UA重松理×石川次郎対談 最終回VOL.5】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた雑誌の編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。最終回のテーマは、「過去とこれからのムーブメントの作り方」。二人からこれからを担う若い世代へのメッセージとは?

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――今の流れからすると、これはもう、書籍の第2弾、もしかしたら、第3弾もありそうですね(笑)。

重松:(笑)。自分は本当に、遊び場のこともやりたいし、インフルエンサーの変遷もやりたいんですよね。裏原宿から生まれたインフルエンサーが今のランウェイを引っ張っているなんて、本当に面白いですよね。そこもまとめたいなとか。大変なんですけど、それを全部やってから引退しようかなと思っています。

――今、インフルエンサーの話が出てきましたが、お二人が考えるムーブメントのつくり方とは?

石川:雑誌編集者の立場でいうと、ムーブメントを作ろうと思って仕事をしたことはないんですよ。外国のムーブメントをそのまま紹介することが大切だと。日本で同じようなことを巻き起こしたいといった大それた考えはとくになかったんです。僕たちがやったことをもとに、その道のプロが「じゃあ、日本でもロックコンサートをしよう」とか、「この街をもっと面白くしよう」という動きはありましたけどね。雑誌の編集者はそこまでは考えられないですし、見せちゃったら終わりというか。常に新しいものを探して、知らせて、終わり。そこから先のムーブメントは結果的に起きても、自分たちがやった仕事ではないという思いはどこかにあるんですね。

――意図していなかったけれども、結果としてムーブメントになったということはありますが、それは結果論であって、スタンスは異なる、ということですね。では、特に注目してきたインフルエンサーとは?

重松:たくさんいますよね。今、あげきれないので、一つのものにまとめたほうがいいと思っているぐらいなので(笑)。われわれの時代には、ビートルズもいたし、ジョン・レノンのメガネも買いましたし。だからミュージシャンはかなり多いと思うんです。今はミュージシャンもあると思いますが、女優さんやアイドルグループだったり、多種多様で商業的に売らんかなという仕組みを作る人たちが考えることなので、多岐にわたっていますね。

石川:これまで自分が面白がって取材した人たちは、今でいうインフルエンサーなんだなという気がしますね。僕が興味を持ってアプローチをして、取材させてください、一緒になんかやりましょう、といった人はけっこうインフルエンサーでしたね。自分がインフルエンサーではないから、インフルエンサーと一緒に仕事をしたいんです。編集者になってすぐに会いたかった人は何人かいましたが、その中の一人が伊丹十三さんでした。当時は伊丹一三という名前で。映画はまだ撮っていなかったけれど、書いているエッセーがすごく面白かった。世の中に広く影響を与えはしないかもしれないけれど、この人の面白さはわかる人にはわかるだろうなと。それでいきいなり公衆電話から電話をした。「平凡パンチですが」「取材ですか?」「取材させてもらいたいです」「僕、高いですよ」と。一瞬、えっと思ったけれど、「高くても僕がお金払うわけではないから大丈夫です。いくらでもいってください」みたいな感じで。そうしたらあちらも面白がってくれて、すぐ会ってくれた。案の定、面白い人でしたね。

 小林泰彦さんとは僕が編集者になって1カ月後に、それまで全く知らなかった彼にアプローチをしました。彼が描いたものを見た瞬間に、「この人と仕事がしたい」「この人と一緒に外国に行きたい」と思ったから。それは一種の彼にインフルエンサーとしての要素を感じたんでしょうね。片岡義男さんもテディ片岡という名のコラムニストだったけど、言うことはすごく面白かったし、アメリカの面白い話をたくさん知っていました。言われてみれば、自分の編集者人生はインフルエンサーとのつきあいだったなと思いますね。本当に親しくしていただいた方はその後みんな活躍された。横尾忠則さんもデビューしたばかりでまだ有名ではなかったけど、編集会議で「横尾忠則さんをフィーチャーしたい」と話したら、「俺もそう思う」と手を挙げたいという人が2人いた。同期の編集者の椎根和と今野雄二。それを見て木滑編集長が、「そんな面白いと思うんだったら3人で付き合って、それぞれの視点で取り上げろ」と。それで、横尾さんに「毎週パンチに出てもらいますよ」とお願いして本当に毎週取り上げた。あんな大きな存在になっちゃうとは思わなかったけれど、彼も大変なインフルエンサーですよね。

――インフルエンサーや面白い人の見つけ方とは?

石川:いつもキョロキョロしていましたよ。自分にないものを持っている、自分が逆立ちしても出来ないことをやる人は面白いですよ。小林さんのように絵は描けないし、横尾さんの発想は、僕の中からは絶対に生まれない。編集者というのは真っ白でいいと思っている。そういう人たちといかに付き合うか。自分がお願いしたときに、手伝ってくれる人が何人いるかが、一種の編集者が持つべき力じゃないかなと思っています。

――今回のコラムを書いていただいた方々、イラストを描いていただいた方々、提供いただいた方々もめちゃめちゃ贅沢ですね。小林さんに穂積さん、大橋歩さん、カメラマンの立木義浩さん、片岡義男さん、甘糟りり子さんなどなど。

石川:皆さん、すぐにOKしてくれた。編集者としての財産ですよね。最初はあまり外部の方々の原稿を入れる予定はなくて、編集部で全部書こうと思っていたんですが、このテーマに関してはやっぱりこの人に書かせたいな、という気がどんどん出てきてしまった。

――この本は、ファッションに携わってきた方々や若い方々に、ファッションの歴史を後世に残したい、伝えていきたいという、ある種、お二人の遺言のようなものだととらえています。最後に、改めてメッセージをお願いします。

重松:自分はあんまりないんですよね。若い人にどうだとかこうだとか。でも、もっと勇気をもって、もっと冒険をしてほしいと思っています。そういうことを言うとダサイと言われるかもしれないし、今はそういう時代なのかもしれないけれど、車も欲しくない、海外も行きたくないんだろうから、何したいんだろうなと思いますよね。でも、世代が違うから仕方ないし、否定はしませんが。もう一つ、これまでやり残したこととして、副代表理事を務める日本和文化振興プロジェクトをはじめとしていまいくつか取り組んでいることでもあるのですが、和文化をもっと意識してほしい、興味をもってほしいですね。それだけです。

石川:僕はもう82歳になるのですが、80歳を超えて、しかもコロナ禍真っ最中という大変な時期に、こういった面白い仕事をいただいたのはとてもありがたくて、幸せを感じました。つくづく思ったのは、紙の印刷の本はやっぱり面白い。本を作る仕事をあまりされてきたことがない財団の方々と一緒に仕事をしましたが、校正刷りの段階では順番が滅茶苦茶に出てきて、財団の皆さんもページを見開きごとに順不同でチェックしていた。だから作っている最中は本全体の構成や流れはわかんないわけですよ。でも、それが一冊の本になって出てきたときに、みなさんが驚きを感じられているな、ということがよく伝わってきた。あぁ、本の面白さを感じていただけているな、とすごく嬉しかったですね。本をパラパラとめくっていくと、流れや、本独特の感覚が間違いなく存在しているんです。本や雑誌が古いメディアだととらえられて、デジタルやSNSの時代になっていると言われかもしれないけれど、そんなことはない。これがまた新しく感じる逆転現象が生まれています。僕の一番小さな孫が今11歳で、女の子なんだけれど、生まれたときからスマートフォンがあり、周りはデジタルだらけという環境にいます。取り扱い説明書なんてなくてもスマホもパソコンもタブレットもどんどん触って使っている。それを見ると、じいさんは一種不思議な感覚がするけれど、逆にその子たちからしてみると、紙の本は新しいメディアなんです。本屋に連れていくと、夢中になって本を見ている。アナログな本の方が新しさを感じるという逆転現象が起きているんでしょうね。だから、本や雑誌がただの古臭いメディアになるなんていうことを考えたくない。新しさは出せるはず。「時代が違うから」とか「デジタルにやられている」とか言わないこと。編集者なんだから、雑誌づくりの楽しさを体験してほしいですね。


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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【偏愛コレクターズの世界】アーミーナイフ200本収集、勝見ケイが語る「ビクトリノックス」愛

 コレクターと呼ばれる人たちの物欲は限りない。新連載「偏愛コレクターズの世界」では、その偏愛ぶりに迫るとともに、さまざまな業界で活躍するコレクターたちの思いを探る。

 第1回は、スイスを代表するナイフメーカー「ビクトリノックス(VICTORINOX)」を長年愛する勝見ケイが、190点ものコレクションを披露してくれた。同氏はイラストレーターで、バンド「シェリフ(SHERIFF)」のドラマーでもあり、ナイフとは遠い職業に思える。しかし定番のマルチツールからアーミーナイフ、時計、限定品やノベルティーまで、日本のブランドスタッフも「写真でしか見たことがない」という貴重なアイテムが並ぶ。勝見はこれまでも中学生時代のモデルガンに始まり、「スウォッチ(SWATCH)」1000点、「G-SHOCK」600点などを集めてきた。限定品とあればわざわざ海外へ行き、個数限定ものは2個買いする。物欲を追求し続ける先にあるものとは?

欲しいものなら、標高3466mの高山も登頂!

――日本でも珍しいものがあるそうだが、コレクションについて教えてほしい。

勝見ケイ(以下、勝見):今回持参した190点のナイフは、コレクションするようになってから約15年分のアイテムです。迷彩柄の“スイスチャンプ”は、こう見えて33種類のナイフやはさみが入っているんですよ。実際、どれがどう使えるのか覚えきれないんですけどね(笑)。開く時も順番通りじゃないときれいに広がらない。面白いですよね。“I.N.O.X.メカニカルウォッチ”は木製のストラップが他にないデザインで気に入っています。“レスキューツール”はスイスで買ったもの。当時はまだ日本では販売されていなかったんだけど、通常のモデルにないツールがあったり、暗闇で光る仕様になっていたり、実用性もあってお土産感覚で購入しました。ほかにスイスで買ったものは、標高3466mにあるユングフラウヨッホという山の頂上でしか買えないデザインのマルチツール。これが欲しくてスイスまで行きました。海外の限定品を集めることも、グローバルブランドならではの楽しみ。最近購入したものは、子どもの頃から大好きな「マッハ GoGoGo」とのコラボデザイン。うれしくてすぐに買いに行きました。

――数ある中でも、特に自慢したいアイテムは?

勝見:一番レアなのは、創業125周年記念として、「ビクトリノックス」が1891年にスイス軍に納品した最初のオリジナル・ソルジャーナイフのレプリカを発売したもの。高級素材を使って複製されていて、4シリーズある中の一つで、それぞれ世界で1884個のみ。そのうちの「0756」を証明するシリアルナンバーもついた特製のボックスには、当時の製作図面も入っています。ほかにも、クリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)が手掛けたマルチナイフは男心をくすぐる逸品。スイス軍が使っていたというビンテージの毛布やジャケットの素材を用いたパッケージも大事にしています。双方の価値を見出すコラボレーションはコレクターを魅了してくれますよね。世界でも数量限定の“ダマスカス・ナイフ”は毎年発売されるのが楽しみで、特に2011年と19年のモデルはお気に入りです。「ビクトリノックス」でも珍しく、刃に柄が入っているところがカッコいい。これも職人技が光る一級品ですね。

きっかけはエンライトメントとのコラボデザイン

――「ビクトリノックス」のナイフを集めるようになったきっかけとは?

勝見:「ビクトリノックス」との出合いは実はアパレルから。2005年に青山にあった店舗(現在は表参道ヒルズ店に移転)へアパレルを見に訪れた時、アーティストコラボの限定マルチツールを見つけました。日本人アーティストと組んだ6点で、特に惹かれたのが、女性のイラストが描かれたエンライトメント(ENLIGHTENMENT)のもの。僕が「ビクトリノックス」に魅了されたきっかけです。それ以来、新作をチェックしており、日本限定の商品もたくさんあって、企画力がすごくいいんです。“トモ(TOMO)”という四角いマルチツールも日本からグローバルに採用されています。小さなノベルティーにさえも企業努力が見えるんですよね。

――エンライトメントとのコラボや“レスキューツール”など、同じものが2つあったり、同じモデルを全色持っていたりしますね。使い分けは?また、これほどの数をどのように保管していますか?

勝見:貴重なものや思い入れがあるものは2つ購入していますね。1つはカバンに入れて実際に使って、もう1つは保管用なんです。集めたコレクションは衣装や楽器と同じトランクルームに入れています。ときどきは開いて見ますが、大事なものは大体開けずに保管したままです。今回の取材で初めて開けたものもたくさんありますよ。

――いつも持ち歩いているアイテムはありますか?

勝見:“スイスカード”というカード型のマルチツールです。カードサイズでコンパクトなんですが、つまようじや爪やすり、ボールペンなど8つのツールがあるんですよね。服のほつれを見つければハサミですぐに切ることができるし、小さいから扱いやすい。シンプルなデザインの「ザ・コンビニ(THE CONVENI)」(ジュンのコンセプトショップ)コラボを常にバッグに入れています。

コレクションを止められないのはワクワクさせられるから

――職人技が光る、「ビクトリノックス」のナイフにこだわる理由は?

勝見:使う人やあらゆるシーンを考え抜いた、多機能で実用的なツールが「ビクトリノックス」の認知されているポイントではありますが、僕の場合はファッション性やアート性に惹かれるんです。イラストレーターやアーティストとして活動している点から、見た目の印象や色味、デザインは僕にとって欠かせないポイントです。エンライトメントとコラボしたマルチツールに出合って以来、「ビクトリノックス」の道具としての機能性に加えて、デザイン性を兼ね備えた圧倒的な表現力にいつもワクワクさせられます。ファッションと同じように、常に新しいデザインに出合えることがコレクションを止められない理由ですね。次にどんなデザインが発表されるのかなって待ち遠しくて仕方ない。

――最後に勝見さんにとって、好きなものを追い求めるということとは?

勝見:コレクションすることはゴールまでの道のりが楽しい。ひとつひとつのアイテムに思い出が詰まっている。好きなものを集めてきた歴史は私だけのものです。

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1960’s〜70’sの「ジーンズ」「ロカビリー」「ロンドン」【UA重松理×石川次郎対談 VOL.4】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた雑誌編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。4回目のテーマは、「日本のファッションとジーンズ」。レジェンドの二人の人生を変えたファッションアイテムとは?

VOL.3はこちら

――今日はかれているのも「リーバイス」ですね!? 次郎さんぐらいの世代からですよね。ジーンズをはくようになったのは。

石川:そう。僕はもう「リーバイス」しかはかないようになっちゃった。重松さんより8歳上ですが、この差が大きな違いだと思います。僕は56年かな、中学校から高校に上がる春休みに1本の映画を観て洋服に目覚めました。それが「理由なき反抗」です。ジェームス・ディーンの。何も知らずにあの映画を観て、あんまりにも日本の高校生と違うので驚いて。アメリカでは高校生が車を運転してるんだから。ジャケットなんかを着て。なんかすごいなぁと思って。その時にジェームス・ディーンがはいていた「リー(LEE)」の101のジーンズがものすごいカッコ良かった。でも信じられないだろうけど、その当時、日本ってジーパンを売っていなかったの。あるのは、在日米軍の兵士たちが朝鮮戦争に発つのに置いていった古いジーンズだけ。アメリカのアーミー(陸軍)、ネイビー(海軍)の軍服と一緒に廃品という感じで送られてきたものの中から、一生懸命探してはいていた時代だった。僕も映画の後、すぐジーパンを買いに行きましたよ。そんな時代だったので、ジーンズに対する想い入れが強く本当に憧れていた。「ジーンズは、アメリカの生活そのものだ」と感じたんですね。

――当時、ジーンズを買い物に行ったのは上野のアメ横(アメリカ横丁)だったんですか?

石川:アメ横ですね。古いジーンズの山の中から、自分の体に合いそうなものを探して。あんまりカラダに合わなかったけどね。しかも当時で2000円ぐらいしていたから、母親に「なんでこんな汚いものにお金を使うのか?なんでこんなの欲しいのかわからない?」とまったく理解されなかった。数年後にはでいくらでもジーンズは手に入るようになったけど。それまでいいジーンズは高くて買えなくて。湘南の海で立教大生と喧嘩をしたことがあった。喧嘩相手のことはよく覚えてないんだけど、彼がはいていた「リー(LEE)」の新品のジーンズがカッコ良くてね。羨ましくてそればっかり目についちゃった(笑)。

重松:自分もファッションの転機はたくさんありますね。一番初めにファッションを意識したのがロカビリーで、ジーンズを見たのもロカビリーからでした。映画からもたくさん影響を受けましたね。ジーンズはわれわれの世代のころには学生服屋さんで売られていました。ジーンズの新品に目が入ったのは13歳ぐらい、1961~62年ぐらいの頃でしたね。高校に入った頃には、新しいものは買おうと思えば買えるけれど、ちょっとはき古したようなものが欲しくて。神奈川出身なので、アメ横と同じような機能を担っていた、横浜の(伊勢佐木町と野毛の間の)吉田町にあったジーンズの古着屋に通っていましたね。

 他にもすごいこまごまとたくさんきっかけがありましたね。64年の東京オリンピックを境に、みゆき族も台頭しましたし、当然、先ほども話に出たVANヂャケットの存在が男性の服にものすごい影響力を持っていました。一つのセオリーやオケージョンなど、われわれが「型」と呼んでいる、オーセンティックス、一つの規則が明らかになり、流れができました。ただ、自分たちはちょっと外れていて、古着のパンツや米軍の横流しのものを買っていました。それに比べると、VANは日本ナイズされていて、サイジングなどが少しおかしいんですよ。アメリカの映画で見るような若者の恰好にはならなくて、体にピタッとなって、なんだか真面目な子みたいになっちゃうんですよ。だから、VANの石津謙介さんにはいつも申し訳ないなと思っていたけれど、靴下1足とプルオーバーのシャツ1枚しか買ったことがないんです。あとは全部古着とか、本当のアメリカのものを買って着て育ってきました。

 そして、「平凡パンチ」のファッションページですよね。小林さんのイラストに大きな影響を受けて、「本物が見たい」「本物が欲しい」と熱くなって。当時はまだ海外に行っていなかったですからね。67~68年ぐらいの時期ですかね。ウッドストックもとても衝撃的な出来事で、髪も伸ばしていました。でも、ロンドンやパリに新しいファッションの流れがあることを見て、「これからはアメリカじゃないんじゃないか!?」という感じになって、ロンドンブーツを履いたり(笑)。ロンドンポップなんて完全にロックミュージシャンの恰好、ステージ衣装ですからね。それをロンドンのカーナビ―ストリートなどではみんな普段着で着ていたんですから。「平凡パンチ」の小林泰彦さんのイラストで知り、実際に現地に行き、「ほんとにこういう格好してるんだ~!」って確認ができるわけで。日本で手に入らなければ、そのイラストに合うものをオーダーで作ったりもしていましたね。髪を長くしたり短くしたり、アメリカのローファーを履いていたと思ったらロンドンブーツのハイヒールになっちゃったり。とんでもない流れで、本当に大変な時代でした(笑)。面白い時代でしたけどね。その当時、「ファッションは風俗」と言われていて。風俗といっても今とは全く違う使われ方で、一つの大きな社会の流れと捉えられていたんです。まぁ、本当にその都度その都度影響を受けて、いろいろなものを見て、今に至るわけです。

石川:本当にみんなロンドンブーツを履いていましたからね。ちなみに、ロンドンポップで一番面白いころのロンドンに仲間をみんな連れていったことがあります。加藤和彦の奥さんのミカ(サディスティック・ミカ・バンドのボーカルの福井ミカ)や、(スタイリストの)堀切ミロ、(「オリーブ」「アンアン」「ギンザ」「クウネル」の編集長を歴任した)淀川美代子、イラストレーターの大橋歩、今野雄二など20人ぐらいで団体旅行をした。1970年代初頭の正月に。石坂敬一という有名な音楽プロデューサーは、行きはウグイス色のダッフルコートを着てたのが、帰りはアフガンコートで丸眼鏡をかけて、ジョン・レノンみたいになっちゃって、行きと帰りは大違い。それくらいみんな影響を受けていましたね。行けなかった加藤君用にミカが山ほど服を買ってね。いろいろな店を案内するのが僕の役目だった。

――次郎さんの本にはたくさんの付箋が貼られていますが?

石川:今回、入れられなかったテーマもかなりあって、例えば重松さんも影響を受けたというロカビリーなんかがそうです。山下敬二郎やミッキー・カーチスの恰好などが大きな話題になった日本のロカビリーは入れる必要があったなと思っています。

重松:日劇ウエスタンカーニバルという音楽フェスもありましたね(58~77年)。内容はウエスタンでもなんでもないんだけど(笑)。最初のころはロカビリーがブームになり、その後、グループサウンズが台頭して。その時代時代によってはやりの音楽は変わりましたが、そこからデビューする人たちも多かったですね。アメリカのロックバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドもコンサートを開いたり。ポール・アンカも出ていましたね。

――スターがスターであった時代ですね。ステージ衣装が世の中に大きな影響を与えていたと。

重松:音楽はファッション史、服飾文化史には乗らないけれど、ファッションをつくった音楽はたくさんありましたから。この本では少しだけ触れていますが、欠けてしまったなと反省しています。音楽、というよりも、ミュージシャンがファッションをリードした、まさにインフルエンサーでしたね。

石川:とくにイギリスのミュージシャンは多いですね。エルトン・ジョンから始まって、ジミ・ヘンドリックス、ミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイなど。彼らの服を作っていたのが、デザイナーのトミー・ロバーツ(Tommy Roberts)でした。僕は当時「平凡パンチ」で取材したことがあります。ロンドンに着いた日に直行で彼の「ミスター・フリーダム」という店に行った。そしたら偶然トミーがいて、その場で交渉して写真を撮らせてもらうことができた。撮影は長浜治さん。それがp.88の写真です。自分でいうものなんですが、これは貴重ですよ。

重松:そうそう、「平凡パンチ」で見たのを覚えています。この人は天才的なテーラーで、ミュージシャンの服ばっかり作っていたんですよね。サヴィルローの歴史の中でもすごく有名な人です。日本ではあまり報道されませんでしたが、後輩がたくさんテーラーにいましたね。

(vol.5に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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1960’s〜70’sの「ジーンズ」「ロカビリー」「ロンドン」【UA重松理×石川次郎対談 VOL.4】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた雑誌編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。4回目のテーマは、「日本のファッションとジーンズ」。レジェンドの二人の人生を変えたファッションアイテムとは?

VOL.3はこちら

――今日はかれているのも「リーバイス」ですね!? 次郎さんぐらいの世代からですよね。ジーンズをはくようになったのは。

石川:そう。僕はもう「リーバイス」しかはかないようになっちゃった。重松さんより8歳上ですが、この差が大きな違いだと思います。僕は56年かな、中学校から高校に上がる春休みに1本の映画を観て洋服に目覚めました。それが「理由なき反抗」です。ジェームス・ディーンの。何も知らずにあの映画を観て、あんまりにも日本の高校生と違うので驚いて。アメリカでは高校生が車を運転してるんだから。ジャケットなんかを着て。なんかすごいなぁと思って。その時にジェームス・ディーンがはいていた「リー(LEE)」の101のジーンズがものすごいカッコ良かった。でも信じられないだろうけど、その当時、日本ってジーパンを売っていなかったの。あるのは、在日米軍の兵士たちが朝鮮戦争に発つのに置いていった古いジーンズだけ。アメリカのアーミー(陸軍)、ネイビー(海軍)の軍服と一緒に廃品という感じで送られてきたものの中から、一生懸命探してはいていた時代だった。僕も映画の後、すぐジーパンを買いに行きましたよ。そんな時代だったので、ジーンズに対する想い入れが強く本当に憧れていた。「ジーンズは、アメリカの生活そのものだ」と感じたんですね。

――当時、ジーンズを買い物に行ったのは上野のアメ横(アメリカ横丁)だったんですか?

石川:アメ横ですね。古いジーンズの山の中から、自分の体に合いそうなものを探して。あんまりカラダに合わなかったけどね。しかも当時で2000円ぐらいしていたから、母親に「なんでこんな汚いものにお金を使うのか?なんでこんなの欲しいのかわからない?」とまったく理解されなかった。数年後にはでいくらでもジーンズは手に入るようになったけど。それまでいいジーンズは高くて買えなくて。湘南の海で立教大生と喧嘩をしたことがあった。喧嘩相手のことはよく覚えてないんだけど、彼がはいていた「リー(LEE)」の新品のジーンズがカッコ良くてね。羨ましくてそればっかり目についちゃった(笑)。

重松:自分もファッションの転機はたくさんありますね。一番初めにファッションを意識したのがロカビリーで、ジーンズを見たのもロカビリーからでした。映画からもたくさん影響を受けましたね。ジーンズはわれわれの世代のころには学生服屋さんで売られていました。ジーンズの新品に目が入ったのは13歳ぐらい、1961~62年ぐらいの頃でしたね。高校に入った頃には、新しいものは買おうと思えば買えるけれど、ちょっとはき古したようなものが欲しくて。神奈川出身なので、アメ横と同じような機能を担っていた、横浜の(伊勢佐木町と野毛の間の)吉田町にあったジーンズの古着屋に通っていましたね。

 他にもすごいこまごまとたくさんきっかけがありましたね。64年の東京オリンピックを境に、みゆき族も台頭しましたし、当然、先ほども話に出たVANヂャケットの存在が男性の服にものすごい影響力を持っていました。一つのセオリーやオケージョンなど、われわれが「型」と呼んでいる、オーセンティックス、一つの規則が明らかになり、流れができました。ただ、自分たちはちょっと外れていて、古着のパンツや米軍の横流しのものを買っていました。それに比べると、VANは日本ナイズされていて、サイジングなどが少しおかしいんですよ。アメリカの映画で見るような若者の恰好にはならなくて、体にピタッとなって、なんだか真面目な子みたいになっちゃうんですよ。だから、VANの石津謙介さんにはいつも申し訳ないなと思っていたけれど、靴下1足とプルオーバーのシャツ1枚しか買ったことがないんです。あとは全部古着とか、本当のアメリカのものを買って着て育ってきました。

 そして、「平凡パンチ」のファッションページですよね。小林さんのイラストに大きな影響を受けて、「本物が見たい」「本物が欲しい」と熱くなって。当時はまだ海外に行っていなかったですからね。67~68年ぐらいの時期ですかね。ウッドストックもとても衝撃的な出来事で、髪も伸ばしていました。でも、ロンドンやパリに新しいファッションの流れがあることを見て、「これからはアメリカじゃないんじゃないか!?」という感じになって、ロンドンブーツを履いたり(笑)。ロンドンポップなんて完全にロックミュージシャンの恰好、ステージ衣装ですからね。それをロンドンのカーナビ―ストリートなどではみんな普段着で着ていたんですから。「平凡パンチ」の小林泰彦さんのイラストで知り、実際に現地に行き、「ほんとにこういう格好してるんだ~!」って確認ができるわけで。日本で手に入らなければ、そのイラストに合うものをオーダーで作ったりもしていましたね。髪を長くしたり短くしたり、アメリカのローファーを履いていたと思ったらロンドンブーツのハイヒールになっちゃったり。とんでもない流れで、本当に大変な時代でした(笑)。面白い時代でしたけどね。その当時、「ファッションは風俗」と言われていて。風俗といっても今とは全く違う使われ方で、一つの大きな社会の流れと捉えられていたんです。まぁ、本当にその都度その都度影響を受けて、いろいろなものを見て、今に至るわけです。

石川:本当にみんなロンドンブーツを履いていましたからね。ちなみに、ロンドンポップで一番面白いころのロンドンに仲間をみんな連れていったことがあります。加藤和彦の奥さんのミカ(サディスティック・ミカ・バンドのボーカルの福井ミカ)や、(スタイリストの)堀切ミロ、(「オリーブ」「アンアン」「ギンザ」「クウネル」の編集長を歴任した)淀川美代子、イラストレーターの大橋歩、今野雄二など20人ぐらいで団体旅行をした。1970年代初頭の正月に。石坂敬一という有名な音楽プロデューサーは、行きはウグイス色のダッフルコートを着てたのが、帰りはアフガンコートで丸眼鏡をかけて、ジョン・レノンみたいになっちゃって、行きと帰りは大違い。それくらいみんな影響を受けていましたね。行けなかった加藤君用にミカが山ほど服を買ってね。いろいろな店を案内するのが僕の役目だった。

――次郎さんの本にはたくさんの付箋が貼られていますが?

石川:今回、入れられなかったテーマもかなりあって、例えば重松さんも影響を受けたというロカビリーなんかがそうです。山下敬二郎やミッキー・カーチスの恰好などが大きな話題になった日本のロカビリーは入れる必要があったなと思っています。

重松:日劇ウエスタンカーニバルという音楽フェスもありましたね(58~77年)。内容はウエスタンでもなんでもないんだけど(笑)。最初のころはロカビリーがブームになり、その後、グループサウンズが台頭して。その時代時代によってはやりの音楽は変わりましたが、そこからデビューする人たちも多かったですね。アメリカのロックバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドもコンサートを開いたり。ポール・アンカも出ていましたね。

――スターがスターであった時代ですね。ステージ衣装が世の中に大きな影響を与えていたと。

重松:音楽はファッション史、服飾文化史には乗らないけれど、ファッションをつくった音楽はたくさんありましたから。この本では少しだけ触れていますが、欠けてしまったなと反省しています。音楽、というよりも、ミュージシャンがファッションをリードした、まさにインフルエンサーでしたね。

石川:とくにイギリスのミュージシャンは多いですね。エルトン・ジョンから始まって、ジミ・ヘンドリックス、ミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイなど。彼らの服を作っていたのが、デザイナーのトミー・ロバーツ(Tommy Roberts)でした。僕は当時「平凡パンチ」で取材したことがあります。ロンドンに着いた日に直行で彼の「ミスター・フリーダム」という店に行った。そしたら偶然トミーがいて、その場で交渉して写真を撮らせてもらうことができた。撮影は長浜治さん。それがp.88の写真です。自分でいうものなんですが、これは貴重ですよ。

重松:そうそう、「平凡パンチ」で見たのを覚えています。この人は天才的なテーラーで、ミュージシャンの服ばっかり作っていたんですよね。サヴィルローの歴史の中でもすごく有名な人です。日本ではあまり報道されませんでしたが、後輩がたくさんテーラーにいましたね。

(vol.5に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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原宿・竹下通りに43年続く「ブティック竹の子」 “竹の子族”やBLACKPINK、レディー・ガガも愛した名店

 原宿・竹下通りでひときわ目を引く、きらびやかな服がひしめく店が「ブティック竹の子」だ。同店は1979年のオープン以来、43年間にわたって婦人服や舞台衣装を販売し、変わりゆく原宿を見てきた。80年代前半には、野外でカラフルな衣装を身に着けて踊る若者たちの文化“竹の子族”の誕生にも大きく関わった。最近では、レディー・ガガ(Lady Gaga)が来店したという噂もある。同店に約30年間務めている黒田店長に、店の歴史から現在のあり方まで聞いた。

72歳の名物オーナーが築いた“竹の子族”文化

WWD:黒田店長はいつから「ブティック竹の子」に勤めている?

黒田店長(以下、黒田):私は30年近く勤めています。もともとはパターンを中心に服の勉強をしていて、デザインから製造、販売までを一貫して行うこの店が面白そうだと思ったんです。私は元竹の子族ではないですし、田舎の出身なのでどういう店なのかは全然知りませんでした。

WWD:創業者の大竹竹則オーナーはどんな人?

黒田:大竹オーナーは現在72歳です。もう店には立っていませんが、今でもデザインを一人で担当していて、店頭に並ぶ商品の半分は彼がデザインしたオリジナルのものです。

 子供の頃は、学校にお弁当を持っていけないほど貧しい暮らしをしていたと聞きました。でも足がすごく速くて、高校時代には地元・北海道の記録のほとんどを塗り替えるような陸上選手だったそうです。その後、ディスコやキャバレーなどの夜の世界に入って、水商売をしている人たちから注文を受けてオーダーメードの服を売り始めた。服作りのノウハウは、文化服装学院を卒業した知り合いに少し教えてもらっただけで、基本的には社員たちと実践しながら身に付けていったみたいです。

WWD:「ブティック竹の子」の始まりは?

黒田:実は1号店は桜上水店で、原宿は5〜6店舗目なんです。水商売の人にオーダーメードの服を売っていた流れで、婦人服を販売する「ブティック竹の子」1号店を桜上水に出店し、千歳烏山や中板橋など東京の住宅街を中心にお店を拡大しました。どこもオープン当初から好調で、月商1500万円を売り上げていたそうです。その後、ファッションの中心地に出店しようと、表参道と原宿にもオープンしました。どちらも小さいお店でしたが、全盛期は2店舗でそれぞれ1日35〜40万円を売り上げるほどになりました。一時は店内がすしづめ状態で、床が抜けたという話も聞きましたよ。

WWD:当時の運営体制は?

黒田:一番多い時で5店舗を運営していて、各店舗に店長の女の子が1〜2人ずついました。スタッフは全体でも10人以下だったはずです。各店舗の営業が終わってからみんなで集まり、売り上げの報告や商品のアイデア出しをしていたみたいですね。

WWD:竹の子族の衣装として親しまれたツーピースはどのようにして生まれた?

黒田:竹の子族の衣装“ハーレムスーツ”が完成したのは、表参道と原宿に店を出す前でした。普通の婦人服を中心に販売していながら、舞台衣装のように華やかなガウンが駆け出しのタレントやディスコに行く若者に売れるようになっていったんです。そんな状況を見て、若者みんなが踊りに行きたくなるような服を作れないかと考え始めたそうです。着心地が良くて動きやすいドルマンスリーブに、日本的な要素として、もんぺや法被の作りを掛け合わせたみたいですね。大竹オーナーは、ほかの人が考えられないようなものを作るんです。服の勉強をしていないからこそ、型にはまらないスタイルなんでしょうね。

WWD:竹の子族はどのように誕生した?

黒田:“ハーレムスーツ”は一着3000〜3500円で販売し、発売日に150着が完売するほど好評でした。表参道と原宿の店でも販売したら、“ハーレムスーツ”を着た若者が徐々に街に増えていき、半年ほどでメディアが彼らを“竹の子族”と呼ぶようになりました。彼らが外で踊り始めたのもきっかけがあります。大竹オーナーと親しくしていた男の子が、高校生だからという理由でディスコに入れてもらえず、店の前で音楽をかけて踊り出すようになっちゃったんです。同じような人がどんどん増えていくうちに、いつの間にか野外で踊る集団が“竹の子族”と呼ばれるようになっていました。大竹オーナーは“竹の子族の仕掛け人”と呼ばれるのが不本意だったみたいですけどね。

BLACK PINKにレディー・ガガ
各年代のスターたちが着用

WWD:竹の子族のブームが落ち着いてから、お店で扱うラインアップも変わった?

黒田:変わりましたね。時代を意識しつつ、変えていったんです。これまでのような独特のデザインは残しつつ、色味を抑えたものが増えました。戦略的に、若者に売れていたものとは逆を行ったんでしょう。また、昔は型数を絞っていたのですが、2000年前後から今ぐらいのバリエーションに拡充しました。ダンサー向けのものから、アイドルがステージで着る衣装、コスプレ要素のあるものまでそろえるようになりました。

WWD:レディー・ガガが来店したという噂も聞いた。

黒田:そうですね。以前からガガさんのスタイリストは来店していましたけど、本人も来日した時に店に来てくれました。当時は別のスタッフが対応しており、私はテレビ局から「ガガは何を買っていった?」と問い合わせを受けて知りました。ガガさんはうちで買った服をステージでも着てくれていたみたいですね。最近では浜崎あゆみさんがうちの衣装をアレンジして着ていたり、BLACKPINKが着ていたり。買ってもらった後はどう使おうがお客さまの自由ですし、うちは干渉しない主義なんです。

WWD:昨今は、どんなお客さんが来店することが多い?

黒田:最近は男女ともにステージ衣装を買いにくる、アイドルのお客さまが多いです。あとは芸人の方ですね。スタイリストが、衣装のスタイリング相談に来たり、若い服飾学生が勉強のために見に来たりすることもあります。みんなから「最初はこの店に入るのも勇気が必要だった」と言われますね。

WWD:歴史がある分、付き合いの長いお客さんも多いのでは?

黒田:そうですね。「昔、竹の子族だったんだよ!」と店に来てくれるおじさんやおばさんもいます。あと、若いお客さまがいつの間にか立派になっているケースもあります。竹の子族として踊っていた人がダンスの先生になり、発表会の衣装を毎年買いに来てくれるというつながりも、店を長く続けているからこそですね。最近では売れなかったアイドルの子がいつのまにか人気者になっていたり、服飾の勉強をしていた子がデザインの賞を取ったりしていました。私は、お客さまみんなを応援しています。

WWD:43年続いてきた「ブティック竹の子」の今後は?

黒田:「ブティック竹の子」一番のポリシーは、夢を売ること。ステージで着る人やそれを見た人、関わったみなさんが少しでも幸せな気持ちになったらいいですね。今後の目標は、それを何十年も続けていくことです。

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トラッドからヒップホップ、そして古着へ 「日本のファッションのルーツと新潮流」【UA重松理×石川次郎対談 VOL.3】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた伝説の編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。3回目の今回は、「日本のファッションのルーツと新しい潮流について」。

VOL.1、VOL.2はこちら

――今、若い層を中心に、トラッドやオーセンティックスなどを通らないで育ってきた人が増えていますよね。それでファッションが大好きという人々もいますし、ファッションに興味がないという人々も増えています。この事象をどう考えますか?

重松:自分はまったく悪いとは思っていません。時代の潮流なので。仕方ないもんね。自分が育った環境というのは、ファッションという文化がまだまだ日本に芽生えたばかりの頃、諸先輩方がいろいろな海外の情報を満たしていって、次の自分たちのファッション文化みたいなものにつなげていけるような素地をもらったと思っているんです。今は情報も溢れているわけで。若い人たちが先輩を見て何も感じなくて、情報は別になくてもいいとか、ファッションなんてふざけんなよ、みたいに思っている人もいると思う。でもその点で一番大きな影響を与えたのは、アップルの創業者のスティーブ・ジョブスだと思います。彼の黒T(「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」のモックネックTシャツ)と、(「リーバイス」の)ジーンズのスタイルは、研ぎ澄まされていて、無駄なものを全部省いていて。企業の規模も技術も生き様もあってのファッションだから、あれは否定できない。みんなが「着飾るよりもカッコイイ!」となるのもよくわかるんです。しょうがないですよね。時代の潮流そのものだと思います。だから、(トラッドやオーセンティックスを通らない人々の増加や、若者のファッション離れなどを)ちっとも悪いと思っていない。ただ、われわれは仕事として残していきたいし、ちゃんと見たら「あぁ、こんなものがあったんだね、世の中には」と感じられるものを残しておかなければならないんです。

石川:面白い現象ですよね。僕は1941年生まれで、45年の終戦後はひどい生活が続くなかでも、だんだん豊かになり、男たちもわりとお洒落に目覚め始めたんですよ。そんなときに「VANヂャケット」が出てきて(1954年開始)、男の服の一種のルールみたいなものを楽しく教えてくれたわけです。男というのは規則じゃないけど着方があるんだよと。こういうジャケットにはこういうシャツを合わせて、こういうタイをするんだよ。パンツはこれくらいの長さで、靴はこういったものを履くんだよと。これがとってもシステムとして感じさせてくれて面白かった。自分の中でお洒落に関心があるとしたら、間違いなく「VAN」なんです。お小遣いを貯めてはボタンダウンシャツを1枚買う、とか。そういったことは僕より上の世代にはあんまりなかったことで、そういう意味では面白い世代に生まれたなと思いますね。そして、そのうちルールを破るヤツが出てくるわけです。規則だらけの服の着方なんてつまらない、これが自分なりの服の着方だ、なんて言い出して、それまでの常識を壊そうとするんです。それに同調する人間の数がジワジワ増えてくると一派となり、知らないうちにメジャーになったりして、皮肉にもある種の権威になったりもする。そうすると、それを壊す連中が出てくるという、一種の繰り返し現象みたいなものがファッションにはあって、そのあたりがすごく面白い。ただ、僕は男の服というのは一種のルールみたいなものがあるというのは、今でもいい話だと思うし、ドレスアップがあって、ドレスダウンがある。それをどう崩すかというのがファッションの醍醐味なんじゃないかな。今の子たちは初めからドレスダウンというか、ルールなんて初めから知らないよという。そのあたりがまたすごいよね。僕の孫は今大学2年生なんだけど、もう古着以外興味を持たない(笑)。でもけっこうな値段の古着を買ってくるんですよ。全部見せてもらっているけれど、「だったらおれのこれを着るか」とタンスから出してくると喜んで着るんです。こんなもの捨てようかなと思っていたようなものなんですけどね。そういう世代が今後どういう大人になっていくのか、とっても興味がある。しかもそんな子が成人式には普通の紺のスーツを着るわけですよ。抵抗もなく。その辺りの感覚が僕たちにはなかったし、面白いなと思いますよ。

――一方で、日本のファッションが世界に認められるようにもなってきています。

石川:日本のファッションは世界的に見ても面白がられていると思いますね。僕たちの世代は「外国のものはいいものだ」と思い込んでいる節があって、なるべく外国から買ってくるし、外国人の着こなしをマネるのが主で、自分らしさを出そうなんて気はあまりなかった。でも、若い世代を見ていると、そんなことお構いないにどんどん自分のものを作って世界的に発信し、それが注目されている。最近ものすごく面白い。日本のストリート出身のクリエイターたちが大きなブランドから頼られてコラボをやってるじゃないですか。あれなんか痛快ですよね。軒並み大きなブランドが日本のサブカルの人々と一緒に商品作りをしているのなんか典型的な例だと思うんですけどね。

重松:もう本当に著名なブランドとね。あれはすごいと思いますよね。堂々とやっているし。彼ら・彼女たちはみんなBボーイ(ヒップホップ系)から始まった人たちなんですよね。それが裏原宿系になって。それに海外の人たちが興味を持ち、文化が融合して。それを自国に持って帰って、欧米でもそれがとても貴重で、人気を博して、逆に一緒にやりたいとオファーされるところまでいった。セレクトショップにはそれはないですからね。最近特に顕著になっていて。すごいと思う。

――キム・ジョーンズなどメゾンで活躍するデザイナーも、若いころから東京や原宿が好きで、藤原ヒロシさんやNIGOさんと交流したり、彼らの緻密なモノ作りやリミックスのデザイン構築に感銘や影響を受けていた人も多いですからね。では、お二人の目から見た、ファッションの節目や転換点となる出来事を教えてください。

石川:人によってとらえ方は違うと思うけれど、僕の場合は、(68年5月に)パリで5月革命があり、次の年(69年8月)にニューヨーク郊外のウッドストックでロックフェスが行われたことで、若者たちのファッションが大きく変わったと思っています。その代表がジーンズであり、この本でもジーンズを取り上げることは必須でした。ただ、その取り上げ方をどうするのかは一番考えましたね。単にジーパンを紹介するページではなく、ジーンズにはもっと違う意味があることを強く言いたかった。なのでp.72にはあえてこの、パリの五月革命のデモで投石している学生の写真を紙面に大きく使いました。間違いなくジーンズをはいているでしょ。2カ月後の7月にパリを訪れた時には、まだ投石の後があり、カルチェラタンにも催涙ガスの匂いが残っていました。街では本当に若者たちがジーンズをよくはいていたし、黒のセーターが一種のユニフォームになっていたこともあわせて、とっても印象に残っていました。だからどうしてもこういうページから入りたくて、これ、という写真をいろいろ探しました。普通のファッション誌だと、ジーンズ、イコール、(「リーバイス」の)501の写真やビンテージ、となると思うけど、この本ではそうじゃないなと思って。象徴的な出来事である五月革命と、ウッドストックの写真を生かしました。僕はこの辺りに若者たちの服に対する考え方を大きく変えた何かがあったという気がしています。

(vol.4に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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全ては「メード・イン・USAカタログ」から始まった!?【UA重松理×石川次郎対談 VOL.2】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた伝説の編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。全5回の2回目の対談をお届けする。

――今の時代、ファッションやトレンドが大きく変わらないとか、ファッションはメインストリームではなく、サブカルチャーになってしまったと言われることも増えていますが、当時はファッションがカルチャーのど真ん中にあったのですね。

重松:生活文化の、そして、衣食住の中でも、自分を表現するというのは衣・ファッションしかない。好みは住まい方などにも反映されますが、個人を表現するにはファッションしかない。今もそう思っています。

石川:僕は編集者だから、外国にイラストレーターと一緒に行って、面白い人間を昆虫採集のように採取して、絵にしてもらって誌面に出せば仕事は終わり。でも、僕たちのレポートの中には、ビジネスのヒントやチャンスがたくさんあったとずいぶん言われました。たとえば、それまで日本人は誰も行っていなかったけれど、僕たちが取材して雑誌に載せると、次に行くと「とんでもなく日本人がたくさん来たよ」と。有名なワークブーツの店では名刺の束を渡されて、「ビジネスをやりたいという人がこれだけ来たけど、どれがいいかわからないから教えて」といわれて、アドバイスしてあげたり。

 その典型が「ハンティングワールド(HUNTING WORLD)」でした。カメラマンの繰上(和美)さんが日本でいち早くそのバッグを持っていて。どこで買ったのか聞くと、「ニューヨークに新しく面白い店が57丁目にできたよ。『ハンティングワールド』っていうから行ってごらん」と教えてもらって。次の機会に訪れてみるといいものを作っていて。それまでバッグは「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」が有名だったけれど、同じ工場で作っていて、モノ作りがしっかりしているなと。オーナーのボブ・リーは嫌味な親父なんだけどモノが面白いなと思って、徹底的に取材して、「メイド・イン・USAカタログ」の2号目あたりに出したら大反響で。本も売れたけど、想像していなかった反応があって。その記事を見て貿易会社や商社、百貨店などがこぞって訪れたらしく、翌年ボブ・リーに会いに行ったら手紙の束を見せられて、「これだけオファーが来たんだけど、どれを選んだらいいのかわからない」と。見たら伊藤忠とか西武百貨店とかどこも知っているところで。そのころ親しかった西武の人を紹介したら本当に決まったりね。

――ある意味、ファッション業界のフィクサーだったんですね!雑誌から流行が生まれていたと。

石川:そんなことが知らないところで発生していたんですよ。ニューヨークには各社とも支社があってバイヤーや特派員もいるだろうに、つかめないニュースというのがあるんですね。商売のネタを探しにいっていたらそんなに簡単にいかなかったと思うけど、商売っ気なしに行っていたから面白いことができたんですね。「LLビーン(LL BEAN)」も当時は日本に入っていなくて。神田の古本屋で買った古いカタログを見て「LLビーンってところに行ってみたいね」「欲しいね」と話していて。次のNY取材時に、カタログに24時間営業と書いてあったので、わざわざ夜中の12時に行ったら本当に店が開いていて。大騒ぎで夜中に取材して、大特集をしたら、やっぱり人気になって。重松さんもビームス時代から、いつも面白いものを探さないといけないという気持ちがあったんでしょ?

重松:もちろん。75年に初めて海外に買い付けに行ったときには、当然、「メード・イン・USAカタログ」を持っていきましたから。アメリカの「ナイキ(NIKE)」もロンドンの「ヴィヴィアン・ウエストウッド(VIVIEN WESTWOOD)」も、それを見て買ってきました。そこから始まっているんです。買い付けのバイブルみたいなものでしたね。本に出ているから、圧倒的な説得力があるじゃないですか。しかも、説明も書いているから、店頭に出したらすぐ売れましたからね。ずっとそれの繰り返しでしたね。雑誌が早いか、洋服屋が早いかといえば、雑誌のほうが圧倒的に早いんです。洋服屋が後追いして、雑誌に合わせて品ぞろえしていくという時代でしたね。それで流行がまた出来上っていくという。

石川:僕たちは誌面に出したい、紹介したいだけで。連携プレーしていたわけではないけれど、重松さんたちが活用してくれて。しかも、読者サービスにもなるし。嬉しかったですね。

――「日本現代服飾文化史」の構想を聞いたときの最初の印象は?

次郎:光栄だけど、果たして自分にできるかなと。自分はファッションを専門にやってきた人間ではないので。ただ、世界中を取材してきた中で、どうしてもファッションは同時に報告しなければならない要素だったんです。若者雑誌なので。ファッションは常に意識はしてきましたが、クロニクルという年代記でファッションをまとめることが僕にできるのか考えましたよ。背中を押してくれたのは、重松さんの「サブカルチャーとしてのファッション、あるいは、権威の外にあるファッションでまとめて欲しい」という言葉でしたね。書籍で扱うのが1941年生まれの僕が物心がつき始めたころの45年からということで、僕の人生と重なるということもあって、これも一つのご縁だなと。自分の経験としてまとめることはできるかなと思ったんです。でも、60年代、70年代はわかるけれども、最近のことは若い人々にはかなわないし、現場で取材しているわけではないので、若い世代、違う世代の協力が絶対に必要だなと。うまく少ない人数でチームが作れれば、面白いものができるのではと考えました。

――戦後75年のファッション史をまとめるとなると膨大な内容になりますが、どんな手順や切り口で企画・製作を進めたのですか?

重松:ファッションビジネスにかかわってきた者として、社会で起きた出来事やファッションの流れに基づく年表をメモにして、トピックスを書き出しました。それを財団のメンバーに渡して、年表を完成させていきました。

石川:その年表には、45年から現代までの、世の中で起こったこと、ファッション業界で起こったこと、風俗的なものなどが大変詳細に書かれて、よく整理されたものでした。これをベースに本を作ってほしいと言われて。大変だな、と思いつつ、年表があったからこそ本を作り上げることができました。とくに70年代ぐらいまでは、まさに僕の仕事、現場でバンバンやっていたことがたっぷり入っています。

――テーマを設定し、歴史とともに、その時代の象徴的な事象がコンパクトにまとめられていますね。

石川:限られたページの中になるべくたくさんのことを入れたくて。最初は100のテーマにしたかったけれど、それだと細切れになってしまうし、4ページ、6ページ、中には8ページで紹介するものもあったほうがリズムができるので。65のテーマが精一杯でした。それぞれ一冊の本になるぐらいのものをどう切るか。難しかったけれども、すごく面白かったですね。入りきれないぐらい、まだネタは余っています。それにしてもあの年表はかなり完璧で。ほとんど漏れているものはないでしょ?

重松:そう思っていたのですが、よく考えたら漏れているものがたくさんあって、追加したい項目が出てきてしまいました。なぜかというと、生活文化の中で、ファッションは衣なのですが、食住があってこそ文化なんです。この本には食住がないんですよね。それと、衣といえば、遊び場じゃないですか。遊び場があって、ファッションの流れというものができた。それに全然触れていないし、遊ばせてくれた人にも触れていないんです。どういうお店に、どういう人がいて、そこにどんな人々が集まっていたのか。そういうこともちゃんと残しておいたほうがいいなと。そういうことも含めて、追記したいなという思いが湧いてきました。

石川:実はあの年表は、重松さんのディスコ遍歴から書かれたものなんだとか(笑)!?

重松:そうなんです。もともと、そこから始まったんです(笑)。そこを残さなければならない。

――早速、改訂版や第2弾などの発行がありそうですね(笑)。それにしても、ファッションを社会潮流とリンクして考えることの重要性に改めて気付かされます。UAでも社会潮流からディレクションを行い、シーズンテーマやMDを組み立てることを長く行ってきましたよね。

重松:そこが、この本で残さないといけないなと思った理由でもあります。ファッション史というとランウェイやコレクションを軸に語られることが多いのですが、デザイナーのブランドは、いい時と悪い時があったら、悪い時は歴史から消してしまいがち。自分が納得できなかった作品なども隠してしまうというか。でも、そうじゃないだろ、と自分は思うんです。社会潮流の中で起きたファッションの事象を、全部同じトーンで残すことをルールにして、足跡を正しく残すべきだと考えました。UAの視点にもそういう部分があるので、(半歩先をいく、次代にトレンドとなる可能性のある)先駆性商品と、(そのシーズンのトレンドを反映した)時代性商品、そして、(トレンドに左右されずに安定的に売れ続ける)独自性商品、オーセンティックスを追求しているんです。ファッションは流れているから、今残っているものは本当はない、という定義だけれども、そんなことはなくて、文化の潮流を下支えする重要なものであり、それが今に至っているのだというところに帰結したいと思ったんです。

(vol.3に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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伝説の編集者とユナイテッドアローズ創業者の二人が書籍「日本現代服飾文化史」に込めた思い【UA重松理×石川次郎対談 VOL.1】

 ビームスとユナイテッドアローズ(UA)、日本を代表する2つのセレクトショップの誕生に関わったのが、UA名誉会長で、公益財団法人日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理氏だ。「服飾文化を次世代や後世に正しく現代史として伝承したい」と、財団を通じて「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を3月に発行。エディトリアルディレクションを手がけたのは、平凡出版・マガジンハウスで編集長を歴任し、その時代時代の風俗とカルチャーを雑誌を通じて世に発信してきた石川次郎氏だ。

 サブタイトルは、「若者と流行」「ファッションはいつも街から生まれる」。重松氏自身が体験したリストをもとに、財団のスタッフとともに、時代背景、社会の潮流、生活文化の流れ、その時代のインフルエンサーの変遷など75年の歴史を年表化。年代ごとにトピックスを挙げて、ファッション文化の伝承や定着、進化や、生活者の変化やムーブメントなどを、象徴的なビジュアルや著名人のエッセー、専門家の解説とともに記録している。重松氏と石川氏に、書籍の意図やファッションの醍醐味、後進に伝えたい想いなどを、全5回にわたってお届けする。

――日本のファッションの変遷をカルチャーとして切り取り、教科書としても使えそうなレベルで集大成された良書ですね。もんぺの時代から始まり、シャネル、アイビー、ミニスカート、ジーンズ、DCブーム、裏原宿、エアジョーダン、女子大生ブーム、コギャル、ユニクロ、モテ系&大人かわいい、ゾゾタウン、コメ兵、さらにはバーチャルヒューマンのimmaといったインフルエンサーまで、テンポ良く紹介しています。豊富かつ貴重な写真やイラスト、図録などにも圧倒されます。この本を企画した意図は?

重松理(以下、重松):ファッションはフロー(流れていくもの)で、消え去っていくものです。次々に新しいものが出てきては、淘汰されていく。でも「これは永遠に良いものだ」というものはストックとして残していきたい。それをオーセンティクスという形で、ビームスの途中から始めて、UAでも手がけてきました。財団を設立するときから時代背景や社会の潮流、生活文化の中でのファッションや、当時は表面的には見えずらかった事柄、その時代のインフルエンサーの変遷などを、特定のアパレルメーカーやブランドの視点ではなく、中立的で公共性のある資料的なものを、いずれ財団の仕事として残さなければいけないと思っていました。そこで、戦後75年になる2020年のタイミングで、ファッションの服飾現代史を出し、その足跡を次世代に伝えようと考えました。

――石川次郎さんに編纂を依頼した理由は?

重松:自分は物心がついてからファッションに興味を持ち、仕事として携わってからもいろいろな遍歴があるのですが、その半分ぐらいは平凡出版、今のマガジンハウスとともに歩み、育ててもらったみたいなもの。「平凡パンチ」では、小林康彦さんのイラストで紹介されたパリのサンジェルマンルックも、カーナビ―ストリートのロンドンポップなども見ていましたし、夢中に入り込んで、ビームスの立ち上げに至りました。アメリカで(1968年に)創刊した(西海岸の若者カルチャーやアウトドア文化、道具や情報を紹介する)「ホール・アース・カタログ」や、「スキーライフ」(読売新聞社)、その流れを汲んで、「メード・イン・USAカタログ」が発行され、ビームスの創業と同じ1976年に「ポパイ」も創刊しました。その多くに次郎さんがかかわられていたので、こういうものを作るときには造詣の深い次郎さんにお願いしたいと心に決めていました。それに、われわれはモノを売ってきたけれど、本を作るノウハウも写真や材料もない。そこで、財団の評議員で、次郎さんとも親しくされているビームスの遠藤恵司副社長を通じて依頼させてもらいました。

石川次郎(以下、石川):重松さんとは当時、直接的な付き合いはなかったけれど、すごくつながっていたんだなぁ、ずっと見てきてくれたんだなぁと嬉しくなりましたね。「平凡パンチ」や「スキーライフ」「メード・イン・USAカタログ」は、全部僕が手がけた仕事です。とくに小林さんのイラストレポは、僕が編集者になってすぐに会社に提案して実現しました。平凡出版に入ったのが1967年2月1日で、その年の9月には小林さんと2人でNYにいましたから。いい時代でしたね。その「平凡パンチ」では海外のニュースの担当になったのはいいけれど、上司から言われたニュースの取り方が、新聞社の外信や通信社から買えといった話ばっかりで、その通りでは面白くもなんともなくて。64年から誰でも外国に行ける時代になったし、「自分たちでニュースを探して誌面を作りましょう」「自分たちで外国取材をやりましょう」と上司の木滑さん(後にマガジンハウス社長を務めた、木滑良久氏。現・取締役最高顧問)に提案しました。マガジンハウス時代もその延長線上で、海外取材をするのが僕の仕事だと思っていました。

――次郎さんにとって、ファッションはどのような位置づけだったのですか?

石川:若者の風俗を伝えるにはどうしてもファッションが絡んでくる。そのとき、その場所で、どういう格好でいたのかということは、とっても重要な要素なのでね。それを伝えるには、それを表現できる、服がわかる人と一緒に現地に行くのが一番いい。しかもある意味、写真家よりも手っ取り早いだろうと。それに小林さんがずっと付き合ってくれました。考えてみればいい時代で、かなり生の情報が入ってきました。あの時期にやらなければ何をやるか、という感じでしたね。最初に67年にニューヨーク、68年にパリに行き、それから毎年1~2回外国に行きました。あのころは世界中でいろいろなことが起こっていました。自分たちの考え方や想いをデモや音楽やコンサートなどで伝えようとするなど、若者の行動が世界中のあちこちで起こり始めた。その連中がみんな面白いファッションをしていたんです。ニュースを伝えると同時にファッションが伝わった。僕はファッションの専門家でもなんでもないけれど、すごくいいチャンスに恵まれたし、それがとても貴重な情報だったのかも。重松さんも当時、そういう情報に飢えていたんじゃないですか?

重松:はい、なかなか情報が手に入らない時代でしたからね。同じイラストレーションでも、(週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当した)大橋歩さんや、(長く「メンズクラブ」やVANのイラストを担当していた)穂積和夫さんのアイビーファッションなどの絵は、素敵だけれど自分の画風や作風があって、写真の機能ではないんです。一方で、小林康彦さんは写真がそのまま絵になっていたので、とてもファッションのお手本になったんです。

石川:一種のドキュメンタリーですよね。小林さんがすごくうまいのは、100%見た通りでもなくて。基本的には現物そのままなんだけど、いくつかの要素を組み合わせたり工夫したりして、ちょっと面白くしている部分がある。でも、けして嘘ではない。やりすぎてはいない。この本のp.49、p.52、p.66~69、p76などは当時の絵をあえて使っています。p.66は67年に初めてニューヨークに一緒に行ったときのものですね。

重松:われわれはこれを「平凡パンチ」の誌面のうえで見て、これをなぞってきました。こういう格好をしなくちゃ、海外に行くならここに行かなければ、という情報機能を当時のファッションページは果たしていたんです。

(vol.2に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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「ドクターマーチン」CEOに聞く、サステナビリティの重要性とブランド経営

  「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」が好調だ。2021年12月期のグローバル売上高は前期比18%増の9億830万ポンド(約1507億円)と大きく伸ばしている。日本でも、若者を中心に多くのユーザーに愛されるシューズブランドとして定着している。

 同ブランドを率いるケニー・ウィルソン(Kenny Wilson)CEOは、「リーバイス(LEVI'S)」や「キャス キッドソン(CATH KIDSTON)」などで要職を経験してきた人物だ。約3年ぶりに来日した同氏に、「今、最も重要だ」と語るサステナビリティの取り組みや、ブランド経営の極意を聞いた。

WWD:来日は何度目でしょうか?今回の目的は?

ウィルソン:100回目くらいかな(笑)。それくらいたくさん来ている。でも今回は3年近く期間が空いたから、すごく楽しみにしていた。来日の目的は、店舗見学やマーケット調査がメイン。日本チームともリアルでコミュニケーションがとれてうれしいよ。

WWD:日本のストリートを歩いた感想は?

ウィルソン:町のにぎわいがかなり回復しているね。アジアはEUに比べて回復が遅いが、活気が着実に戻っている。日本も同様だ。それと「ドクターマーチン」を履く人をたくさん見かけて、市場に浸透していると実感できたよ。日本はアジアで最も大きな市場で、アジア全体の売上高の3割を占める。パンデミック後も毎年成長を続けており、グローバルでも重要な市場だ。この先はインバウンドが戻ってくるし、ストリートカルチャーでもリーダー的な存在。日本でブランドが受け入れられているのは、数字以上に大きな意味がある。

WWD:日本では特に若年層の獲得に成功している印象だ。

ウィルソン:日本チームが素晴らしい仕事をしていて、若い消費者を多く獲得できている。昨年オープンしたブランドコンセプトストア「ドクターマーチン ショールーム ティーワイオー(Dr. Mrartens SHOWROOM TYO)」はそれに貢献しており、Z世代のコミュニティー形成にも手応えがある。同店はメイド・イン・イングランドやコラボモデル、“アイコンズ”(代表的なモデル)など、ブランドの顔であるヒーロー商品をそろえ、世界観に浸ることができる。その拠点を東京の中心地に構えているのは大きなアドバンデージだ。

WWD:グローバルでも大きく伸びている(前述)が、好調な理由は?

ウィルソン:ブランドの本質的な強さのおかげだ。「ドクターマーチン」は世界中で受け入れられ、若者にも支持されている。特に好調なチャネルはD2Cで、自社ECと直営店は3割増と急成長している。

WWD:なぜそれほど伸びたのか?

ケニー:理由はさまざまあるが、ウェブサイト開発は就任以来継続的に投資している。ブランドに興味を持った人は、最初にサイトをチェックするからね。そこでいい経験ができると、実店舗に来てくれる。店舗のスタッフはアンバサダーのような役割を担っていて、彼らがブランドの世界観を発信する。この両軸があってD2Cが伸びているんだ。

WWD:ユーザーの消費行動に変化はある?

ウィルソン:大きな変化は、サステナビリティへの意識の高まりだ。特にヨーロッパでは顕著で、サステナビリティに向き合っていないブランドは見向きもされない。ありがたいことに、われわれはすでに持続可能なブランドだと認識されている。それはすごくシンプルで、長く使えるから。僕のワードローブにも25年間使っている「ドクターマーチン」があるように、長期的に愛用する人が多い。それがサステナブルなイメージに直結している。

WWD:新しく仕掛けるサステナビリティの戦略は?

ウィルソン:プロダクト開発では大きく2つある。1つは、バイオベース(植物由来)のマテリアルで作られたシューズだ。現在は、アッパーをバイオベースにしたシューズを制作中で、来年から特定の市場で販売テストを行う予定だ。日本も対象に入れているから、楽しみにしてほしい。このほか、2040年までにアッパーからソール、シューレースまで、すべてのパーツをバイオベースにしたシューズを作る目標も掲げている。

 もう一つは、既存モデルをサステナブルな素材・制作過程に代替する。例えば「レザーワーキンググループ(LEATHER WORKING GROUP)」認証のレザーのみを使用すること。この認証はブランドとタンナー、薬剤メーカーが参加し、工場内の安全性や原料のトレーサビリティーなどを徹底するもので、どの牧場のどの牛から来たレザーなのかも把握できる。今後はさらにステップアップして、牧場で使う農地の活用も再生可能なものにしたいと考えている。

WWD:プロダクト以外では?

ウィルソン:リペアによる2次流通の拡大を目指す。われわれのシューズは耐久性が高く、回収・リペアして再び販売するシステムが成り立つ。ちょうど3カ月前にイギリスで実験的にスタートさせ、“1460”などのアイコンモデルを中心に不要になったシューズを回収・修理し、定価の85%で販売している。始めたばかりで数字のインパクトは小さいものの、購入者の99%が高い満足度を示しており、手応えを感じている。日本ではデニムをはじめ古着市場がホットだし、グローバルでも導入できるようにしたい。

“マーケティングはローカルで”が信条
「私はビジターでしかないから」

WWD:「リーバイス」や「キャスキッドソン」などで要職を歴任してきた。どんなことを学んだ?

ウィルソン:それぞれのブランドで本当に多くを学んできたが、私の考えに最も影響を与えたのは「リーバイス」で過ごした19年だ。そこではまず、ブランドビルディングの大切さを学んだ。「ドクターマーチン」には“1460”があるように、「リーバイス」には“501”がある。これらのアイコンを大事にしながら、新しい仕掛けを考えている。次に、ブランドを世界でマネジメントしていくこと。市場をどれだけ広げても、ブランドは同じ立ち位置で、同じイメージを発信しないといけない。一方で、市場には固有の性質がある。だから、“ブランディングはグローバルで、マーケティングはローカルで”が私の信条だ。例えグローバルなキャンペーンであっても実稼働はローカルに任せているし、ローカル独自のキャンペーンにはほとんど口を出さない。私はビジターでしかないからね。最後は、社員の育成だ。本社も店舗も関係なく、一人一人の動きがブランドのイメージに直結する。スタッフは誰よりもブランドを愛していなければいけない。

WWD:ファッションブランドとのコラボも積極的だ。

ウィルソン:光栄なことに、たくさんのブランドがわれわれとのコラボを求めている。これが、ブランドの信頼やイメージアップにつながっているのは間違いない。日本では、コラボもしているヨウジさん(山本耀司)が既存モデルも着用してくれていて、私のオフィスには「ヨウジヤマモト」のチーム全員が“1460”を着用している記念写真も飾っているよ。

WWD:コラボで意識していることは?

ウィルソン:ストリートでそれを見たとき、一目で「ドクターマーチン」だとわかること。「ドクターマーチン」らしさを維持した上で、デザイナーならではのツイストを加えてもらう。それを実現できるスキルとクリエイティビティーを持っている相手でないと、コラボは成功とは言えない。

WWD:4月にクリエイティブ・ディレクターに就任したダレン・マッコイ(Darren Mckoy)にはどんなことをリクエストした?

ウィルソン:“Dマック”は、ヘリテージとモダニティのバランスがとれた才能ある人物だ。7年間働いていてブランドを理解しているし、サブカルチャーにも詳しい。ブランドらしさを保ちながら、ルールを破れる人だと考えて起用した。これからも楽しい商品を提案し続けてくれるはずだ。

WWD:日本のファンにメッセージを。

ウィルソン:これからもブランドとエモーショナルな形でつながっていてほしい。われわれもみなさんに楽しんでもらえるようにたくさん仕掛けていくよ。ありがとう。

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今一番売れている女性誌「ハルメク」のシンクタンク部門に聞く 注目の50〜60代市場のつかみ方

 雑誌不況の中で快進撃を続け、現在、女性誌として日本最大部数(2022年6月時点で約44万部)を誇るのが、「50代からの女性誌」を掲げる定期購読誌の「ハルメク」だ。1996年創刊の「いきいき」がその前身で、2016年に「ハルメク」に刷新。同誌を発行するハルメクは、出版事業だけでなくシニア向けの通販や小売りにも取り組んでおり、シニア専門のリサーチやマーケティングを手掛けるシンクタンク「生きかた上手研究所」もグループ内にある。日本女性の過半数が50代以上となり、ファッションやビューティ業界でも50〜60代向けのブランドやサービスの開発が急増しているが、「生きかた上手研究所」の梅津順江所長に、50〜60代市場攻略のヒントを聞いた。

WWD:まずはハルメクの組織について。ハルメクと聞くと雑誌をイメージする人が多いが、実際はシニア世代向けにさまざまな事業を手掛けている。

梅津順江ハルメク「生きかた上手研究所」所長(以下、梅津):雑誌の「ハルメク」が多くの方にとっての入り口になっているが、毎月発行しているカタログ通販誌には約70万人のお客さまがおり、われわれは「シニア女性の生活を丸ごと応援する」といった考え方を持っている。紙の媒体だけでなく、ウェブサイトの「ハルメクWEB」事業も順調に成長しているし、文化事業として旅行やイベント、講座なども行っている。ファッション商品やコスメ、生活用品を集めた小売りの「ハルメク おみせ」は全国の百貨店などに現在7店を出店している。他にも、靴の事業やヘルスケア事業、“終活”関連の事業などもあり、われわれのビジネスはなかなか一言では言い表しづらい。同じような業容を手掛ける企業が見当たらないため、競合企業を聞かれると困ってしまうぐらいだ。

 シニアは日々変化し、進化している。その一例として、コロナ禍以降はデジタルに対する意識も高まっている。だからこそ、われわれも「昨日あったことが今日更新されているか」といった視点を会社として非常に大切にしている。「シニアとはこういうもの」と思い込まないことが非常に重要だ。「昔と比べて今のシニアは〜」といった言い方をする人もいるが、“昔”がいつを指すのかは人によって違うし、1年前どころか、半年前と比較したってシニアの意識や価値観は変わっている。

WWD:シニアの専門商社のようなハルメクの中で、「生きかた上手研究所」はどのような役割を担っているのか。

梅津:「生きかた上手研究所」が立ち上がったのは14年の4月。聖路加国際病院の名誉院長であった、故日野原重明先生の著書「生きかた上手」が研究所名の由来になっている。われわれはハルメクのシンクタンク部門として、社内の編集部門や通販用の商品開発部門などにリサーチ結果やマーケティングデータを共有しているほか、最近はBtoB事業として、外部企業へのシニアマーケットについてのコンサルティングを行ったり、レポートを販売したりもしている。

 われわれの研究所の大きな強みとなっているのが、現在約3800人が登録しているモニター組織の「ハルトモ」だ。15年5月にスタートした組織で、アンケートやインタビューに協力してもらっている。自身の感覚や考えを言葉にするのがうまい人が多く、誌面のライターを務めてくれている人もいる。社内で新規のサービスや事業をスタートする際、「ハルトモ」はなくてはならない存在だ。「ハルメク」誌面でチャレンジ企画を立ち上げるときには、必ず事前に「ハルトモ」の意見を聞いている。

WWD:研究所と外部企業との取り組みにでは、具体的に過去にどのような実績があるのか。

梅津:例えば、「眼鏡市場」とは(シニアグラスの)“アイグレース”を共同開発し、21年11月に発売した。それ以前から「眼鏡市場」は60代女性向けの眼鏡を企画していたが、「なんだかターゲットにはまらない」と感じていたようだ。それで、1年間かけて「ハルトモ」メンバーによるモニター会を3回実施し、ニーズを探った。1年間というのは開発スパンとしてはかなり長期な方で、もっと短期で進むプロジェクトも多い。

 “アイグレース”の開発に関して言えば、とにかくこの世代の女性は欲張りで、そのうえストライクゾーンは狭い。顔の造形や趣味嗜好が1人1人違うのはもちろんだが、かけたときにおしゃれに見えないといけないし、同時に視力は落ちているので機能面の要求も増えている。さらには、「品よく見せたいけど同時に個性もほしい」「安心したいけど冒険も必要」といった無理難題も出てくる。「私はまつ毛のエクステをしているから、まつエクに干渉しない眼鏡でないといけない」といった意見がモニターから出たときは私も驚いたし、ほかに「眉毛の形が若いころより下がっているので、それに合うものがほしい」という声もあった。こうした多様な意見を受けて、“アイグレース”では商品を1つに絞ることなく複数型企画し、さらに店頭で微調整することでカスタマイズできるようにしている。

「シニアは自分をシニアとは思っていない」

WWD:50〜60代市場には近年注目が集まっており、参入する企業も多い。その中で「50〜60代市場のことならハルメクに聞け」というように認知を得ているのは、やはり「ハルトモ」の存在が大きいのか。

梅津:「ハルトモ」組織に加えて、「ハルメク」編集部には読者からのアンケートハガキも毎月2000〜3000枚ほど届いている。編集部主導ではあるが、われわれ研究所もそれらのハガキにも目を通している。今この瞬間に、対象となる層が何を考えているのかをつかもうとする意識は会社全体に強く根付いていると思う。それは、(定期購読や通販という形で)流通を通さずにダイレクトマーケティングを行ってきた企業だからという面が大きい。

 私自身は化粧品会社やリサーチ会社をへて、16年3月にハルメクに入社した。それから6年がたったが、「生きかた上手研究所」がリサーチ結果を社内外に発信してきたことで、世の中全体として50〜60代への理解が進んだという自負がある。私は現場が好きなこともあって、今もオンライン、オフライン合わせて年間800〜1000人ほどに話を聞いている。

WWD:ファッションやビューティ関連企業がこれからシニアマーケットに参入する際、どのような点に気を付けるべきか。

梅津:この世代は自分のことをシニアだなんて少しも思っていない。言葉の選び方として、「『ハルメク』世代の何%が支持しています」といった表現をすると、ファッションや美に関する領域では逆に敬遠されてしまう。自分たちのことを決めつけてほしくないと彼女たちは思っていて、自身がいいと感じたものを買うだけ。だから、「シニア向け」「50〜60代向け」といった表現はファッションなどでは避けた方がいい。一方で“困りごと系”、例えばデジタル関連や健康についての企画や商品は、あえて「50歳からの〜」といった表現を使った方が刺さりやすいといった違いもある。ファッション分野で言えば、服をとにかく沢山持っているのがこの世代の特徴でもある。そこをくすぐる表現として、「今あるアイテムを生かす」「1点足すと着回しの幅が広がる」といったアプローチには好反応が得られるケースが多い。


 「WWDJAPAN」編集部は7月22、29日に、“主役世代(50〜60代)”と“Z世代”にフォーカスを当てた、世代別マーケティングのオンラインセミナーを開催します。22日には、梅津順江ハルメク「生きかた上手研究所」所長も登壇。梅津所長による50〜60代市場のより詳しい分析や、同市場攻略のためのヒントをお聞きになりたい方は、こちらから是非お申し込みください。

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モード好きが集う古着屋「ウィッティー ビンテージ」 名物オーナーのおすすめコーデも紹介

 目黒区・祐天寺に店を構える「ウィッティー ビンテージ(Witty Vintage)」。スタイリストやエディターなど、モード好きの心を掴むセレクトに定評があり、オリジナル商品の製作や環境問題にも積極的に向き合っている。自身のSNSでもスタイリングやサステナブルなライフスタイルを発信している赤嶺れいこオーナーが登場。ブランディングや社会問題との向き合い方、古着をモダンに着こなすコーディネートなどを提案してもらった。

モードラバーを引きつけるセレクト

 「ウィッティー ビンテージ」は、オンラインストアのみで販売を開始し、2020年に目黒区・祐天寺に実店舗をオープンした。買い付けは夫の赤嶺優樹・共同オーナーが担当し、イベントの企画やオンラインストアのコーディネートなどをれいこオーナーが行っている。「主にアメリカ全土から買い付けてきたものが多いですね。店内には、ショップのコンセプトである“ウィット”に富んだ古着を並べていて、大人でも楽しめるデザインやサイズのアイテムをセレクトしています」とれいこオーナー。買付けは現地のフリーマーケットやディーラーの倉庫に足を運んだり、ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe)などスタイルアイコンが着ていた服をリサーチし、気になるブランドの中から、当時のランウエイを見てヒントを得ているという。

 客層は30〜50代。フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)が手掛けていた「セリーヌ(CELINE)」や、「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」のアーカイブなど時代を超えても愛されるウエアが豊富であることから、ファッション業界人や感度の高い女性から厚い支持を寄せられている。入口付近には主にシーズンに合わせたアイテムや、その時に自分たちが提案したい商品を並べているという。そのほかには定番商品としてミリタリーウエアやジーンズ、バンドTシャツ、インディアンジュエリーなどユニセックスで楽しめるものも販売している。

地球環境への真摯な取り組み

 「ウィッティー ビンテージ」が注目されているもう一つの魅力は、環境問題との向き合い方だ。地球温暖化の現状を知り、自分たちができることをまずは始めてみようと思ったのがきっかけだという。「SNSではお客さまにマイバッグを持参するよう呼びかけたり、通販用のショッパーは、100%とうもろこし由来の原料を使った独自開発のものを取り入れたりしています。実は店内の電気も再生可能なエネルギーを使っているんですよ」。また、インドの繊維工場で廃棄される残布を組み合わせたキルト地のブランケット(Mサイズ、同2万7500円/Lサイズ、同3万5200円)や、「バグー(BAGGU)」と協業したエコバッグ(同2860円)もオリジナル商品として製作している。

自身の悩みから製作したオリジナル商品 

 古着の販売に加えて、オリジナル商品も販売している。最近では、れいこオーナーが「プラージュ(PLAGE)」と共同開発したアンダーウエアとブラカップ付きのタンクトップが好評だ。「私が思春期の頃から抱えている体形へのコンプレックスがきっかけで、製作に至りました。アンダーウエアは、さまざまな体形の人が快適に着られるようにアンダーバストのサイズを増やし、インナーとしても活用できるデザインに仕上げました。タンクトップもアンダーウエア同様にバックホックを4つにし、ヘルシーな着こなしができるように胸もとや脇下、背中の開き具合にもこだわっています」。

オーナーがおすすめするコーディネート

 れいこオーナーは、自身のインスタグラムで古着を取り入れたコーディネートを提案している。力強いイメージのインディアンジュエリーや、ヒールシューズを取り入れて、大人の女性らしさを引き出すように意識しているのが彼女流の着こなしだ。オンラインストアでは170cmのモデルを起用しているが、自身の小柄な体形を生かし、低身長の人でも商品のデザインやシルエットが分かるように心掛けているという。

 「パレードパンツは、その名の通りパレードをする時に履くもので、サイドにラインが入っているのが特徴。かなりハイウエストなので、脚長効果が狙えるんです。華奢なヒールサンダルや小物と合わせることで、こういうカジュアルなアイテムも女性らしい印象になります」

 「1970年代のワークウエアブランドによるカウボーイスラックス。ワンサイズのみの取り扱いですが、大きい人は細めのベルトでぎゅっと巻くのがおすすめです。ボリュームのあるサンダルを履くなら、透け感のあるトップスを選ぶなどしてバランスを取るのがいいですね」

■ウィッティー ビンテージ
住所:目黒区五本木2-13-1 1階
時間:13:00〜18:00
定休日:不定休

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ミキが語る“勝負服”の眼鏡とスーツ 亜生と昴生の対照的なファッション観

ミキ

ミキは兄の昴生と弟の亜生による、吉本興業所属のお笑いコンビ。京都府京都市出身。芸人としてのキャリアをスタートさせていた昴生に、亜生が合流する形で2012年4月結成。16年に第46回NHK上方漫才コンテストで優勝。翌年から、M-1グランプリの決勝戦に2年連続で進出し、全国に名前が知られる存在に。19年に活動の拠点を東京に移す。バラエティ番組等への出演のほか、昴生はドラマ「恋は続くよどこまでも」(TBS系)にレギュラー出演、亜生も映画「ライオンキング」の吹き替え版でティモン役を演じ、ユニクロのテレビCMへ出演するなど活躍の幅を広げてきた。

 兄の昴生、弟の亜生によるお笑いコンビ・ミキのトレードマークといえば、眼鏡とスーツである。漫才を披露する際には二人ともオーダーメードのスーツ姿で舞台に立つこだわりようだ。さらに今年4月にパリミキの宣伝部長に就任し、5月にはコラボ眼鏡を発売した。彼らの勝負服ともいえるスーツと眼鏡へのこだわりや、ファッション観について聞いた。

眼鏡をかけていなかった意外な過去

WWD:二人が眼鏡をかけ始めたのはいつ?

昴生:眼鏡は同時期くらいで、僕が高校生、亜生が中学生でしたね。亜生は単純にゲームのやり過ぎで視力が落ちて、眼鏡をかけなあかんようになって。僕は視力は良かったんですけど伊達眼鏡に憧れがあって、街で売ってる1000円くらいの安いやつをかけ始めたんです。視力が落ちきてからはちゃんとした眼鏡をかけるようになりましたね。

亜生:僕はサッカーをしてたんでコンタクトもしましたけど、眼鏡が好きなので基本ずっとかけていますね。逆に僕は伊達眼鏡かけてる奴、めっちゃ嫌いやったんですよ。こっちは生活かかってるのに、何を学校に伊達眼鏡かけてきてんねん!って言ってたくらい。

WWD:眼鏡をやめようと思ったことはない?

昴生:結成してすぐの頃はありましたね。亜生がお客さんの顔見たら緊張するって言うから、亜生は眼鏡を外して出てたんですよ。僕も同じ理由で、眼鏡のレンズだけ外してました。でも、お客さんが笑ってるのか分からへんし、眼鏡の跡くっきりついたまま出るから変やし、結局二人ともすぐ眼鏡に戻りましたね。

WWD:眼鏡を選ぶ際のこだわりは?

亜生:僕の場合、横長でカクカクの眼鏡にすると顔がキツく見えちゃうので、なるべく丸いやつを選んでますね。あと、華奢なフレームのものが多いです。どんな服にも合わせやすいし、夏に縁の太いのやと暑いので。僕は眼鏡がほんまに好きなので、多分40〜50は持ってると思います。

昴生:亜生がシュっとした眼鏡をかけてるから、僕は逆にフレームがしっかりあって、ちょっと横長みたいなのにしてます。

最近のお気に入りトップ3を紹介

スーツは漫才モードに切り替えるスイッチ

WWD:スーツを初めて作ったのはいつ?

昴生:コンビを組んで半年くらいからですね。僕らが出演していたNGK(なんばグランド花月)の舞台ってスーツがめっちゃ合うんです。それに見栄えは大事ですから、おそろいで作ったほうがええんちゃうかっていうことで、大阪の芸人がよく利用してるツキムラっていう店でオーダーしました。

WWD:茶色が昴生さんで緑が亜生さんというカラーはどのようにして決まった?

昴生:もともと僕が緑のつもりやったんです。でも、当時は彼女だった嫁が「緑は亜生の方が似合う、あんたじゃない」って言って。じゃあどうしようかなって時に、千鳥のノブさんが茶色のスーツを着ていて、ええなと思って茶色にしました。

WWD:どんなときにスーツを作る?

昴生:僕らは年始に心機一転、頑張るぞっていう気持ちでスーツを作ってるんです。これまで作ったのは7〜8着くらい。昔はお金がなかったんで、海外の通販で1万円くらいで作ったりしましたね。2〜3年前からは、知り合いのデザイナーに頼んでます。前回は2パターン作って、今年はネイビーのスリーピースにしました。

亜生:体形によってジャケット襟の太さとか、後ろの切り込みがある方がいいのかが変わってくるので、おそろいで作ったスーツでも、お兄ちゃんと僕とでは作りが全然違います。デザイナーがこだわってくれた、ほんまのオーダーメードです。

WWD:漫才師のお二人にとって、スーツとは?

亜生:仕事着です。舞台が終わったらなるべくすぐ脱ぐようにしてますね。舞台だけでのスイッチなので、着たままだとリラックスできへんなって。

昴生:仕事のユニホームですね。僕は漫才でスーツ着る時は、靴も靴下も変えて漫才モードに気持ちを切り替えるんです。漫才のためのユニホームやから、それ以外のテレビの収録ではよほどのことがない限り、スーツは着ないようにしていますね。

トレンド好きの亜生と無頓着な昴生

WWD:普段はどんなお店で買い物している?

亜生:セレクトショップの「ビショップ(BSHOP)」で大体買っていますね。最近は釣りをするから「ダイワ(DAIWA)」のアパレルブランドの「ダイワ ピア39(DAIWA PIER39)」も好きです。涼しいし速乾性もあって機能的なのに、そのまま街にも行けるから、そればっかり着ていますね。

昴生:僕は正直、こういうインタビューが申し訳ないくらいファッションに無頓着なんです。「ビショップ」と「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」と「ダントン(DANTON)」しか行かないですね。亜生に「ビショップ」を教えてもらってから、夫婦でずっと行ってます。

WWD:昴生さんは亜生さんから影響を受けることが多い?

亜生:僕は流行してるものが好きやから。でも、中学のときはお兄ちゃんの方がめっちゃおしゃれやったんですよ。

昴生:昔は音楽も色々聴いてたし、古着も好きやったんですけどね。つい最近まで、高校の時のTシャツとか着てましたから。でも周りに「テレビに出てるんやから、いい服着なさいよ」って言われて、一番近い亜生に相談するようになりましたね。

WWD:デートや合コンなど、モテたいシーンではどんな服を選ぶ?

亜生:僕はきれいに見せるのなら、ネイビーのセットアップが一番手っ取り早いと思いますね。中に白のTシャツを着たらそれだけでサマになるので。

昴生:僕は眼鏡を変えます。服は畳んであるものを上から選んでるんですけど、眼鏡はちゃんと選びますね。眼鏡でおしゃれしようと思うようになったのも、パリミキさんとの仕事でいろいろ教えてもらってからです。最近は嫁とデートする時に、サングラスをかけるようになりました。

WWD:最後にこの夏、気になるアイテムは?

亜生:膝下くらいの短パンです。好きで買ったはいいものの、合わせ方を間違えると中学生に見えそうで、履く勇気がまだないんですよね。でも気になるアイテムです。

昴生:僕は映画のグッズが好きなんで「スターウォーズ(STAR WARS)」や「ジュラシック パーク(JURASSIC PARK)」のTシャツを着たいですね。あと、ディズニーも好きなので、普段はディズニーストアで作ったTシャツも着てます。この間も嫁とアロハシャツを買いに行って、ペアルックでディズニーデートして、キスしました。

亜生:キモっ!

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世界最大のオンライン市場「ストックX」が常設スポットを原宿にオープン キーマン2人が考える次のトレンド

 世界最大のオンライン市場「ストックX(STOCKX)」が、東京・原宿に常設スポット「ストックX トウキョウ ドロップオフ&ストア(STOCKX TOKYO DROP-OFF以下、ドロップオフ&ストア)」(東京都渋谷区神宮前4-26-21)を7月16日にオープンする。

 「ドロップオフ&ストア」は、2016年にスニーカーのリセールサイトとして設立した「ストックX」の3番目となる常設スポットで、初めてショッピング体験を導入したスペースを構える。店内は2フロア構成で、1階では売れ筋の商品を展示してオンラインでの購入前に商品を実際に確認できるほか、「ストックX」がセレクトしたアイテムも取り扱う。第1弾として、ストリートブランド「ブラックアイパッチ(BLACKEYEPATCH)」とヒップホップメディア「ニート トウキョウ(ニートTOKYO)」とのトリプルコラボアイテムを用意する。「ニート トウキョウ」らしいグリーンをキーカラーとした3型のTシャツ(全て税込7700円)をラインアップし、そのうち1型を16日から「ドロップオフ&ストア」限定で、残り2型を19日から「ストックX」の公式サイトで販売する。

 2階は、店名にも掲げているサービス“ドロップオフ”の専門フロアとなる。“ドロップオフ”とは、オンライン上で取引が成立した商品を売り手が持ち込むことで、箱詰めや配送ラベルの印刷、真贋鑑定を行う認証センターへの発送などが不要となり、よりシンプルな販売体験を提供するサービスだ。これは、同時にローカルな買い手への新しいショッピング体験も実現し、すでに「ドロップオフ&ストア」を常設するニューヨークと香港および期間限定のロンドンでは、売り手の活動が活性化したことで100万件以上の注文を促進しているという。

 「ストックX」は、なぜ東京に「ドロップオフ&ストア」をオープンしたのか。ドゥイ・ドアン(Doy Doan)「ストックX ジャパン」シニアディレクターと、オープンにあわせて来日した、「ストックX」で数々のコラボプロジェクトを仕掛けてきたトム・ウッジャー(Tom Woodger)=カルチュラル・マーケティング・バイスプレジデントの2人に、オープンまでの経緯と今後のトレンドの予想などについて話を聞いた。

ーー常設スポット「ドロップオフ&ストア」の構想はいつからあったのですか?

トム・ウッジャー(以下、ウッジャー):われわれは、“コミュニティーの声を聞くこと”を重要視していて、「ストックX」の設立当初から商品を実際に取り扱うフィジカルなスペースがほしいという意見が多かった。そこで、2018年のクリスマスの時期に、初めて「ドロップオフ&ストア」のようなポップアップスペースをニューヨークにテストオープンした。反響があまりにも良かったので、続けてロサンゼルスやロンドンでもポップアップスペースを開き、そこでも成功を収めることができたので常設スポットの構想を形にすることにしたんだ。

ーー「ドロップオフ&ストア」を東京にオープンする意味とは?

ドゥイ・ドアン(以下、ドアン):ニューヨークがアメリカにおけるストリートファッションのメッカであるように、東京はアジアのストリートシーンの中心地かつ重要な市場だと考えており、20年の日本上陸からローカリゼーションを行ってきた。そして、日本では対面式のサービスやコミュニケーションの文化が根付いているため、「ドロップオフ&ストア」は最適なサービスだと理解した。

ーー現在、日本よりも中国と韓国の方がストリートシーンの勢いはあるように感じます。

ウッジャー:日本国内にいると分からないかもしれないが、まだまだ東京は魅力的な街だ。なぜなら、日本にはNIGO®や高橋盾ら世界中に知られているストリートシーンの重要人物たちが大勢いるから。君が言うように、中国と韓国のマーケットは盛り上がっているし、これから世界に影響力を与える人物が現れるかもしれない。でも、長いカルチャーの歴史を持つ日本は絶対に外せない。“「ストックX」にとってなくてはならない街”という認識だ。

ーー店内をシンプルでクリーンな内装にした意図は?

ドアン:東京という街が持つ、コンクリートジャングルかつミニマルな空気感を反映させたかった。そこに、「ストックX」のアイデンティティである“ストリート”を意識し、大理石の上に商品を陳列するようなラグジュアリーな見せ方はせず、フロアをコンクリート調にしたりライトを剥き出しにしたりすることで“リアル”を演出している。

ーー1階ではセレクトしたアイテムを取り扱うとのことですが、その選ぶ基準を教えてください。

ドアン:日本人に親和性の高いアイテムをキュレーションするだけでなく、顧客が出合ったことのないブランドやカルチャーを紹介するエデュケーション・スペースとしての役割も兼ねる予定だ。人からコミュニティーが始まり、コミュニティーからカルチャーは育っていくーーこれを実現する場にしたい。

ーー「ストックX」が考える次のトレンドは?

ウッジャー:「ストックX」の面白いところは、さまざまなカルチャーにアクセスできること。カルチャーは永遠に発展するもので、スニーカーからはじまり、コレクティブルアイテムやNFTにまで波及し、現在はゲームやゲーム機器も盛り上がっている。だが、われわれが最も象徴的なトレンドと考えるのはアートプリントだ。各ブランドが差別化を図るために他ジャンルとの協業を画策した中の一つがアートで、コラボアイテムなどを発売した結果、オリジナルの作品を求める人々が増えたのだろう。「ストックX」も昨年、現代アーティストのダニエル・アーシャム(Daniel Arsham)のパートナーシップを締結し、コラボアイテムも発売している。

ーースニーカーシーンのトレンドでは、2人も履いているように「ニューバランス(NEW BALANCE)」の存在感が増していると感じます。

ウッジャー:「ナイキ(NIKE)」と「ジョーダン ブランド(JORDAN BRAND)」が、トップ2に君臨していることは変わらない。だがここ数年の「ニューバランス」は、デザイナーのジョー・フレッシュグッズ(Joe Freshgoods)や「ジョウンド(JJJJOUND)」のジャスティン・サンダース(Justin Saunders)、シューズデザイナーのサレヘ・ベンバリー(Salehe Bembury)、ラッパーのアミーネ(Amine)ら、ブランド・アイデンティティを巧みに表現できるパートナーとの協業が非常にうまくいっているように思う。また、「サロモン(SALOMON)」と「アシックス(ASICS)」にもそれを感じる。

ーー故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)は1人でトレンドを動かせる人物でしたが、彼に代わる旗振り役は誰になると思いますか?

ドアン:「エメ レオン ドレ(AIME LEON DORE)」のテディ・サンティス(Teddy Santis)だと思う。「エメ レオン ドレ」と「ニューバランス」のとあるコラボの発売日が、「ニューバランス」史上最大の1日の出来事だったと聞いている。

ウッジャー:難しい質問だ(笑)。ジョー・フレッシュグッズももちろんだが、1人しか選べないならテディだろう。いつかキム・ジョーンズ(Kim Jones)のような存在になると考えている。

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「ハイプゴルフ」代官山に直営店 ケヴィン・マーとジュン佐々木社長が語るゴルフカルチャーの変化

 ジュンは昨年末、香港発のウェブメディア「ハイプビースト(HYPEBEAST)」が運営するゴルフ情報サイト「ハイプゴルフ(HYPEGOLF)」と協業し、アパレルラインを立ち上げた。“ストリートゴルフ”をテーマに、グラフィックにこだわったハイネックジャケットやフーディーといった日常生活でも使えるアイテムをそろえるほか、関係者を招待したゴルフイベントの開催など、コミュニティー形成にも積極的だ。

 そんな「ハイプゴルフ」が7月、東京・代官山に直営店をオープンする。オリジナルウエアはもちろん、「フックドゴルフ(HOOKED GOLF)」や「ナンバー33(NO.33)」といった海外ブランドとのコラボアイテムや、コメ兵とのタッグで実現したビンテージのゴルフウエア企画も実施。さらに、バリスタの澤田洋史がプロデュースするコーヒーブランド「ハイプビーンズ(HYPEBEANS)」のコーヒースタンドも入り、ゴルフカルチャーの新しい拠点を目指す。

 オープンに先立ち、「ハイプビースト」創設者で、世界のストリートシーンに大きな影響を持つケヴィン・マー(Kevin Ma)と、佐々木進ジュン社長にインタビューを実施した。ゴルフを取り巻く市場やカルチャーの変化、「ハイプゴルフ」の展望を聞いた。

WWD:「ハイプゴルフ」を立ち上げた経緯は?

ケヴィン・マー(以下、ケヴィン):4〜5年前にゴルフを始めて、自分でも驚くくらいハマった。テレビで見ていたときは「プレーがスローでつまらないスポーツだな」と思っていたが、実際にはそんなことはなく、人との関わりも楽しくて、のめり込んでいった。一方で、「もっと自分らしいスタイルでプレーできたら面白くなるんじゃないか」とも思うようになった。そこで、自分たちで「ハイプゴルフ」というメディアを立ち上げ、既存のメディアと異なる角度で情報を発信した。その後、業界の中でもゴルフ仲間と出会い、商品も手掛けるようになった。

佐々木進(以下、佐々木):私は2〜3年前にインスタグラムで「ハイプゴルフ」の存在を知り、トレンド感のあるストリートテイストを盛り込んだウエアが新鮮で興味を持った。単にストリートなだけではなく、クラシックなゴルフスタイルに敬意を払いつつ、音楽やストリート、アスレチックの要素を取り入れている姿勢にも共感した。

ケヴィン:ゴルフは紳士のスポーツだから、プレーヤーとしてその伝統には敬意を払いたい。でも、僕らはファッションやストリートカルチャーから始まったメディアで、その感性も大切にしたい。

WWD:2人は以前から交流があった?

佐々木:そうだ。コロナ前には一緒にゴルフを楽しんだ仲で、日本でも「ハイプゴルフ」をやり始めたと聞いて、一緒に何かできないかと自然と話が進んでいった。

ケヴィン:佐々木さんはファッションと小売り、ゴルフビジネス、そしてカルチャーに精通しているから、一緒に働くのは僕にとって“メイクセンス”だった。

佐々木:ありがとう(笑)。ケヴィンも、若くて生きのいいアントレプレナーのイメージが強いけど、とてもインテリジェントで、戦略もしっかりと考えている。だからこそ好きなことを仕事にできている。ゴルフ業界ではすごく稀有だし、ストリートファッションでもレアな存在。一緒にブランドができて光栄だ。

WWD:7月には代官山に「ハイプゴルフ」の店舗をオープンする。同店に期待することは?

ケヴィン:より多くの人にゴルフを知ってもらうプラットフォームになってほしい。これまでのゴルフショップは少し入りにくい雰囲気があったが、この店は気軽に立ち寄れるムードを大切にして、「ハイプビーンズ」というカフェも併設している。ユニークなドリンクがそろうから、それだけでも楽しい店舗で、コミュニティー作りにも機能するはずだ。

佐々木:売り上げを求めるだけでなく、ゴルフに触れるタッチポイントの一つになってほしい。われわれが培ってきたゴルフウエアのノウハウを活用しているため、商品は確かな機能性も備えている。王道のクラシックと、新しいストリート。異なる価値観が交差する面白さを感じてほしい。

WWD:現在のゴルフ市場をどう見ている?

ケヴィン:コロナで人気が高まり、その後は落ち着くかなと思ったが、まだまだ勢いが続いている。アメリカや韓国は人気のコースは予約が難しく、ウェイティングリストもある。日本も同じだろう。それに、ゴルフはダサいというイメージもあったが、最近はスタイリストをはじめ業界人もたくさんやるようになっていて、認識が変わりつつある。この流れは続いてほしい。

佐々木:ファッション視点でも盛り上がっているし、スポーツとして始める人も多い。マーケットとしてすごく良い状況だ。ただ、ゴルフブランドが一気に増えて、レッドオーシャンになりつつある。ビジネスがうまくいきそうだからと、ゴルフという果実を食べ過ぎると、糖尿病になってしまう(笑)。節度を持って、正しい方向に導くよう、業界全体が意識する必要がある。

WWD:今後の「ハイプゴルフ」のビジョンは?

ケヴィン:今のユーザーに、「ハイプゴルフ」を楽しんでもらうことに尽きる。敷居も高いスポーツだと思われがちだけど、それは大きな勘違いだ。スタイルも多様化してすごくファッショナブルだし、コースの種類も増えてよりカジュアルに楽しめるものになっている。その事実をメディアや店舗から伝え続けたい。

佐々木:われわれは「ハイプゴルフ」を通して、新しいゴルフ文化を作っていくつもりだ。ケヴィンが言ったように、もっと楽しく、クールなものだと伝える側面もあるし、武道や茶道のように、その“道”を知ることで成長できるものでもある。その二面性をバランス良く備えたゴルフ文化の構築を目指す。

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「NFTの教科書」ファッションパートの著者が語る NFTの可能性と課題、そして未来

 コロナ禍でDX(デジタルトランスフォーメーション)が加速する中、さまざまな業界が注目し始めたNFT領域。ファッション業界もその例外ではなく、特に2021年に入ってから参入企業が続々と増えている。NFTとは、“Non-Fungible Token(非代替性トークン)”の略。デジタルデータの「鑑定書」としての機能を持ち、リアルなモノと近い形での、デジタルデータの取引を可能にする。そんなNFTにはどのような利点があり、ファッション業界にどのような可能性をもたらすのか。そして、NFT×ファッションの未来はどうなるのか。現在、”デジタルファッションハウス”として「トモ コイズミ(TOMO KOIZUMI)」のNFTドレスやNFTスニーカー”ダイヤモンド ウォーク(Diamond Walk)”の制作・販売などを行ってきた企業、ジョイファ(Joyfa)を創業し、2021年出版の「NFTの教科書」(朝日新聞出版)のファッションパートの著者も務めた平手宏志朗代表に話を聞いた。

WWD:ジョイファの事業内容は?

平手宏志朗ジョイファ代表(以下、平手):端的に言うと、スニーカーを主軸としたデジタルファッションのエコシステムの開発を行っています。事業の軸は3つ。1つは「NFTの制作と販売」です。現状は”ダイアモンド ウォーク”といった、自社制作のNFTがメインですが、将来的にはジョイファ外の人々によるNFTの制作・販売を視野に入れています。もう1つが「制作・販売したNFTへの体験価値の付加」です。近いうちに購入したデジタルスニーカーの展示などの機能を持つアプリをリリース予定ですが、他にもAR上で着用できたり、ゆくゆくはゲーム的な要素を追加したりすることで、NFTに体験価値を付けることができるようにしていければと思っています。そして最後の1つが「コミュニティーの形成」です。ジョイファ独自の暗号資産を発行することで、特別なNFTの購入体験ができたり、コミュニティー内での意思決定に携われたりする会員限定の権利の付与を予定しています。

WWD:暗号資産の発行で「コミュニティー内の意思決定に携われる」というのは具体的にはどういったことなのか?

平手:仕組みとしては、まず、独自の暗号資産(トークン)を発行した場合、発行枚数の40〜50%ほどを、トレジャリーと呼ばれるブロックチェーン上の金庫のようなところに保管する予定です。ジョイファのトークンを持っている方々は、そのトレジャリー内の資産をどのように使うのか提案をしたり、承認をしたりすることができるようになります。例えば、海外のクリエイターの方が、デジタルファッションのブランドを立ち上げるための資金が必要であれば、それをジョイファのコミュニティーに提案し、承認を得ることができれば、トレジャリー内からお金を融通することが可能です。他にも、コミュニティー内の意思決定に携わったり、ジョイファのために作業をしてくれた人には、その金庫内から報酬が支払われる、といった形を取ることも可能になります。

WWD:そもそも、平手代表がNFTに注目した理由は?

平手:私自身はNFTが注目を浴びるだいぶ前から、エンジン(Enjin)という会社でNFT×エンタメの領域の仕事をしていました。そのため、NFTに注目したというよりは、もともと業界にいた中でNFTがブームになり、自然とNFT領域で「次に来るジャンルは何か」を考え、ジョイファを創業した形です。

NFTがブームになったきっかけは?

WWD:NFTがブームになった理由をどのように見ているのか?

平手:きっかけとしては、NBA Top Shotの存在が大きいと思います。NBA選手のトレーディングカードゲームをNFT化したようなモノですが、NBAが非常に分かりやすいIP(知的財産)だったことや、ユーザー体験の良さなどから大きな売り上げを出し、NFTというものの認知度・注目度が上がっていった印象を受けています。

WWD:「ユーザー体験の良さ」とは?

平手:いくつかありますが、例えば単なる静止画のカードではなく、動画を使っていたり、決済方法に関しても、従来のNFTが仮想通貨がメインだったのに対してクレジットカードも対象にしたりしていました。他にも、ルートボックス化と呼ばれる、ガチャガチャのような仕組みを導入して購入するまで何が当たるか分からない形を取っていたこともあります。

WWD:NFTには、具体的にどのような利点があるのか?

平手:大きくは3つあると思います。1つが永続性で、NFTを提供している企業が潰れてしまっても、入手したNFT自体は残る仕様にすることができます。もう一つが、流動性です。購入者側がNFT版のメルカリのようなところで転売したり、友人と貸し借りしたりすることが可能です。そして3つ目が透明性で、発行者や発行枚数、売買や貸し借りなどが履歴として可視化されます。これらによって物理的なモノに近い体験価値の提供が可能になっています。

WWD:それらの利点は、ファッションにも適用できるのか?

平手:できると思います。まず前提として、デジタルファッション=NFTというわけではありません。NFT化していないデジタルファッションは、これまでもメタバース空間内などで存在はしていました。ただ、従来のデジタルファッションは、その空間内で完結するアイテムでしかなかった。それをNFT化することで、他の空間でも使える可能性が高まったり、実際に所有しているという感覚に近くなったりする。そこに新しい可能性が生まれてくるのかなと思っています。

WWD:中でも、NFTと相性の良いファッションカテゴリーは何か?

平手:スニーカーやアクセサリーといった、限定性・コレクション性の強いジャンルは親和性が高いと思っています。こういったものは、リアルで集める場合に保管が必要など、物理的な制約も大きい。デジタルに置き換えることで、保管したり、展示したりするニーズは今後高まってくるのではないかと考えています。また、保管・展示だけでなく、ARの技術を活用して、画面上では実際に着ているような感覚にひたることもできます。イベントなどで人々がARグラスをかけて、各々がコレクションしたデジタルファッションを見せ合い、楽しむといった自己表現の拡張もできるかもしれません。まだまだ不透明な部分もありますが、可能性は多岐にわたると思います。

NFTは”バブル”なのか?

WWD:一方で、「NFTはバブルになっているだけではないか」といった声もある。

平手:マーケット全体で見ると、NFTの取引ボリュームは平均で週30億〜70億円と、あまり下がっていません。確かに、一昔前のように価格が異様に高騰する、といったことは減っているかもしれませんが、ユーティリティがしっかりしていたり、価格的に入手しやすいものの取引が増えている印象を受けています。

WWD:現状、NFTが抱えている課題は何かあるのか?

平手:大きくは3つあります。1つは環境負荷で、一般的にNFTを1つ発行するのに、一般家庭の消費電力の3〜4日分を消費すると言われています。2つ目が、標準規格の不在です。NFTには先ほど言った流動性がありますが、あるメタバースのNFTを別のメタバースでも着用するといったことは現状できません。そして3つ目がユーザビリティーです。NFTは現在、仮想通貨での購入がメインとなっているため、仮想通貨を持っていない人は購入できないことが多い。これらの課題は、NFT×ファッションにおいても同様に発生するものだと思います。

WWD:それらの課題は今後、解決されるのか?

平手:ある程度解決されると思います。環境負荷の課題は、ブロックチェーン最大手のイーサリアムが環境負荷を大幅に軽減するアップデートを年内に予定しています。何度も遅延しているので年内ではないかもしれないですが(笑)。標準規格の不在についても、現在、NFT業界内でデジタルファッション×NFTの標準規格を作ろう、という機運が盛り上がってきており、解決の方向に向かっていくと思います。また、ユーザビリティの課題も、クレジットカード決済が可能なところが徐々に増えてきています。

WWD:ジョイファとしては今後、どのようにしていくつもりなのか?

平手:最終的には、デジタルファッション領域で世界中のクリエイターのエンパワメントとサポートができればと思っています。社内では、任天堂のようにエコシステムとブランド両方を手掛けられるような存在になろうとよく言っています。任天堂はゲームのエコシステムを作りつつ、「マリオ」や「ポケモン」などの自社ブランドも運営している。ジョイファも、世界中のクリエイターの支援を通じて、デジタルファッションのエコシステムを構築しつつ、自社ブランドを作っていき、自社ブランドでのトライ&エラーで得た知見をクリエイターに還元するなどしてエコシステムへ反映させていく。そういったことを通じて、新しいファッションの価値を提供できればと考えています。

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「黒いシャンプー」として話題 大正製薬のヘアケアブランド「ブラックウルフ」の秘密に迫る

 大正製薬が昨年10月に発売したヘアケアブランド「ブラックウルフ(BLACK WOLF)」が話題になっている。「ブラックウルフ」は、自分自身が本来持つ頭皮の活力に着目。ブラックアクティブ処方*¹を採用し、“黒髪をケアする”ヘアケアブランドだ。

 濃密泡で頭皮のアブラ汚れを落とすシャンプー、黒髪にハリ・コシを与えるコンディショナー、頭皮に潤いを与えるスカルプエッセンス、使うたびに白髪を目立たなくするカラートリートメントの、頭皮と髪をサポートする4アイテムを取りそろえたシリーズだ。

 シャンプー&コンディショナーは、“ボリュームアップライン”、“リフレッシュライン”、“プレミアムライン”の3タイプがあり、好みの仕上がりタイプに合わせて選べる。

 大きな特徴の1つが、シャンプーの液色が黒いことで、それゆえに“黒いシャンプー”という愛称で呼ばれている。その黒さこそが「ブラックウルフ」の特徴であり、大正製薬の知見が詰め込まれた証でもある。ここでは「ブラックウルフ」のキーパーソンへのインタビューを通して、同ブランドのポテンシャルを明らかにする。

*1 保湿成分のボタンエキス、キハダ樹皮エキス、オウレン根茎エキス、タウリン、パルミトイルテトラペプチド-20、アセチルテトラペプチド-3、モウソウチク成長点細胞溶解質、アカツメクサ花エキス、リンゴ果実培養細胞エキス、ヤナギラン花・葉・茎エキス、トリフルオロアセチルトリペプチド-2

髪と頭皮にいい成分を詰め込んだ結果
“黒いシャンプー”が誕生

 「ブラックウルフ」の魅力を探るため、マーケティングを担当する池沢卓浩氏と、開発を担当した商品開発部の手塚健太氏に、同ブランドの誕生秘話を聞いた。

WWD:「ブラックウルフ」開発のいきさつは?

池沢卓浩氏(以下、池沢):当社は20年以上に渡って、男性の髪の悩みに向き合ってきました。一方で今の生活者を見ると、悩みだけではなく、もっとポジティブな“美容”や“身だしなみ”への意識が高まっています。そこで、自分磨きへのニーズに対応する新しいブランドが必要だという考えに至りました。

WWD:開発でこだわったポイントは?

池沢:これまで自分たちは、どちらかというと悩みに応えるヘアケア商材を作ってきました。けれど「ブラックウルフ」は、使うたびに気持ちをプラスに転じさせたい商材なので、デザインや世界観、使って気持ちが上がる香りや泡立ちにこだわりました。

手塚健太氏(以下、手塚):シャンプーの機能にこだわった結果、黒に行き着きました。ボリュームアップとか頭皮の皮脂洗浄とかを訴求するヘアケア商材は、メンズ市場にたくさんありますよね。開発段階で、それは必要な価値ではあるけれど、それだけだとありきたりだと思いました。それに加えて、「もっとかっこよく」「髪を美容したい」といった今の生活者のニーズに応える上で、“髪のダメージ補修”もしっかり満たしたいと思いました。そこで着目したのが、“ヘマチン”という成分です。ヘマチンが黒色をしていて、これをしっかり配合すると黒いシャンプーになるんです。

WWD:ヘマチンとは?

手塚:ヘマチンは、髪のダメージを補修する成分です。高価なので、「ブラックウルフ」の価格帯でしっかり配合している製品はとても珍しいと思います。ヘマチンのほかにも、清潔感のある男性にふさわしい、こだわりの保湿成分や洗浄成分を加えた結果、黒いシャンプーが誕生しました。

WWD:使ったユーザーの感想は?

池沢:まず言われるのは五感で感じられる部分についてです。濃密な泡やこだわった香りに関してで、そこは狙っていた部分なのでうれしいですね。その先にいる使い続けているユーザーの方からは、髪の触り心地やまとまり方など、髪の質感が変わったという反応をいただくことが多いです。商品を手に取るきっかけとしては、ボリュームアップ*²や皮脂洗浄がフックになり、使い始めてからは「男の髪も強く*³美しく」という開発時の思いを体感してくれる方が多くて、本当にありがたいです。

WWD:どういう人に使ってもらいたい?

池沢:「自分をアップデートしたい」というマインドを持った方に、商品を選んでもらいたいです。1日をアクティブに過ごして、自宅に帰ってするシャンプーはただの作業ではなく、アップデートするためのルーティン。自分を満足させ、自分を丁寧に扱う時間としてこの商品が溶け込んでくれると理想的ですね。

*2*3 ハリ・コシを与える

「ブラックウルフ」の特徴は
五感に訴えて気持ちを上げること

 「ブラックウルフ」は、五感で価値を体感してもらえるブランド。黒い液色や濃密な泡立ち、こだわりの香り(シトラスアロマとフレッシュシトラス)で、使う人の気分を上げる。香りは、癒しと力強さの両面を感じる複雑な香りを目指し、50以上の試作を作りながら設計していった。

“ボリュームアップライン”ほか
好みの仕上がりで選べる3タイプ

 「ブラックウルフ」のラインアップは、シャンプー、コンディショナー、スカルプエッセンス、カラートリートメントの4アイテム。シャンプー&コンディショナーは、黒髪にハリ・コシを与える“ボリュームアップライン”、黒髪を根元からリフレッシュする“リフレッシュライン”、スペシャルケアでワンランク上を目指せる“プレミアムライン”の3タイプがあり、好みの仕上がりに合わせて選べる。

人気の“ボリュームアップライン”で
お得な企画販売を実施中

 “ボリュームアップライン”の好評を受け、「アマゾン」限定でお得な企画販売を実施中。“ブラックウルフ ボリュームアップ スカルプシャンプー”と“同 コンディショナー”をセットで購入すると、“同 スカルプ エッセンス”(試供品、税込4378円相当)を1本プレゼントする。なくなり次第終了。

PHOTOS:KICHIRAKU YOHEI
問い合わせ先
大正製薬 お客さま119番室
03-3985-1800

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体操選手からアーティストへ スペイン出身アーティストのハビア・カジェハ

 スペイン・マラガを拠点に活動するアーティストのハビア・カジェハ(Javier Calleja)が、展覧会「ミスター・ギュンター 、ザ・キャット・ショー(MR.GUNTER, THE CAT SHOW)」を渋谷パルコ4階の「パルコミュージアムトーキョー(PARCO MUSEUM TOKYO)」で18日まで開催中だ。カジェハは「ヴァンズ(VANS)」や「ケースティファイ(CASETIFY)」とのコラボレーションや、渋谷パルコの1周年記念イベントでは大型立体作品を制作するなど、幅広く活動している。同展では、日本未発表の大型立体作品2点や新作ペインティング、ドローイングを展示するほか、会場内の随所にカジェハの愛猫“ギュンター”をモチーフとした作品も設置している。開催に合わせて来日したカジェハに、アートの道を志したきっかけや、“BIG EYE(大きな目)”をトレードマークとするキャラクターが生まれた経緯、本展の見所などについて話を聞いた。

ーーまずは、アートの道を志したきっかけを教えてください。

ハビア・カジェハ(以下、カジェハ):小さい頃から絵を描くのが好きで、スペインの有名な漫画家フランシスコ・イバニェス・タラヴェラ(Francisco Ibanez Talavera)の作品をよく真似していたね。ただ、12歳から25歳までは器械体操でオリンピックを目指していて、生まれ故郷のマラガを離れてバルセロナにいるおじさんの家に寄宿していたんだ。おじさんにはずっと「体操選手よりもアーティストの才能がある」って言われていたんだけど、若い頃の僕は反抗的だったから「アーティストなんて貧乏になるだけだろ」って反対していた。でも、体操選手として25歳を迎えたときにセカンドキャリアを考え、「人生は一度きりだから」と一念発起してアーティストに転身したんだ。

ーーそれから美術学校に通ったんですか?

カジェハ:体育大学を卒業後、グラナダにある芸術大学に通ったんだ。2つの大学の学費を払うために、両替所で7年間も働いたよ(笑)。

ーー現在の作風が確立するまでは?

カジェハ:アーティストを志した当時は漫画的なアートが好きだったけど、スペインは世界的に見てもそれを認める土壌がなかった。だから、初期の頃は彫刻家リチャード・セラ(Richard Serra)や画家ショーン・スカリー(Sean Scully)のようなミニマルな作品を制作しようと試行錯誤していた。ただ、1990年代後半から2000年前半にかけてストリート・アーティストのクリス・ヨハンソン(Chris Johanson)やグラフィティ・アーティストのバリー・マッギー(Barry McGee)、村上隆、奈良美智といった先人たちが、漫画のような平面的な作品でアートシーンに革命をもたらしているのを目の当たりにして、自分の好きなことを貫くスタイルに軌道修正したんだ。

 現代アートの世界では、“常に新しい自分のオリジナリティ”で勝負する必要があるんだけど、多くのアーティストが常に新しい作品を生み出さなければいけないことにジレンマを感じているし、新しいことにチャレンジしたと思ってもすでに誰かがチャレンジした後で、オリジナルの作品ではないことも多い。でも、ある時から好きなものを突き詰めるようになったら他人の作品を真似しても自分の作品に昇華できることに気付いて、以前までとは逆の思考になったんだ。無理して自分でオリジナルを生み出そうとすると失敗して、好きなものを模範すれば次第に自分のものになっていく。この時、僕の場合は幼い頃から好きだった漫画的なタッチがベースになったんだ。今回の展覧会でもマウリツィオ・カテラン(Maurizio Cattelan)の作品だったり、いろいろなアーティストのパロディ作品を展示しているよ。

ーー今回の展覧会の開催経緯を教えてください。

カジェハ:今まで自分の軌跡を振り返る機会がなかったから、愛猫“ギュンター”をメインモチーフとしながら、新作と過去6年間に制作した作品を混ぜた内容にしたんだ。感覚的にドローイングには1日、ペインティングには1週間、スカルプチャーには1年を要したかな。東京の後は、地元のマラガやバンクーバー、北京などを巡回するよ。

ーーメインモチーフに“ギュンター”を採用した理由は?

カジェハ:家では猫を4匹飼っているんだけど、“ギュンター”は最初に家族として迎え入れた子なんだ。彼は、この6年間の苦楽を共にして支えてくれたし、キャリアを振り返るにあたって象徴的な存在だったからメインモチーフにした。もともと、僕は作品を日記的なものとして捉えていて、妻や友人、周りにいる人たちをモチーフにすることが多いしね。今、“ギュンター”はキャットシッターと自宅で留守番しているよ。

ーー会場の入り口すぐの作品は、ご自身を模した作品ですよね?

カジェハ:そうだね。2016年にギャラリー「ナンヅカ」で展覧会を開催するために制作した初の大型立体作品なんだけど、スタジオでの制作風景を表したセルフポートレート的なもの。ここにいる猫は、“ギュンター”ではなくスタジオに時々遊びに来ていた近所の野良猫で、壁画は今回のために新しく描いたんだ。実は16年の展覧会のとき、この作品を「ナンヅカ」に運び入れようとしたら頭が大きすぎて入口の扉を壊してもらったり、中国で制作したサンダルを搬入し忘れたのを前日になって気付いて飛行機の手荷物で運んだり、思い出がいっぱい詰まっている作品なんだ(笑)。新作ももちろんだけど、この作品はぜひとも見てほしいな。

■MR.GUNTER, THE CAT SHOW
会期:7月18日まで
時間:11:00~20:00(最終日は18:00まで)
入場料:800円税込/小学生以下無料
場所:渋谷パルコ4階 パルコミュージアムトーキョー
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1

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11年目で勢いづく「アミ パリス」 デザイナーとCEOに聞く好調の理由

 アレクサンドル・マテュッシ(Alexandre Mattiussi)による「アミ パリス(AMI PARIS)」が急速に成長している。同ブランドはマテュッシが「家族や友人、自分が愛せる服」を作るため、2011年にアパートの一室でスタート。その後はパリ・ファッション・ウイークへの参加や世界各地への出店で認知を広げ、21年には投資会社セコイア・キャピタル・チャイナ(SEQUOIA CAPITAL CHINA)の投資を受け、ビジネスの基盤をさらに固めている。飛躍し続けるブランドを、デザイナーとCEOはどう見ているのか。デザイナーにはクリエイションについて、CEOにはビジネスの未来について聞いた。

“全ての人を包括する
フレンドリーな
ブランドでありたい”

WWD:「アミ」立ち上げの経緯は?

アレクサンドル・マテュッシ(以下、マテュッシ):最初は自宅のアパートで一人で始めたんだ。出発点は、自分のブランドを持ちたいという長年の夢と、思い描くデザインを具現化したいという願望からだった。ビッグメゾンでメンズウエアのデザイナーとしてキャリアを積む中で、その思いはどんどん強くなっていったんだ。家族や友人、自分自身が長く愛することのできる洋服を作り、手の届きやすい価格帯で多くの人に着てもらいたいという強い願望がブランド立ち上げの理由で、その思いは今も一切変わっていないよ。

WWD:デザインのインスピレーションはどのように生まれる?

マテュッシ:家族や友人から、従業員、街中の知らない人まで、とにかく僕の周りにいる人たち全員さ。パリの美しい街を自転車で走っていると、自然とアイデアが浮かんでくることもある。生活に根ざした日常着ってことを大切にしているから、僕にとっては日常の全てがインスピレーションなんだ。

WWD:ハートのロゴ“アミ ドゥ クール(Ami de Coeur)”の誕生はブランドにとって転機になった?

マテュッシ:このロゴは、幼少期から使っている僕のサインのようなものなんだよね。シグネチャーができたことで多くの人に認知されるようになったし、「アミ」のコミュニティーはつながりをより強くしたと思う。特に若い世代にブランドを知ってもらうきっかけになった。フランスの学校では若い学生たちが、スポーツブランドのロゴと同じくらい“アミ ドゥ クール”をステータスとして着用していると知って、とても光栄だよ。僕の名前のイニシャルでありアルファベットの始まりであるAと、万国共通のハート形というシンプルで明快なデザインが広い世代に愛される理由じゃないかな。

WWD:ウィメンズをスタートしてからドレスの要素が強まったが、周囲の反響は?

マテュッシ:ウィメンズを始める前から、顧客の40%程度は女性だったんだ。既存の女性顧客は男性的なスタイルを好む傾向にあるけれど、彼女らにもフェミニンなピースを提案できるようになったし、もともとドレスを好む新規顧客にもリーチできている。セレブリティーがレッドカーペットで着用する機会も増えたから、反響はとても大きいよ。

WWD:いつもパリへの愛情をとても感じるショー演出が印象的だ。ショーで発表することの意味とは?

マテュッシ:ショーは物語を伝える目的と、オーディエンスをブランドのコミュニティーに迎え入れるような意味がある。現場であれスクリーン越しであれ、何が起こるか分からないドキドキ感と、たくさんのスタッフとの共作でみなぎるエネルギーを、多くの人と共有できる場がショーなんだよ。劇場に観客を招待するような気持ちで、いつも演出についてアイデアを練っているんだ。

WWD:この先どういったコレクションを作っていきたい?

マテュッシ:あらゆるライフスタイルを持つ人々に、完璧な日常着を提供すること。僕が言う“完璧”って、シンプルなデザインでカラーとシェイプが美しく、時間が経って色あせないタイムレスさを意味するんだ。長年着用できるように、品質にも妥協はしない。17歳の学生にはセーター、銀行員のサラリーマンにはスーツ、50代の主婦には美しいコートといったように、「アミ」のお店に行けば誰でも日常生活で着たい服が見つかると思ってもらえるようなコレクションを作り続けたいね。

WWD:ブランドの今後は?

マテュッシ:ブランドがどんなに大きくなっても、全ての人を包括するフレンドリーなブランドでありたい。一人で自宅のアパートで始めた時と変わらない価値観をこの先も貫くだけさ。顧客だけでなく、従業員にも敬意を払って家族のように大切にしたい。そういった雰囲気は、ブランドや店舗にも反映されるものだから。今年は各国での旗艦店オープンも控えているし、店舗作りにも力を入れていくつもりさ。親密さを感じてもらえる場にするから、楽しみにしていてよ。

“創立当初から大切にしてきた
価値観が消費者と共鳴した”

WWD:現在のビジネスの状況をどう分析する?

ニコラス・サンティ・ウェイル(以下、ウェイル):年間売上高は2019年が3000万ユーロ(約43億円)、20年が6000万ユーロ(約86億円)、21年が1億3000万ユーロ(約187億円)と、急速な成長を数字が示している。コロナ禍で消費者は生活を見直して、人生において価値ある本質的なことに焦点を当てた。多くの人にとってそれは、家族や友人という人間関係や、日常の非常にシンプルな事柄であると気付く機会になったのだろう。これらは「アミ」が創立当初から大切にしている価値観であり、コロナ禍で消費者と共鳴した結果、売り上げにもつながったのだと考えている。

WWD:コロナ禍にどのような戦略を立てた?

ウェイル:マーケティングではなく、コミュニケーションと広告に予算を割いた。サプライヤーには発注を中止せず、共に経済危機を乗り越えられるよう鼓舞していた。従業員の精神面の健康も大切なので、予算をかけて彼らのメンタルヘルスケアも行った。人々はポジティブなコミュニティーに属しているという安心感を得ることで、困難な状況でも前向きに取り組めるもの。それはブランドの価値として、消費者にも伝わると信じていた。

WWD:日本での売り上げが好調な要因は?

ウェイル:ローカルの人々をターゲットにしたのが要因の一つ。アジア人旅行者が多かった表参道の旗艦店を閉店し、ギンザシックスと阪急うめだ本店、ジェイアール名古屋タカシマヤに出店したことが奏功している。日本だけでなく、全世界でバランス良く成長を続けている。

WWD:2年前のインタビューでは、ブランドを家に例えて「まだ屋根や2階もない状態」と語っていた。今その家はどんな状態?

ウェイル:ずいぶんと増築することができた。屋根も2階も完成しただけでなく、多くのゲストと食卓を囲めるダイニングルームに、野菜や果物が育つ広い庭、パーティールームも備えている。見た目だけでなく、家の土台も強化された。今後も増築していくが、ビルに建て替えず、あくまで“家”という形態を維持し続けたい。「アミ」はコミュニティーを家族だと捉えるフレンドリーなブランドだから。

WWD:セコイア・キャピタル・チャイナの投資を受けるメリットは?

ウェイル:利益よりもビジョンと人物像を重要視する珍しい投資会社で、ブランドの野心を尊重してくれる。特にクリエイションには一切関与していないので、アレクサンドルは大胆なリスクを負えるようになった。その一例が、ウィメンズでドレスラインを強化したことだ。セレブリティーの着用によりメディア露出が増え、既存客と新規の女性顧客からの需要も高まり、全体の売り上げに大きく貢献している。

WWD:今後のビジネスの具体的な施策は?

ウェイル:世界市場での存在感をさらに高めていくために、コミュニケーションには引き続き投資していく予定だ。オンラインと直営店を強化し、ブランドの世界観をデジタルとリアルの両方で体験してもらえるようにしたい。各都市でポップアップやショー、旗艦店内でイベントを開催し、消費者にサプライズを与えてハッピーなムードを共有したい。これからどんな施策をやっても、アレクサンドルも僕も、価格帯を上げないことを大前提にしている。新たなラグジュアリーブランドとして、クオリティーやマーケティングポジションを重要視し、現在はラグジュアリーゾーンでブランド展開を広げている。今は全世界で26店舗を構え、アジアでは日本、中国、韓国で17店舗。今後もアジア並びに世界で店舗数拡大を予定している。

WWD:アレクサンドルに期待することは?

ウェイル:これまで通り、オープンマインドで野心的にクリエイションに取り組んでほしい。前よりもリスクを負えるようになった分、密にコミュニケーションを取って信頼関係を絶え間なく築き上げていく互いの努力が必要だ。「アミ」はまだ11歳の子供。まだまだ投資して、成長を促していきたい。

「アミ パリス」に
欠かせない4つのこと

問い合わせ先
アミ パリス ジャパン
03-3470-0505

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香り好き女子の心をつかむ「フェルナンダ」 CEOに聞く支持される理由

 バラエティーショップやドラッグストアを主要販路とするフレグランスブランド「フェルナンダ(FERNANDA)」が、30代以上の“大人世代”まで支持を広げている。6月に新作“モモコレクション”からボディーミストやオードパルファム、ハンドクリームなど全13アイテム(税込990〜7700円)を発売。同コレクションは廃棄予定の桃から抽出したエキスを原料に使い、ブランドとして初めて食品ロス削減への取り組みを発信している。フェルナンダジャパンの流合貴之CEOに背景を聞いた。

WWD:バラエティーショプやドラッグストアの売れ筋ランキングでは上位常連と支持を集めている。人気を支えるものは何か。

流合貴之CEO(以下、流合):2010年のブランド立ち上げから、企画・デザインをカリフォルニア在住の山崎が担当し、製造は日本で行ってきた。香りのクオリティーの高さには自負がある。加えて、販路を卸、直営店、ECで展開しているが、チャネルの成長がうまくはまったこともある。実はフレグランスブランドで卸と直営店のチャネルを持っているブランドはあまりない。プラザやロフトなど卸のターゲットは10〜20代、アトレなどに出店する直営店は20〜40代までが来店する。19年以降、直営店を拡大してきた中で、若いときに顧客だった人が直営店に戻る現象があった。慣れ親しんだコスメを長くリピートするストーリーを作れたことが奏功したと考えている。今後も積極的に直営店を拡大していく予定だ。

WWD:6月に発売した“モモコレクション”は、山梨県にある桃農園のモリタファームとの共同開発によるもので、食品ロス削減の取り組みを発信している。サステナビリティの打ち出しはブランドとして今までになかったがその背景は?

流合:昨年発売した“フルーツシリーズ・モモコレクション”が大変人気で再販を希望する声を多くいただき、原料を探す中でモリタファームとの出合いがあった。桃の収穫では、完熟しすぎて輸送に耐えられないものや傷により廃棄せざるを得ないものが発生する。モリタファームには昨年廃棄予定だった桃を保管してもらい、その桃から抽出したエキスを共同開発した。当社は2年ほど前からサステナビリティの取り組みに着手し、香料や容器、ショッパーなど包装材も約9割をバイオマスPETなどの環境配慮素材に切り替えた。そのほかにも花市場で売れ残ったものを香料メーカーが引き取り原料にしたものを使うなど、環境に配慮した製品開発を行なってきた。これまでそのことを大々的に発信することはなかったが、食品ロス削減から生まれた今回の“モモコレクション”は、初めて原料開発から自社で行い、メッセージとしても伝わりやすいと考え“サステナブルフレグランス”として発売した。

WWD:2010年のブランド立ち上げ時からサステナビリティのフィロソフィーはあったか。

流合: 当初はなかった。19年に直営店をオープンしてお客さまと直接コミュニケーションをとるようになり、サステナビリティのニーズを感じるようになった。10代や20代のお客さまが歳を重ね、求めるものが増えている。さらに、コロナ禍で社会情勢や生活様式が変わり環境配慮やウエルネスへの意識が高まった。そうしたニーズに対応した製品開発が必要になっている。ここ数年、香料を可能な限り天然由来原料への切り替えに取り組んできたが、香調が変わってしまうなど難しさがあった。ロングセラーでありヒーロー製品の“マリアリゲル”の香りも、リピーターの期待に応え香りのバランスを崩さないよう再現するのに苦心した。そうした製品開発の裏側、サステナビリティの取り組みの伝え方がこれまで難しかった。今回の“モモコレクション”は、いいきっかけになった。

WWD:これからのサステナビリティの取り組みとしてどんなものが考えられるか。

流合:香料メーカーと共同で大島桜を使った原料開発に取り組んでいる。大島では大島桜を未来に残すための植樹活動が行われている。そこで発生する間引きした桜の花びらを香料に使うことで、地域や地方創生に貢献する。こうした取り組みを今後広げていきたい。食品ロスの問題は農業や食品業界の問題と捉えられがちだが、社会課題の解決には枠を超えた取り組みが必要だ。われわれだけでは解決しないので、同業他社でも同様の取り組みするところが増えるといい。廃棄される食品や花には非常に可能性がある。

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ファッションで繋がったキセキ GReeeeN HIDEと芸能事務所の社長が語る「EverWonderな未来」とは?

 ファッションやビューティ業界同様、芸能・エンタメ界もSNSでの誹謗中傷やプライバシーの侵害、新型コロナウイルスの影響による表現活動の制限に悩んでいる。このような状況下で芸能プロダクションTopCoatの渡邊万由美代表は、アーティストやクリエイターが精神的に傷かないよう、芸能・エンタメ界の第一線で彼らを守り続けている。

 一方ボーカルグループGReeeeNのHIDEは、ミュージシャンとして時代の変化を捉えながら人々に共感される曲を生み出し続けている。生きづらい時代の中で、芸能・エンタメ界も抱える問題はどうしたら解決できるのか?2人に聞いた。

――今のエンターテインメント業界をどう見る?

渡邊万由美TopCoat代表(以下、渡邊):1995年に芸能プロダクションを設立し、気がつけば4半世紀以上、私はエンターテインメント業界の中で生きてきました。6年前、ちょうど会社が設立20周年を迎えた頃から世の中の急速な変化を感じるようになると同時に、「時代に取り残されないように」という強い思いが芽生えました。AIやブロックチェーンなどのテクノロジーがもたらす新たな可能性は、無視できません。自分自身はアナログ人間ですが、AIによる自動検知やNFTのような仕組みを使えば、著作権などのアーティストの権利は厚く保護できるかもしれないし、最近注目のDAO(Decentralized Autonomous Organizationの頭文字を取ったもの。自律分散型組織を指す)のような仕組みによって、会社や国籍の垣根は取り払われ、共感して集まった人たちが新たなプロジェクトを立ち上げる世の中になると聞きます。

GReeeeN HIDE(以下、HIDE):今でこそ、AIやブロックチェーンという言葉はよく耳にしますが、6年も前から考えていたんですね。それが、2017年に始まったみらい塾(渡邊代表が理事長を務める一般財団法人渡辺記念育成財団が運営する、未来のクリエイティブプロデューサーを育成するプログラム)の立ち上げに繋がったのですか?

渡邊:そうなんです。わからないこと、知りたいことは「芸能のみらいを考える研究会」と称した財団の研究事業として、毎回ゲストを囲んで、財団関係者の皆さんと共に知見を深めています。これからはエンタメ界も新しいテクノロジーで面白くなるだろうと興味は湧くものの自分には敷居が高いので(笑)、デジタルネイティブな世代やそれらを使って世界を席巻していく若くてクリエイティブな感性と才能の持ち主を見つけ、一緒に何か新しいものを創れたら最高だな!と思っています。それが奨励・育成事業「みらい塾」のきっかけです。

HIDE:育てようというよりは、仲間を集めようという思いで始まったのが「みらい塾」なんですね。仲間を増やしながら新しい価値観に向き合う点に共感します。大人になると、どうしても多くの人は自分の地盤が固まって、なんとなくその中で日々を過ごしてしまいがち。時代の変化の潮目を感じ取って、新しい場所を創っていく&飛び出していくことは、今の世の中に足りていないかもしれません。

――SNSの普及や新型コロナウイルスの感染拡大で変化したことは?

HIDE:音楽を作る人間として、世の中の流れをできるだけ感じ取れればと思っています。少しでも多くの人に共感してもらうため、誰もが共通して心を動かされるテーマを、時代の流れの中で表現したいです。どんなに辛いことがあっても、人はみんな幸せになるために生きているんだという想いを歌にのせたいという気持ちはずっと変わりませんね。

渡邊:HIDEさんの志は一貫していますよね。一方、人に楽しんでもらいたい、純粋に創作したいだけのアーティストやクリエイターたちがネットニュースやSNSで精神的に傷つけられ、中には志半ばで自分の人生を大きく軌道修正せざるを得ない人も生まれています。私たち芸能プロダクションは、いつのまにかマスコミの対応やアーティストの見え方を管理することを重要視するようになりました。でもSNSでの誹謗中傷やマスコミからアーティストを守ることだけ考えていても、次から次へとモグラ叩きの様に起こる誹謗中傷や炎上はきっと消えない。だったら自分がやるべきことは、素晴らしいアーティストを見つけてエンタメ界での活躍に導くと同時に、今を生きる多くの人が健全で自分らしく幸せになれることを考えることだと思うようになりました。健全で幸せな人が増えたら、SNSでの誹謗中傷や他人の足を引っ張り合うことは減るはず。そんな社会を創っていきたいと思ったのです。

――人間として健全で幸せな状態とは?

渡邊:どうしたらよいかモヤモヤした気持ちを抱えていたとき、GReeeeNのライブを観に行ったら、答えはそこにありました。GReeeeNの楽曲や映像などの演出全てに込められたメッセージには、国籍も性別も時代も全然境界線が無いんですね。そこにはアーティストとオーディエンスの境界線さえなく一体化していて、私はその輪に包まれながら「色んな事があるけれど、貴女は貴女が思うままにそのまま進んでいいんだよ」とそっと背中を押された感覚になりました。あの時、私は明日を前向きに生きる元気を実感したんです。心に、灯をともし、自分らしい日々を送るのが、一つの健全で幸せな状態ですよね。

HIDE:それがまさに、今私たちが考えているEverWonder(一般財団法人渡辺記念育成財団がクリエイティブディレクターにGReeeeNのHIDEを迎えて構想中のプロジェクト)ですね。ライブが終わって万由美さんからそのような話を聞き、自分も本当に共感しました。自分の場合は、学生のときに出合った音楽が、その後の人生の熱量に影響を与えました。当時の僕は、ポップスももちろん大好きだったんですけど、ハードコアやパンクに特に惹かれていました。モヒカンの店員さんがいて、張り紙に「ガム食って入るな」なんて書いてあるようなハードめなCD屋さんで初めてCDを買い、そこから店員さんに紹介してもらっては聞くを繰り返しました。ギターも練習したし、ハードコアやパンクが持つ「このままじゃダメだよね」といったメッセージに共感していました。そんな心に火をつけた経験が、今の活動に繋がっているのだと思います。

――心に火をつけるために必要なことは?

HIDE:自分の場合、今の活動に繋がる熱量を産んでくれた凄まじいもの、音楽に出合ったのが10代だったので、彼らに向けて何かを提供したいと思っています。特に14歳という年齢は、何か心に火をつけるタイミングとして重要かもしれない。生まれた時からスマホで世界中にアクセスできる今の10代には無限の選択肢があり、熱中できることに巡り合いやすいようにも思えます。でも選択肢がありすぎるからこそ、自分の可能性に見切りをつけてしまう時期が早い気がします。もちろん情報に出合えないことも不幸で、その差は都会と地方では顕著です。地方の歯医者さんで働いてみると、地方の子どもの方が、虫歯が多いんです。ここにも環境とリテラシーの因果関係があるのかもしれません。10代が親や周りから受ける影響はとても大きく、地方ではコンビニにある求人誌で将来を決めてしまうという話もよく聞きます。まだ自分らしさに出合えていないから鬱憤が募り、SNSなどで晴らしているのかもしれません。環境や情報の不足によって、自分の可能性に見切りをつけてしまうのはとてももったいないと思います。

渡邊:たしかにそうですね。10代、特に14歳に向けて何かを提供していくことは、心に火を灯して前向きに生きられる人を増やす上で、とても重要かもしれません。この前、突出した才能を持つ14歳に集まっていただき、今の世の中に対してどう思っているのか、意見を聞く会を開いたのですが、彼らのエネルギーにとても刺激を受けました。と同時に、突出した人たちに向けられる同調圧力や批判などから彼らを守りつつ、可能性をさらに広げられる環境の重要性にも気づきました。HIDEさんにもEverWonderクリエイティブプロデューサーに就任していただき、感謝しています。

HIDE:こちらこそです。僕が考えるEverWonderは、エンターテインメントを通じて、一人でも多くの人の心に火を灯し、何かに熱中できるきっかけを届けることかもしれません。その一つとして、10代の可能性に注目して、彼らに対して何かを提供していくことがEverWonderプロジェクトなのかなと思います。EverWonderには「これだ」というような正解はありませんが、プロジェクトを通して、そこで出会ったものが一生を変えられるような機会を提供できればと思っています。

渡邊:もちろん10代に限らず、多くの人の心に火を灯すきっかけを作れればと思います。人それぞれに事情があるので、必ずしも「好きなことだけをやっていこう」というのがEverWonderではないかもしれません。私自身も、もともと興味の薄かった芸能という世界で仕事をすることになり、没頭し続けた結果、振り返ってみれば自由にやりたいことをやれてきたように思います。だからこそ、どんな人であれ何かに没頭し、ある種の成功体験を得てもらえるようなきっかけになればと思います。

――最後に、お二人を近づけたファッションへの想いやエピソードを。

HIDE:僕は大学受験に失敗して、浪人をするため高知から上京したんです。当時は自分が何をしたいかよく分かっていなかったけれど、ファッションが好きだったので、原宿にある医歯薬学部専門の予備校に通いました。原宿で色々な洋服屋さんを巡り、予備校に通いながら販売員をすることになりました。最終的には受験を目前に控えた12月、自分で服を作りたいと思い、文化服装学院への進学を考えました。父親に相談すると、「お前が決めたなら、それでいい」との返答をもらいましたが、後日母親から「父親の元気がない」と連絡がありました。歯学部に進学させるために東京の予備校に通わせていた父親からすれば、ショックが大きかったんです。そのとき、たまたま母親の歯が悪いと知り、受験までの残りの2カ月は死に物狂いで勉強をして、もし歯学部にも落ちてしまったら文化服装学院に進学させてほしいとお願いしました。1日23時間くらい受験勉強をしたら、歯学部に合格しました。今でも、当時仲良くしていた先輩や友人が原宿の洋服屋さんで働いており、よく買い物に行っています。

渡邊:HIDEさんにレアなヴィンテージデニムがズラリと並ぶお店を紹介してもらったことがありました。HIDEさんは、いつ会ってもめちゃくちゃオシャレです!

HIDE:僕も、万由美さんが何着てくるのか毎回楽しみです。

渡邊:私は小さい頃、母親のクローゼットの中で香水が香る洋服に囲まれて、眺めながら、仕事が忙しく不在がちだった母親への寂しさを紛らしていました。「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」のオートクチュールのドレスやスーツの優雅さや格好良さにウットリした記憶があります。その後、芸能の仕事をするようになってからは、「洋服好きで、よかったな」と感じることが多々ありました。木村佳乃のデビューと同時にスタートした芸能の仕事は分からないことだらけで、未熟な自分には悩みが押し寄せる日々でしたが、洋服が支えてくれました。休みの日には南青山の「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」によく行ってパワーチャージしていました。特に着こなしが難しそうな「ジュンヤ ワタナベ(JUNYA WATANABE)」の服は、試着室にこもって延々と試しました。そして着こなしに成功した服を、御守りの感覚で仕事現場に着て行ってました。ジュンヤさんの既成概念に囚われない自由な発想の服は、理屈抜きで迷い多き当時の自分を肯定してくれていたんだと思うんです。一番印象が強いのは、たまたま銀座のセレクトショップで、欲しかった「アライア(ALAIA)」の黒いカーディガンを試着していると、とても強いオーラを放った素敵な女性に「あなた、それとても似合う」と声をかけられたことです。すぐに川久保玲さんだとわかりました。あまりのサプライズに興奮しながら、そのカーディガンを握りしめてレジに向かいました。その時に改めて気がついたんです。これからも、自分が好きな服を着よう。周りの目を気にするのではなく、自分が自分らしくいられるかを気にしよう。EverWonderを通じて次世代の優れたデザイナーさん達と出会い、その人たちが創る服を着て新たなワクワクをもらえたら、これ以上の幸せはないな!と思っています。


 一般財団法人渡辺記念育成財団は、クリエイティブディレクターにGReeeeNのHIDEを迎えて、人々の心に火を灯す機会を提供することを目的にEverWonderプロジェクトを発足しました。現在は構想段階であり、具体的なプロジェクトの中身は対談中に登場した「みらい塾」の第5期奨励生が企画進行していきます。「WWDJAPAN.com」では、今後みらい塾生が進めていくEverWonderプロジェクトの様子もお届けしていきます。

ライタープロフィール
岩上開人
みらい塾3期奨励生/一般財団法人渡辺記念育成財団 EverWonder 事務局

1996年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。大学在学中に起業。ウェブやブロックチェーンなど、ITを活用したエンターテインメント・コンテンツを生み出すことに注力し、これまでにアイドルユニットやバーチャルタレントの立ち上げなどを経験。一般財団法人渡辺記念育成財団 みらい塾3期奨励生としてプロデューサーに必要な思考やスキルを学んだ

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ZAZYの人生を変えたピンクのファッション 生活費1カ月分を捧げた衣装はあのブランド

ZAZY(ザズィー)とは

ZAZY(ザズィー)は吉本興業所属のピン芸人。1988年生まれ、大阪府出身。吉本興業のタレント養成所NSC大阪校に33期生として入学し、2011年にデビュー。17年に拠点を東京に移し「紙芝居で世界を変える」をモットーにフリップ芸を披露するプロジェクト「ZAZYどこへでも」を開始。ワークショップや個展も開催する。その後、ピン芸人日本一を決める「R-1グランプリ」の決勝戦に21年、22年と2年連続で進出し、注目を集める。芸名の由来は「ずっと、あなたと、ずっと、吉本。」の略

 リズミカルなフリップ芸でブレイク中のお笑い芸人・ZAZYは、鮮やかなピンクの衣装で舞台に立つ。ピンクの衣装以外にもスパンコールのホットパンツや10cm以上のハイヒールなど、身につけているアイテムはどれもインパクトが強く、観客にネタを披露する前に“ZAZYに見慣れる時間”を設けるほどだ。ZAZYのトレードマークである衣装には、どのようなこだわりがあるのだろうか。彼が考える“ピンクのパワー”についても聞いた。

きっかけはアヴリル・ラヴィーン

WWD:ピンクの衣装はいつから着ている?

ZAZY:1年目から着ています。それまでは普通のスーツとか、パンツにしてもデニムや無地を着ていました。ピンクを着始めたきっかけは、たまたま歌手のアヴリル・ラヴィーン(Avril Lavigne)のミュージックビデオを見たことですね。ピンクの服を着て、ポップなエネルギーをさく裂させている彼女を見て、すげえなと。自分にもこんなポップな魅力が必要だと思って、ピンクを身につけ始めて、髪型もアヴリルに寄せて金髪のロングヘアにしました。

WWD:ルックスを派手にすることで、ネタが引き立たなくなる心配はなかった?

ZAZY:全然なかったですね。むしろ自分ではバランスが良くなったと感じています。当時から今のようなネタをやっていたので、それまでは“変なネタをやる地味な人”のように見られていたんです。衣装をピンクにしてからは、ネタの奇抜さに見た目が追いついたかなと。

WWD:生足にハイヒールというスタイルもアヴリルの影響?

ZAZY:いえ、それはZAZYですね。最初は短パンに革靴で、どんどん丈が短くなり、スパンコールになり、ブーツを履くようになり、ヒールが高くなり……という感じで今にいたります。最近は羽を着けていて、特にピンクの羽を取り入れたのはここ2〜3カ月です。これからも変わり続けます。派手になるか地味になるかは分からないけど。

WWD:今、衣装に使っているのは何アイテムくらいある?

ZAZY:20弱くらいです。羽が3つとジャケット4着、ホットパンツが何着かで、ブーツも4〜5足くらいですかね。

WWD:どのように使い分けている?

ZAZY:気分と、その日のお客さんの“ZAZYに見慣れてる度合い”ですかね。ZAZYのことを知らない方が多い場合は、何の装飾もないシンプルなZAZYでいきます。劇場だとZAZYに見慣れている人が多いので、チューブトップを着てみるなど、いつもより目を引く格好をしています。テレビ番組も同じで、2回目に出演する際は変化をつけるために、遊びでツインテールにしてみることもあります。

WWD:衣装はどこで購入する?

ZAZY:よく着ているこのジャケットとシャツは、まだ衣装をどこで買っていいか分からない時に、たまたま入った「ポール・スミス(PAUL SMITH)」で見つけました。当時の1カ月分の生活費が飛びましたけど、頑張って買いましたね。そのほかは、ほとんどネットです。海外の通販サイトで“ナイトクラブ”で検索すると、派手なものが出るんです。多分、ポールダンサーが着ているようなものですね。スパンコールのホットパンツが楽天市場で1500円くらい、最近一番履いているブーツも海外通販で1万5000円くらい、羽も2〜3万円くらいです。今年のハロウィンはみんなにZAZYをやってほしいですね。女の子がこの格好をしたらめっちゃかわいいはずですよ。

「不便。だからこそ誰もやっていない」

WWD:ピンクの衣装をまとうことで気持ちの変化はある?

ZAZY:絶対、明るくなってますね。昔は本当に“ザ・陰キャ”って感じで口数も少なかったんです。それがピンクの衣装を着るようになってから、人前でもよく喋るようになった。みなさんも髪型やメイクを変えたら気分が変わるじゃないですか。不思議なもので、私服も派手になってきたんですよ。ZAZYになる前は私服も白Tに黒のスラックスだったんですけど、ピンクの衣装にしてからは柄物のシャツも自然と着るようになったんです。ZAZYが私生活にもどんどん侵食してきましたね。

WWD:ヒールが高くて歩きづらかったり、羽が大きくて持ち運びが大変だったり不便な面もあるのでは?

ZAZY:不便ですね。寒い冬に生脚を出すのもしんどい。でも、便利だったらきっとみんなやってますから。不便だからこそ誰もやっていないし、個性を出せるんでしょうね。

WWD:ZAZYさんの中にピンクへの特別な思いは芽生えた?

ZAZY:ピンクは自分のカラーみたいな意識はあるし、ピンク界を盛り上げていきたいですね。この間、ペーパー(林家ぺー&パー子)師匠に会う機会があって、「ピンク、着させていただいています」って挨拶をしたら「よろしくね」って言われました。お二人は、もうピンク側の人やったんやな、と。

WWD:最後に、ピンクにはどんなパワーがある?

ZAZY:人を惹きつける強いパワーがありますよ。花屋でもピンクの花が一番に目に入ってくるし、かわいくて奇抜で、特殊な色ですよね。あとは、ちょっと明るくなれる。内面から変わるのは難しいけど、ピンクを着るだけで自然とキャラ変できるんです。普段黒ばかり着ている人がピンクを着たら、自分の気分や周りの接し方がちょっと変わるはずですよ。

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吉原直樹会長が語る アルテサロンHD非上場化の背景とこれからの美容師の在り方

 アルテ サロン ホールディングスは、「アッシュ(ASH)」130店舗を含めグループ全体で300店舗超のトレンドを加味したヘアサロンを展開する一方で、メンテナンスに特化した「チョキペタ(CHOKI PETA)」を展開し、休眠美容師の復帰する場所を作り働く環境を整えるなど、ヘアサロン業界をアップデートすべく挑戦を続けてきた。2004年にジャスダックに上場し、ヘアサロン業界の中でも数少ない上場企業として、同社の動向は常に注目を集めてきたが、今年6月、MBOによる非上場化に踏み切った。業務委託や、フリーランスといった美容師の働き方が多様化し、コロナ禍で改めて“美容室の価値”が問われる中で、非上場化に踏み切った背景や思いをキーマンである吉原直樹アルテ サロン ホールディングス会長に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):コロナ禍から業績が持ち直し、2021年12月期は過去最高益となりました。その中でのアルテ サロン ホールディングスの非上場化には驚きました。

吉原直樹アルテ サロン ホールディングス会長(以下、吉原):無理やり非上場化に踏み切ったわけではなく、ファンドを介さず自己資本によるMBOという形をとりました。この決断に対して、株主の方からのクレームはなく、「18年間楽しませてくれてありがとう」と言ってくれた方も。駄菓子屋の2階にある小さな美容室から、次第に店舗を増やし、2004年に上場しましたが、これからが新たな挑戦です。でも正直に言えば、“振り出しに戻した”というところでしょうか。ヘアサロン業界でもさまざまな働き方が広がる中で、プロフェッショナルが、プロフェッショナルな給料を得ることができないと生き残れません。上場していると投資をしていただいている方にお返しをしなければいけませんし、そのために会社が利益を出さなければならないとなってしまうと、還元されるべき利益の行き場が違うのではないかと。お客さまのために働いて、自分たちが豊かになっていける現場づくりを。今一度、働きがいのある、自分の価値を高める働き方をしようという提言をして、実行していくためにも、非上場という道を選んだのです。

WWD:社会的に働き方改革がさけばれる中で、ヘアサロン業界でも低賃金や長時間労働などが議題に上がることも増えました。2000年代からコロナ禍を経て、ヘアサロン業界はどのような変遷を辿ってきたのでしょうか。

吉原:日本は1945年に終戦を迎え、あらゆる産業が労働集約型の仕事として広がっていきました。特に美容師のような技術が重んじられる手仕事は、まさに労働集約型と言えます。それゆえに美容師は弟子入り型・徒弟制で、戦後美容学校がきちんと整備されるまでは師匠(オーナー)のもとで技術を磨くのが当たり前でした。日本は高度経済成長を経て、1989年にバブル経済が絶頂期を迎え、その後崩壊。08年にはリーマンショックが起こりました。こういった景気の波によって、人々の働き方も変化していますよね。次第にあらゆる産業において企業が従業員を雇用し、労働条件や福利厚生を整えるフェーズに入ります。2000年代に入ってからは、それが当たり前となり、雇用主の責任が問われるようになりました。

WWD:そのような社会の変化にヘアサロンは対応できているでしょうか。

吉原:長らくデフレが続き、“失われた時代”ともいわれる中で、美容料金はいっこうに上がりません。ゆえに美容師の賃金もなかなか上がっていないのが現状です。ここ数年、世間では働き方改革が叫ばれ、従業員型ではなく、フリーランスや業務委託という新しい働き方が広がっています。企業に雇用されることへの価値が問われていると思っています。

WWD:業務委託型サロンや、フリーランス美容師が急速に増えています。従業員として働くことと、フリーランス美容師として働くことの大きな違いはどういったところでしょうか。

吉原:やはり、厚生年金や健康保険といった保証面は大きく違います。今の自由と条件をとるのか、先を見据えて安定を選ぶかだと思います。ただ美容業界での一番の問題点は、トレーニングすることが減ることだと考えています。フリーランスでは、社員として働いている時に比べて半分以下になるのではないでしょうか。サロンに所属しているとお互いの弱点や、スキルの進捗度が分かります。トレーニングを続ければ力のある美容師になれましたが、学ぶ機会が失われ、コロナ禍では特に動画で学習するという流れがあります。これは今まで、弟子入り型や従業員型でトレーニングを積み重ねてきたものが、自主練習になるというようなもの。当グループでも取り入れてはいますが、動画での技術修得度は30%程度ではないでしょうか。個人の努力によって補える部分もあるでしょうが、決して100%にはなりません。そこを補えるのがリアルであり、われわれの強さはそこだと考えています。

美容師=プロフェッショナル
プロが稼げる世界をつくる

WWD:フリーランスという働き方や動画による技術教育では、美容師としての技術力が落ちてしまうということでしょうか。

吉原:これまで日本の理美容師は、世界1の技術と言われてきました。各国から日本に技術を学びに来る美容師がいましたが、今では動画でどこにいても学ぶことができます。また、カット料金の上がっていない日本にはあまり目が向けられません。あらゆる面で評価が落ちつつある中で、技術までも落ちてしまうと、さらに拍車をかけてしまうのではないでしょうか。新しい働き方が出てくるのは、時代の流れでもあるので否定はしません。けれども、このままで本当にいいのでしょうか。日本の美容師の技術力が落ちていくのを目の当たりにすることになってしまうのではないでしょうか。社会や働き方の変化を経て、当社でも社会保険や福利厚生を整えています。その上でやはり、プロフェッショナルが稼げる世界にしていきたいんです。そのためには高付加価値を提供しなければなりません。これまでの顧客単価の倍ぐらいにしていくつもりです。

WWD:そのためにどのような取り組みをしていきますか。

吉原:スタイリストになれば年収600万〜、店長であれば1000万円が目指せるように、育成を効率化する必要があります。現状200人を採用するうち、技術者になるのは半分もいません。そのコストを会社は負担しているわけで、それであれば100人を採用して70人を育てるというように打率を上げていく必要があります。今までかかっていた育成コストを美容師の給料に当てられるように転換していきます。われわれは幸いにも首都圏でのみ展開しているので、教育に関しては手が届きます。ロイヤルカスタマーに向けた技術を身につけ、そういうサロンであり続ける努力をしていかなければなりません。それによって、高賃金を支払うことができ、離職率も減るでしょう。離職率1桁台が理想で、30代以降の退職者はほぼ出ずに、働き続けてもらえたら理想ですね。

付加価値を提供するのがプロの仕事

WWD:ロイヤルカスタマーに向けた技術力とは。

吉原:僕は今メンズサロンに注目しています。ファッション性を求める若年層はダブルカラーやブリーチ、パーマといった新しい技術を求め、バーバーには高単価であっても一流企業の経営者層が癒しとサービスを求めて通い詰めています。カット料金が3000〜4000円であっても付加価値を提供することで男性の顧客単価が7000〜8000円になり、レディースで1万2000円が目指せると平均顧客単価は1万円まで上がります。そういうサロンを目指すには、やはりプロフェッショナルが必要です。これまでの美容師は技術=テクニックでしたが、これからは薬剤の知識や実践経験がますます必要です。進化する薬剤によって誰が使ってもミスなく施術ができましたが、それでは付加価値は上がりません。テクニックや薬剤によって他者との差を産まなければ付加価値は上がらないのです。それには、教育が必要です。今流行っていて、一般的な認知が高まっている、「髪質改善」や「酸性パーマ」は知識と経験値が必要なメニューです。これを追い風にしないといけません。

WWD:そのためにも組織の中で腕を磨くということを改めて考える必要があるのかもしれません。

吉原:プロフェッショナルな仕事ができなければ、お客さまの固定化には繋がりません。

 美容師は職人であり、最初に選んだ道によって大きく将来が変わります。一度、低価格がウリの業態や、フリーランスになると、戻りたくても元々いた場所にはなかなか戻れないのが職人の世界です。でも、実はこの慣例を破ってきたのが僕。駄菓子屋の2階の小さな美容室から、30年かけて積み重ねてここまできました。そんな僕が若いスタッフに伝えたいのは、「この業界では易きに流れてはならない」ということ。そのためにもお客さまのために働いて自分たちが豊かになっていける会社づくりをしていきます。

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外商ビジネスで好調の「ラ・プレリー」 フィケ新社長が語る成長戦略

 スイス発ラグジュアリースキンケアブランド「ラ・プレリー(LA PRAIRIE)」が富裕層向け百貨店の外商ビジネスで売り上げを伸ばし好調だ。4月には国内初の旗艦店「ラ・プレリー サロン」をギンザ シックス(GINZA SIX)にオープンし、発信を強めている。1月に就任したヨアン・フィケ(Johann Fiquet)=ラ・プレリージャパン社長に今後の成長戦略について聞いた。

WWD:20年以上化粧品業界に携わる中で、「ラ・プレリー」の独自性はどこにあるか?

ヨアン・フィケ=ラ・プレリージャパン社長(以下、フィケ):完璧なものを追求する、執着心とも言えるこだわりが非常に強いブランドで感銘を受けた。それが製品やサービス、コミュニケーションを通して最終的にお客さまのエクスペリエンスにつながっている。その価値を最大化させるのが私の使命だと考えている。

WWD:国内初となる旗艦店の狙いは?

フィケ:世界観や製品などブランドが持つ最高のものを見せるショーケースとしての場を日本市場で作ることが最大の狙いだ。日本市場は非常に特異な性質を持っている。と言うのも私は欧州やアジアの市場を長く経験してきたが、日本人は化粧品に対するこだわりが強く、ラグジュアリーなものへの購買意欲も高い。「ラ・プレリー」はそうした高い要求に応えられる自負があり、まだ成功の余地があると確信している。ブランドとしては日本市場に旗艦店がないことを注視していた。

WWD:2月には44年ぶりにブランドロゴを刷新、それに続くNFTアートの発表など新しい動きが活発だ。

フィケ:新しいロゴは創業時のロゴをベースに、今までのヘルベチカ書体をミックスしている。ブランドコンセプトの一つとして「時の流れに揺るがない美しさの追求」があるが、創業時から続く精神性やヘリテージを引き継ぎつつ、新しい世界へ一歩進もうというものだ。ラグジュアリースキンケアブランドといえば「ラ・プレリー」と言われるよう、価値や存在感を示していきたい。

WWD:ブランドを成長させるにあたり課題は?

フィケ:素晴らしいブランドであることは前提にあるが、まだまだニッチで認知度の低さが一番の課題だ。これまでは外商ビジネスを含め百貨店が主たる販路でeコマースに手を延ばしていなかった。そのことが今後大きくのしかかってくるだろう。オンライン上のコミュニケーションを改善する必要がある。「ラ・プレリー」だけでなく、ラグジュアリーブランドといわれるところは業界を問わずeコマースに対してちゅうちょがあった。リアル店舗の補足的な立ち位置としてオンラインを捉える傾向があったと言える。すでに時代が変わり、今最も注力すべき領域である。

WWD:具体的にデジタル施策はどのようなものが考えられるか?

フィケ:単純に現状はデジタルソサイエティー、デジタルワールドでの「ラ・プレリー」の情報量の少なさを改善したい。ブランドバリューに対して存在感が低いと認識している。ソーシャルメディアやウェブメディアをもっと活用し、ユーチューバーとやインフルエンサーとの取り組みも考えている。

WWD:新たな成長戦略で、ターゲットは変わるか?

フィケ:現在の顧客層は50代がボリュームを占めている。これらの既存のお客さまを大事にしつつ、ターゲットを広げていく。35歳〜40代が今後の大きなポテンシャルにつながると考えている。中国市場では既に、顧客の平均年齢が35歳になっている。日本でもそうしたシフトが可能だろう。

WWD:足元の商況はどうか。

フィケ:今年に入り2桁成長と非常に順調に進んでおり、年内にコロナ以前、2019年の水準まで回復するとみている。遅くとも年明けには可能ではないか。コロナ下、販売員を増やしたり、LINE公式アカウントを立ち上げデジタルコミュニケーションを積極的に行ったりして、既存の顧客に地道にアプローチしたことが今実を結んでいる。ただし、着任してまだ間もないので、これらは始まりにすぎないことを強調したい。

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「カルティエ」限定“トリニティ”の全貌 キャンペーンムービーに宇多田ヒカル登場

 「カルティエ(CARTIER)」は7月7日、「サカイ(SACAI)」の阿部千登勢デザイナーとの対話から生まれた限定コレクション“カルティエ トリニティ フォー チトセ アベ オブ サカイ(以下、トリニティ フォー チトセ アベ)”を発売する。その発売を祝い、同日には表参道にポップアップストアをオープン。さらに6日には歌手の宇多田ヒカルを起用したフォト&ムービーを特設サイトで公開した。

  限定コレクション“トリニティ フォー チトセ アベ”は、日本で世界先行発売。その後、パリやロンドン、ニューヨーク、ソウルなどの大都市で今後発売予定だ。

キャンペーンムービーに
宇多田ヒカルと児玉裕一

 「カルティエ」と阿部が監修した“トリニティ フォー チトセ アベ”のキャンペーンムービーには、日本を代表する世界的アーティストの宇多田ヒカルと映像ディレクターの児玉裕一が選ばれた。

 阿部のビジョンであり、今回のコレクションのテーマでもある“安心と裏切りのバランス“、クラシックで普遍的な“トリニティ”のDNA(=安心)は残しながらも、一度解体して新たなものに再構築した(=裏切り)絶秒なバランスは、キャンペーンムービーの中でも描かれている。空間に現れる3つの光のリングは、宇多田の身体に絡み合っていくように接近。彼女が光を迎え入れるように手を伸ばすと、新しく構築された“トリニティ”が実体化される。宇多田ヒカルによる「Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺り-」の楽曲と革新的なライティングの空間で、普遍的なデザインを持つ「カルティエ」のアイコン、“トリニティ”が進化する演出を楽しみたい。

 キャンペーンムービーは、表参道のポップアップで展開するほか、限定コレクションのスペシャルサイトでも見ることができる。宇多田ヒカルの特別インタビューのほか、「カルティエ」の公式LINEアカウントのお友達限定でメイキングムービーも公開中だ。

表参道交差点のポップアップを
手がけたのは建築家の藤本壮介

 表参道にオープンするポップアップは、限定コレクション“トリニティ フォー チトセ アベ”のすべてを取り揃える。建築家の藤本壮介氏による空間も、阿部のビジョンであるクラシカルなものを解体して再構築する発想に基づき、“安心と裏切り”や“相反する価値観”を体現。東京の中で最も忙しい交差点の1つに森を設け、自然と人工、内部と外部、都市と森、現実と夢、自分と他者、伝統と未来などが溶け合う空間を創出した。“トリニティ フォー チトセ アベ”の本質を全身で感じることができる。

 ショップのオープンに際しては、仮囲いの壁面に「カルティエ」を象徴する赤いマグネット3000枚を敷き詰めた。通行人が“トリニティ フォー チトセ アベ”の全容を知ることができるQRコード付きのマグネットを持ち帰ると、壁面にも限定コレクションの詳細が現れた。遊び心溢れる演出でローンチへの高揚感をかき立てた。

3色の色彩はそのままに
“トリニティ”が大変身

 “トリニティ フォー チトセ アベ”は、リング2モデルとブレスレット、ネックレス、シングルイヤリング、そしてシングルイヤリングとしてもリングとしても使える万能なピースの全6種。 ホワイトとイエロー、ピンクゴールドの3色のリングからなる色彩はそのままに、フォルムやカーブ、そして身につける位置、機能を大きく変えた。着用者の創意工夫を掻き立てる特徴は、アイデア次第で千変万化する「サカイ」のコレクションに通じる。

 “トリニティ”は、1924年にルイ・カルティエ(Louis Cartier)がデザイン。ピンクとイエロー、ホワイトゴールドの3つのリングが絡み合うデザインが特徴だ。「カルティエ」のアイコンは、芸術家のジャン・コクトー(Jean Cocteau)を始め、多くの人々に愛され今に至っている。阿部は「“トリニティ”に込められた“愛” “友情”“忠誠”という原則は、とても大切」と話している。

「みんな知っている“トリニティ”を
見たことない永遠にする自信があった」

 “トリニティ フォー チトセ アベ”について、阿部デザイナーとシリル・ヴィニュロン(Cyrille Vigneron)=カルティエ・インターナショナル プレジデント兼最高経営責任者(CEO)に話を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):2人の出会いは、いつ頃?そして限定コレクションはどうやって生まれた?

阿部千登勢デザイナー兼ファウンダー(以下、阿部デザイナー):数年前、ファッションショーの後にパリで私からアプローチしました。「一緒に何かできないか?」と申し出たんです。

シリル・ヴィニュロン=カルティエ インターナショナル プレジデント兼最高経営責任者(CEO)(以下、シリルCEO):「カルティエ」が大好きな千登勢に、「自分のために、スペシャルなコレクションを作ってみたら?」と提案しました。千登勢は、クラシックという概念を覆して、常に時を超越したファッションを生み出しています。どんな洋服も、いつ身につけても、時代を感じさせません。そしてベーシックから想像を膨らませているのに、スタイルはいつも「とても違う」。そんな彼女のために生まれる“トリニティ”を見たかったのです。

阿部デザイナー:私のための“トリニティ”なんて、なんだか少し恥ずかしいです。でも誰かと仕事をするときは、「自分が楽しいこと」「私が欲しいものを生み出せること」を重要視しています。アイデアを形にできるチームワークもすばらしかったし、「カルティエ」やシリルさんとの対話は、本当に楽しかった。理想的な協業でした。

WWD:「カルティエ」の数あるアイコニックなジュエリーから、“トリニティ”を選んだ理由は?正直“トリニティ”は、すでに完成されたデザインだと思うが。

阿部デザイナー:“トリニティ”は、誰もが知っている存在です。そして「サカイ」も、みんなが知っているニットやジャケットを、見たことのない“永遠のもの“にしています。私には、みんなが知っている“トリニティ”を、見たことがない、でも永遠のものにできる自信みたいなものがありました。個人的にも“トリニティ”は初めて買った「カルティエ」のジュエリー。みんなが「一度は通る道」だと思います。そんな存在に新しい解釈を加え、新たなものとして作り上げる。それは、本当に光栄なことでした。

シリルCEO:1924年の誕生から間もなく100周年を迎える“トリニティ”は、ピンクとイエロー、そしてホワイトゴールドが愛と友情、忠誠を表しています。3つのゴールド、そして3つの想いのコンビネーションで成り立つ“トリニティ”は、ニットやジャージー、布地を組み合わせる「サカイ」のコレクションに通じるのでは?と考えました。硬質的な3つの素材を流動的に、そして大胆に解体・再構築するのは、とても千登勢らしい。ほら「サカイ」のコレクションも、タフなミリタリースタイルを解体・再構築して、柔らかさを手に入れているでしょう?

WWD:“トリニティ フォー チトセ アベ”のデザインアプローチは、「サカイ」の洋服と違う?

阿部デザイナー:アプローチは、変わりません。全ては、バランスが大事だと思っています。融合するスタイルのバランス、組み合わせる素材のバランスはもちろん、私は仕事とプライベートのバランスも意識してコレクションを生み出しています。それは、今回の限定コレクションでも変わりません。

シリルCEO:「カルティエ」にとっては、チャレンジもありました。指や首などに用いるジュエリーには強度と着け心地の双方で、さまざまな制限が存在します。デザイナーの想いをジュエリーとして仕立てあげるには、ジュエラーとしての知識と技術が必要でした。

WWD:“トリニティ フォー チトセ アベ”で再び“トリニティ”にスポットライトを当てる試みは、近年時計の“パンテール”や“サントス”“タンク”などの名品にフォーカスする戦略に通じている?

シリルCEO:全く逆のアプローチです。時計は、「カルティエ」のアイコンを今日最もふさわしい形に変更することで、未来に継承しようとしています。例えば“サントス”は、マスキュリンな大きさばかりでしたが、今の時代にふさわしいサイズも世に送り出しました。私の新しい“サントス”は娘に取られてしまいましたが、こうやって女性にも、そして若い世代にも受け継がれることで、“サントス”は未来に残るのです。一方の“トリニティ フォー チトセ アベ”は、シンプルなアイコンの魂を受け継ぎ、スペシャルにするもの。千登勢の力を借りて、新たなクリエイティブを生み出すことに挑戦したのです。全く違う試みですが、こうしたチャレンジスピリットもまた、“トリニティ”や「カルティエ」を未来に繋ぐものだと信じています。

INFORMATION
■CARTIER TRINITY FOR CHITOSE ABE OF sacai ポップアップストア

場所:表参道交差点(東京都港区南青山5-1-1):
期間:7月7〜25日
営業時間:11:00〜19:00
入場無料

PHOTOS:CARTIER、
SHOJI UCHIDA ©CARTIER、
DAICI ANO ©CARTIER、
TSUKASA NAKAGAWA
問い合わせ先
カルティエ カスタマー サービスセンター
0120-301-757

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スパイバーからジャスティン・ビーバーまで 世界で支持を集めるパンゲアとは

 スパイバー(Spiber)が長期的パートナーシップの相手として選んだパンゲア(PANGAIA)とはどのような企業なのか。2018年設立の新興企業で、フーディやスウェットパンツなどシンプルなデザインの製品を提供する。マテリアルサイエンスを掲げ、アパレル製品の製造・販売だけでなく、素材開発にも力を入れ、素材の製造・販売も行うユニークな企業だ。資金調達額などは非公表だが、調達ラウンドはシリーズA。設立メンバーに実業家で環境活動家、インフルエンサー(インスタグラムのフォロワー数は187万人)のミロスラヴァ・デュマ(Miroslava Vasilyevna Duma)がいる。スパイバーが生み出す人工構造タンパク質素材“ブリュード・プロテイン”を生地やアパレル製品の形にできるパンゲアはいわば科学をベースにした”近未来のマテリアル&アパレルメーカー“。アマンダ・パークス(Amanda Parkes)=パンゲア・チーフ・イノベーション・オフィサーにオンラインで話を聞く。

WWD:パンゲアとはどんな企業か?

アマンダ・パークス=チーフ・イノベーション・オフィサー(以下、パークス):私たちはファッションブランドでありマテリアルサイエンスの会社だ。共同体で経営しており、設立に関わったのは5人。R&D部門を持つことを目標に、ファイナンス、マーケティング、ファッション、サイエンスとさまざまな領域で経験のある人が集まって始めた。当社が他のアパレルメーカーと異なる点は、社内にR&D部門があり科学者がいる点で、初期段階にあるアイデアも研究所やスタートアップ企業と協働している。私たちは素材の哲学を*“ハイテクナチュラリズム”として、見捨てられているモノに注目して廃棄物を減らす技術や工程を採用している。

“ハイテクナチュラリズム”とは「最新技術と自然を活用して、テキスタイルの機能性を拡張していくもの。 自然の豊かさを生かし、最新技術と組み合わせることで、自然の力を最適化して補強していくこと」と広報担当者

WWD:具体例は?

パークス:グースダウンの代替素材“FLWRDWNTM”は、ワイルドフラワーにバイオポリマーとセルロースエアロゲルを混ぜた素材で、動物由来のダウンのような機能を持つ。私たちのダウンには動物も石油由来の材料も含んでいない。

WWD:「H&M」が採用した素材だ。開発に10年以上かかったとか。

パークス:H&Mへネス・アンド・マウリッツの「コス(COS)」の商品にも採用された。私たちは開発したマテリアルをBtoBで販売するビジネスも行っており、ブランドにマテリアルをシェアしている。

WWD:R&D部門を持つアパレル企業は非常に珍しい。新技術や新素材を取り入れたアパレルアイテムを開発し、メンバーのほとんどがバイオテクノロジーなど科学に造詣の深い科学者や技術者だと聞く。スパイバーは協働先としてパンゲアを選んだ理由に「マテリアルサイエンスカンパニーであり、タンパク質素材開発がいかに革新的か、またその一方で相当の困難や挑戦が強いられることを理解していた点」を挙げ、「生地を渡して終わりではなく、より良くするために、紡績方法や生地の編み方、染め方や仕上げ方などの加工方法で何度も試行錯誤を重ね、さまざまな知見が蓄積した。次の素材開発にとっても大きな財産になった」と話していたのが印象的だった。改めてR&D部門について教えてほしい。

パークス:現在研究者が18人在籍しており、物質科学や生化学、生物学、繊維工学、機械工学などさまざまなバックグランドを持つ人が、ロンドン、ポルトガル、イタリア、ニューヨークなどに分散している。さらに外部コラボレーターがいる。加えて、当社には、環境科学に関しての専門知識を持つ科学者によるインパクト部門がある。

WWD:インパクト部門の役割は?

パークス:テキスタイルや製品全てのサプライチェーンを把握・分析し、ライフサイクルアセスメント(LCA)調査を行っている。バリューチェーン全体の環境フットプリントを検証するために活動している。事業の中核にあり、コレクティブに透明性を持たせている。会社が与える影響を分析しており、私たちが今後どう前進すればよいのか、会社をよりよくするための、科学に基づいた目標を設定することができる。

WWD:スパイバーをはじめとした注目企業と具体的にどのように協働しているのか。

パークス:私たちの研究の柱である生物多様性に基づいて進めている。さまざまなリサーチを基に、創業メンバーでミーティングを重ね、さらにR&Dチームを交えて詳しい調査を行い、どのように協働するのがいいか議論を重ねたうえで、アプローチしている。大切なのは関係を築き、各企業が何を必要としているかを見極め、それに応じること。なので、協働する企業によって方法は異なる。商業化への手助けをしたり、製造をサポートしたり、マーケティングの手伝いをしたりーー私たちは、挑戦的なイノベーションを素早く市場に出すことができる企業として、高品質な製品を製造できることで知られている。

ーー使用する素材のガイドラインは?

パークス:*コットンからの脱却を目指すべく、新しい植物を取り入れた素材開発に注力している。リサイクルカシミアなどの動物繊維を使用することはあるが、動物由来のものは全て倫理的に調達し、皮革は使用しない。化石燃料由来の素材や有害物質も使用しない。廃棄物削減も心掛けており、製造工程で出た廃棄物を再利用したり、全ての工程において廃棄物を減らすことを行っている。

パンゲアは1つの植物繊維に依存することは、単作を促進する可能性があると考え、より多様な素材を取り入れようと試みている。最終的な目標は「真の循環型経済の発展に貢献すること」で、そのために素材、農業、エネルギーが本質的に結びつき、バイオマスを中心としたバイオエコノミーへの転換が必要だと考えている。生物多様性を促進し、石油化学物質を排除し、気候変動に配慮した未来をサポートする問題解決型の素材を見つけることに注力している

WWD:現在何件くらいコラボレーションを行っているか。

パークス:これまでに8件、現在少なくとも15件以上を計画している。

WWD:特に力を入れている技術は?

パークス:全て、というしかない。それこそがブランドが前進するために大切なことだから。多くのテクノロジーは重複していて、例えば、農業廃棄物を用いることは生物多様性の保全と廃棄物削減、両方を推進する。農業廃棄物に注目することもあれば炭素変換技術にも注目しており、用いるのは多くのバイオファブリケーション技術だ。

WWD:話は変わるが、硬派な社風の一方で、ブランドが知られる機会となっているのはジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)やナタリー・ポートマン( Natalie Portman)、ジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez )らセレブリティが着用している点だ。

パークス:自然に起こったことだった。セレブリティにお金を支払ったことはなく、特定の人にギフトとして贈った。それを着てタグ付するかは本人次第。なので、賃金が支払われるようなキャンペーンはしていない。

WWD:特徴的なデザインでない点もポイント?

パークス:現時点でのデザインビジョンは、“ライフスタイルベーシックス”と呼ばれる、ワードローブの必須アイテムになるものを提案している。汎用性が高く、何度も着られるようにね。

WWD:ファッション業界の通例であるシーズン提案を行っていない。

パークス:私たちは異常とも言えるほど速いスピードのファッション業界に考え直してほしいと思っている。私たちは、技術開発をして素材の準備が整ったら販売したいと考えている。ハイテク企業みたいにね。もちろんシーズンによって色やスタイリングを変えることはあるし、夏にはリネンのような軽めの生地を用いるなど、季節感は意識するけど、ベースカラーで1年を通じてワードローブの土台となるような衣類を提供することがいいことだと信じている。人々のクローゼットの安定性を作りだすことが大切で、季節ごとに絶え間なく変化するクローゼットはどうかと考えている。

WWD:今後の展望は?

パークス:とても楽観的だ。R&Dと投資を加速・拡大する。既存製品は改良し続ける。マテリアル販売も拡大し、私たちの素材を用いたプロダクトが他社から売られているのを見たい。

WWD:最後にアマンダさん自身について。ファッション科学者という珍しい肩書きを名乗り、「ファッションは科学を表現できるすばらしいプラットフォームだ」ともインタビューで答えている。改めてその意図を教えてほしい。

パークス:自分を正しく描写している言葉だと思ったから。服の形や体とのバランスだけでなく、製造工程を科学的な視点でアプローチしたいと本気で考えている。だから私はこの言葉を使い始めた。

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三上悠亜が新ブランドスタートで経営者に デビュー7年目、再出発の裏側

 セクシー女優の人気の大半は、男性ファンから得た支持である。これはステレオタイプ的な解釈だが、事実として今なお根強い。しかし現代にはインターネットによって可視化されたもうひとつの事実が存在する。SNS総フォロワー数1000万人超えの人気セクシー女優・三上悠亜は、一糸纏わぬ姿で世の男性を魅了するAVの世界に身を投じる一方、SNSの個人アカウントでは自身のファッションやライフスタイルを公開することで女性から多くの共感を得ている。その裏付けの一つとして、今年4月に発表された帽子ブランド「カシラ(CA4LA)」と三上のコラボレーションアイテムでは発売後瞬く間に完売、ECサイトのサーバーがダウンするなどの人気ぶりを見せた。

 今年3月、三上は自身がプロデューサーを務めたアパレルブランド「ミーユアーズ(MIYOUR’S)」を終了させ、6月に個人事務所としてミス(Miss)を設立。続けてアパレルブランド「ミストレアス(MISTREASS)」のスタートを自身のYouTubeチャンネルで発表した。AVデビュー7周年を機に起こした新たなアクションについて、三上本人に聞く。

安心できる環境からの決別

WWD:新会社設立は三上さん自身によるもの?

三上悠亜(以下、三上):はい。独立後に自分で設立した会社で、他タレントの所属はなく、私だけです。主に、「ミストレアス」の運営、SNS、YouTubeなど、私が関わるAV以外のお仕事全般を請け負います。

WWD:では、経営者でもあるということですね。

三上:どうなんでしょうか(笑)。社長という立場が今の自分に全く定着していないので。元々経営者になる予定もなく、自分がやりたいことを選んだ結果に独立があり「ミストレアス」開始までの間に会社の設立があっただけな気もします。

WWD:前ブランド「ミーユアーズ」でパートナーだったクージー(Coogee)と離れて、新たなブランド運営となる。その意図は?

三上:クージーには、自分が一から携われるブランド運営に挑戦してみたいと昨年末ごろに伝えていました。実際、自分一人でどこまでできるのかも分からなかったので、少し悩んだ時期もありますが、安心できる環境に甘えていたら何も変わらないと思い、離れることを決断しました。

WWD:新ブランド「ミストレアス」における三上さんの役割は?

三上:ブランドディレクターとして、デザインチームとともに制作を進めながら細かな部分まで携わっています。「ミーユアーズ」の時との一番大きな違いは、私の関わる領域が増えていることです。それは独立したことにも関係していて、今までの事務所を経由したやりとりでは打ち合わせ一つにしてもなかなか時間が取れず、任せてしまうこともありました。今のブランドでは洋服や展示会などさまざまなところで自分の意見を反映させながら、時間を思う存分使うことができています。

「着たい服を形にできた喜びで胸がいっぱいです」

WWD:そもそも、自らアパレル運営に切り出したきっかけは?

三上:洋服が好きだったことはもちろんですが、アパレルブランド開始のきっかけのひとつに、私が普段着用している洋服に対して「どこのブランドですか?」と、SNSを通じて多くの女性ファンが質問してきてくれたことがあります。自分でブランドを始めることで「どこの?」に対する回答を全て「ミストレアス」にできたらという気持ちでいます。

WWD:「ミストレアス」におけるこだわりは?

三上:特にシルエットや生地感にはこだわりたいです。私は男性向けのお仕事をしている手前、セクシーな目で見られることも多いです。だけどそれは女性の武器でもあるので、女性のしなやかなシルエットを生かしたいという思いがあります。女性ファンの中には体型にコンプレックスを持っている方も少なくないので、それをカバーしながら綺麗に見せることは重要視しています。

WWD:販売方法や実店舗の予定などは?

三上:まずは自社ECと展示会での販売、それから先はイベント実施やポップアップ形式を予定しています。実店舗については今のところ考えておらず、その分の費用は洋服のサイズ展開や型数に回したりしながら、ラインアップを少しずつ増やしていきたいと思います。

WWD:“展示会での販売”について詳しく教えてほしい。

三上:コレクションブランドでいう春夏、秋冬といった季節ごとの展開を基本にしながら、展示会で見た洋服が半年待たずに手に入るクイック感を大事にしています。コロナの影響で少し流動的な対応になっていますが、今シーズンだと6月の展示会で買ってもらったものは7月以降、順次発送する予定です。現状は受注方式ではなく、事前に数を決めて生産しています。

WWD:商品構成や上代設定は?

三上:今回は24型です。セットアップ商品などの展開もありますが、私が日頃よく着用することもあり、半分以上はワンピースが占めています。上代はおおよそワンピースが2万5000円、トップスやスカートが高いもので1万5000円、Tシャツが5000円くらい。価格帯は「ミーユアーズ」の時と大きく変わらないと思います。

WWD:購入してもらいたい層は?

三上:SNSやYoutubeなどで私のことを知ってくれた女性ファンの方が着てくださることが多かったので、これからも大切にしたいと思っています。でも、「ミストレアス」ではそれをさらに広げて、私を知らない人でも興味を持ってもらえる洋服作りを目指したいです。

WWD:ブランドは今後どういった方向性を予定している?

三上:とても強気な発言にはなりますが、トレンドを重視するのではなく自分が本当に好きなものや着たいと思えるものだけを商品化していくブランドでありたいです。第一弾のコレクションでは、まずそれを形にできた喜びで胸がいっぱいです。今後も私自身が365日着られる洋服を作っていきたいと思います。

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LAでビーガン・ファッション・ウイーク開催 コロナの解散危機を乗り越え

 アメリカ・ロサンゼルスでは6月、エシカル&サステナブルなファッションの国際的発展を目指し、ビーガン・ファッション・ウィーク(以下、VFW)によるビーガン・ファッション展示会が開かれた。VFWの創設者で動物愛護運動家のエマニュエル・リエンダ(Emmanuelle Rienda)が選び集めた、世界中のビーガンデザイナーのコレクションが展示され、未来のビーガン・ファッションを提唱した。ロサンゼルスに拠点を移し、日本と米国で活躍するファッション・スタイリストの水嶋和恵が展示会を訪れ、エマニュエルをインタビューした。

 「ハイファッションも優しく、気高く、思いやりを持てるはず」と語るエマニュエルは、エシカル・ファッションとサステナブル・ファッションのギャップを埋めるべく、2018年にVFWを創立。当時からファッション業界でもサステナブルなムーブメントは存在していたが、動物保護はそこまで深掘りされておらず、レザーやウール、そしてシルクについては特に何も考えず多用するブランドも多かった。だがエマニュエルは生産背景をよく知ると、到底エシカルとは思えない一面も多かったという。そこで19年2月、「ヴィーガン・ファッション・ウイーク」をロサンゼルスにて初開催。「2年のリサーチを経て創立したの。パイナップルレザーをはじめとする画期的なビーガンマテリアルを見つけ、それをランウエイで発表することができたわ」と振り返る。

 VFWは、環境配慮はもちろん、動物保護や雇用にも目を向け、そのユニークなメッセージと国際的なインパクトで、各国政府や多くの企業から注目され始めている。壮大なプロジェクトを一人で始めたエマニュエルは、自身の挑戦を「Life Mission(人生をかけたミッション)」と語る。金銭的な準備や、関わってくれる人々を探していると、アクションはどんどん遅れてしまう。だから自分一人でも行動したのだ。その挑戦は、「簡単ではなかった」と言う。「当時“ビーガン”という言葉には、暴力的な描写で人々を糾弾するイメージもあったけれど、私は当初から『インクルーシブでポジティブ、そしてクリエイティブ』なプラットフォームにすることにこだわった。今ではチームにも恵まれ、ここロサンゼルスにビーガン・ファッション専門のショールームも構えるまでに成長したのよ。地球環境と動物保護に目を向けつつ、同時にファッションはアーティスティックな表現ツールである事も忘れない。アートとエクスプレッション、インクルーシビティ、これらの集合体がファッションなの。このプラットフォームに興味を持ち関わりたいと思う人々が、ビーガンであろうがなかろうが構わないわ。どんな人も迎え入れたいと思うし、教育がとても大事」。

 やっと成果が見えてきた中で新型コロナウィルスが世界中に蔓延し、VFWはイベントを行うことができなくなった。デザイナーも生産から販売まで、さまざまな過程で苦悩に堪え、疑問と闘っていたという。一時はVFWの解散さえ考えたが前に進んできた。

 そんな中で開いた今回の展示会では、“ウーマンエンパワーメント”をテーマに女性デザイナーによるブランドが数多く揃った。

 例えば(NOUS ETUDIONS)」は、テキスタイルの質感を大事にしたミニマムでオーバーサイズなシルエットが特徴、新しい世代と時代を打ち出すジェンダーレスでサステナブルなアルゼンチン発のブランドだ。「ヴィーガンオロジー(VEGANOLOGIE)」は「Fashion should be caring(ファッションには思いやりがあるべき)」をコンセプトに100%リサイクルの素材で生産した商品を展開するドバイ発のビーガン・アクセサリー・ブランド。「ヴィーガン・タイガー(VEGAN TIGER)」は、トレンディなコレクションで注目される、韓国でのビーガンなファッションシーンを先導する存在だ。カナダの「マインドフル・ピッグス(MINDFUL PIGS)」はモダンな思想を現代に落とし込み、ウィットに富んだファッション性の高いアイテムが揃える。「センティエント(SENTIENT)」は、サボテンレザーを使用するメキシコの発ビーガン・レザー。ブランドだ。「シューズ・ゴーサンゼロヨンゴー(SHOES 53045)」は、生産や輸送の過程で発生する二酸化炭素排出量の多さに気づき、それらを見直すフランス発のハイテクスニーカーブランド。そしてアメリカからは、「ダーク・ソウル」をコンセプトにエッジの効いたコレクションを展開する「ファン・オール・フレームズ(FAN ALL FLAMES)」や、生産と消費が環境に与えるインパクトの大きさを念頭に置いた上で洗練されたシューズを提示する「シルバン・ニューヨーク(SYLVEN NEW YORK)」、そしてオールプラントベースで作られたルームシューズブランドの「ドゥーリーズ(DOOLEYS)」が参加した。

 「今計画しているのは、ウクライナのファッション業界及びデザイナーをサポートするイベント。現在コンセプトをまとめている最中で、10月のビーガン・ファッション・ウイークで開催予定なの。思いやり、人権、平和、それらのメッセージを世界中に発信する事ができたら。さまざまな人種が存在し、サステナブルファッションへの理解と繋がりが深いロサンゼルスは、そのようなイベントを開催するのに、ピッタリな場所だと思うわ」。意味あるプロジェクトを精力的に実現していくエマニュエルの姿に、スタイリストの水嶋は、「こういったグローバルでサステナブルなイベントに、日本国内のブランドも参加出来るよう、私が日本と世界を繋げる役割を担うことが出来れば」。

 「VFWは壮大で大変なプロジェクトだけれど、とてもやりがいがある。『We never quit!(私たちは、決して諦めないわ!)』」。そう強く語るエマニュエルの表情は明るかった。

INTERVIEW:KAZUE MIZUSHIMA
TEXT:ERI BEVERLY

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モデル・DJのエリー・ローズがスキンケアブランドを立ち上げ 「スキンケアは生活を豊かにするための儀式」

 モデルのエリー・ローズはこのほど、自身がプロデュースするスキンケアブランド「オトネ(OTONE)」を立ち上げる。「“誰かの美肌”に憧れるより、あらゆる人が“自分らしい肌”と心地よく生きてほしい」という思いを込め、2層式化粧水(120mL、税込4800円)と美容オイル(45mL、6600円)、保湿クリーム(50mL、6800円)をラインアップ。7月7日にローンチする公式ECサイトで販売する。

 エリー・ローズは10代でモデルデビューし、20歳でDJとしての活動をスタート。最近では、ビューティやファッション、恋愛から性に関する話題まで等身大の発信が幅広い層から支持を集めている。多方面で活躍する彼女に「オトネ」に込めた想いを聞いた。

WWD:スキンケアブランドを立ち上げた理由は?

エリー・ローズ:世界中がパンデミックにみまわれ、モデルとDJの活動をストイックに両立してきた日常が突然ストップしてしまいました。そんな中で自分と向き合いながら次にできることは何かを悶々と考えていたんです。自宅で過ごす時間が増え、バスタイムやスキンケアをして過ごすセルフケアの時間が持つ癒しのパワーをあらためて感じました。肌がきれいだとメンタルも整います。自分の肌に向き合い、寄り添うことが、生活の中でどんどん大切になり、スキンケアプロダクトの開発に挑戦したいと思うようになりました。

心地良い音楽に包まれるようなスキンケアタイムを

WWD:ブランド名の由来は。

エリー・ローズ:私は生活のムードやフィーリング、肌や体のコンディションを全て「トーン」=「音」で捉えています。音楽もスキンケアも、私を心地よい状態に仕上げてくれる生活に欠かせないものです。スキンケアと音楽を融合させることで、自分にしか作れないストーリーが生まれるのではないかと考えました。ブランドのコンセプトは“setting the tone”。「オトネ」はそんな「トーン」と、「音」(オト/ネ)を重ねています。

WWD:「オトネ」のプロダクトでどんなスキンケアタイムを演出する?

エリー・ローズ:忙しい毎日を過ごす中で、スキンケアをしている時間ぐらいはゆっくりと自分の時間を楽しんでほしいんです。ルーティーンというよりも生活を豊かにするための儀式のような……。その一瞬だけでも一息ついて、自分と向き合う時間にしてもらえたらうれしいです。

WWD:製品へのこだわりは?

エリー・ローズ:ナチュラルで、艶やか、たおやかな肌になるために、必要な成分を厳選しました。かつ、センシティブな人も使える優しい使い心地がこだわり。音でいうと「ふわふわ」「すべすべ」な肌を目指しています。愛おしい音に包まれているような感覚に満ちてほしいですね。香りにもこだわりました。インスタグラムでアンケートを取ってみなさんの好きな香りを聞きながら、ジャスミンとベルガモットの精油に決めました。甘さもあるけれども、少し爽やかで、移り変わるノートも楽しんでいただきたいですね。私のファンは年齢層が幅広いので、20代でも手が届く価格帯や、30代や40代でも満足できる使い心地を追求しました。今後はみんなとコミュニケーションをとりながら、いろいろなタイプを作るのもありですね。

何でも屋さんではなく
スキンケアブランドとして成長させる

WWD:音楽と「オトネ」はどのようにコラボさせていく?

エリー・ローズ:「オトネ」の動画を制作するために、大好きなベルリン在住のアーティスト、ビビアン・コック(Vivian Koch)さんに「オトネ」のためにトラックを制作してもらったんです。今後ホームページでは「今週のミックス」のようなイメージでスキンケアをしながら音楽を楽しんでもらえるコンテンツを載せていきます。

WWD:サステナビリティについても熱心に発信しているが、「オトネ」ではどのような取り組みを?

エリー・ローズ:ボトルはリサイクルが可能なガラス瓶にしました。最終的には、当社で回収する仕組みを作ることが理想です。また発送する際の箱にはリユースペーパーを採用し、なるべくロスが出ないようにギフトサービスやメッセージカード、パンフレットは削減しました。サステナビリティやSDGsを流行りで終わらせるのではなく、当たり前のものとして広げていきたいですね。

WWD:今後の展望は?

エリー・ローズ:最初は小さく細々と、自分のファンに届けば良いかなと思っていたんです。でも、試行錯誤しながら「オトネ」が形になり、作ったからにはたくさんの人に届けたいと強く思うようになりました。美味しいご飯を食べたり、素敵な美術館に行ったり、体験や経験が大切な時代にシフトチェンジしています。そんな選択肢の中に「オトネ」が入ったらうれしいですね。ライフスタイル商品にも興味はありますが、まずはキンケアブランドとしてブレずに成長させていきたいです。

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「ニューバランス」マニアが熱く予測! 最新モデル“990v6”はどんなデザインになる?

 「ニューバランス(NEW BALANCE)」の人気シリーズ“990”から、年末に発売されると噂されている最新作“990v6”。実に3年ぶりとなるアップデートだが、その実態はまだ明かされていないままだ。デザインや機能性など未知数であるからこそ、マニアの視点で自由に語ってもらう対談企画が実現した。スニーカー業界とファッション業界の中で「ニューバランス」愛の強いスニーカーショップ「スキット(SKIT)」オーナーの鎌本勝茂と「サヴォイ(SAVOY)」ブランドディレクターのマイ(MAI)に、どんなデザインが発売されるのか予想してもらった。

“990”と聞いて浮かぶ言葉は“メード・イン・USA”

――まず、2人が“990”シリーズを好きになったきっかけは?

マイ「サヴォイ」ブランドディレクター(以下、マイ):NBAやヒップポップカルチャーに夢中だった私は、いつも「ナイキ(NIKE)」の“ジョーダン”シリーズを履いていました。でもある日、インターネットで“990”を履いたインフルエンサーの写真を見つけてビビっと感じたんです。スマートなのにエッジがあって、どこか懐かしい。服がシンプルでも、このシューズを履くことでお洒落になれる! と背中を押された気がしました。

鎌本勝茂「SKIT」オーナー(以下、鎌本):ちなみに最初に買ったモデルは?

マイ:“990v5 M990NA5”のニンバスクラウドカラーですね。一般的に有名なグレーと違って少し淡い色味が特徴で、海外でも人気の配色でした。みんなと同じものを履きたくないという天邪鬼な性格が出てしまいました(笑)。

鎌本:いいじゃないですか、天邪鬼。それでこそスニーカー好きだと思いますよ。僕の話をすると、正直10年ぐらい前まで「ニューバランス」は年上の男性が履くシューズの印象が強かったんです。今では“いなたい”という便利な言葉があるけど、当時は少なくとも褒め言葉ではなかった。そんな僕のイメージを大きく変えたのが、2013年のアメリカ出張。東へ西へ奔走して足に疲労が溜まったとき、ふと「ニューバランスへ行こう」と思い立ち、購入したのが“990v3 M990BS3”のブラックカラーでした。

――購入した動機は、単純に歩きやすさから?

鎌本:その通りです(笑)。実際に1日中歩いても疲れにくいですし、バイヤー仲間の間では“何かあっても走って逃げれる靴”と呼ばれるほど。海外でのトラブルに巻き込まれても安心なぐらい“990”シリーズに頼っているところはあるかもしれないですね。

より丸みを帯びたシルエットになる?

――話が盛り上がってきた頃に本題を。今年の年末に発売すると噂されている“990v6”について、どのようなデザインになると予想しますか?

鎌本:過去数回の傾向で言うと、前作をベースに機能面でのアップデートが現実的じゃないのかなと思います。“990v4”と”990v5”では、補強パーツとしてアッパーにTPUパーツが加わったり、ピッグスキンとメッシュの比率が変わったり、少しだけフォルムが膨らんだりしていますからね。

マイ:このぼてっとした形がかわいいですよね。履き心地もゆったりとしていて、リラックス感がある。だけど意外とパンツとの合わせが難しいので、ちょっと上級者向けかも。個人的に“990v6”は、さらに丸みを帯びたシルエットになると予想しています。ソールも厚底になったりして?

鎌本:ファッション視点で考えたことがあまりなかったので新鮮な意見ですね。確かに“990v4”の方がスタイリッシュで、ロボットのような見た目のような。 僕は、ランニングシューズのディテールやデザインが踏襲されるのかなと予想します。実際に“XC-72”などのモデルではかかとが張り出たソールが採用されているように、“990v6”でもその要素が取り入れられるかなと思います。

マイ:そうなると、かなり新しい”990“になりますね!

鎌本:あとは機能面。あくまで個人的ですけど「ゴアテックス(GORE -TEX)」を搭載した新モデルが登場したら面白いなと思います。マイさんは履いたことありますか? 雨が降っても全然濡れないし、すごくタフなんですよ。

マイ:まだ試したことがないので、ぜひ“990v6”で体験してみたいです。

――では、発売されて欲しいカラーは?

鎌本:やっぱり王道のネイビー、グレー、ブラック。この3色があれば僕は十分ですね。でも「ニューバランス」のグレーって濃淡で16色も過去展開があったようなんです。その色が特別にオーダーできたら、絶対に欲しい。話題にもなるんじゃないかな。

マイ:そのアイデアすごくいいと思います。本当に採用されて欲しい!私も定番の3色は大好きです。確かにさまざまなグレーの色味がありますよね。ニュアンスがかった色味はジャケットやスラックスなどカチッとした服装にも合うし、上品な雰囲気になれる。ぜひオーダーしてみたいです。

――最後に、“990”シリーズの魅力を一言で教えてください。

鎌本:やっぱり“普遍的”ってことじゃないですか? 僕が10年前に見てピンとこなくて、形や色味が変わってないのに、20何年経って僕が時代に追いついて、これをいいと思えた。これこそが魅力ですね。

マイ:私も同じく“変わらないもの”ですね。スニーカーは流行によってたくさんのモデルが出ていますけど、“990”シリーズは揺るがなくてずっとかっこいい。そんなシューズはなかなかないと思います。定番を超えた殿堂入りの一足です。

鎌本:もしこのモデルが廃れたとしても、20年後、同じようにこのシューズが流行って、誰かが今日と同じ会話をしているんじゃないかな。それが“990”シリーズなんだと思います。

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【WWDJAPAN ビューティお悩み相談室Vol.1】脱・マスク荒れ!美容プロが指南する原因と対策

 連載企画「WWDJAPAN ビューティ」お悩み相談室」では、SNSのアンケート機能を用いて「WWD JAPAN」フォロワーに現在のビューティに関する悩みをヒアリング。読者のリアルな疑問や悩みをビューティストたちに解決してもらいます。初回は、コロナ禍で悩みが増えた“マスク荒れ”をピックアップ。松倉クリニック代官山の貴子院長に、マスクによる肌トラブルの原因や対策、おすすめアイテムについて話を聞いた。

肌トラブルの原因は“蒸れ”と“摩擦”

――マスクで肌荒れが起きるのはなぜですか?

貴子松倉クリニック代官山院長(以下、貴子):さまざまな要因がありますが、マスク着用によりマスク内の湿度が高まる“蒸れ”、マスクが肌と擦れてしまう“摩擦”、さらにストレスが原因となることが多いですね。

――クリニックでは“マスク荒れ”についてどのような悩みが多いですか?
貴子:マスクの内部は高温多湿になる上、水分が蒸発しにくい環境のため皮脂も増加します。そのため毛穴が開きやすい状態になり、毛穴が気になるなどの悩みが多いです。また、マスク内部の高温多湿により雑菌が増殖すること、さらにマスクによる摩擦で肌のバリア機能が低下し、ニキビや吹き出物といったトラブルを抱えている人も多いですね。

――コロナが流行し始めたマスク着用初期の頃と比べ、最近の“マスク荒れ”の悩みは変わってきていますか?
貴子:初期のころは、摩擦によるフェイスラインのニキビや赤みの悩みが多かったですね。最近はマスク着用が長期間続いたことによる毛穴の開大、そのほかマスクによる表情筋の低下によるたるみ、マスクをしていてもできるシミの相談が増えてきています。

――どのような症状になるとクリニックを受診したほうが良いですか?
貴子:数週間以上、慢性的に治らないニキビや肌荒れがある場合は受診をおすすめします。もちろん初期段階のトラブルでも大丈夫ですよ。

朝晩のスキンケアを念入りに行うこと

――いますぐ取り入れられる“マスク荒れ”へのケアはありますか?
貴子:マスクを長時間つけないといけないときは、朝晩のスキンケアを念入りにすることが大切です。日中もミスト化粧水をつけたり、マスクが擦れる部分にバームを塗ったりするなど普段から肌のバリア機能を整えて、水分量を高めることを意識してほしいですね。また、マスクの素材やサイズにも注意が必要です。できるだけつるつるした素材で清潔に保てるものが好ましいですね。数時間おきに使い捨てるのが理想的ではありますが、それではコストがかなりかかってしまいますので、繰り返し使えるマスクをきちんと洗濯できていればそれでもOKです。

――“マスク荒れ”の予防として日常生活で取り入れられるスキンケアを教えてください。
貴子:バリア機能を強化するスキンケアを行ってください。皮脂を落としすぎないクレンジングや、シカ(ツボクサエキス)など肌を修復する成分の入ったシートマスク、きちんと角質層に停滞するローション、肌の柔らかさを出す乳液、バリア機能を強化するクリームなど。日中は潤いの膜ができるファンデーションなどスキンケア効果の高いメイクアイテムのを使用をおすすめします。

貴子先生おすすめのコスメ4選

「カバーマーク」の“トリートメント クレンジング ミルク”

 ブランド独自の“アクアクレンジングゲル構造”により、肌に優しくなじませるだけでメイクを浮き上がらせ、肌に負担なくクレンジングできる。ヒアルロン酸の2倍の保湿力がある独自成分“MCキトサン”など美容液成分を89%配合し、スキンケア後のような潤いのあるもちもちな肌に洗い上げる。

「エスト」の“ザ ローション”

 “乾燥・カサつき”の肌悩みに対応する「ソフィーナ(SOFINA)」の最先端技術を結集した化粧水。砂漠の塩湖でも水分を逃がさない極限環境生物が生み出す成分“エクトイン”の保湿力に着目し、独自の保水研究との融合により完成した“高持続ケラチン保水処方”を採用。角層細胞に潤いを抱え込ませ、明るくハリのある肌に導く。

「B.A」の“セラムクッションファンデーション”

 「ポーラ(POLA)」の最高峰ブランド「B.A」から8月1日に登場するクッションファンデーション。“日中の過酷な肌環境をポジティブに変換し、美しさに変える”という考えのもと、いつでも心地よく豊かな時間を過ごすための“持ち運べるスキンケア”発想のメイクとして誕生した。ポーラオリジナル“ゲルコートエマルション設計”を採用し、潤い補給効果とメイク効果を両立できる。

「タカコスタイル」の“ハイコンセントレートマスク”

 肌修復力の高いシカ成分を配合し、乾燥性敏感肌や乾燥に起因する難治性の肌荒れにも効果を発揮するマスク。そのほか、ヒアルロン酸やコラーゲン、エラスチン、ハチミツなどの保湿成分、肌荒れを抑えるアラントインとグリチルリチン、肌に透明感を与えるビタミンC、アルブチンに加え環境汚染による肌荒れにも対応するオウゴンリキッドも含み、乾燥・美白・シワ・たるみなどさまざまな肌悩みにマルチに対応する。

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フランス・パリ発 「ショーメ」トップが語るセレクティブな戦略とは?

 フランス・パリ発ジュエラー「ショーメ(CHAUMET)」のジャンマルク・マンスヴェルト(Jean Marc Mansvelt)最高経営責任者(CEO)が2年半ぶりに来日した。今回の来日の目的は、日本の市場動向を肌で感じるためだ。同CEOは、1990年から(他社に在職中も)2019年まで、毎年3カ月に1度は来日。「コロナ禍の2年半は、まるでバツゲームのように来日いる」と親日家の一面を見せる。マンスヴェルトCEOにコロナ前後の市場の変化や日本市場、今後の戦略について聞いた。(PHOTOS:TSUKASA NAKAGAWA)

WWD:コロナが落ち着きつつあるが、コロナ禍と比べてここ数カ月の商況は?

 現在、好調な市場とその理由は?

ジャンマルク・マンスヴェルト=ショーメ最高経営責任者(CEO以下、マンスヴェルト):コロナ禍で世界的に各市場に特化したサービスに注力したことで、それぞれの市場のビジネスが伸びている。コロナで絆を象徴する結婚やギフトのジュエリー需要が高まった。日本では、コロナ禍で旅行できない代わりに、長期間使える価値のあるものの需要が増えている。7〜8年前から本格参入した中東市場もとても伸びている。中東に関しては、ほかのビッグメゾンの露出が増えているのと相乗効果で「ショーメ」への注目がアップしている。まずは、誰でも知っているビッグメゾンのジュエリーを購入する顧客が多いが、多くの人が着用しているのを見て、違うものが欲しいと思うようになる人もいる。われわれは、2世紀半以上の歴史を持つメゾンで価値あるジュエリーを作り続けている。だから、単なる他のブランドの代替品ではない。

 日本は本当に好調で誇りに思っている。

WWD:コロナ禍でデジタル強化をせざるを得なかったと思うが、強化ポイントは?

 デジタル販売の割合は?

マンスヴェルト:店舗をクローズせざるを得なかった時期は販売を遠隔で行うしかなかった。スタッフがライブストリームや電話で顧客に連絡して商品をお届けしたこともあった。2021年末には、フランスでECをスタート。日本でも今年末までにオープンし、少しずつ広げていくつもりだ。現在、ECの売り上げの割合は4〜5%程度だ。消費者がメゾンに触れる入り口はいろいろあるべき。しかし、やはり来店してもらい商品やサービスを体験してもらうことを大切にしたい。ジュエリーは身に着けるものなので、実際手に取って納得して購入してもらいたい。

文化の継承、そして最高の場所で最高のサービスを提供

WWD:昨年秋に横浜で開催したハイジュエリーイベント「フランスと日本文化のConversation―ショーメのサヴォワールフェールと日本の名匠3人の対話」を企画した理由と目的は?一般に公開したが来場者数は?

マンスヴェルト:「ショーメ」は世界に開かれたメゾン。19~20世紀には世界の王族から特注品の注文があった。ヴァンドーム本店に昭和天皇をお迎えしたこともある。だから、世界中の文化からヒントを得て作品をデザインしてきた。このハイジュエリーイベントは日本との交流の証であると同時に、日本のアルチザン=匠への敬意を示したもの。日本の伝統工芸である、竹細工や刀、盆栽など、ジュエリーの金細工とは全く異なるものだと思われがちだが、本質は同じ。それらの対話を展示を通して試みた。また、これは、私の日本への愛を表すものでもある。あいにく、来日は叶わなかったが。顧客への販売にもつながったし、6日間の一般公開で約8000人もの来場があった。美しいものは、分かち合うべきだと思う。

WWD:現在の日本市場の課題と今後の戦略は?

マンスヴェルト:「ショーメ」は控え目なメゾン。より多くの人に知ってもらうのが課題だ。ただ、他のブランドとは違うセレクティブなメゾンというポジショニンング。だから、20年には、店舗数を18から11に絞った。店舗が多ければいいというわけではない。効率化を図ると言う意味でも、より、セレクティブな場所で最高のサービスを提供するのが目的だ。将来的には、いい場所があれば出店しようと思っている。今年は、既存店のリニューアルをしてサービスを充実させるつもりだ。

2世紀半培われてきたストーリーを現代に

WWD:現在日本で好調なファインジュエリーとその理由は?

マンスヴェルト:“リアン”とブライダルで人気の“ジョゼフィーヌ”、 “ビー・マイラブ”の3つのシリーズが絶好調だ。“リアン”は絆を象徴するデザイン、“ジョゼフィーヌ”はナポレオン皇帝の妃で2人の愛を象徴するもの、“ビー マイラブ”は、ナポレオンの紋章と全てにストーリーがある。それぞれバリエーションも多くあり、重ね付けもできる。
特に“ビー・マイラブ”は若い層に人気が高い。

WWD:今後、強化していく市場や課題は?

マンスヴェルト:各市場を強化していく。われわれは12カ国でしか展開しておらず、同業他社と比べるとかなり少ない。だから、ポテンシャルはまだまだある。

WWD:ミレニアル世代やZ世代に対するコミュニケーションやアプローチは?

マンスヴェルト:若い世代に対しても、SNSなどを使ってコミュニケーションしていく。大切なのは、「ショーメ」は、新しいストーリーを作りだすメゾンではないということ。2世紀半培われてきた歴史とストーリーを紡いでいるメゾンであることを誠意を持って伝えたい。

 伝統だけに頼っているわけではなく現代性ももち合わせて永続性のあるメゾン、それが「ショーメ」なのだ。

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経産省が繊維ビジョンを15年ぶり策定 「繊維産地サミット」を7月に開催

 経済産業省(以下、経産省)はこのほど、「2030年に向けた繊維産業の展望」と題し、繊維ビジョンを発表した。これはつまり「国が日本の繊維産業の現状をどう見て、今後どのような政策を打ち出すのか」の青地図である。活性化の施策として掲げる3つの戦略について、同省の永澤剛製造産業局製品課長に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):前回の繊維ビジョンの発表が2007年だから、15年ぶりの施策発表となる。

永澤剛・経済産業省製造産業局製品課長(以下、永澤):新型コロナを背景に産業の構造的変化が加速した中で繊維産業の2030年を見据えるため、産業関係者や有識者14人の委員で構成する検討会を重ねロードマップを策定した。これは繊維産業を経産省としてもしっかりサポートしていくという、ある意味業界に向けたメッセージだ。

WWD: ホームページに公表した同名の資料には、繊維産業の概況や各地域の繊維産業の特徴まとめといったデータ資料に加え、今後の政策が書かれているが、ざっくりとそのポイントは?

永澤:新市場開拓のため、サステナビリティの推進とデジタルの加速を前提に3つの戦略分野としてまとめた。①新たなビジネスモデルの創造、②海外展開による新たな市場獲得、③技術開発による市場創出、だ。

WWD:新しいビジネスモデルの創造に向けて、「ファッション・ビジネス・フォーラム」を年内に立ち上げる。その目的は?

永澤:一言で言えば新たな“稼ぐ力”の創出だ。現在、多くの産地企業はOEMの生産が主流と思われるが、大手アパレルとの取り引きが減少している中、新たな収益源を探さなければ生き残りは図れない。

WWD:具体的には何をするのか。

永澤:マッチングを考えている。ファクトリーブランドとその独立支援は以前からある施策だが、今は消費者が産地や工場と直接コンタクトをとり、プロセスにも関わる“応援消費”といた新しい動きが増えている。さらにデジタルやスタートアップ企業の存在でマッチングの形も変わってきている。このフォーラムを通じて産地企業とデザイナー、インフルエンサー、DtoC、アパレル、ECプラットフォーム、他分野の企業などを結び、賃金上昇や人材獲得などにつながる好循環を創出したい。

WWD:公開資料にある「繊維産地サミット」とは?

永澤:「ファッション・ビジネス・フォーラム」を一丁目一番地で、そこから広げて産地間の連携を強化したい。産地を有する約27の地方公共団体により構成するのが「繊維産地サミット」で、7月に開催を予定している。実際に産地を訪れてみると、自治体同士は意外と連携していないことも多いことがわかる。国内の産地には就業者数や出荷額の減少など共通の課題があり、有効な取り組みを共有・横展開してゆくことが望ましい。それぞれが地場産業を盛り上げるために取り組んでいることを共有したり、産地間コラボや協業をしたりする予定だ。

WWD:1枚の服は複数の素材や技術でできており、実際制作時にはデザイナーが複数の産地をもって回わることも多い。産地間、自治体間の協業は確かにもっとあっていい。

永澤:東京を介さず産地や自治体同士の自然発生的なネットワークが生まれたらなおいい。

 また、事業継承などの促進も進めたい。事業継承・引き継ぎ後の設備投資や販路開拓などの経営革新にかかる費用などを支援したり、産業競争力強化法により事業再編計画として認定した取り組みを税制優遇や金融支援などの支援措置により後押ししたりする。

WWD:2つ目の戦略「海外展開による新たな市場の獲得」とは。

永澤:国内の人口減少が進むと想定される中で、拡大する海外需要を取り込むことは重要。また、海外から評価される日本の技術⼒を背景に、日本企業は海外展開のポテンシャルを有している。今後、より一層、海外展開を推し進めていくために、関係機関による情報共有・検討の場を設置する。関係機関は、一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構 (JFW)、クールジャパン機構、独立行政法人中小 企業基盤整備機構、独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)、日本繊維産業連盟をはじめとする業界団体、経済産業省などで構成する。

「繊維から繊維へのリサイクル」の技術開発

WWD:最後に3つ目の「技術開発による市場創出」とは?

永澤:繊維産業が発展するには、技術力において他国に引けをとらないことが重要。産学官が連携し、技術開発を進める。具体的にはたとえば「繊維から繊維へのリサイクル」だ。洋服はご存じの通り複数の繊維が混じっており、その分離・分別は相当に困難。そのブレークスルーを “技術研究組合”のような組織を作り化繊メーカーなどが企業の枠を超えて包括的に研究開発し、実現したい。大規模な投資を必要とする数年単位の話だが、サステナブルなファッションを本気で実現するならば、この限界を超えないと。

WWD:すべての素材で服から服への水平リサイクル。それが実現したら世界から必要とされる技術になる。

永澤:ほかにも導電性繊維などのスマートテキスタイル、ヒューマンインターフェースとしての繊維製品、バイオ素材の普及、無水型染色加工、オープンプラットフォームによる事業家推進なども考えられるだろう。いずれにしてもスピード感をもって可能とするため、「新市場創造型標準化制度」などにより柔軟かつ間口の広い企画開発を支援したい。また、国際標準化交渉をリードできる若手人材の育成をするためのプログラムなどを通じて人材の確保も支援する。

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「♯白髪ぼかし」がバズり客単価5000円アップ 福岡の人気美容師のサロンワークに迫る

 福岡市の大名にあるヘアサロン「キャンディ(Candi)」の市山博基・店長は、自身のインスタグラムにアップした“白髪ぼかし”の記事がバズり、一躍人気者となった。“白髪ぼかし”とは、白髪を黒染めするのではなく、ハイライト(線状に一部の髪を細かくブリーチして明るくし、立体感を出す技術)を活用して白髪を生かす施術のこと。白髪ぼかしに注力するようになってから、それまでほとんどいなかった年上の顧客が徐々に増え、現在では約7割に達し、客単価が5000円アップしたという。

WWDJAPAN(以下、WWD):白髪ぼかしに注力するようになったきっかけは?

市山店長(以下、市山):今から2年前くらいに、東京で美容師をやっている友人が、白髪ぼかしでバズっていたんです。それまで、私はナチュラルハイライトには力を入れていて、白髪を生かすお客さまもいたのですが、仕上がりをSNSに投稿していなかったんです。「SNSに上げても、白髪世代の方はSNSなんてあまり見ないだろう」と思っていたので。ところがその友人に「上げた方がいいよ。福岡ではまだ白髪ぼかしを投稿している人はあまりいないから、絶対最初にやった方がいい」と言われたんです。当時私は30歳で、美容師として新たな方向性を模索していた時期でもあったので、言われた通りに投稿し始めました。それがきっかけですね。

WWD:SNSの反応は?

市山:投稿し始めてから3カ月間くらいは、正直見られている感じはしなかったですね。でもそこからぽつぽつと白髪世代の新客が増え始めて、やがて増え方が加速し、いわゆる“バズり状態”になりました。新規のお客さまに来店理由を聞くと、「インスタを見た」という方が大半でした。インスタを始めた理由を聞くと、「子どもの影響で……」という方が圧倒的に多かったです。特にファーストグレイ世代には、子どもが携帯を持ち始める年齢の方も多く、意外とSNS活用率は高かったんです。

WWD:当時、白髪ぼかしに注力している美容師はあまりいなかった?

市山:多くはなかったですね。面白いことに、東京に1人、北海道に1人、みたいな感じで、各地に1人ずつ白髪ぼかしで“プチバズり”している美容師がいたんです。それで、“大名では市山”といった立ち位置になれたと思っています。やり始めて気付いたのですが、今の30代後半~50代前半の世代には、若い頃に“ギャル文化”に触れていた方が多く、ヘアカラーで遊んでいた人たちなので、ハイライトに抵抗がないんです。「またカラーで遊べる」くらいの感覚でチャレンジしてくれているようです。

WWD:具体的にはどんな白髪ぼかしを提案している?

市山:私が提案しているのは“ナチュラルな白髪ぼかし”です。そもそも白髪ぼかしというのは、「髪を明るくして白髪をぼかしましょう」という提案からスタートしています。ところが、私の顧客からは「暗いままでぼけないんですか?」という問い合わせが多かったんです。これは結構難題だったのですが、いろいろと研究して、カラー剤の調合でバランスをとることでできるようになりました。その“ナチュラルな白髪ぼかし”の需要は高く、今では私の提案の主流になっています。

WWD:ハイライトが目立たない白髪ぼかし?

市山:そうです。当初は“白髪ぼかしハイライト”とうたっていたのですが、最近では単に“白髪ぼかし”と言っています。“ハイライト”を付けると、ハイライトを目立たせないといけないので。例えば東京の美容師の“#白髪ぼかし”の投稿を見ると、スジ感が目立ちます。その方が映えるし、派手な感じを好むお客さまが多いのだと思います。でも福岡のお客さまにその画像を見せると、「こんなに目立たせたくない」と言われるケースがとても多いんです。ハイライトを目立たせたいお客さまは一握りで、「白髪をぼかすためにハイライトを入れる」というニーズの方が高い。「ほかの美容師のインスタも見たけれど、市山さんのが一番自分に合いそうだと思って来ました」という方も増えましたね。

WWD:インスタに投稿する際のコツは?

市山:私は、“ビフォー&アフター画像をしっかり載せる”ことだと思っています。私は自然にやっていたのですが、「ほかの人のインスタにはビフォー&アフターがないのに、市山さんの投稿にはあったから分かりやすい」ともよく言われます。改めて調べてみると、確かに、意外とアップで分かりやすいビフォー&アフターは少ないんです。ビフォーは根元のアップだったのに、アフターは引きになってしまっている画像とかよくありますね。

WWD:白髪ぼかしを提案するメリットは?

市山:高めの年齢層のお客さまが増えたことと、黒染めからデザインカラーに移行したことで、客単価が約5000円アップしました。あと「白髪染めのために美容室に行くのは“義務”で億劫だったのに、色を選べる白髪ぼかしにしてからは、美容室に行くのが楽しみになった」とも言ってもらえます。美容師として、とてもうれしいですね。

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ブランドPRとプレスをつなぐ新時代の美容PR業務支援プラットフォーム「BPB」

 美容業界は最新のトレンドや最先端美容テクノロジーを扱う一方で、電話やFAXのやりとりなどアナログなコミュニケーションが多かった。そんな“人”に依存した状態にイノベーションを起こしたいと美容専門PR会社のメディア・グローブは昨年1月、化粧品ブランドとプレスをつなぐ美容PR業務支援プラットフォーム「ビューティプレスボード(以下、BPB)」をスタートした。これまで数度にわたりアップデートを重ね、ブランドとプレスの業務効率化にも貢献。登録ブランド数250、登録プレス数850人、貸し出しアイテム数は約2万点と成長を続けている。開発メンバーの1人である同社PRプラットフォーム部ビューティプレスボードグループの蘆田成美プロデューサーに、美容業界が持つ課題やBPB開発のきっかけ、目指す位置付けについて話を聞いた。

きっかけはデジタル化とは
ほど遠いPR業務を目にして

WWD:BPB開発の経緯は?

蘆田成美メディア・グローブPRプラットフォーム部ビューティプレスボードプロデューサー(以下、蘆田):日々のPR業務でさまざまなブランドと話をする中で感じた業務課題がきっかけです。美容業界は電話やメールでの連絡が多く、貸し出し製品の管理など業務ボリュームが大きいためブランドのPR業務が煩雑になっていました。特に近年はコロナ禍のため対面する機会が減り、若手PRやプレスからは「どこでつながればいいか分からない」といった声もあり、つながり方やつながった後のコミュニケーションにも課題がありました。デジタル化を進めることでこれまでの煩雑な業務を効率化し、PRが本来時間をかけなければいけない業務に専念できれば、そしてプレスとのコミュニケーションを深める新しいつながりの場が作れたらと思いプラットフォームサービスとして開発しました。

WWD:BPBローンチ後のプレスやブランドからの反響は?

蘆田:まだまだ課題が多いですが、徐々にブランドもプレスも利用が増えています。BPBは2019年に構想し1年の開発期間を経て昨年1月にテストローンチ。昨年4月には本格的にサービスが始動しました。プレスからも企画単位で一括依頼できる点が喜ばれています。プレスはこれまでは一つの企画を進行する際、各ブランド宛てにそれぞれの貸し出し依頼製品を記載した企画書を送らなければいけませんでした。BPBでは複数ブランドにまとめて1回で依頼できます。BPBの製品貸出件数はこれまでに1万件を突破し、取り扱いブランド数とともに日々右肩上がりで増えています。最初はプレスもブランドも新しいツールにチャレンジすることにちゅうちょし、「今までのやり方を変えないといけない」「電話の方が早く、システムを覚えるのはフラストレーション」といった理由で利用を断られることも多かったです。

WWD:新しいツールを使ってもらうために行ったことは?

蘆田:どうしたら利用してもらえるのかを考えたとき、最優先したのは「プレスの利便性」でした。当初から情報収集とブランドへの貸し出し依頼が一括でできるという“目指すプラットフォームの形”はありましたが、業務の効率化に至るまでの操作性が追い付いていませんでした。そこでプレスから実業務で利用する上で不便に感じる点を聞き取り、ローンチ後も機能のアップデートを集中的に行いました。プレスのリアルな意見にスピーディーに対応することで少しずつ満足度が向上し、ブランドからは「これまでつながりのなかったメディアから貸し出し依頼が来た」という声もいただくようになりました。

ビューティプレスボードとは?

WWD:コロナ禍で変化するプレスの需要にも柔軟に対応している。

蘆田:コロナ禍では人との接触を避けるため製品撮影ができず、その分画像依頼が依頼全体の2〜3割程度に増えました。しかし当初はBPB内で画像依頼をしても、ブランドから直接メールで画像が届くというシステムでした。結局はBPBから出たやりとりが必須だったのですが、昨年秋のアップデートではBPB内で画像の貸し出しが完結できるように改良しました。

WWD:現在の登録数は?

蘆田:登録プレス数は850人で、メディアの編集者やフリーランスライターに加え、最近ではSNSで美容コンテンツを発信しているインフルエンサーも増えています。登録ブランド数は250で貸し出しできるアイテム数は約2万点。百貨店で扱うラグジュアリーブランドから“プチプラ”ブランドまで網羅していますが、さらにブランドのカテゴリーを広げ、プレスが企画の立案や貸し出し依頼をBPBで完結できるようなブランド数を目指したいですね。実際にプレスからの「BPBで全ての化粧品ブランドに依頼できるようになってほしい」という声は非常に多く、期待に応えられるようブランドへの利用促進を図ってまいります。特に「何からPRを始めればいいか分からない」というブランドには、PRを始める第一歩としてBPBへの登録を勧めたいです。

WWD:BPBが目指すものは?

蘆田:美容業界における“標準ツール”を目指しています。プレスが貸し出し依頼や新製品情報の収集をするとき、「まずはBPBをチェックしよう」となる当たり前の存在になりたい。時短や効率化がかない便利になるだけでなく、BPBだから知ることができた情報やつながれたプレスとブランドがあるという、プラスアルファの価値をつくりたいです。機能面では、プラットフォームの特性を生かして貸し出しデータを可視化し、トレンドやニーズの分析などを提供していきたいと考えています。今後も業界のPR業務に役立つために、日々プレスやブランドの声を吸い上げて機能面とサポート面の改善を続けていきます。

BPBを利用するブランドと
プレスが語るメリットとは?

PHOTOS:TAKAO OHTA
TEXT:WAKANA NAKADE

問い合わせ先
ビューティプレスボード事務局
bpb-brand@cosme.net

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アクリスCEOに聞く パンデミック前後で世界のエグゼクティブ女性のファッションはどう変わったか?

 パンデミックは女性たちの価値観や生活をどう変え、ファッションにどう反映されているのか?世界のエグゼクティブ女性に支持されているアクリス(AKRIS)のピーター・クリームラー(Peter Kriemler)最高経営責任者(CEO)に、パンデミック前後での売れ筋の変化や、サステナビリティに対する考えなどを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):パンデミック前後で「アクリス」の商品の売れ筋に変化はあったか?ヒット商品の特徴から女性たちの働き方や生活、考え方にどのような変化を見る?

ピーター・クリームラー=アクリス最高経営責任者(CEO、以下クリームラー):よりリラックスしたシルエットへのニーズが増え、ニットアンサンブルやドレス、ブラウスが好調だ。米国ではより早い時期からパンデミックからのリカバリーへのお祝いムードがあり、制限していた家族や小規模のパーティやウェディング用に、華のあるカクテルドレスやトップ&スカートのセットアップが飛ぶように売れている。日本では、リモートからリアル会議や会合への回帰と連動し、アクリスの強みであるジャケットへのニーズが今年初めから高まっている。ただし、以前のようにかしこまったものではなく、よりリラックスした雰囲気で、セットアップでなくとも軽やかでサラっと羽織れるスタイルへとニーズが変化している。

WWD:ライフスタイルの変化はバッグの売れ筋にも反映されているか?

クリームラー:2022年春夏コレクションの新作“アヌーク メッセンジャー(Anouk Messenger)”が好調だ。構築的なシルエットが特徴のメッセンジャータイプのバッグで、新しい働き方とカジュアルの両方のニーズにマッチしている。同時に、アイコンバッグである“アイ(Ai)”は引き続き根強い人気がある。春夏コレクションでは、プレキシ素材にアーティストの色鮮やかな作品をフォトプリントしたものや、ラフィア風素材、アクリスの本拠地であるスイスのザンクト・ガレンの古い地図をフォトプリントしたファブリック素材など、バッグ自体が軽量でパソコンを入れても体に負担が少ないタイプが人気だ。

WWD:顧客の買い物の仕方に変化は見られるか?売り上げ全体に占めるEC化率、店頭での滞在時間など、特筆すべきことがあれば教えて欲しい。

クリームラー:ECでの買い上げが好調に推移しており、米国では売り上げの15%前後を占めるまでに成長している。日本はこれよりも少し低い割合となる。理由は国土がアメリカに比べ狭く、ほとんどの顧客が大都市に居住していること、居住地域からアクセスしやすい百貨店等にブティックがあり、リアルにショッピングを楽しめる環境が整っていることが理由に挙げられる。百貨店の外商によるリモートショッピングは好評で、スクリーンを通じて選んだ商品を自宅まで届けるショッピングスタイルが増えている。

WWD:感染症の広がり、ロシアのウクライナ侵攻、異常気象など予測できないことが次々に起きている。これらは女性たちのファッションに対する姿勢にどのような影響を与えていると思うか?

クリームラー:ファッションに対する女性たちの考え方については、パンデミックを経て、より自分への価値を見出し、自分を大切にし、自身を取り戻したい、ファッションの力を借りてポジティブに前進したいという気持ちが強くなってきているように思う。

創業当時から製造過程で出た切れ端を活用していた

WWD:仕事でリーダーの立場にある多くの女性にとって「サステナビリティ」は関心事のひとつ。「アクリス」はその関心にどう応えるか?考え方とアクションを教えて欲しい。

クリームラー:アクリスは1922年創業、つまり今年100周年を迎え、創業したその日からサステナブルなブランドと言える。創業以来コレクションのほとんどが天然素材のファブリックを使用し、着る人の着心地や機能性を考慮しつつ、環境を配慮した素材を選んでいる。織布の開発から店頭に並ぶ完成品に至るまで垂直統合で一貫した開発、製造、販売過程を持つ。生産施設はすべて欧州域内にあり、スイスのみならず欧州連合(EU)の環境基準に則って徹底的な製造管理を行っている。持続可能原則の尊守を確認するためにサプライヤーをモニターし、再生エネルギー利用の最大化や水源および化学物質利用の最小化に努めている。

WWD:創業したその日から、が意味することは?

クリームラー:ファブリックを捨てない工夫と再利用のスタンスも創業当時から受け継がれている。私の祖母である創業者、アリス・クリームラー=ショッホ(Alice Kriemler-Schoch)は、ブランドの創業時に作っていたエプロンの製造過程で出た端切れは処分せず、それらを集めパッチワークタイプのエプロンを作っていた。このファブリックを無駄にしない慣行は現クリエイティブ ディレクターのアルベルト・クリームラー(Albert Kriemler)にも引き継がれ、数ヤードしか残っていないファブリックでも保存し、新たなコレクションや他の用途へ再利用している。

WWD:配慮した素材選びとは?

クリームラー:「アクリス」を代表する素材でハンドバッグや洋服のポケットやベルトに使われている「ホースヘア」は、採取する際、人間のヘアカット同様、痛みを伴わず、馬を殺生しないので、アニマルフレンドリーな素材である。アクリスはモンゴルで採取されたホースヘアのみ使用しており、ホースヘアを使うことは、モンゴルの遊牧民の生活を支えることにもなっている。

 ここ数年ファッションビジネスにおいて「サステナビリティ」はなくてはならない取り組みとなっているが、我々からすると創業以来ずっと取り組んできたことなので、何ら特別なことではなく、「サステナブルであること」は我々にとってごく自然なこと。SDGsの観点から話すと、創業以来重要なポジションには必ず女性が就いており、現に日本法人、韓国法人の社長と、グローバルリテール部門のトップも女性だ。

WWD:創業100周年を記念してどのようなプロジェクトを計画しているか。

クリームラー:10月1日にパリファッションウィークで発表する予定の2023年春夏コレクションが100周年の記念コレクションとなる。いつもより大規模なショーやアフターパーティを予定している。さらに記念本の発売、アートキュレーターによりキュレーションされた過去のアーカイブコレクションを各国のブティックやポップアップで展示するこのとも考えている。11月には、アイコンマテリアルであるホースヘアの新しい革小物のラインアップも登場する予定だ。

WWD:このほど銀座店を中央通り沿い移転オープンした。同店や日本のマーケットに期待することとは?

クリームラー:銀座の中央通りに旗艦店をオープンできたことはブランドにとって非常に重要なステートメントで、ブランドのオーナーとして心から嬉しく思う。そして1階にハンドバッグ、スカーフ等アクセサリーを置いたことは、アクリスが今後レザーグッズの販売を益々強化していくという日本のマーケットへの強いメッセージでもある。今回建築界の巨匠であるデイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)アーキテクツ・ミラノに店舗のデザインを依頼したが、彼の構築的でミニマルなスタイルは、アクリスのバリューにマッチしており、商品の質の高さをより引き立ててくれている。

WWD:改めて「アクリス」のコアバリューとは。

クリームラー:アクリスは 目的を持ち自立した女性(Independent Woman With Purpose)のために服作りをしてきた。アクリスのファッションは女性の生活をより快適にし、女性が持つありのままの美しさや優雅さを引き立てることにある。クリーンでスリーク、ミニマリストなデザインは女性の個性を引き立て、エンパワーし、女性のあらゆるライフシーンをサポートする。これがアクリスのコアバリューだ。アクリスの服はただ女性を着飾るのではなく、洋服をまとった時女性がどのように感じるか、ファブリックが肌に触れたときの感覚、つまり着心地を何よりも大切にしている。

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安田美沙子がトライ! “ハイブリッドランニング”でかなえる“筋肉のエコ”とは?

 MTGのトレーニングブランド「シックスパッド(SIXPAD)」の最新トレーニングギア“パワースーツ コアベルト”は、腹筋、脇腹、背筋下部を同時に鍛える革新的なEMSスーツだ。有酸素運動や筋肉トレーニングと組み合わせることで、効率的なハイブリッドトレーニングを実現する。日ごろからランニングに励み、マラソン大会にも出場している女優・安田美沙子が“パワースーツ コアベルト”を着用し、“ハイブリッドランニング”を体験した。

「フルマラソンを走ると
何かが見える」 
知人の一言でランデビュー

 「実はもともと、積極的にランニングに取り組んでいたわけではないんです。きっかけは、お仕事でご一緒した方から『フルマラソンを走ると何かが見える』という一言。その“何か”が見てみたいという気持ちから、最初はウォーキングから始め、自分のペースで少しずつ走るようになりました。ボディーメンテナンスとして、というのももちろんありますが、ランニング後に仲間とカフェで過ごす時間が楽しくて。今は週1~2回、無理のない範囲で走っています。

 マラソン大会に出場し始めたばかりのころは一生懸命になりすぎて、目標のタイムが切れなくて落ち込んだりもしましたが、コーチのアドバイスから “受け入れること”を学びました。実生活でもうまくいかないことはあるけど、事実を受け止めて、自分の中で消化して、また前を向けるようになったんじゃないかな。ラン仲間ともよく話すのですが、運動って“運を動かす”と思うんです。走ることでポジティブな気持ちになって、いろいろなことがうまく回り始めたように感じています」。

美しいランニングフォームで
“筋肉のエコ”活動を

 「走るときに大切なのは、正しいフォームを保ち、無駄な筋肉を使わないこと。私はこれを“筋肉のエコ”だと思っていて、うまく“エコ”ができるようになると疲れにくくなるし、無駄な力を使わないので筋肉太りも防げるはず。そのためには体幹を正しく使うことが重要なのですが、ふと気がつくとおなかの力が抜けて姿勢が崩れてしまうことも。腹筋や背筋下部などのおなか周りを刺激し続けてくれる“パワースーツ コアベルト”を着用することでおなかに意識がしやすくなり、正しいフォームをキープしやすくなりました。

 モードの選択もできるので、20Hzは筋肉トレーニング、4Hzはストレッチやウォーミングアップ時に身体を整えるなど、目的に合わせていろいろなシーンで使っています。自宅でのエクササイズ時に着用することで、撮影前の身体づくりも効率的になりました。伸縮性があって身体にしっかりフィットするから、トレーニングの邪魔にならないのもうれしいです」。

自分をアスリートだと思って
ケアすることで、
心身ともに良い
コンディションをキープ

 「忙しい人にとってはトレーニングをする時間を確保するのも大変ですよね。私は昔から“ながらエクササイズ”が好きで、髪を乾かしながら足上げしたりしていました(笑)。普段は音楽を聴きながら家事をする時間がとても好きなのですが、“パワースーツ コアベルト”を使うことで家事中もちょっとしたエクササイズにつなげられるのがうれしい。家事もしたい、子供との時間も大切にしたい、だけど健康でいたいー。そんな生活を送るママにもぜひおすすめしたいです。

 以前、知人から『誰でもアスリートなんだよ』と教えてもらったことがあります。どんな人もアスリートとして自分の身体をケアしてあげれば、常に良いコンディションでいられるし、結果的にお仕事や人間関係もうまくいく。だから運動をしている人だけではなく、健康管理のサポートアイテムとして“パワースーツ コアベルト”を取り入れてみてほしいですね」。

ジェルシート不要の
EMSスーツで健康管理や
パフォーマンス向上をサポート

 安田が試した“パワースーツ コアベルト”は、おなかから腰周りを1周するように6つの電極が付き、腹直筋や腹斜筋、広背筋下部、脊柱起立筋下部にアプローチ。ランナーが重視する体幹を鍛える。“ながらエクササイズ”や効率的に筋肉トレーニングができる20Hz と、ウォーミングアップなどに適した4Hzの2種類のモードを搭載し、用途によって使い分けが可能。水をスプレーするだけで使用でき、家庭用洗濯機で手入れができる手軽さも支持されている。

※価格は全て税込みです
MODEL:MISAKO YASUDA
PHOTOS:RYOHEI HASHIMOTO
STYLING:REMI KAWASAKI
HAIR & MAKEUP:SHIERA SASAKI
問い合わせ先
MTG
0120‐467‐222

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飲む日焼け止め、目のケア、SPF値…… ドクターに聞く紫外線対策のギモン

 梅雨明け前から猛暑が続き、いよいよ紫外線対策も本格化。昨今はさまざまな機能を備えた日焼け止めが多い上に環境配慮型の製品も増えているが、それらは何が違うのか。SPFやPAの数値や“飲む日焼け止め”と言われるサプリメント、目のUVケアなど、意外と知られていないことも多い紫外線対策について、アヴェニュークリニック表参道院の佐藤卓士院長に話を聞いた。

――国内最高レベルの紫外線カット力は「SPF50+/PA++++」ですが、海外では70や100などSPF値が高く表記されているものもあります。日本でも高く表記できないのでしょうか?

アヴェニュークリニック表参道院 佐藤卓士院長(以下、佐藤):SPFとPAは日本化粧品工業連合会で規定されており、国際規格に従ってSPF50を最大値とし、SPF50よりも大きい数値のものは50+と表記するように決められています。同様にPAも数値が++++以上のものは全て++++と表記が決められています。したがって日本で高い表記はできません。米国でも上限の勧告は出ていますが、義務ではないため50よりも高い数値を表記している製品が売られています。

――UV製品には美白効果や保湿効果、シミや乾燥対策などプラスアルファの効果がついたものが多く存在します。これら美容成分配合より紫外線カット効果が弱まることはあるのでしょうか。

佐藤:実際の製品でSPFとPAの測定試験を行っていますので、プラスアルファの効果が含まれた製品でも、SPFとPAの測定結果よりも紫外線カット効果が弱まっていることはありません。

“飲む日焼け止め”と美白サプリは何が違う?

――UVケアサプリも増えています。それらは通称“飲む日焼け止め”と言われていますが、美白サプリとはどう違うのでしょうか?

佐藤:飲む日焼け止めに含まれる成分には、免疫防御作用や抗酸化作用、DNA保護作用を持ち、紫外線を浴びることで発生する活性酸素を除去することで赤みや炎症を防ぎ、日焼けによるシミや肌老化を防止します。一方、飲む美白は美白成分を配合しています。美白成分とはシミやくすみの原因であるメラニンを排出するのをサポートする作用、メラニンの生成を抑制する作用、皮膚のターンオーバーを助ける作用のあるものなどです。

――では、「飲む日焼け止め」だけでも紫外線対策できるのでしょうか?

佐藤:「飲む日焼け止め」を飲めば肌に塗る日焼け止めはいらないということにはならず、塗る日焼け止めの補助として併用していただくのが良いですね。

――昨今は子供の紫外線対策も注目を集め、子供向けと書かれた製品も増えています。子供の日焼け止めと大人の日焼け止めに違いはありますか?

佐藤:子供用の日焼け止めは紫外線散乱剤のみを含んでいるものが多く、「紫外線吸収剤フリー」や「ノンケミカルサンスクリーン」といった表示がされています。子供用は基本的には肌に優しい成分を使用していますね。

目の紫外線ケアも重要!

――目から紫外線が入るとどんな影響がありますか?浴びてしまった後の対策は?

佐藤:紫外線が目に入ると角膜がダメージを受けて、目の痛みや充血などの角膜炎を起こします。ダメージが長く続き、影響が水晶体に及ぶと白内障につながる可能性もあります。さらには黄斑変性や翼状片などの病気を起こす可能性もあります。また、マウスの目に紫外線を照射すると皮膚にメラニンが作られたという研究報告もあることから、目に紫外線が入ると脳が体に紫外線を浴びていると認知し、紫外線から体を守ろうと皮膚メラニンを産生するようになると推測されます。

このことからも、紫外線が目に入ることを防ぐのはとても大事です。サングラスやコンタクトレンズ、帽子などで目に入るのを予防しましょう。もし浴びてしまったら、目を安静にして冷却してください。また、炎症を軽減する点眼薬などを使用しましょう。

――百貨店やドラッグストアにはあらゆる効果のUV製品が続々と登場しています。どれを購入すればいいか悩む人も多いですが、選び方のコツは? 

佐藤:SPFやPAの数値を目安に、使用する目的に応じて選んでください。日常で使用する場合はSPF20〜30、PA++〜+++のものを使用し、マリンスポーツや終日の屋外レジャーにはSPF50または50+、PA++++のものを使用すると良いでしょう。また、UV製品の成分には紫外線吸収剤と紫外線散乱剤があり、製品によって使用している成分が違います。紫外線散乱剤は肌への負担が少ないため、こちらを使用している製品を選ぶと良いでしょう。

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ポリウレタンとポリエステルの複合素材のリサイクル可能に 開発者に聞く

 中国発のスタートアップ、チンタオ・アミノ・マテリアルズ・テクノロジー(Qingdao Amino Materials Technology)は、ポリウレタンとポリエステルの複合繊維をリサイクルする技術を開発した。この技術で2022年のH&M創業者によるイノベーションアワード、グローバル・チェンジ・アワードを受賞した。従来の繊維リサイクルは単一素材が一般的で、複合繊維の場合、どちらか一方の繊維のみがリサイクル可能であることが多い。しかしこの技術では、ポリウレタンとポリエステル、2つの繊維のリサイクルが可能になるという。開発したデビン・マオ(Debin Mao)最高経営責任者に話を聞く。

デビン・マオ/チンタオ・アミノ・マテリアルズ・テクノロジー最高経営責任者:2009年からベルギーのVITOに勤務し、研究開発、ビジネス、マネジメントの各職務に従事。クリーンテクノロジー、環境リサイクル、新エネルギー、新素材などの分野で、VITOと数十件の中国機関との協働や、科学技術面の変革プロジェクトを主導。技術研究開発、企業管理、科学研究成果の価値化、産業化などの分野で豊富な経験を積む

WWD:なぜポリウレタンとポリエステルの複合繊維に注目したのか?

デビン・マオ=チンタオ・アミノ・マテリアルズ・テクノロジー最高経営責任者(以下、マオCEO):理由は2つある。とてもよく使われる素材であること、そして、ポリウレタンがとても高価だから。昨年は最も高いときに1トン約1万ユーロ(約141万円)、直近は約6000~7000ユーロ(84万6000円~98万7000円)だった。

WWD:どのようなチームで、いつ頃から開発を始めたのか?

マオCEO:私たちは5人のチームで立ち上げた小さなスタートアップで、化学工学のバックグラウンドを持ちポリマーを研究している科学者もいれば、私は過去10年間ビジネス開発を行ってきた。何人かは本業があるのでフルタイムで働いていないが、アイデアのブレストを重ね、実行に移したのが約2年半前の2019年だった。

WWD:具体的にどのように分離して再生するのか。

マオCEO:日本や韓国でもリサイクル技術やリサイクルポリエステルの活用なども進んでいるが、今あるリサイクル技術では一方の素材を損ねてしまう。私たちの技術は、特別な酵素触媒を用いることで、2つの異なる繊維を区別する。そしてポリエステルだけを選定して解重合(ポリマーをモノマーまたはモノマーの混合物に変換するプロセス)を行うことができるため、ポリウレタンやコットンなど、もう片方の繊維がそのまま残り、異なる素材がリサイクル可能にできる。

WWD:ポリウレタンはどう再生するのか?

マオCEO:ポリウレタンはそのまま糸状で残る。回収されたポリウレタンを検査した結果、全ての繊維が良い状態を保っていた。ポリウレタンは有機溶媒で溶解し再び新しい繊維に再生できる。プロセスの詳細について開示できるのは、ここまでだ。

WWD:化学処理では水を使用しないとのことだが、エネルギーや化学薬品などはどの程度使用するのか?

マオCEO:私たちはプロセス全体を循環させたいと考えた。つまり、ポリウレタンとポリエステルを再利用するだけでなく、プロセス内の化学物質もすべて回収して再利用することに挑戦している。まだ研究段階にあり、完全なテック・エコノミック・アセスメント(Tech-economic assessment:正確なエネルギー消費量やリサイクル率などが含まれる有益な指標)を実施していないため、正確な数字を伝えられないが、現在準備中のパイロット規模の生産を開始する際に評価を実施予定だ。しかし、私たちの再生繊維の経済性を、非常に前向きに見ている。既存の技術と比較すると、私たちのプロセスは非常に温和な条件下で行われるため、消費するエネルギーは少なく済む。また、私たちの技術は高価なエラスタン繊維を再生し、再利用することができる。

WWD:量産化への計画は?

マオCEO:これから1年で生産量を1トンに引き上げ、最適化を重ねて全てがうまくいけば、2年目には100トンまで引き上げたい。ここまでいけば、その後は特定のステークホルダーと戦略的なコラボレーションにつなげることができるのではと考えている。

WWD:このリサイクルは既存の機械で行うことができるのか?あるいは新たに特別な機械を作る必要があるのか?

マオCEO:すでにあるものを市場から購入する。機械が特別なのではなく、プロセス自体が特別だ。

WWD:工場は中国に作るのか。

マオCEO:少なくとも100トン規模までは中国を拠点に行う。まだ先のことはわからないが、100トン規模で成功できれば、ナイキ(NIKE)など世界規模の企業が興味を持ってくれるのではと思っている。資本提携やジョイントベンチャーなど、さまざまな形態が考えられるので、形態によってどのように展開するかを考えていく。中国以外にも工場を設けるかもしれないし、それはコラボレーションによって変わってくると思う。

WWD:並行してパートナーを模索していく?

マオCEO:ええ。私たちはスタートアップなので、H&Mファンデーションからの助成金もとてもありがたいし、評価としても私たちを後押ししてくれると思っているが、1トン規模までは助成金などを活用することで可能だが、100トン規模では資金が必要になる。他のスタートアップ同様、資金調達は第1ラウンド、第2ラウンドと必要になる。タイミングを見極めて素早く行動に移さなければいけない。

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グローバルSPA各社で要職を歴任した重鎮 「マリメッコ」レベッカ・ベイに聞くコロナ後のファッション

 フィンランド発のライフスタイルブランド「マリメッコ(MARIMEKKO)」のレベッカ・ベイ(Rebekka Bay)クリエイティブ・ディレクターは、世界4大グローバルSPA企業のうち、3社でクリエイティブ部門の要職を歴任してきた人物。「マリメッコ」では2017年から取締役を務め、その役を降りて20年9月に現職に就いた。世界中の市場を絶えずウオッチし、生活者が求めるものを形にし続けてきたファッション産業の重要人物であるベイ・ディレクターに、「マリメッコ」で目指すものや、コロナ禍を経た今、求められるファッションについて聞いた。

WWD:20年9月に「マリメッコ」のクリエイティブ・ディレクターに就いた。自身のミッションは何か。

レベッカ・ベイ「マリメッコ」クリエイティブ・ディレクター(以下、ベイ):既によく知られている通り、「マリメッコ」には素晴らしい歴史があり、それに敬意を払って丁寧に扱っていくことが大切だ。昨年ブランド創設70周年を迎えたが、ここから次の70年も歴史を継承していく。私の役目は過去を守りながら、ブランドがグローバルで支持され続けるようにしていくことだと思っている。

 クリエイティブ・ディレクター就任当時はパンデミックの渦中で、「マリメッコ」のチームに溶け込むことには難しさも感じた。私はデンマーク・コペンハーゲンの自宅にいて、チームメンバーは(本社のあるフィンランド・ヘルシンキなどの)それぞれの家で働いており、リモートでチームの目標やビジョンをしっかり共有することはとても大変だった。17年から「マリメッコ」の取締役を務めていたのでブランドのビジョンや方向性はもちろん知っていたが、それでも困難を感じた。

WWD:そもそも、「マリメッコ」とはいつ、どのように出合ったのか。

ベイ:ブランドとの出合いは随分とさかのぼる。当時CEOだったミカ(・イハムオティラ=Mika Ihamuotila)にヘルシンキに招待され、ミカと現CEOのティーナ(・アラフフタ・カスコ=Tiina Alahuhta-Kasko)に会ったのが最初だ。その時は契約を交わすといったものではなく、「もしも今後縁があれば」といった場だった。私にとってはそれが初めてのフィンランド訪問で、あの国の自然や建築物にすっかり魅せられてしまった。同時に、「マリメッコ」にも強い魅力を感じた。(ヘルシンキにある)工場にプリントのための機械をちゃんと持っていて、スタッフの働き方もすばらしい。私はスカンジナビア出身なのでもちろんブランドのことはずっと知っていたが、魅力を再発見した思いだった。

 長らく住んでいたニューヨークから、2年前に母国デンマークのコペンハーゲンに帰国し、今はコペンハーゲンとヘルシンキを行ったり来たりしながら働いている。この2都市はとても近く、それが可能だ。「マリメッコ」のデザインチームが拠点としているのはヘルシンキだが、コペンハーゲンにもフリーのデザイナーなどが集まるスタジオがある。

「歴史あるブランドで働くのは初めての経験」

WWD:これまで、世界有数のSPA企業各社で働いてきたが、それらと「マリメッコ」はどう違うか。

ベイ:さまざまな部分で異なっている。長い間、アメリカや日本企業(のニューヨークオフィス)で働いてきた。それらとの最も大きな違いは、スカンジナビアの企業は組織にヒエラルキーがなく、(相手が誰であっても)全て直接的にやり取りをして、皆で協力しながらモノを作っていくというマインドが強い点だと思う。アートや建築、景色を見るたびに、ようやくスカンジナビアに帰ってきたと強く感じる。アメリカで働いていたころのチームメンバーは、私が生まれついたときから親しんできた文学やアート、建築などとは異なるレファレンスを持っていた。それが壁になっていた部分もある。今ようやくリラックスして仕事に向き合えていると感じる。

 自身のキャリアにおいて、新しい仕事を始める際は常に新しい挑戦を自分に課してきた。今まではレガシーやヘリテージのない会社で、いかにしてそれを作り出すかという仕事をしてきたが、「マリメッコ」には莫大なプリントアーカイブというヘリテージがある。それは私のキャリアにおいて初めてのこと。歴史のある会社でそれを守り、経緯を払いながらブランドを次に導くという役割を担っている。

WWD:「マリメッコ」と言えばプリントのイメージが非常に強いが、そこにシェイプという新しい切り口を加えてブランドをアップデートしようとしている。

ベイ:「マリメッコ」はアートのようなプリントを強みにしてきた。ドレスはアートを表現するためのキャンバスだ。ただ、私はそこにシェイプの理解ももたらしたい。プリントという言語は既に確立されているので、シェイプという言語をここに加えて、これまで2次元(平面的)だった表現を3次元(立体的)にしていきたい。かと言って、ごちゃごちゃしたシルエットを目指すというわけではもちろんない。ドレスをキャンバスとするうえで、クリーンなシェイプは守っていかないといけない。

WWD:前職時代も含め、これまでのキャリアの中で、常に「ワードローブのモジュール化」というキーワードを示してきた。改めて、それはどういった考え方で、「マリメッコ」ではどのように表現するのかを教えてほしい。

ベイ:確かに私は、「ワードローブのモジュール化」というコンセプトを唱え続けてきた。それは、アイテムが(単品としてではなく、1つのまとまった)コレクションとしてそれぞれの人に取り入れられ、拡大していくということ。「マリメッコ」の柄や色のアイテム同士を組み合わせていくのは、やや勇気のいることだと思うが、それを可能にするのが私の仕事だ。そうした提案が受け入れられるように、地域や国によって(MDや商品をローカライズして)アレンジしていくことも求められている。

 世界中にはさまざまな行事があり、例えば中国の旧正月などもその1つだ。(単にスタイリングのしやすさを意識してモジュール化するというのではなく、各国の季節行事などにも合わせて)より高い次元でモジュール化していくことで、全世界さまざまな人の多様なニーズに応えていく。私は世界4大SPAのうちの3社で働いてきた経験があり、国や地域別で好まれるニュアンスやテイストを理解している。それを「マリメッコ」にも提供していく。

WWD:特に日本市場に対してはどのような戦略で臨むのか。

ベイ:(グローバルな)大きなコレクションの中で、日本向けの小さなストーリーを紡いでいく。日本のお客さまは「マリメッコ」を象徴するウニッコ柄を好むが、その中でも特に小さめの柄が支持されている。また、ソフトでニュートラルな色のトーン、例えばサクラのようなピンクが好まれる。そのような、日本のお客さまが求める柄のサイズやカラートーンを、モジュールという考え方の中で表現していく。

 日本人女性は一般的にフェミニンなスタイルを好むと言われている。ただ、今回来日して街行く人たちを見て、よりスポーティーで、構築的なファッションの人もいると感じた。そうした気づきをしっかり生かしていく。22年春夏物には、花びらを意識したシルエットを採用した。これも柔らかい雰囲気を求める日本の女性の気分にはよく合っていると思う。日本の女性の気持ちを100%理解しているとは言わないが、これまで日本で過ごしてきた時間も長く、理解は比較的できていると思う。日本女性の好みのテイストだけでなく、日本の文化にも興味があり、恐らくそこも理解につながっている。

「機会があるたびに、立ち止まって振り返ることが大切」

WWD:コロナを経て、消費者の求めるものや意識はどう変わったと分析しているか。

ベイ:スエットパンツで過ごす長いステイホーム期間を経て、ファッションへの感覚は大きく変わった。ホームカテゴリーが非常に重要になっているし、より心地がよくて、より削ぎ落としたもの、より高いクオリティーでタイムレスな価値を持つものが求められるようになった。一時的なトレンドではなく、人生を豊かにするものが重視されるように変わってきている。「マリメッコ」はまさにそうした考え方に合っており、人々が装うことを手助けするブランドだと思う。美しいプリントが施された1枚のドレスを着れば、ただそれだけでコーディネートが決まる。買い物は単なる売り買いではなく、人生に喜びやエモーショナルな体験を提供するものでないといけない。祖母から母へ、母から娘へと受け継いでいける「マリメッコ」のドレスは、まさにエモーショナルなものだと思う。

WWD:サステナビリティについてのブランドの考え方は。

ベイ:1年半前に、あらゆる分野におけるサステナビリティの方針を打ち出した。かつてはデザインが先行だったが、今はサステナビリティが最優先事項だ。重視するのは便利さではなくサステナビリティ。例えば、われわれの新しいキャンバスバッグにもリサイクル素材を使っているし、そこからさらにリサイクルすることが可能なデザインにしている。金具の使用をなるべく減らすことでリサイクルする際にも無駄が出ず、スムーズに作業が進む。素材や生産方法でサステナビリティを意識するだけでなく、360度の視点で新しい循環型ビジネスも始めている。ビンテージの「マリメッコ」を販売するリセール事業も本国ではテスト的に開始した。リペアサービスも行っている。まだトライアル段階だが、ここから広めていきたいと考えている。

 サステナビリティが全てに先行することは、全く難しいことではない。今の時代、作るものに責任を持つことはデザイナーに必ず求められる要素だ。よりよい地球のためにはこうした考え方のアップデートが重要で、何か機会があるたびに、立ち止まってこれまでの手法でいいのかと考えることが重要。それはとてもポジティブなことだと思っている。

WWD:ファッション業界で、人がうらやむようなキャリアを積んできた。自身の経験をもとに、ファッションブランドに今求められることは何だと考えるか。

ベイ:インテグリティーだ。誠実さ、正直であること、(環境や人権問題などに)コミットする意思があること、思慮深さといったことなどを意味する。ブランドとして、誠実な姿勢と明確な方向性を持つこと。消費者と一緒になって、人生において意味のある、すぐに消えるトレンドなどではない大きなストーリーを紡ぐこと。その結果、人々が(ブランドや客同士で)つながりを持つといったあり方が求められていると感じる。

WWD:とても知的で抑制的、スカンジナビアン的な回答だと感じる。

ベイ:そうかもしれないが、同時にとても日本的だと私は思う。日本の文学について考えても、また、私のヒーローである(インダストリアルデザイナーの)柳宗理、(インテリアデザインや彫刻などを手がけた)イサムノグチの作品を見ても、非常に思想を感じる。柳宗理のキッチンツールは、日常で使う道具でありながらアートのような美しさがあり、素材に対してとても正直だ。そうした価値観をわれわれと日本の人たちは共有している。だからこそ、「マリメッコ」も、日本の女性に支持されるのだと思う。

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自民党のサステナブルファッションPTが総理に提言 座長の山田美樹議員は元エルメス

 日本の繊維・ファッション産業のサステナビリティシフトを後押しする動きが、自民党内で始まっている。自民党の有志で構成される「サステナブルファッションPT(プロジェクトチーム)」は政策提言を取りまとめ、今年4月に岸田文雄総理と山口壯環境大臣に申し入れを行った。チームの座長を務めるのが山田美樹・衆議院議員だ。エルメスジャポンで営業企画マネージャーを務めた経歴も持つ山田議員にその意図を聞いた。

WWDJAPAN編集部(以下、WWD):サステナブルファッションPTを立ち上げた経緯とメンバーは?

山田美樹・衆議院議員(以下、山田):菅政権のときに環境省と経済産業省、消費者庁の3省庁でファッションロス問題を取り扱う会合が発足した。そこから発展し、現在自民党内では環境・温暖化調査会の下にサステナブルファッションPTとプラスチックリサイクルPTがあり、井上信治・衆議院議員(前内閣府特命担当大臣)が会長を、小泉進次郎・衆議院議員(前環境大臣)が会長代行を務めている。今年初めにサステナブルファッションPTを立ち上げる際、小泉会長代行からファッション業界で経験があるという理由から私に声がかかり「やります」と即答した。議員になって10年目。何かの形でゆかりのあるファッション業界に貢献したいと思っていたからとても嬉しかった。

 以降、定期的に勉強会を開いたり、省庁と連携したりして議論を重ねている。自民党の勉強会は、メンバーを固定しておらずホームページに掲載された会に議員は誰でも参加ができるからコアメンバーはあるものの、参加者は随時変わる。

WWD:その動きが、4月の岸田総理への政策提言へつながった。提言の内容は?

山田:大きくは2つ。1つめは、仮称であるが「サステナブルファッション推進法」の検討。もうひとつは、関係省庁が一丸となって取り組むための体制整備の構築だ。

 具体的には、①新たなサステナブル市場に対応した経営・DXの推進、②衣類回収のシステム構築とリサイクル技術の高度化、③サプライチェーンの透明性の確保と環境負荷の把握(CO2の排出量を把握し共通のフォーマットで計測・可視化)、④生活者の理解と行動変容の促進に向けたラベリングと情報発信(CO2排出量の見える化、インフルエンサーやファッションメディアと連携した情報発信)などだ。

WWD:「サステナブルファッション推進法」とは、フランスで今年から施行された衣料品廃棄禁止法のような規制型になるのか、もしくは実践企業への優遇付与など“飴”型か。

山田:コロナで経営が相当に痛んでいる今、サステナビリティの取り組みが規制強化につながれば企業は大きなダメージを受ける。大量生産・大量廃棄は課題だが、作るな、売るな、だけでは米農家の減反政策と同じ。それではファッション業界は発展しない。環境配慮をうながしつつ産業の成長を促すこと、それは勉強会の大きなテーマでもあった。企業も消費者もこれから意識を高める段階だから、法はそれを後押しするものでありたい。

 たとえばリサイクルは企業だけ頑張ってもダメで、社会全体の仕組み、消費者、自治体などの連携が不可欠。CO2計測もエキスパートは環境省だが、基準作りは役所の中だけでは難しい。まずは調査や技術開発を政府が支援し、続いて取り組む企業を応援するといった形が理想だ。これは岸田総理の「新しい資本主義」とも合致するところだ。

 法には、政府提出法案と議員立法とがあるが、今回は政府主導よりも議員主導で実現したい。とは言えまだアイデア段階。議員の仲間を増やし、関係省庁と連携してムーブメントをつくってゆく。

欧州主導のルール形成に危機感

WWD:日本のファッション業界の課題をどう見ている?

山田:課題のひとつは物づくりのビジネスモデルだと思う。日本の製造業は「いい物を安く」であり、技術革新して頑張れば頑張るほど利幅が薄く、苦しくなる。一方、欧米のラグジュアリーブランドのビジネスモデルは高い付加価値の商品を高い利益率で売る。日本のアパレル産業も高付加価値高利益率のモデルにシフトしないとジリ貧になるという危機感がある。

 また、ブランド化する力が足りないのも課題だろう。個々の商品、各地の名産品はいい物がたくさんあるのに、まとめてブランド化して売り出す力が弱い。ブランドは物づくりだけではなく文化、芸術、歴史の総力戦。フランスは国策としてラグジュアリービジネスを行っているが、日本はそれができていないため質の高い生地や糸が欧州ブランドの“材料”にとどまりがちだ。

WWD:サステナビリティについても欧州主導のルール形成が先行している。

山田:SDGsはそもそもヨーロッパ由来の考え方であり価値観。新しいルールができて、日本企業はいつの間にか締め出される。自動車産業では、EUが2035年にガソリン新車販売禁止の目標を掲げているが、それでは日本が得意としてきたハイブリッド車は販売禁止になってしまう。

 アパレル産業でも、事業を100%再生エネルギーでまかなうことを目標とする「RE100」やパリ協定に沿った目標「SBT」などに加盟する企業はサプライチェーン全体でCO2削減を目指すため、環境対応が進んでいない日本企業は海外ブランドへ納入ができなくなる。早く対応しなければ、時間がない、という危機感を覚える。

WWD:他産業としての比較で見ると?

山田:2050年カーボンニュートラル実現の目標を前に、さまざまな業界が苦労している。特にエネルギー業界や自動車業界、ガソリンスタンド、電力多消費産業は長年培ってきた日本の技術が否定される変革を迫られているところもあり、脱炭素の未来図を描くのは容易ではない。

 もちろんファッション業界にとっても脱炭素は苦しい取り組みだが、ファッションだからこそ明るく前向きに取り組む可能性があるのではないか。ファッションの作り手には日本人ならではの繊細さや感性がある。また日本はファッション感度の高い消費者の裾野の広さが特徴。作り手と消費者の力が結びつけば、日本からサステナブルファッションの新たなコンセプトや世界観を生み出すことができるはず。世代を超えて受け継がれた物、という観点からラグジュアリーなサステナブルファッションもあり得るだろう。

エルメスジャポンで営業企画に携わる

WWD:エルメスジャポン時代はどんな仕事を?

山田:営業企画マネージャーとして4年4カ月、有賀昌男エルメスジャポン社長の下で働いた。ジャポンの経営やマーケット概況のパリへのプレゼンテーションなどに携わり、エクセルとにらめっこしていた。その間にリーマンショックと東日本大震災を経験し、生活必需品ではないファッションを扱うことについて、一時は仲間とともに悩んだが「生活必需品だけではなく、夢や希望がないと人は生きていけない」ことも痛感した。

WWD:ファッション業界で働く女性たちにメッセージを

山田:ファッション業界で働く女性には、女性が自然体でいられる社会をつくってほしい。私自身、公務員、経営コンサルタント、ファッション業界、国会議員とさまざまな職種で働いてきたが、自分が着たい服を着て仕事をできたのはファッション業界のときだけだった。こういう職種だからこういう服装をしなければならない、という枠を打破できないだろうか。働く女性のファッションがもっと自由になれば、と願っている。女性が変われば男性も変わるから。

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篠原ともえが語るサステナブルとADC賞2冠の舞台裏 「自分の心が動くところに飛び込みたい」

 篠原ともえがデザインを手がけた革の着物作品“ザ レザー スクラップ キモノ(THE LEATHER SCRAP KIMONO)”が、第101回ニューヨークADC賞(THE ADC ANNUAL AWARDS)にてブランド/コミュニケーション・デザイン部門とファッションデザイン部門で二冠を達成した。作品は、革の品質や職人の技術を次の世代に伝える活動をしている、日本タンナーズ協会とのプロジェクトで制作したもので、森林被害防止のために捕獲されたエゾ鹿の革の端を使っている。篠原は、2020年に夫でアートディレクターの池澤樹とクリエイティブスタジオ・STUDEO(ストゥディオ)を立ち上げて以来、持続可能なものづくりを続けてきた。今回は篠原に“ザ レザー スクラップ キモノ”の制作の裏側や、持続可能なものづくりに対する考えを聞いた。

着物は日本に昔から備わっている“持続可能な美しさ”

WWD:ADC賞を受賞した“ザ レザー スクラップ キモノ”の制作に至った経緯は?

篠原ともえ(以下、篠原):日本タンナーズ協会(以下、協会)が革の魅力を発信するPR活動のために、私にオファーをくださったのが始まりでした。ただ、最初は私がインフルエンサーとして工場に出向いて、その内部をリポートするという企画だったんです。

でも、紹介するだけでは職人さんの技術や何代も続いてきた工場の歴史は伝わらない気がしたし、革というテーマには社会的なメッセージになる要素も含まれているんじゃないかと。そこで、力強いアートピースを作って革の魅力を伝えていく企画に変えようと提案しました。この企画は、説得から始まったんです。

WWD:着物という形に辿り着いたのはなぜ?

篠原:実は協会と一緒に作るのは今回で2回目です。1回目に作ったのは金属アレルギーの方もつけることができる“レザーメイドジュエリー”という革のアクセサリー。その時も手応えがあってニューヨークADC 賞にエントリーしたけれど、入賞にとどまりました。でも、協会が私のアプローチをすごく喜んでくれて、2回目はもっと大きいことをしようと着物を提案しました。

着物は究極の持続可能なファッションです。一反12mで37、8cmの端に襟も身ごろもお袖も全て入れて、余りが出たら職人さんの名前を綴って届ける……私はそのプロセスに感動を覚えて。日本人の生活の中に昔から備わっている“持続可能な美しさ”に気づいてもらいたかったのもあって、着物を選びました。

WWD:制作の中で苦労したことは?

篠原:私たちが作ろうとしていたのは、見たことがない景色でした。革の端を使って水墨画のようなグラデーションを表現しようとしていたので、見本にできるものがなかった。なので、ひと目で美しく見えるレベルに仕上げるのには苦労しましたね。絶妙な濃淡の差でグラデーションを作るとなると、実際に当ててみないと見え方が分からないので、革の端を1枚ずつスキャンしてコンピューター上でシミュレーションをしたのですが、その下絵を作るのに3ヶ月を費やしました。私も図書館で水墨画の資料を集めて、心が動くグラデーションとはどんなものなのか、じっくり考えましたね。

また今回、革が生き物であることを再確認しました。染色した革の仕上がりを見て薄いと感じていても、しばらく時間をおくと革の素材が色に対応してオリジナルの色になる。それゆえに赤みが出てしまうこともあって苦労したけれど、色も職人さんと相談を重ねながら、青みのある黒を作っていきました。

WWD:職人とのコミュニケーションで印象的だったことは?

篠原:今回、イメージに近い染色をできる人が一人だけいることで、すでに定年退職した職人さんに特別に参加してもらったんです。彼がとても楽しそうに仕事をされていたのが印象的でした。娘さんが「お父さん、定年退職したのにまた働くんだね」ってお弁当を作ってくれたと嬉しそうに話してくれたりして。

その後、この作品をきっかけに彼の染めの技術を引き継ぐ動きが生まれたと知って、胸がいっぱいになりました。デザイナーが伝統の橋渡しをできる仕事だと分かり、改めて自分の責務を実感しましたね。

WWD:“ザ レザー スクラップ キモノ”は映像や写真も魅力的だった。

篠原:あれは池澤の得意分野ですね。池澤はアートディレクターだから、どう届けたら世の人の心に響き渡るのか見えている。なので、すごく細かくディレクションしていましたね。チームでは“池澤塾”なんて呼んでいます(笑)。会社名のSTUDEOは“study”の語源になっている“学ぶ”という意味の言葉。毎日チームで学んでぶつかり合いながら、いいものができると信じてやっています。

WWD:昨今は、革が悪者のように語られることもある。篠原さんは革とどう付き合っていきたい?

篠原:今回の制作はレザーがどのような工程を経て私たちの元に届いているのかを知るところから始まりました。そこで、協会がジビエとして食用にしていた動物たちの皮を有効活用していることを知ったんです。私はこれまで背景を知らなかったので、革の製品を使うことに罪悪感があった。でも背景を知ると、余すことなく使い切ろうという考えになるのは、自然なことだと思いました。もちろん、最近注目されているキノコレザーやビーガンレザーも素晴らしいアイデアです。大切なのは、新しいことを知った上で、自分で考えて選択すること。SDGsは自分で選んでいいんです。私は天然皮革のジャケットにビーガンレザーのバッグも合わせますよ。


Movie director: Mitsuo Abe ©︎TANNERS’ COUNCIL OF JAPAN

「背景を知るとアイデアが湧いてくる」

WWD:篠原さんは“レザー スクラップ キモノ”以前にも環境に配慮したものづくりをしている。最初に環境問題に関心を持ったきっかけは?

篠原:2020年にSTUDEOを立ち上げた時、自分のものづくりと改めて向き合いました。そのタイミングでSDGsや持続可能なものづくりに関する話題を多く目にするようになったんです。私はこの問題を無視して作る人にはなりたくないし、全部はできなくても心が揺れるところにまっすぐに飛び込みたいと思った。そこで、最初は四角い生地からパターンを作って余すことなく使い切ることを考えました。

WWD:その後、星野リゾートの「OMO7(おもせぶん)大阪 by 星野リゾート」の制服のデザインでは、過剰生産を避けるために男女合わせて4サイズに絞るなど、環境に配慮したものづくりを続けきた。そのなかで変化したことは?

篠原:コロナ禍の影響もあって、ものづくりの重みを改めて感じています。簡単に何でも作ることはせず、作るからには問題の背景をリサーチするところから始めるようになりました。

背景を知っていくとアイデアが湧いてくるんです。例えば廃棄を少しでも少なくするために、一枚の布からパターンをおこす時に80%くらい使えるように埋めていく必要があると知ったら、さらに頑張って90%使えるようにやってみようとか。だから考えるだけじゃなくて、当ててみる。今回の革の着物も背景を学んで革の端を観察していたら山に見えてきたところからアイデアが生まれたから、知って動いて、ダメならまた考えての繰り返しが大切ですね。

WWD:今後、デザイナーとしてどんな挑戦をしていきたい?

篠原:ファッションのオファーが多いですが、実はファッションから派生したいろんな形を作ってみたいんです。コスメなどのプロダクトデザインや空間デザイン、あとテキスタイルも好きなのでスポーツウエアも作りたい。職人さんとまた何か作るのもいいし、企業ブランディングとロゴデザインもやりたい。やりたいことが本当に多いので、書ける範囲で書いてください(笑)。

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トランスジェンダー当事者のサリー楓が多様性を謳歌する業界に伝えたいこと

 「“自分らしく自由に生きよう”といったメッセージの発信だけでは、皆が自分らしく生きられる世の中が実現しないという事実に真剣に向き合わないといけない」。トランスジェンダー当事者で、建築デザイナー、モデル・タレントとして活動するサリー楓(28)は、多様性を謳歌するファッションやビューティ企業に向けて問題提起する。

 同氏は男性として生まれたが、24歳の時に女性として生きることを決意した。その後、話題を集めた「パンテーン(PANTENE)」の“#PrideHair”プロジェクトの広告ビジュアルをはじめ、テレビ出演やビューティコンテストへの出場など、積極的に表舞台に立ち発信を続けている。同氏にファッション・ビューティ企業に伝えたいことを聞いた。

WWD:これまでのキャリアについて教えてほしい。

サリー楓(以下、楓):大学在学中は、LGBTQ+に関する講演を行ったり、メディアのインタビューを受けたりといった活動が中心でした。モデルとして活動するようになったきっかけは、2018年にレスリー・キーさんが撮影を手掛けるセクシュアルマイノリティーを可視化することを目的としたプロジェクト「OUT IN JAPAN」に参加したことでした。以降、ジェンダーフリーファッションを提案する「ブローレンヂ(BLURORANGE)」のランウエイショーを歩いたり、「パンテーン(PANTENE)」や美容室「TAYA」などの広告に出演したりしました。文化人してテレビやラジオ番組にも出演しています。

WWD:D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の推進に取り組む企業が増えている。こうした社会の流れについて思うことは?

楓:自分がカミングアウトした当時から“自分らしさ”というものが、ある意味バズワード的にポジティブなものとして使われていました。でも人は、「自分らしくしていいよ」「自由にしていいよ」では、自由に振る舞えないんです。自分の場合もそうでした。

WWD:というと?

楓:自分がファッションやメイクを楽しめるようになったのは、人前に出て発信するようになり、たくさんの人に「きれいだね」「おしゃれだね」と肯定されるようになってからです。それまでは周りの目を気にして洋服を選んでいたので、ファッションは自分のために楽しむものではなく、他人に気を使って取り組むものでした。日々さまざまな場面で、“自分らしく自由に生きよう”といったメッセージに触れますが、それだけでは皆が自分らしく生きられる世の中は実現しないという事実に真剣に向き合わないといけない。「自分らしく生きていいよ」から、「自分らしく生きるのがかっこいい」という段階に持っていくことが必要だと思います。自分はボーダーを飛び越えている姿をカッコいいと思ってもらえるように、発信を続けています。

ジェンダーを乗り越えていく強さや勇気を感じさせてくれるファッションに出合いたい

WWD:多様性を推進するファッション業界に伝えたいことは?

楓:自分の思い描いているジェンダーフリーの風景は、まだ出てきていない気がします。男女で同じ装いをするユニセックスや外見上の性別が曖昧なジェンダーレスモデルの起用などのアプローチは、男女の境界を曖昧にすることで逆にジェンダーに起因する問題を抽象化しているように感じます。自分の考えるジェンダーレスは、ジェンダーを感じさせないことではなくて、意識的にジェンダーを乗り越えていく強さや勇気を感じさせてくれるもの。その先には、自分らしさの延長で「男らしさ」や「女らしさ」も楽しめる時代が来てほしい。そうしたことに挑むファッションブランドや企業が出てきたら、ぜひ何か一緒に取り組みたいです。

WWD:19年にはトランスジェンダーのビューティコンテスト「ミス インターナショナル クイーン(Miss International Queen)2019」に出場している。画一的な基準で美を判断するコンテストへの参加は意外だった。

楓:正直コンテストの存在自体には、あまり前向きではありませんでした。1つの基準であなたはきれいだ、そうではないと格付けをすることや、それが極めて男性的な目線であることへの違和感はありました。あのときコンテストに参加したのはあくまで個人的な理由からでした。自分が24歳でカミングアウトしたときに、両親には就職活動や学生生活についてとても心配されたんです。トランスジェンダーというと、特に芸能や夜の世界のイメージが強く、大学に通ったり、会社で働いたりすることを諦めるのだと思われました。悪意や偏見があるのではなく、社会生活を送るトランスジェンダーへのイメージが不足していたからだと思いました。現役の大学生で、就活中の自分が挑戦することで、今までなかったトランスジェンダーのロールモデルを当事者を抱える家庭や間一般に供給できると考えて出場しました。

 現在もシングルマザーが出場するコンテストやボディコンプレックスを抱える人のコンテストに審査員として関わっています。これらは、一つの物差しの中で高みを目指すものではなく、これからの美の基準作ってくれるもの、物差し自体を発明して提示してくれる人たちを評価し、汲み取るためのコンテストです。世の中の規範的な美ではないけど、芯や強度がある美が今までの本流の美に合流することで生まれる化学反応を楽しみにしています。常識を変化させたり、偏見をなくしたりするためには、やはり美やファッションが必要で、新しい物差しをつくり、広めていく作業の繰り返しでしかないと思うんです。ファッションやビューティ企業とともに、そんな多様な物差しを広めていければと思います。

WWD:今後特に注力したい活動は?

楓:これまでは特に当事者がサバイブしていくための情報提供に力を入れてきました。それはそれで大切ですが、本人たちがさまざまな理不尽な場面でうまくやり過ごしてしまうことで、当事者が抱える問題が逆に見えにくくなってしまうことも懸念しています。例えば、LGBTQ+の職場環境を改善するためには、人事や経営者、「興味がない」「知る必要がない」と思っている多くの人々に勇気を持って語りかけなければいけません。そのために現在は、求人検索エンジンのIndeed Japanとライフスタイルマガジン「BE」を制作しています。LGBTQ+当事者が職場や仕事探しで抱える課題を顕在化させ、理解しようとする機会をつくることができる内容になっているのでぜひ皆さんに読んでもらいたい。日本にはまだまだ、自由に自分らしさを追求することが社会活動においてポジティブに働かない場面が多いと思いますが、これまでボーダーを超えてきた経験を活かして活動を続けます。

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白河桃子ジャーナリストが振り返る女性活躍史 「企業に定着し始めたのはごく最近」

 6月13日発売の「WWDJAPAN」では、ファッション&ビューティ業界の女性活躍を特集した。女性活躍ジャーナリストとして講演活動を行う白河桃子=相模女性大学大学院特任教授に、男女雇用機会均等法が施行された1980年代以降に女性を取り巻く環境がどのように変わっていったか話を聞いた。

WWD:1970〜80年代にかけて女性活躍や文化に影響を与えたファッション&ビューティ業界の出来事は。

白河桃子・女性活躍ジャーナリスト(以下、白河):70年代に女性誌「アンアン(anan)」(平凡出版社、現マガジンハウス)や「ノンノ(non-no)」(集英社)が創刊され“アン・ノン時代”と呼ばれた。ファッショントレンドが雑誌と一緒に進化して女性の文化を作っていくようになった。80年代の女子大生ブームを形づくった「JJ」(光文社)や、OLブームを作ったライフスタイル誌「ハナコ(Hanako)」(マガジンハウス)の創刊も大きかった。86年に男女雇用機会均等法が施行されたが、90年代にかけてのバブル期は“結婚・出産前の働く自分を謳歌する”のが風潮だった。

WWD:女性誌は当時、どのような価値観や文化をつくったか。

白河:「ハナコ」はランチ特集やクリスマス特集、海外旅行特集を頻繁に組んだ。都会で働いて高いランチを食べ、自分で働いて稼いだお金でファッションを謳歌し自分にご褒美を買う。そして年に一度は海外にバケーションに行くというライフスタイルを「ハナコ」が形作った。女性の経済的な自立には至らないが、精神的な自立が進み消費の主役としての女性たちが台頭した。それをクローズアップしたのが「ハナコ」だった。大学に行く女性たちにフォーカスした「JJ」の影響は後に効いてきて、2007年に「JJ」を読んでいた女性たちに向けて「ヴェリィ」が創刊された。「ヴェリィ」は街行くママたちをおしゃれにしたという点で印象的だった。

WWD:女性の経済的な自立はいつ果たされたか。

白河:86年の男女雇用機会均等法は「女性が男性と同じように働くなら仲間に入れてあげる」というもの。90年代に絶頂を迎えたバブル期は、女性が消費の主役であり時代の象徴としてもてはやされたが、経済的な自立ができていたわけではない。キャリアウーマンは憧れの存在でもデフォルトは主婦だった。普通の女性たちにとっては働く期間は家庭に移行する前の一瞬の輝きと捉えられ、総合職として入社したとしても仕事と家庭の両立はできなかった。“腰掛け総合職”という言葉もあったほどで、総合職として輝いても30歳前後で結婚したらキャリアは終わりというのが主流だった。この状況が2000年代中期ぐらいまでかなり長く続いた。

WWD:2000年代中期ごろ、女性たちの人生観はどう変わったか。

白河:バブル崩壊後の94年〜2004年は就職氷河期といわれ仕事を得るだけでも大変だった。バブル期は企業に余裕があり女性活躍がもてはやされたが、バブル崩壊後に梯子を外されたような状態になった。高卒・短大卒で企業に入社してOLになり、社内結婚して退職する。または夫の転勤や出産で辞めるのが当たり前だった。 “失われた10年”といわれる期間だが、90年代後半から起きたITバブルで一瞬世の中のムードが盛り上がった。ITで起業して大儲けするIT長者といわれる男性たちが登場した。そこに女性社長として参戦する人はまだ少なく、こうした男性と渋谷でパーティするのがもてはやされた時期があった。経済力のある男性と結婚するのが“上がり”という価値観が出てきた。

WWD:女性のトレンドをつくっていたファッション誌では、このころどんな特集が組まれていたか。

白河:2000年代中期の女性誌では「愛され服」「愛されメイク」などのキーワードが誌面を席巻し、蛯原友里や押切もえといったモデルが人気を集めた。不況も相まって女性たちが保守的になっていった時期で、80年代から90年代初期のバブル世代の女性の方が元気だった。03年に酒井順子の「負け犬の遠吠え」というエッセイ集が出版されて話題になったが、著者はバブル期の強気なキャリアウーマン世代。この後の世代はバブルの恩恵にあずかれず、 “負け犬”が流行った時に30歳以下だった女性たちは口々に「30歳までに結婚したい」「負け犬になりたくない」と話した。このころの結婚特集は「自分を変えない結婚」がキーワードだった。

WWD:00年代後期以降、女性を取り巻く環境はどうなったか。

白河:10年は女性にとってターニングポイントだった。それまでは男性と同じように働くことを求められ、育休を取って復帰する人は少数で、出産後は働き続けられない状況だった。10年の育休法(育児・介護休業法)改正で育児時短勤務が企業の措置義務となった。これにより、育休後に時短復帰して働き続けるスタイルが定着した。女性がフルタイムで働き正規雇用で企業に定着するようになったのは実は10年以降のごく最近の話だ。それ以前に育休復帰した人たちはスーパーウーマンか実家の助けがある人。それまでは女性の6割が辞めていたが、10年以降は正社員の7割が離職せず就業を継続している。

WWD:15年制定の女性活躍推進法は女性のライフスタイルに影響を与えたか。

白河:15年の女性活躍推進法で管理職を目指すことが求められるようになった。ところがこれは“無理ゲー”と呼ばれた。家事・育児をこなしさらに管理職と言われても、当時の管理職は長時間労働が必須で時短勤務では管理職になれなかった。多くの女性たちにとって、活躍せよと言われても答えは「NO」だった。ところが19年に働き方改革で残業上限が法制化され、脱長時間労働が叫ばれるようになった。ここで初めて社会全体の生産性の観点から男女ともに働き方を変えた方がいいと認知された。その後、コロナ下でリモートワークやフレックスタイムなど柔軟な働き方が加速。今年の4月、男性育休を推進するように育休法が改正された。

WWD:社会全体の仕組みを変えることで女性も働きやすくなるという考え方に変わった。

白河:そうした風潮に舵を切ったのが19年ごろの話だ。ライフイベントと仕事の両立は不可能という考えの“バリキャリ期”、両立支援が始まり就業継続できるけれどワンオペで苦しい“ゆるキャリ期”、その後女性活躍推進法でもっと頑張れと言われるけど無理という時期を経て、働き方改革が起きる。コロナで働き方の柔軟化が急に進んで男女ともに働き方の多様性が出てきた。ようやくベースが整って、仕事と子育ての両立を望む男性はそれがかない、女性も管理職になれる社会を本気で目指していこうというのが現在地だ。

WWD:ファッションやメイクの変遷は。

白河:90年代まではナチュラルメイクが全盛、2000年代以降は盛りメイクからえびちゃんを象徴とする“デートの時は白いワンピース”という保守的なスタイルまで多様化した。このころからテクノロジーの発達によりブログなど個人が発信しやすい土壌が整い、トレンドが生まれる場所が雑誌だけではなくなっていった。10年代に入るとスマホ所持率が高くなりSNS上で個人情報を開示することをためらわない世代が出てきて、個人にファンがつくインフルエンサー現象が起こり始めた。その中でインフルエンサーやファッションリーダーが個性化、多様化し、多様な消費の時代に進んでいった。

WWD:女性をエンパワメントした海外の動きは。

白河:世界的な流れであるジェンダー平等の影響は大きい。14年にUNウィメン(国連女性機関)の大使に就任した女優のエマ・ワトソン(Emma Watson)は女性たちをかなり勇気づけた。また17年に米国から広がった「Me Too」運動の影響も大きい。これをきっかけに女性たちが連帯する動きがあった。近年はLGBTQへのサポートプログラムも盛んで、国内ではソフトバンクはが家族割を同性パートナーでも使える制度や、福利厚生を男女のカップルに限らない制度を導入している。また広告の力でジェンダーに関するステレオタイプを打ち破ろうという動きも活発で、ユニチャームの生理プロジェクト“no bag for me”キャンペーンや、P&Gの「パンテーン」が行った「令和の就活ヘアを自由に」というキャンペーンなど、社会のジェンダー表現に対する意識が高くなっている。ここ数年は一種のジェンダーブームとも言える状況にある。

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