MEGUMIが試した1000以上の美容法から厳選 自身初の美容本が予約集中で重版決定

MEGUMI

1981年生まれ、岡山県倉敷市出身。バラエティー番組や雑誌などを中心に活躍し、広く知られる存在となる。その後、映画やドラマ、舞台などへ出演し、活躍の場を広げる。20年にはその演技が評価され、映画「台風家族」「ひとよ」の2作品で第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。現在は取締役として個人事務所や金沢に店を構えるカフェ「たもん」の経営も行う

 俳優やタレント、経営者として活躍するMEGUMIは、ダイヤモンド社から著書「キレイはこれでつくれます」を4月19日に発売する。同書では、美容好きで知られるMEGUMIがこれまでに試してきた1000以上の美容法から、多忙な中でも続けられ、結果が出たものを厳選して紹介している。本人のインスタライブで発売告知をすると予約が殺到し、アマゾンで総合1位を獲得、発売前にすでに重版が決定した注目の一冊だ。この世間の反応だけでなく、普段の仕事ぶりを見ても順風満帆に見えるが、美容にのめり込んだきっかけは「自分の顔がコンプレックスに感じたこと」だったという。今回は、MEGUMIに同書が生まれた背景や自身に影響を与えた美容の力、仕事観まで聞いた。

美容は心と密接に結びついている

WWDJAPAN:美容に目覚めたきっかけは?

MEGUMI:グラビアをやっていたので、10代後半から一カ月に何度も南国に行くような生活を送っていて、誰よりも日差しを浴びていました。当時はギャルブームだったので、サンオイルを塗って焼いていた時期もありましたね。それでも自分は肌が強いと過信していて、ケアは最低限。メイクを落とさずに寝てしまうこともありました。

 その結果、20代後半になる頃にはほうれい線がくっきり浮き出てきて、テレビ番組に出た時に「劣化した」と叩かれるようになったんです。同世代の芸能人がみんなきれいだったこともあって、自分の顔がコンプレックスになりました。そこで、美容を本気でやってみようと腹を括りました。良いと聞いたことは全て試して、トライアンドエラーを積み重ねてきました。

WWD:自分の見た目に自信が持てないのは苦しかった?

MEGUMI:そうですね。特に心ない言葉を浴びせられたのは相当ショックで、写真に写るとまた叩かれるかもしれないと、どんどんネガティブな思考になっていきました。それはプライベートにも影響して、もともといろんなことに挑戦して目標に向かうのが好きだったのに、少しずつ興味のあることが減っていきました。見た目が原因で、人生に対するモチベーションや行動力も失われていったのには、危機感を覚えましたね。

WWD:美容と心が密接につながっていることが分かった

MEGUMI:最近は自己肯定感について調べたり、考えたりすることも多いです。ニュース番組で日本人女性は世界の中でも特に自己肯定できている人が少ないと知って驚いたのですが、とある会社の調査では、多くの人が自分の肌がきれいな時に幸せを感じることが分かったそうです。

 大人になると忙しいし、母親でも「できます」って言わなきゃいけない瞬間がある。そんな中でちゃんと自分をケアして手綱を取れていないと、イライラしているように見られてしまったり、強い言い方をしてしまったりすることもあります。美容はたとえ自己満足の範疇だとしても、心の深いところと結びついているし、生活にも活力を与えてくれると思います。

WWD:本書では「安価なシートマスクでも生活の動線上に置いて毎日続ける」など、読者が無理なく実践できそうな内容を紹介している。紹介する内容や商品のセレクトではどんなことを意識していた?

MEGUMI:私自身ガサツだし、母親も役者も経営もやっていて時間がないので、とにかくハードルが低いものをセレクトしました。あと、高価な製品は良いものも多いけど、美容は続けないと意味がないので、金銭的にも無理なく生活に組み込んでもらえるような提案をしています。具体的な商品名と価格を掲載する点にもこだわりました。

WWD:美容に力を入れてみて、仕事にも変化があった?

MEGUMI:今回も自分が美容に関する本を出させていただけると思っていませんでしたし、これに付随して美容雑誌からのオファーも増えました。さらに、生き方や人生観についても聞いてもらえるようにもなり、これまでやってきたことが間違っていなかったんだと思うようになりました。

仕事で女性を勇気づけたい

WWD:俳優業のほかに監督やプロデュース業、店舗経営など多岐に渡って活躍しているが、多忙な日々の中で自分と向き合う時間をどのようにして捻出している?

MEGUMI:1日のスケジュールを紙に書き出しています。私はやりたいことも多いし、タスクをこなして消去していくのが楽しいのでスケジュールを詰めていて、朝8時からジムに行くこともあります。毎日のスケジューリングが人生に影響を与えると思うので、みなさんにも自分の気持ちいいペースを探りつつ、やる時はやる、休む時は休むとメリハリをつける方法はおすすめしたいです。

WWD:最近はインスタグラムでライブ配信をしたり、LINEで発信したりとファンとのコミュニケーションにも積極的だ

MEGUMI:インスタライブは、田中みな実先生に「本は自分で売らなきゃダメ」と言われて始めました(笑)。思った以上にコメントをいただけて嬉しいですね。私が美容好きだと知ってもらうようになってから、ファンとの関係の築き方についても考えるようになりました。昔は自分が売れたい、目立ちたいという気持ちが強かったけど、経験を積み重ねていくと女性として生きていく大変さが分かってきて。

 そこで、世の中の女性に寄り添って思いをシェアすることで、心の距離が近づくのはないかと考えるようになりました。自分がプロデュースする作品では、主人公の女性が成長していく物語にしたり、自分が出演する作品では、「女性を勇気づけることができるか?」という軸で考えたりしています。

WWD:最後に、同書の中で一番強調したいのは?

MEGUMI:繰り返しになりますが、美容にはただ見た目をきれいにするだけでなく、行動力や性格、人生観まで変える力があります。私も例外でなく、みなさんにも色々あると思いますが、美容は自分を変えるきっかけになるということをぜひお伝えしたいですね。

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ジャンポール・ゴルチエが語る、ミュージカルとクチュールへの愛 「ファッション・フリーク・ショー」日本公演に先駆け特別インタビュー

 ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)が手掛けるミュージカル、「ファッション・フリーク・ショー(FASHION FREAK SHOW)」が日本に上陸する。ゴルチエの半生を描く同作は、2018年にパリで初演し、約25万人を動員。22年7月のロンドン公演を皮切りに、世界15カ国で上演する予定だ。登場する衣裳は、貴重なアーカイブから同作のための新作まで200点以上。オリジナル楽曲は、マドンナ(Madonna)の「ライク・ア・ヴァージン」やデヴィッド・ボウイ(David Bowie)の「レッツ・ダンス」を生み出した音楽プロデューサーのナイル・ロジャーズ(Nile Rodgers)が担当する。5月に開幕する日本公演を前に、同作が誕生した背景やオートクチュールへの思い、一流デザイナーとしての矜持や今後などについて「WWDJAPAN」が聞いた。

ジャンポール・ゴルチエ

PROFILE:1952年、フランス・パリ郊外生まれ。70年に「ピエール・カルダン(PIERRE CARDIN)」でアシスタントとしてキャリアをスタート。その後「ジャック エステレル(JACQUES ESTEREL)」や「ジャン パトゥ(JEAN PATOU)」(現「パトゥ」)などを経て、76年に自身のブランドを立ち上げた。96年に初のオートクチュール・コレクション「ゴルチエ パリ」を発表。2004-05年秋冬から11年春夏まで「エルメス(HERMES)」のウィメンズのデザインを担当した。15年に自身のブランドのプレタポルテを終了し、20年1月に20年春夏オートクチュール・コレクションのショーをもってランウエイを引退した。以降はゲストデザイナーを迎えて発表している。自身のコレクション以外では、マドンナ(Madonna)のツアー衣装や、映画の衣装などを手掛けている。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ファッション・フリーク・ショー」について。このようなミュージカル形式で自身の半生を描こうというアイデアは、どう思いついたのか。

ジャン・ポール・ゴルチエ(以下、ゴルチエ):以前から、ミュージカルやショーを制作してみたいと思っていた。幼いころから映画が大好きだったが、やがてファッションにも興味を抱くようになったので、映画の衣装を作りたいと夢見ていた。そうした中、たまたまファッションショーに関する映画を見て、子ども心に私がやりたいのはこれだと思ったんだ。幕が開くと、大勢の観客が見守る中、美しい服を着たモデルたちが音楽に乗って歩いていく。その華やかさに心奪われ、ファッションと音楽を組み合わせたミュージカルやショーが大好きになった。私のコレクションのショーでも、いつも音楽や演出は大切な要素だった。とはいえ、私は小説家や脚本家ではないので、ストーリーを一から紡ぎ出すのは難しい。でも衣装を作ることはできるし、それなら自分の半生を描くのはどうだろうと考えたんだ。われながら、なかなか面白い人生を送ってきているからね。

WWD:ミュージカル好きであることは、自身のクリエイティビティーにも影響した?

ゴルチエ:もちろんだ。私は華やかで、強くて、ユーモアがあるものが好きだが、そうした傾向はミュージカルやキャバレーなどと通底する。ファッションショーは一般にクラシカルでエレガントな雰囲気であることが多いが、私は自分のショーではシンデレラのような(可愛らしくおとなしい)少女ではなく、パワフルでセクシーな女性像を描いてきた。

WWD:2020年1月に発表したクチュール・コレクションが最後となったが、カムバックする予定はあるか。また、そうしたいと思うことはあるか。

ゴルチエ:全くないよ(笑)。それに正直に言えば、(復帰するのは)難しいと思う。優れたデザイナーは、常に世界や社会の“今”と密接に繋がっていなければならない。仮に私が復帰するのであれば、自分でも納得のいく作品を発表する必要があるが、かつて張りめぐらせていた敏感なアンテナを休めるようになってしばらく経つからね。ファッションや何かを作ること自体は好きだし、今でも関心を持ったさまざまなことに取り組んでいるが、時代の空気や瞬間を鮮やかに切り取って提示するような、第一線で活躍するファッションデザイナーに戻ろうとは思わない。コレクションを作り上げるには胆力がいるし、私の主な表現方法はファッションから違うものへと移ったと感じている。

WWD:クチュールのゲストデザイナーとして、「サカイ(SACAI)」の阿部千登勢デザイナー、「ディーゼル(DIESEL)」および「Y/プロジェクト(Y/PROJECT)」のクリエイティブ・ディレクターを務めるグレン・マーティンス(Glenn Martens)、「バルマン(BALMAIN)」のオリヴィエ・ルスタン(Olivier Rousteing)=クリエイティブ・ディレクター、そしてハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)を招へいしている。ゲストデザイナーを選ぶに当たり、何か条件はあるのか。直感で決めることもある?

ゴルチエ:直感で決めることは大いにあるし、これまで何らかの形でつながりを感じたデザイナーを招いている。一人目のゲストだった千登勢はクリエイションの面で共感する部分が多く、同じスピリットを感じるが、それに加えて私とは全く異なる何かをもたらしてくれることを期待して招へいした。グレンやオリヴィエ、ハイダーもそうだ。それぞれタイプは異なるが、「ジャンポール・ゴルチエ」のコードを大切にしつつ、その人ならではの強みや特別な何かをプラスしてくれるデザイナーを選んでいる。

WWD:プレタポルテを終了してからも、最後までクチュール・コレクションを発表していたのは愛着があるから?

ゴルチエ:その通りだ。私は(デザイン系の)学校を卒業したわけではなく、アシスタントとして働いたクチュールメゾンの現場で全てを学んだ。そこが私の学校だったんだ。クチュールでキャリアをスタートしたので、最後もクチュールで締めくくるのがいいと思ったのかもしれない。今は大量生産の時代で、ある程度の品質の製品が安価で手に入るという意味でそれは必ずしも悪いことではないが、美しい手仕事には格別のものがあると思う。

WWD:最近はどのような日々を過ごしている?何か新たなプロジェクトの予定などはあるか。

ゴルチエ:いろいろなことをやっているが、今は「ファッション・フリーク・ショー」だね(笑)。パリで開幕した当初、これほどの成功を収めるとは思っていなかったが、日本公演も実現してとてもうれしく思っている。ほかにも新たなプロジェクトが動いているが、それはまだ秘密(笑)。いずれ発表するので、楽しみにしていてほしい。

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ジャンポール・ゴルチエが語る、ミュージカルとクチュールへの愛 「ファッション・フリーク・ショー」日本公演に先駆け特別インタビュー

 ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)が手掛けるミュージカル、「ファッション・フリーク・ショー(FASHION FREAK SHOW)」が日本に上陸する。ゴルチエの半生を描く同作は、2018年にパリで初演し、約25万人を動員。22年7月のロンドン公演を皮切りに、世界15カ国で上演する予定だ。登場する衣裳は、貴重なアーカイブから同作のための新作まで200点以上。オリジナル楽曲は、マドンナ(Madonna)の「ライク・ア・ヴァージン」やデヴィッド・ボウイ(David Bowie)の「レッツ・ダンス」を生み出した音楽プロデューサーのナイル・ロジャーズ(Nile Rodgers)が担当する。5月に開幕する日本公演を前に、同作が誕生した背景やオートクチュールへの思い、一流デザイナーとしての矜持や今後などについて「WWDJAPAN」が聞いた。

ジャンポール・ゴルチエ

PROFILE:1952年、フランス・パリ郊外生まれ。70年に「ピエール・カルダン(PIERRE CARDIN)」でアシスタントとしてキャリアをスタート。その後「ジャック エステレル(JACQUES ESTEREL)」や「ジャン パトゥ(JEAN PATOU)」(現「パトゥ」)などを経て、76年に自身のブランドを立ち上げた。96年に初のオートクチュール・コレクション「ゴルチエ パリ」を発表。2004-05年秋冬から11年春夏まで「エルメス(HERMES)」のウィメンズのデザインを担当した。15年に自身のブランドのプレタポルテを終了し、20年1月に20年春夏オートクチュール・コレクションのショーをもってランウエイを引退した。以降はゲストデザイナーを迎えて発表している。自身のコレクション以外では、マドンナ(Madonna)のツアー衣装や、映画の衣装などを手掛けている。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ファッション・フリーク・ショー」について。このようなミュージカル形式で自身の半生を描こうというアイデアは、どう思いついたのか。

ジャン・ポール・ゴルチエ(以下、ゴルチエ):以前から、ミュージカルやショーを制作してみたいと思っていた。幼いころから映画が大好きだったが、やがてファッションにも興味を抱くようになったので、映画の衣装を作りたいと夢見ていた。そうした中、たまたまファッションショーに関する映画を見て、子ども心に私がやりたいのはこれだと思ったんだ。幕が開くと、大勢の観客が見守る中、美しい服を着たモデルたちが音楽に乗って歩いていく。その華やかさに心奪われ、ファッションと音楽を組み合わせたミュージカルやショーが大好きになった。私のコレクションのショーでも、いつも音楽や演出は大切な要素だった。とはいえ、私は小説家や脚本家ではないので、ストーリーを一から紡ぎ出すのは難しい。でも衣装を作ることはできるし、それなら自分の半生を描くのはどうだろうと考えたんだ。われながら、なかなか面白い人生を送ってきているからね。

WWD:ミュージカル好きであることは、自身のクリエイティビティーにも影響した?

ゴルチエ:もちろんだ。私は華やかで、強くて、ユーモアがあるものが好きだが、そうした傾向はミュージカルやキャバレーなどと通底する。ファッションショーは一般にクラシカルでエレガントな雰囲気であることが多いが、私は自分のショーではシンデレラのような(可愛らしくおとなしい)少女ではなく、パワフルでセクシーな女性像を描いてきた。

WWD:2020年1月に発表したクチュール・コレクションが最後となったが、カムバックする予定はあるか。また、そうしたいと思うことはあるか。

ゴルチエ:全くないよ(笑)。それに正直に言えば、(復帰するのは)難しいと思う。優れたデザイナーは、常に世界や社会の“今”と密接に繋がっていなければならない。仮に私が復帰するのであれば、自分でも納得のいく作品を発表する必要があるが、かつて張りめぐらせていた敏感なアンテナを休めるようになってしばらく経つからね。ファッションや何かを作ること自体は好きだし、今でも関心を持ったさまざまなことに取り組んでいるが、時代の空気や瞬間を鮮やかに切り取って提示するような、第一線で活躍するファッションデザイナーに戻ろうとは思わない。コレクションを作り上げるには胆力がいるし、私の主な表現方法はファッションから違うものへと移ったと感じている。

WWD:クチュールのゲストデザイナーとして、「サカイ(SACAI)」の阿部千登勢デザイナー、「ディーゼル(DIESEL)」および「Y/プロジェクト(Y/PROJECT)」のクリエイティブ・ディレクターを務めるグレン・マーティンス(Glenn Martens)、「バルマン(BALMAIN)」のオリヴィエ・ルスタン(Olivier Rousteing)=クリエイティブ・ディレクター、そしてハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)を招へいしている。ゲストデザイナーを選ぶに当たり、何か条件はあるのか。直感で決めることもある?

ゴルチエ:直感で決めることは大いにあるし、これまで何らかの形でつながりを感じたデザイナーを招いている。一人目のゲストだった千登勢はクリエイションの面で共感する部分が多く、同じスピリットを感じるが、それに加えて私とは全く異なる何かをもたらしてくれることを期待して招へいした。グレンやオリヴィエ、ハイダーもそうだ。それぞれタイプは異なるが、「ジャンポール・ゴルチエ」のコードを大切にしつつ、その人ならではの強みや特別な何かをプラスしてくれるデザイナーを選んでいる。

WWD:プレタポルテを終了してからも、最後までクチュール・コレクションを発表していたのは愛着があるから?

ゴルチエ:その通りだ。私は(デザイン系の)学校を卒業したわけではなく、アシスタントとして働いたクチュールメゾンの現場で全てを学んだ。そこが私の学校だったんだ。クチュールでキャリアをスタートしたので、最後もクチュールで締めくくるのがいいと思ったのかもしれない。今は大量生産の時代で、ある程度の品質の製品が安価で手に入るという意味でそれは必ずしも悪いことではないが、美しい手仕事には格別のものがあると思う。

WWD:最近はどのような日々を過ごしている?何か新たなプロジェクトの予定などはあるか。

ゴルチエ:いろいろなことをやっているが、今は「ファッション・フリーク・ショー」だね(笑)。パリで開幕した当初、これほどの成功を収めるとは思っていなかったが、日本公演も実現してとてもうれしく思っている。ほかにも新たなプロジェクトが動いているが、それはまだ秘密(笑)。いずれ発表するので、楽しみにしていてほしい。

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「アイムフロム」など人気の韓国コスメブランドが注目するネクスト成分とは?

 CICA(シカ=ツボクサエキス)をはじめ、乳酸菌やアズレン(カモミール抽出)成分など、常に美容成分が注目されている韓国コスメ。今回、日本でも人気の「アイムフロム(I’M FROM)」「アイソイ(ISOI)」「ユイラ(EUYIRA)」の3ブランドに、いま注目している成分やスターアイテムを聞いた。

「アイムフロム」は“ビーツ”に注目

 「アイムフロム」がいま注目している成分は“ビーツ”だという。「アイムフロム」を展開するアリエルトレーディングの松浦南厘PRは、「ビーツは、通称『飲む輸血』としてその栄養価の高さからインナーケアの世界ではスーパーフードとして人気だ。ここ最近では化粧品の原材料としても注目されている」と話す。ビーツは、ベタレインやアントシアニンなどのフラボノイド、ベタイン、ビタミンA、B、Cを含み、一般的に紫外線やストレスによる肌ダメージをケアすると言われ、健やかな肌作りをサポートする働きが期待できる。

 「『アイムフロム』もいち早くこのビーツの美容効果に着目し、ビーツを使用したスキンケアラインを販売する。日本では22年8月から販売を開始し、特にビーツ酵素とクレイをブレンドしたフェイスマスク“ピュリファイング フェイスマスク(B)”(110g、税込3300円)が人気を博している」という。

【売れ筋商品】

“フェイススクラブマスク(F)”(120g、税込3520円)と、“ピュリファイング フェイスマスク(B)”(110g、税込3300円)。「ともに1月の売り上げ目標が22年12月比で20%増と好調に推移した」。

「アイソイ」は“βアルブチン”に注目

 マッシュビューティーラボが展開するセレクト業態ビープル(BIOPLE)でも人気のあるコスメブランド「アイソイ(ISOI)」の日本総代理店を務めるセブンビューティーの馬場ひとみPRは、「βアルブチンに注目している。『アイソイ』の“ブレミッシュケアアップセラム”が『消しゴムセラム』と呼ばれるようになったのは、この成分のおかげ。美白成分としておなじみで、化学合成されたものが一般的だったが、昨今、植物から抽出されたアルブチンが注目されている」と話す。

 「アイソイ」の“ブレミッシュケア”シリーズは、ビーガン・オーガニック認証を取得しており、植物性のβアルブチンを採用している。「ビーガン・オーガニック化粧品は、『肌にやさしいが効果も穏やか』というイメージを持つ人も一定数いる。βアルブチンのように、肌効果が期待できる成分が、これから注目されるだろう」。

【売れ筋商品】

 ブルガリアンローズオイルを1%高配合した“ブレミッシュケアアップセラム”(35mL、税込5390円)がヒット。「日本での取り扱いは始まったばかりだが、韓国では有名なコスメショップ、オリーブ ヤング(OLIVE YOUNG)の美容液部門で、10年連続売り上げナンバー1を獲得している」。

「ユイラ」は“バクチオール”に注目

 「ユイラ」は次世代レチノールとの異名を持つバクチオールに注目する。川又美由紀ユイラPRは、「韓国コスメでは、レチノールを配合したアイテムが多いが、肌への刺激が気になるという声も一定数ある。一般的に、バクチオールはレチノールに比べて、肌への刺激や紫外線の影響が少ないと言われている。さらに、植物由来の成分なのでビヴィーガン志向の顧客にもオススメできる」と話す。

【売れ筋商品】

 22年11月に発売したフェイスパウダー“ポアブラーリングカバーパクト”(11g、税込3190円)が人気。「1月の売り上げは前月比の2倍で、売り上げ達成率が150%と好調だった」。

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パリコレモデルからラッパーに転身したジュニア・チョイ 「人生は恐れずにトライすること」

ジュニア・チョイ/ラッパー、シンガー

PROFILE:1999年生まれ、イングランド・サウスロンドン育ち。大学在学中にモデルとしての活動をはじめると、すぐにパリコレデビュー。その後、2019年からアーティストとしてのキャリアをスタートし、21年にリリースした「TO THE MOON」で世界的アーティストの仲間入りを果たした

 インターネットとSNSの発達により、2010年頃から音声ファイル共有サービス「サウンドクラウド(SoundCloud)」で楽曲を発表し、メインストリームへの切符を手にするアーティストやラッパーが現れ始めた。この流れは現在、他のSNSよりもフォロワー数に左右されず、不特定多数へランダムにリーチしやすいTikTok(ティックトック)が主流となり、その特性からメジャーデビューへの扉はより開けたと言える。この恩恵を受けた1人が、イングランドを拠点にするラッパーでシンガーのジュニア・チョイ(Jnr Choi)だ。

 現在23歳の彼は、アフリカ大陸最小の国であるガンビアにルーツを持ち、193cmの身長を生かしてパリコレも歩くモデルだったが、2019年にひょんなことからアーティストとしての道を歩み始める。そして、21年11月にブライトン出身のシンガー、サム・トンプキンズ(Sam Tompkins)がカバーした、ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)の人気曲「Talking To The Moon」を大胆にサンプリングした「TO THE MOON」をリリースすると、TikTok経由で瞬く間に世界に拡散。アメリカにおけるTikTok内の人気楽曲ランキングと全米音楽チャート「ビルボード(Billboard)」のラップ部門で1位を獲得した。著作権の問題で一時的に配信が停止されていた時期もあったが、「スポティファイ(Spotify)」では1年足らずで2億回以上の再生数を記録することとなったのだ。

 そんなチョイが初来日したタイミングで、インタビューを敢行。まだ肌寒い時期だったが、「早く着て街を歩きたかった」という希望で、購入したばかりの「ア ベイシング エイプ®(A BATHING APE®以下、ベイプ)」のTシャツ姿に。東京の街を練り歩きつつ、生い立ちからアーティストに転身した経緯、そして「TO THE MOON」のヒットの裏側までを語ってもらった。

ーーまずは、ガンビアで生まれ育った幼い頃の話を聞かせてください。

ジュニア・チョイ(以下、チョイ):えっと、どこかのメディアが勘違いしてガンビア出身って書いたのが原因なんだけど、俺の英語を聞いて分かる通りサウスロンドン生まれ、サウスロンドン育ちなんだ。ただ、両親はガンビア出身のガンビア人だから、毎年連れられて帰っていたよ。数週間前も滞在していて、ロンドンからガンビアは直行で5時間くらいだけど、ナイジェリアとかを経由すると8時間くらいかかっちゃうかな。家族に音楽業界に身を置く1人もいなくて、俺が最初さ。

ーーそうだったんですね!失礼しました。サウスロンドンというと、アフリカ系やカリブ系の移民の方々が多く住むエリアがありますよね。

チョイ:そうそう。ナイジェリアを中心としたアフリカンと、ジャマイカを中心としたカリビアンが多いけど、実はガンビアだけでいうとハックニーだったりノースかイーストの方が多いんだ(注:ナイジェリアとジャマイカは、どちらもイングランドの植民地だった)。

ーー幼い頃からサウスロンドンの音楽に触れて育ったことが、アーティストを志すきっかけになったのでしょうか?

チョイ:いや、小さい頃からヒップホップを聴いていたわけではなく、ラッパーになりたいわけでもなかった。2019年のある日、女の子とフェイスタイムをしていたら「ラッパーっぽい顔をしているよね」と言われたから音楽に触れ始めたんだ(笑)。「まぁ、ラップしてみるか」くらいの軽い心持ちで始めたよ。

ーーそれでは、幼い頃の夢は?

チョイ:一般的に、“大人になったら何になりたいか”を具体的に考え始めるのは16~18歳くらいだと思うんだけど、俺はその歳になっても何も考えていなくて、ただ単に学校の勉強をしていた。当時は、メディアの仕事に興味があったからジャーナリズムを学んでいて、同時にセラピストになるのも悪くないと思っていたから、心理学も専攻していたんだ。ただ、18歳の時に「トップマン(TOPMAN)」でアルバイトをしていたらモデルにスカウトされて、それからモデル業を始めたら仕事になっていった感じさ。

ーーラップと同じく、モデルになることも目指していなかったということですか?

チョイ:そうだね。もともとファッションは大好きで、タンブラー(Tumblr、ブログ型SNS)で主に「リック・オウエンス(RICK OWENS)」のアヴァンギャルドな画像を集めるのが趣味だったし、大学に通っている時は周りと全然違うファッションスタイルを楽しんでいたのもあって、みんなから「モデルをやればいいのに」って言われることは多かったよ。全く乗り気じゃなかったんだけど、友達の1人がモデルになることが夢で、いろいろな事務所のオーディションを受けるときになぜか一緒に付いて行くようになってね。そうしたら、ロンドンにある全ての事務所から「No」と言われて、心に火が付いたんだ(笑)。このことがあってから、それぞれの事務所がどんなモデルを求めているのかリサーチしたり、肌の調子を整えたり、研究を重ねているうちに運良く「トップマン」でスカウトされたのさ。ラッパーになったのはちょっと不純な動機だけど、人生はなんでも恐れずにトライすることが重要だよ。

ーーファッションが好きだと自覚したのはいつ頃ですか?

チョイ:14~15歳くらいかな?それくらいの歳になるまでは、“人と違う姿でいること”に心の迷いがあったんだけど、“人と違うことの良さ”に気付けてからは、自分の感情を表現する手段としてファッションとヘアスタイリングを好きになったね。あと、タンブラーが世界を広げてくれたよ。自分のファッションスタイルを投稿するようになったら、数万人が俺の動向を見てくれるようになったんだ。タンブラーは、見ているだけでインスピレーションが沸くし、気付きを得られる素晴らしいSNSだね。それから、モデル業を始めたことでさらに視野が広がった。正直、最初は聞いたことがないようなブランドのオーディションは気乗りしなかったけど、実際に洋服を着てみると感動したこともあったしね。今は、昔の自分が着たかった1000ドルもするデニムを買えるようになって、人生を一周した感があるよ。

ーーランウエイを歩いたショーで思い出に残っているブランドはありますか?

チョイ:数え出したらキリがないけど、「カサブランカ(CASABLANCA)」「ケンゾー(KENZO)」「ジバンシィ(GIVENCHY)」「イッセイ ミヤケ メン(ISSEY MIYAKE MEN)」「ランバン(LANVIN)」「マルセロ・ブロン カウンティ・オブ・ミラン(MARCELO BURLON COUNTY OF MILAN)」「ディースクエアード(DSQUARED2)」とかだね。ブランドの過去のルックを遡ったら俺がいるよ(笑)。

ーー先ほど、女の子とのフェイスタイムがラッパーになるきっかけだと聞きましたが、それからどのように動いたか教えてください。

チョイ:タイミングがすごくよかったんだ。フェイスタイムしているときに親友の若手ラッパーが家に来ていて、ビートに合わせてラップをしていたんだ。その場で彼からビートをもらい、1週間くらいで「MOVES」って楽曲を制作してユーチューブ(YouTube)に投稿したら、最初の2日間で7万回ぐらい再生された。人生で何かしらの作品を作るのはこれが初めてで、すごく面白かったし反応も良かったから今も続けているんだ。もちろん、女の子には「ラップしたよ」ってフェイスタイムを掛け直したよね。

 「MOVES」があまりにもうまくいったから、2曲目もすぐに作るとそれも反応がよくて、2曲目をリリースした10日後には初めてステージに立っていたんだ。若手ラッパーとも言えないような俺がちょっと前に出した楽曲を、オーディエンスがシンガロングして盛り上がってくれているのを見て、「もっとちゃんと打ち込めば成功できる」と確信し、音楽業界と自分自身についてリサーチをすることにしたんだ。俺はどんなアーティストになりたいのか、UKで活躍するラッパーの1人になるのか、それとも世界で活躍するラッパーになるのかってね。結局、俺はどんなビートでもラップできる変幻自在なラッパーになりたくて、エンジニアリングもレコーディングも学んで、計画を立てることにしたんだ。1秒でも時間を無駄にしたくないし、勉強が好きな性格なんだよね。

ーー楽曲を制作するにあたり、影響を受けたアーティストはいますか?

チョイ:1番最初はパーティネクストドア(PARTYNEXTDOOR)とザ・ウィークエンド(The Weeknd)、トリー・レーンズ(Tory Lanez )、セイント ジョン(SAINt JHN)、トラヴィス・スコット(Travis Scott)が核かな。

ーーUKではなく、北米のアーティストが多いんですね。

チョイ:彼らの音楽そのものに影響を受けたというよりは、人間としてのあり方やストーリーの伝え方、一般的な歌手ではない存在に惹かれたんだ。例えば、多くのアーティストは楽曲制作に重きを置いているけど、トラヴィスはラッパーというよりもアーティストとして自身をブランディングしていて、楽曲制作からその先まで考えているよね。そんなところにインスピレーションを受けているし、俺自身もそれを意識して曲作りしているよ。

ーーあなたにインタビューするうえで、TikTok経由で世界的にヒットした楽曲「TO THE MOON」は欠かせません。誕生経緯を教えてもらえますか?

チョイ:リリックはパンデミック中に書いたんだけど、当時は1日3曲くらい書いていたかな。俺は季節ごとに曲作りをしていて、その頃は秋冬のテンションでトラヴィスやプレイボーイ・カルティ(Playboi Carti)のようなダークテイストの曲を作ろうと思い付いた。それでUKドリルをまだ作ったことがなかったから、UKのマーケットを意識して手を動かしたら15分でできてしまったんだ。あまりにもあっという間に完成したし、デビューアルバム「SS21」(2021年リリース)の制作途中だったから、とりあえずタイトルも付けずに放置していた。それで、「SS21」をリリースして落ち着いたタイミングで友人のDJにデモ音源を渡したら、数日後に「すごいことになっている。自分の目で確かめた方がいい」って連絡が来てね。なんのことかと思ってクラブに行ったら、「TO THE MOON」を流した瞬間にフロアがめちゃくちゃ盛り上がっていて、みんながスマホを掲げて「シャザム(Shazam、楽曲検索アプリ)」を開いていたんだ(笑)。その光景を目の当たりにして、今すぐにリリースした方がいいと感じたよ。思っていた通り、世界中に広がってくれてうれしいね。

ーーその後、「TICK TOCK」という楽曲をリリースしていますが、やはり「TO THE MOON」の影響でしょうか?

チョイ:いや、“ティックトック”というカリブ地域の腰を動かすダンスから名付けた。でも、潜在意識的には影響を受けているかもしれないね。

ーー最後に、初来日だそうですが東京はどうですか?

チョイ:日本というか、アジアに訪れることが初めてなんだ。今までカナダのトロントが世界で一番好きな街だったんだけど、今回の滞在で東京に代わったよ。街にゴミがなくてきれいだし、すれ違う人のファッションセンスはイケているし、食べ物はおいしいし、日本で生きること自体がクールに思えるね。

ーーインスタグラムを拝見する限り、相当な量の洋服を購入したようですね。

チョイ:今着ている「ベイプ®」のTシャツとパンツ、スエットのセットアップを3種類、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のスニーカー、表参道の「カサノヴァ ビンテージ(CASANOVA VINTAGE)」で買った「ディオール(DIOR)」のシャツ、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」のレザーベストとかだね。滞在中は毎日がショッピングさ。「ベイプ®」には、もう一度行こうと思っているよ(笑)。

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デジタル大国・中国が生んだ「モノ売るアイドル」、規制から2年後の現在地

 「モノ売るアイドル」

 中国アイドルを端的に示す言葉である。芸能人然としてキラキラしているだけではなく、人気ホストの如く売上を数字で示す力がなければ中国のアイドルは生き残れないのだ。

 そのユニークなスタイルは単に面白いというだけではなく、中国市場がどんな特性を持っているのかを読み解く鍵にもなる。 “EC先進国・中国”からのヒントとして考えることもできるからだ。

 この記事では中国で一世を風靡した「モノ売るアイドル」とはなにか? そして2021年の中国政府の規制から2年後の今、どのような状況にあるのかを見ていきたい。

モノ売るアイドル、そのビジネスモデル

 まず、「モノ売るアイドル」の世界について簡単にまとめよう。

 アイドルをはじめとする芸能人をCMキャラクターやブランドアンバサダーに起用するのはどの国でも共通する手法だ。中国でも、企業イメージやブランド認知の向上を求めて芸能人を起用するケースもある。ただ、ユニークなのはそれ以外に「実際にモノを売る」という点にフォーカスした手法が存在する。

 中国のマーケティング業界では芸能人の起用にあたり、「人気や知名度」「ブランドイメージとの合致」といった一般的な指標に加え、「帯貨力」(物を売る力)という数字が重視される。あるタレントを起用した場合、どれくらいの売上が立つのかを図った能力だ。

 中国にはこの帯貨力を評価する調査企業が複数存在する。代表格の「星数」(スターデータ)は、中国EC(電子商取引)最大手アリババグループ系列の調査企業CBNDATAの一部門で、アリババグループの販売データを活用することで、かなり正確にデータを図ることができるようだ。

 星数の2021年第2四半期のレポートを見てみよう。

 もっとも影響力が大きかった芸能人として、王一博、肖戦、龔俊、張哲瀚、趙露思の名前が挙げられているが、それだけではなく前期から影響力を増した芸能人、新規ランカーの名前、さらには「龔俊によるスマートフォンブランド・オナーのアンバサダー」など、ジャンルごとの成功例もあげられている。

 帯貨力トップに入った龔俊、張哲瀚については次のように解説されている。

 「第1四半期にドラマ「山河令」で頭角を表した龔俊、張哲瀚だが、今四半期の帯貨力ランキングでも上昇を続けている。ドラマは「社会現象的ヒット」にはいたらず、両者もトップ芸能人にまではステップアップしていない。しかし、ドラマ後半から両者の芸能事務所がブランドとの契約を積極的に進めたこと、メディア露出が途切れなかったこと、そしてファンの購買熱意の高いことから商業価値の上昇が続いた」

 この「ファンの購買熱意」が重要となる。

 たとえば、Aというアイドルを化粧品ブランドのアンバサダーに起用された場合、芸能事務所は事前にファンサークルに連絡し、いつどのタイミングで広告キャンペーンが展開されるかを通達する。ファンたちはお互いに連絡を取り合い、ソーシャルメディアでの情報拡散などに努める。そして販売キャンペーンが始まると、一気呵成にキャンペーンサイトから商品を買いまくる。そして、「キャンペーン起用から24時間で***万元を売上!」「用意されていた商品が5分で完売」といった“結果”を作りだし、「私たちファンの力でAの影響力、帯貨力を証明できた。ワンステージ上のアイドルへと押し上げることができた」との満足感を得る。

 また、前述した星数のランキングも日本だと業界内の資料だが、中国では無料で誰でも読める形で公開されている。ファンからすれば、推しアイドルのランキングや帯貨力の上昇という“結果”が一目瞭然となる。

 アイドルや芸能人がコラボした商品が爆発的に売れるという話は日本でもあるが、それはあくまで「コラボの商品が欲しい」という所有欲に訴える手法であろう。一方、中国の「モノ売るアイドル」は、推しアイドルにどれだけの売上をつけられるのかを競うもの。

 例えるならば自分の入れ込んだホストをナンバーワンにするべくシャンパンを注文する……といった心境に近いのかもしれない。というと、なんだかニッチな世界のように思えるが、中国調査企業クエストモバイルによると、2019年時点で芸能人による販売力の市場規模は900億元(約1兆8000億円)に達しているという。

専門家に聞く「規制でも消えないアイドルビジネス」 安田加奈子ドロップ代表

 こうした「モノ売るアイドル」のビジネスモデルは、2021年に大きな転機を迎える。中国政府が視聴者投票型のオーディション番組の禁止、ファングループを芸能事務所が管理し過度な応援を規制するなど、一連の規制を発表した。この規制の結果、何が起きたのか?「モノ売るアイドル」はどうなったのか? 中国エンタメの日本進出サポートを手がける株式会社ドロップの安田加奈子代表に話を聞いた。

――なぜ、2021年にアイドルは規制されたのでしょうか?

安田加奈子ドロップ代表(以下、安田):自分の推しアイドルをよりビッグにしてあげようという熱意が「モノ売るアイドル」の根底にあります。つまりは他のアイドルとの競争意識です。ただ、過熱したあまりファン同士の争いが起きたり、応援のためにびっくりするほど、それこそ数億円規模のお金をファンが集めたりという事態にまで発展しました。お金の持ち逃げ事件もありましたし、親のお金を子どもが持ち出すという話もありました。こうして社会問題化して規制が入ったという次第です。

――影響は大きかった?

安田:特にオーディション番組の禁止は響いています。2018年から中国ではアイドル・オーディション番組がヒットしていました。韓国の人気オーディション番組「PRODUCE101」の中国版で、約100人の候補生から視聴者投票によって最終的にデビューするメンバーを選出するというものです。こうしたアイドル・オーディション番組は、自分の応援でデビューさせてあげられるという満足感を与えることで熱狂的なファンの獲得につながりますし、そうしたファンはデビュー後に「アンバサダー商品を買って応援」という次のステージにも参加してくれる率が高いのです。

 2021年を最後に視聴者投票型のオーディション番組はなくなってしまいましたので、アイドルの新規供給が途絶えてしまいました。オーディション番組は2018年、韓国の人気番組「PRODUCE101」の中国版から人気に火が着きました。約100人の候補生から視聴者投票でデビューメンバーが選ばれます。フルーツ牛乳など番組スポンサーの商品に投票権が付いているという方式で、ファンはお金で応援するという仕組み。なので、デビュー後にも商品を買って応援するという流れときわめて相性がいいわけです。

 ただ、オーディション番組の人気があまりにも過熱し、ファン同士のケンカが起きる、ファングループが投票のために数億円ものお金を集めるという過熱ぶりを見せていたため、規制は必然だったとの見方もあります。

 実際、ファングループのメンバーと話をしたところ、「応援は他のアイドルとの競争なので、お金も時間もかかって疲れた。規制でほっとした部分もある」と話していました。

――一方でビジネスとしては大打撃なのでは。

安田:そのとおりです。私は日本ブランドの中国進出をサポートする仕事もさせていただいているのですが、アイドル・マーケティングはきわめて強力な武器だと感じていました。中国市場では、膨大な数の企業が生き馬の目を抜く競争をくり広げています。口コミを広げて、ブランド認知を高め、カスタマージャーニーの末に商品を買ってもらうという、“普通のマーケティング”を成功させるのはきわめて難しい。

 「モノ売るアイドル」を通じて販売すれば、とりあえず一度はそこで手に取ってもらえるわけです。そこで商品として認められれば、リピーターになってもらえる可能性はある。

――どこの企業も「一度使ってもらえば良さはわかる」と思っているわけですが、その一度が中国では難しい。ではどうするとかというと、人の力で “一度”を実現するのです。そうした仕組みが中国には多い。

安田:有名インフルエンサーを起用したライブコマース(ネット配信とネットショッピングを融合させた販売チャネル)も有名ですが、こちらも宣伝代わりというか、 “一度”を実現させる手段として活用している企業も少なくないわけです。また、在日中国人による個人輸入代行を通じて中国に売り込んでもらう、在日中国人のKOC(キーオピニオンコンシューマー、インフルエンサーほどではないが影響力のある消費者)へのサンプル配布といったビジネスもあります。いずれも人が売り込む力をあてにした販売チャネルです。

――「モノ売るアイドル」アイドルもその流れに位置づけられるように思いますが、しかし規制によって消失してしまった。その代替手段はあるのでしょうか?

安田:アイドル禁止以後の2年間とコロナ禍が重なっていたという要因もあるかもしれませんが、現時点では代替手段は見えていません。ライブコマースも無名ブランドでも売り込む能力を持った超大物インフルエンサーが脱税や政治問題で配信できなくなる事件があったこともあり、“一度”を実現させる手段としては以前ほどの力はないかもしれません。

 ただ、中国の芸能業界関係者と話していると、彼らは悲観していないようです。実は今回のブームの前、2004~2007年にもアイドル・オーディション番組「スーパーアイドル」のブームがありました。

――「スーパーアイドル」は有料ショートメールによる視聴者投票で優勝者を決める番組でした。クリス・ウー(李宇春)など今も活躍する人気タレントを輩出しましたが、やはり社会現象的ブームとなり、規制が入って終了しました。

安田:以前の事例もありますし、規制があってもそれで終わりではなく、また少し違った形で復活できると考えている人は多いようです。私が接触した中国芸能関係者は、2024年秋ごろにはコロナ禍からの消費回復もあり、なんらかの形で復活できるのではと話していました。それまでは我慢の時期、仕込みの時期というわけです。

 あるいは日本企業もこの先の動きを考えておくべきかもしれません。中国芸能界は今、海外展開への興味を持ち始めています。中国市場が巨大なだけに稼ぎを求めて海外に行くというよりも、「海外で認められるタレント」という箔をつけることが主要な狙いと言っていいでしょう。

 将来的に「海外(日本を含む)で人気のアイドルグループ」という看板を使って、中国市場で活躍するアイドルが出るでしょう。海外人気が看板である以上、彼らは海外とのブランドとの親和性が高い。そうしたコラボレーションが日本ブランドの中国進出の第一歩をサポートする手段となっていく。そうしたシナリオを予測しています。日本企業も成功例が出るのを待つだけではなく、海外展開を狙う中国アイドルを初期からサポートし育てるというアイデアも検討に値すると考えています。

 韓国ブランドが韓流アイドル人気を武器に日本や東南アジアでプレゼンスを高めたというのは有名な話です。中国で成功する日本アイドルがでれば話は早いのですが、簡単に実現する話ではありません。そうなると、日本のアイドルや芸能人だけに期待するのではなく、日本で活躍する中国アイドルに期待するというのは、あながち変な話ではないと思っています。

 そうした考えから中国アイドル、芸能人の日本活動を支援する事業を始めています。第一弾として取り組んでいるのが、オーディション番組出身の中国アイドル「INTO1」です。日本人メンバーもいるグループということもあり、在日中国人だけではなく日本人ファンの反響も想像以上です。4月には初となる来日ファンミーティングを開催します。

――中国には普通のマーケティングは効かない。売り込む人の力がカギとなる。アイドル、芸能人という有力チャネルは規制によって今現在は影響力がなくなっていますが、次の浮上のタイミングを捉えるべきということですね。ありがとうございました。

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アパレル店長、コンサルを経てジョイン ワールドのシステム外販担当が「キャリアチェンジしても変わらないこと」【私が新入社員だったころ vol.11】

  「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を掲載している。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若かった頃に心掛けていたことや、それが今にどうつながっているかを取材。連載形式でお届けする。 連載第11回は大手アパレルのワールドで働く加藤圭介さん。現在はシステムソリューション事業本部に所属し、同社の店舗運営やサプライチェーンのシステムを他社に外販する仕事に従事する。新卒から数年は「ユニクロ(UNIQLO)」で店長を務め、コンサルティング会社を経てワールドへ転職した、彩り豊かなキャリアの持ち主だ。

WWD:ワールドでの現在の仕事は。

加藤圭介・ワールドシステムソリューション事業本部 第2システムソリューション部:私が所属するシステムソリューション事業本部は、ワールドが既存のアパレル事業以外の収益源を拡大すべく、目下注力してる領域である「デジタル事業」を担うセクターの一つです。これまで自社で構築・運用してきたシステムを他社に販売し、業務効率や生産性の改善などに役立てていただいています。私がセールスしているソリューションは主に2つ。店舗とECの両販路で、いかにお客さまの満足度を高めていくかという「OMO対応」と、データに基づく需要予測・生産による「在庫の適正化」です。

WWD:前職の経験が生きているのか。

加藤:これまでアパレルの現場と本部、コンサルティング会社を経てきましたが、今も毎日勉強することばかりです。ワールドでのキャリアは4年目で、すでに2回の異動を重ねました。オフプライスストア「アンドブリッジ(&BRIDGE)」の立ち上げ、公式ECの「ワールド オンラインストア(WORLD ONLINE STORE)」の集客・企画にも携わりましたが、これらは経験したことのない領域です。異動のたびに、新入社員からやり直すような気分です(笑)。

WWD:元々キャリアのスタートは「ユニクロ(UNIQLO)」という。

加藤:新卒でファーストリテイリングに入社して、まず「ユニクロ」の店長として3年半ほど現場に配属されました。当時は自分が店長だった横浜エリアの店舗が、神奈川ブロックにおけるお客様満足度でトップになっていたりもしたんです。結果だけで見たらいいのかもしれませんが、当時の僕はどうやら、めちゃくちゃ「やなヤツ」だったみたいで。当時の店舗のメンバーから、僕や店舗運営に関してフィードバックしてもらったんですが、ほぼ全員のリアクションペーパーに「怖いです」「意見が言えません」と書いてありました。

 愕然としましたね。自分ってこんなふうに見られているんだ、と……。でも心当たる節もありました。店舗でジーンズなどの裾直しをする補正担当が不在の日があれば、経験もないのに「自分でできる」と思い込んでガタガタな仕上がりになり、お客さまからこっぴどくクレームが入ったこともありました。

WWD:なぜ仲間に頼ることをしなかったのか。

加藤:信頼関係を築けていなかったからですよね。プライドが高くて、自分のことを他人よりも優秀だと思い、壁を作っていたのだと思います。それから徐々に自分を変えていこうと、常に胸に留めていた言葉は“率先垂範(そっせんすいはん)”。まずは自分がチームの模範になる。そして一人一人と向き合って、自分の熱量で巻き込んでいけるよう対話を大事にする。もちろん、すぐには結果は出ませんでしたが、半年くらいかかって、徐々に売り上げにつながっていきました。

WWD:その後は本部に異動となった。

加藤:4年ほど需要予測やサプライチェーンといった商品計画に携わったあと、その経験を生かしてコンサルティング会社に転職しました。誰もが知る小売企業の部長クラスの担当者にMDシステムの改善提案をするのは、プレッシャーも大きかったですが成長も感じられました。

 「ユニクロ」の店舗で働いたリアルな感覚は、転職してからもずっと強みとして生きていました。現場と本部、どちらの事情も分かっているからこそ説得力ある提案ができたのだと思います。

WWD:コンサル会社での学びは。

加藤:「自分に矢印を向ける」のが大事だということ。何かを成し遂げたいと思った時には、人を巻き込む必要が出てきます。「なぜ思い通りに動いてくれないのか」と人のせいにしていては、いつまで経っても物事は進まない。だから人が気持ちよく動いてくれるために、まず「自分がどう動くか」を考えるようになりました。それから、一つの仕事に泥臭く粘り強く食らいつく精神力、時間とそれに対する成果へのシビアな感覚を身に付けられたのも大きかったですね。

 ただやはり、ユニクロを離れてからも「ファッションに携わりたい」という気持ちが自分の根っこにずっとありました。それをど真ん中でやっている会社でもう一度チャレンジしたいと思い、19年にワールドへ転職しました。

WWD:新しいチャレンジに抵抗はないのか。

加藤:ころころとジョブチェンジしてきたので、その度に自分を「リセット」することにはずいぶん慣れています。今でも年上・年下問わず、分からないことはまず人に聞いてみる。常に平身低頭でいたいですし、組織内でも自分をそんなふうに「キャラ付け」するように心がけています。

 もちろん、新しい挑戦のたびに失敗はつきものですが、成功するまでやり続ければいいだけの話。成功すれば、失敗も全ての糧に変わる。そんなマインドセットで、ある意味開き直って目の前の仕事に取り組んでいます。

WWD:さまざまな仕事を経験してきたキャリアをどう振り返るか。

加藤:ひとつのことにしがみついてがんばることも、すばらしいことです。僕もそうでありたかったと憧れます。最近はプライベートでも(楽器の)サックスを習ったり、デザイン学校に通ってみたりと、迷走しながらチャレンジを続けています(笑)。昔から好奇心が強いので、その赴くままに生きてきたらこうなってしまいました。ただ、これまでの僕のキャリアを振り返ってみても、ひとつとして無駄な経験はなく、今につながっていることばかりです。色々なことを片足跳びに経験してきた僕も、1つ大きな目標は決まっていて。新しいブランドや事業を、いつか自分の手でゼロから立ち上げたいと思っているんです。

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「ビープル」初の双子姉妹のディレクター MDやセールスなど分業 【私が新入社員だったころ vol.8】

 「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を掲載している。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若かったころに心掛けていたことや、それが今にどうつながっているかを取材。連載形式でお届けする。今回はマッシュビューティーラボが展開するセレクト業態、ビープルで昨年サブディレクターに就任した双子姉妹の浜津奈央・早希さんに話を聞いた。

WWD:化粧品業界に携わるきっかけは?

浜津奈央マッシュビューティーラボ リテール事業本部MD2部 ビープルサブディレクター(以下、奈央):学生時代に肌荒れに悩み、栄養士の資格を持ちオーガニック・ナチュラル分野に長けていた母と新宿伊勢丹本店のビューティアポセカリーに行ったのがきっかけです。担当スタッフがおすすめしてくれたオーガニックブランド「フランシラ(FRANTSILA)」を使うと肌が元気になっていったんです。茅ヶ崎に住んでいたので、近くで購入できないかと調べたところ横浜にコスメキッチンがあり、運営会社であるマッシュビューティーラボの存在も知りました。幼少時から接客とレジ打ちが好きで、どちらもできるドラッグストアで7年間アルバイトをしていたのですが店舗が改装するのを機に辞め、2015年8月にマッシュビューティーラボに入社しました。

浜津早希マッシュビューティーラボ リテール事業本部MD2部 ビープルサブディレクター(以下、早希):私も大学時代に奈央と同じドラッグストアでアルバイトをしていて、二人で横並びでレジ担当していたんです(笑)。化粧品や食品など取り入れたものによって体や肌が元気になるのを実感し、新卒で別の分野に就職したのですが、フランスのナチュラルコスメを扱う企業に転職しました。販売スタッフとして従事していたのですが、そのブランドは子どもが使用できたり、肌荒れに悩む人が使えたりする商品が多くなかったので、近隣店舗のコスメキッチンをおすすめすることが多かったんです。私自身もコスメキッチンやビープルの顧客だったこと、奈央がマッシュビューティーラボに就職していたこともあり、紹介してもらい2017年3月に転職しました。

店舗のカテゴリー別売り上げNo.1をインプット

WWD:入社後は店舗スタッフとして従事、当初心がけていたことは。

奈央:ビープル横浜相鉄ジョイナス店に配属となり、半年間は準社員、1年後に正社員に。最初は数多くのブランドがあり、多種多様なお客さまが来店するので自分自身がどのようなモチベーションで対応すればよいか分かりませんでした。なので最初は得意のレジをひたすら担当していました。まずはビープルで扱うカテゴリーの売り上げトップ1を頭に入れ、先輩スタッフからアドバイスをもらったり、取引先メーカーからブランドの背景を聞いたりして、知識を蓄積していきました。知識が豊富なお客さまが多かったので接客を通じて学ぶことも多かったですね。その後店長、トレーナー、マネージャーと経験し、2022年にビープルサブディレクターに就きました。主にインナーケアとフードのバイイングを担当し、MDディレクターも兼ねています。

早希:私はコスメキッチン アトレ吉祥寺店に配属され、前職の経験もあったことからその後、渋谷ヒカリエ シンクス店で店長に就きました。当社には新人スタッフに半年間経験値のあるスタッフがついて教育するエデュケーター制度があるので、そこでの学びは多かったです。奈央同様に、店長、トレーナー、マネージャーを経て、本社勤務となりました。それまではコスメキッチンの担当でしたが、22年からビープルサブディレクターに就任し、アウトサイドケアのバイイングを任されています。そのほか、セールスディレクターも兼任しています。

WWD:印象に残っている出来事ことは。

奈央:店長時代に一度スタッフを泣かせてしまったことがあるんです。そのスタッフはレジを担当することに気を取られ、接客がおざなりになっていました。私は体育会系でがむしゃらに頑張るタイプで、自分と同じものを求めていたんですね。スタッフごとに性質が違いますし、店舗の特性もあります。それぞれに合った対応が必要だと痛感しました。普段はチームのコミュニケーションを重要視し、インスタグラムでつながりライフスタイルも把握できるようにしていましたね。

早希:シンクス店は売り上げの多い店舗で1日平均160万円の売り上げが、コロナ禍で30万円に落ち込みました。21人のスタッフを抱え1日13人で回していましたが、スタッフの人数がお客さまより多かった時期もありました。これまではお客さまが多く来店するため店頭対応で精一杯でしたが、一人一人のスタッフにブランドを担当してもらい、伸ばしたいブランドを決め朝礼で発表してもらいました。それぞれが担当ブランドのメーカーとのコミュニケーションが密になり、ブランド愛も強くなりましたね。また、私も店長時代にスタッフの教育で一度悩みました。店舗の中でVMD(ビジュアルマーチャンダイザー)は誰に任せた方がよいかなど適材適所を見極めるのに苦労しました。常にスタッフには話かけていましたし、誕生日は絶対覚えて一声掛けていましたね。

WWD:仕事の悩みやストレスの解消法は。

奈央:両親が長野に動物と住んでいるので実家に戻りリフレッシュしたり、お風呂に1時間ほど入ったり、寝て、食べたいものを食べたりすることですかね。友人や同僚ともご飯を食べにいきお互いの近況報告や相談もしています。

早希:私も同じ店舗だったスタッフと食事にいったり、友人と会ったりして気分を切り替えていますね。

WWD:新入社員に取り組んでもらいたいことは。

奈央:自分の好きなことを見つけることです。まずはいろいろなことに挑戦し自分に不向きなことを理解する。そして腹を割って話せる同僚や先輩・上司との出会いも大切。ステップアップするための土台作りをしてほしいですね。

早希:私たちは、ビープルのバイイング業務だけではなく、サブディレクターとして3月に開催した恒例の展示会「ビープルフェス」ではコンセプト立案からVMDまで幅広く経験し、分からないことも多く大変でしたが終わってみると自信につながりました。みなさんにも自分に規制をかけずチャレンジしてほしいですね。そして壁にぶつかったときには一人で抱え込まずに話せる友人や先輩を見つけてもらいたいです。人とのつながりは本当に貴重なものですよ。

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1位は、2人の大谷翔平が時計の針の上で2刀流 「セイコー アストロン」の新ウェブCM| 週間アクセスランキング TOP10(3月29日〜4月5日)

1位は、2人の大谷翔平が時計の針の上で2刀流 「セイコー アストロン」の新ウェブCM| 週間アクセスランキング TOP10(3月29日〜4月5日)

「WWDJAPAN」 ウイークリートップ10

 1週間でアクセス数の多かった「WWDJAPAN」の記事をランキング形式で毎週金曜日にお届け。
今回は、3月30日(木)〜4月5日(水)に配信した記事のトップ10を紹介します。


- 1位 -
2人の大谷翔平が時計の針の上で2刀流 「セイコー アストロン」の新ウェブCM

04月02日公開 / 文・三澤 和也

 「セイコー アストロン(SEIKO ASTRON)」は、ロサンゼルス・エンゼルス所属のプロ野球選手、大谷翔平を起用した新ウェブCMを公開した。

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- 2位 -
「コンバース」の新作シューズは革製のローファー&モカシンタイプ

03月30日公開 / 文・三澤 和也

 「コンバース(CONVERSE)」は4月、ローファーとモカシンをモチーフにした新作シューズを発売する。

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- 3位 -
「ルイ・ヴィトン」が草間彌生とのコラボ第2弾発売を記念してLINEスタンプを無料配布

04月04日公開 / 文・三澤 和也

 「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」は前衛芸術家・草間彌生とのコラボコレクション第2弾の発売を記念してLINEスタンプ8種を製作、4月4日から同ブランドの公式アカウントを“友だち追加”した人に無料でプレゼントする。配布期間は5月1日までで、スタンプの使用期限はダウンロードから180日間。

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- 4位 -
伊勢丹新宿本店、31年ぶりに最高売上高を更新 高級ブランド売れに売れる

04月03日公開 / 文・本橋 涼介

 三越伊勢丹は3日、国内百貨店事業の3月度売上高速報を発表した。23年3月期通期では速報値ではあるものの、伊勢丹新宿本店の売上高が1991年度に記録した年間売上高の過去最高実績を更新した。  同社によると、91年度の伊勢丹新宿本店の売上高は「3000億円超」。同年は国内百貨店業界全体の売上高が9.7兆円となりピークを迎えた時期でもあったが、その数値を上回ったことになる。

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- 5位 -
ブルーボトルコーヒー創業者が「コーヒーのみ」8000円のコースメニューで表現する至高の体験価値

04月03日公開 / 文・本橋 涼介

 ブルーボトルコーヒージャパンは、コーヒー数種のコースメニューを提供する新業態「ブルーボトル スタジオ(BLUE BOTTLE STUDIO以下、スタジオ)」の1号店を京都に31日オープンした。コースは各回4席の予約制で、1人8250円。コーヒーの相場が1杯数百円であることを考えればかなり攻めた価格設定だが、5月初旬の大型連休まで予約はほぼ満枠という。

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- 6位 -
伊藤忠商事の入社式は350本の桜でお迎え、岡藤会長「会社で爆発させてほしい」

04月03日公開 / 文・横山 泰明

 伊藤忠商事は4月3日、新入社員の入社セレモニーを行った。135人の新入社員を、レッドカーペットを敷いた正面の玄関入口で満開の350本の桜の木と岡藤正広会長CEOと石井敬太社長COOが出迎えた。岡藤会長は、新入社員の多くがコロナ禍の中で学生生活を送ったことを踏まえ、「普通じゃない学生生活だったと思う。会社に入ったら(その分)思いっきり爆発してほしい」とエールを送った。

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- 7位 -
BTSのRMが「ボッテガ・ヴェネタ」の新ファミリーに 新ビジュアルを公開

04月03日公開 / 文・三澤 和也

 「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」は、BTSのRMを起用した新キャンペーンビジュアルを公開した。

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- 8位 -
里田まいが手掛けるブランド「ザ マイン コレクション」がデビュー 毎日使えるトートバッグとポーチを発売

04月05日公開 / 文・福永千裕

 タレントの里田まいは、自身がプロデュースするブランド「ザ マイン コレクション(THE MINE COLLECTION)」をローンチした。その第1弾の商品としてトートバッグ(8800円税込、以下同)とクラッチポーチ(3800円)を発売した。商品はブランドの公式オンラインサイトで取り扱っている。合計で1万円以上を購入した人には、里田の愛犬・ハルをモチーフにした特製チャームをプレゼントする。

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- 9位 -
「コンバース」が4月18日、デニム素材の新作“オールスター”を発売

04月03日公開 / 文・三澤 和也

 「コンバース(CONVERSE)」は4月18日、デニムを用いたスニーカー“オールスター”を発売する。

> 記事の続きはこちら

- 10位 -
晩年の坂本龍一が愛した「ジャック デュラン」の眼鏡

04月03日公開 / 文・本橋 涼介

 3月28日に死去した世界的ミュージシャンの坂本龍一。訃報を受け、国内外の多くのクリエイターたちがこれまでの彼の功績に尊敬と哀悼の念を示している。晩年はガンとの闘病の傍ら創作を続けたが、そんな彼の近年の肖像におけるアイコンが丸眼鏡だった。眼鏡好きの間では、彼がフランスのアイウエアブランド「ジャック デュラン(JACQUES DURAND)」を愛用していることは有名だった。

> 記事の続きはこちら

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「THREE」のブランドマネージャーが語る、今の仕事は「“推し活”に近い」【私が新入社員だったころ vol.7】

 「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を掲載している。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若かったころに心掛けていたことや、それが今にどうつながっているかを取材。連載形式でお届けする。今回は、ACROが展開する「スリー(THREE)」と「ファイブイズム バイ スリー(FIVEISM × THREE)」の桝浩史ブランドマネージャーに話を聞いた。

WWD:ビューティに興味を持ち始めたきっかけは。

桝浩史ブランドマネージャー(以下、桝):昔から肌が弱くスキンケアに興味があったので、自分ごと化ができる仕事に就きたいという気持ちが強かったです。加えて、誰かのためにきれいになるお手伝いをしたいという気持ちがあり、新卒では大手化粧品メーカーに総合職で入社し、美容教育部で全国の美容部員のインストラクターの教育担当としてキャリアをスタートしました。

 仕事内容は、数百人もいる全国のスタッフを集めて研修会を企画したり、新商品のトレーニングをしたりすることが多かったです。その反面、自分が販売員経験もない中で企画をすることに矛盾を感じていました。まずは、販売員としてのスキルを身につけてから企画をしたいという思いが募り、やるからにはスキンケアだけではなくメイクもあるブランドで挑戦したく、独創的なメイクで注目されていた新興のメイクアップブランドに転職しました。そこでは都内の店舗に配属し、20代からマダム層まで幅広い世代の接客を毎日ヘロヘロになるまでフル回転で仕事をしていましたね。

WWD:美容部員時代はどう過ごしていた?

桝:一生続けていたいと思うくらい、自分に向いているなと感じていましたし、接客が好きでした。ノルマを達成することは苦ではなく、むしろ楽しくこなすことができていました。当時は男性の美容部員がまだ珍しかったので、お客さまからは男性だからという理由で接客を断られたりもしましたが、そこは気にならなかったですね。それ以上に毎日ハッピーな気持ちで働けていました。先輩からは、言葉使いから所作まで厳しく指導されたこともありましたが、自分が納得できる指摘でした。心のある教育だったので、本当に人と環境に恵まれていました。

WWD:販売員を経験し、次のステップは考えていたのか?

桝:販売員として約3年の経験を積み、その後を考えている時に前職から戻ってこないかと声をかけていただきました。当時、ブランドポートフォリオを拡大しているタイミングでもあり、グループ内でたくさんのブランドに触れられる機会だと感じ、再就職しました。再び教育トレーナーとして配属になり、その後は商品企画として十数年、ハイプレステージに携わっていました。

WWD:その後、転機が訪れる。

桝:次はナチュラル・オーガニックのカテゴリーに挑戦したい気持ちが高まり、天然由来成分×洗練モードをコンセプトとするブランドに転職しました。ここではタイムリーにトレンドを切り取り、短いスパンで形にするという老舗のブランドとは全く違うブランドづくりの流れがあり、勉強になりました。と同時に、前職の先輩でもあった宮崎稔章ACRO社長から、「スリー」での新規プロジェクトの話を伺い、2021年にACROに就職し、22年1月に現在のブランドマネージャーに就任しました。

今の仕事は「推し活」に近い

WWD:職場も変わり多彩な経験を積まれているが、これまで苦労したことは?

桝:仕事を仕事と思っていなく、半分趣味みたいなところもあります。コスメを作ること、売ることは趣味の延長戦で、推し活をしている感覚に近いですね。全ての経験をビューティという広義で捉えているので、学びたいものが変われば、会社も変わるというイメージで転職を重ねてきました。自分が良いと思うものしか作らないし、自分が良いと思うものを広めるという軸はブレずに持っています。これまで携わったブランドは今でも好きですし、昔一緒に働いた仲間は定期的に飲みに行ったりと仲がいいですね。

WWD:仕事で心がけていることは?

桝:ポジティブな言葉で伝えるようにしています。美容部員時代の話ですが、カウンセリングでメイクカバーする際に、例えば「ここにシミがあるからコンシーラーでカバーしますね」ではなく、「肌が均一に見えるようにしましょう」など肌悩みを直接指摘するような伝え方をしないようにしていたことから、ネガティブなことはポジティブに変換してから話すように心がけています。お客さまに伝えるタイミングを慎重に見極めたりすることが大切だったりと、接客の心得は今の仕事にも生かされており、全てがつながっています。

WWD:仕事のストレス解消法や気持ちの切り替え方は?

桝:ネガティブな感情は洗い流すことにしています。怒りや悲しみを他の人にぶつけてしまうと、その分自分にも返ってくる感じがして。自分がネガティブをエネルギーに変えることができないので、それを浄化させてポジティブにすることにしています。それを手助けしてくれるのが、とにかく香り。精油の力ですね。基本的にストレスや嫌なことは翌日に持ち越さずに、その日のうちにバスタイムで全てを洗い流してしまいます。「スリー」は精油をベースにしたアイテムを豊富にそろえているので、ボディーケアの段階でストレスはほとんどなくなっているのを感じますね。あとは、寝る直前にホームフレグランスをふって、全てを香りで“ドブ浸け”にしています(笑)。

WWD:やる気に満ち溢れた新入社員へアドバイスを。

桝:最初は成果を出したいとか、一人前として認められたいなど、焦りやプレッシャーを感じやすい時期ではないでしょうか。新入社員でいる時期は、失敗しても先輩や上司に尻拭いをしてもらえる唯一の期間。英語や資格など自己研鑽することも大切ですが、困った時に相談できる人間関係の構築やコミュニケーションスキルを磨くことも重要です。最初から「甘える術」をつけることがいいかなと思います。ただ、甘え上手といっても丸投げや、思考が停止していたらそれは見透かされます。努力をした上で甘えることができると、後々の強みになると思います。

WWD:最後に、新入社員の皆さんにメッセージをお願いします。

桝:ビューティやファッションは過渡期を迎えています。美の基準はいまだに欧米の価値基準がスタンダードではありますが、最近では韓国の音楽や映画、エンタメが圧倒的に人気で、化粧品も韓国コスメの人気が強い。いま、日本の存在感が問われている時期でもあるように感じています。その中で「スリー」は、国産の植物や精油、職人の技術に着目しながら商品を生み出しています。「スリー」を通じて、そこはかとなく日本の良さを感じてもらい、日本ってクールなんだねという気づくきっかけになってもらえたらと。海外に憧れて日本を離れてしまう若い人も多いと思いますが、日本でも面白いことができるという環境をわれわれの世代が作れたらいいなと思っています。そして若い世代が日本に目を向けて、日本が元気になるように、一緒に頑張っていけたらうれしいですね。

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「ハーパーズ バザー」編集長、修行時代の特技は「できるまでやめない」 【私が新入社員だったころ vol.6】

「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を掲載している。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若かったころに心掛けていたことや、それが今にどうつながっているかを取材。連載形式でお届けする。今回はハースト婦人画報社の「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」の小栗裕子編集長に若手時代からの仕事の極意を語ってもらった。

WWD:学生時代から編集者の道を志していた?

小栗裕子「ハーパーズ バザー」編集長(以下、小栗):ファッション誌が好きで、中学生のころにはその道に進みたいと思っていました。高校まではいわゆる赤文字系のギャル雑誌を読み漁っていてそういう世界しか知らなかったです。でも大学でサンフランシスコに短期留学した時に、アートや音楽、カルチャーに没頭している同世代の子たちに出会って衝撃を受けたんです。それまで渋谷で服を買うことが人生の全てだった自分の世界が広がった瞬間で、ファッション・カルチャーの世界に惹き込まれました。留学中に「デイズド・アンド・コンフューズド・ジャパン(DAZED & CONFUSED JAPAN、以下デイズド)」の編集部に手紙を出して、帰国後にインターンをさせてもらうことになったのが始まりです。当時は本当に世間知らずでもっとほかの業界の可能性も考えればよかったのかもしれないですが、いつもその時の情熱で動いてしまうタイプなんです(笑)。

WWD:インターン時代はどんな経験を?

小栗:今でも初日のことを鮮明に覚えています。「では、小栗さん、先輩方にいろいろ教えてもらってください」と言われて編集部に入ったんですが、先輩たちは忙しそうにパソコンのキーボードを打っていて、誰もこっちを見てくれない。先輩の一人が「あのね、僕たちね、別に何も教えないから。知りたかったら盗んでください。以上です」って。さすがに驚きましたよ。でも、本当に何も教えてくれず、現場を見たかったら着いてきてください、聞きたいことがあれば答えますという感じでした。人を育てる気は全くなくけど、現場ではまあまあ対等に接してくれる面白い編集部でした。逞しさはそこで磨かれたと思います。

WWD:大学卒業後は、そのまま「デイズド」に就職した?

小栗:インターンも忙しかったですし、もうこの道に決めていたので就活はしませんでした。「デイズド」に入るつもりで卒業後もインターンを続けていたんですが、何人かいるインターンのうち就職できるのは1人。その時は残念ながら選ばれず、軽い挫折を味わいました。その後、今はもうないR&Bやヒップホップなどクラブ音楽をテーマにした雑誌「ルイール(LUIRE)」の編集部に就職しました。当時はヒップホップがめちゃくちゃはやっていて、クラブカルチャー全盛期でした。でも、私は音楽については全く疎くて入社試験では、デビュー前のR&Bシンガーの新譜についてレビューを書けと言われ、何も知らずにほとんどハッタリで書いて、なぜか合格しました(笑)。

WWD:編集のイロハはそこで学んだ?

小栗:いえ、そこでは入社して1年以内に先輩がほぼ全員辞めてしまって。残された編集長が私のデスクに来て「小栗ちゃん、そういうことだから、よろしく。よかったね」と言われました。インターンでは誌面を任されたことはなかったので全く未経験の私が、先輩たちが残していった表紙や紙面作りを一気に任されたわけです。

WWD:インターンの経験のみ、ましてや自分の興味範囲とは全く違うジャンルで誌面作りはどうやって乗り越えた?

小栗:意外とやってみるとできるものなんです。音楽雑誌のなかでもどちらかというとファッション分野を担当していたこともありますが、でも、相談できる先輩もいませんでした。当時23、4歳でしたが、自分で良いと思ったことを表現し、読者の反応を責任を持って受け止める経験をしました。キャパシティーを超えることに挑戦し続けていると、自ずと力がつくものでいい経験だったと思います。

WWD:常に大変な状況に置かれていたと思うが、20代で一番大変だった時期は?

小栗:「ルイール」の後に入った広告代理店で営業をしていた3年間ですね。「ルイール」は、時の流れと共にクラブカルチャーのトレンドが終焉を迎え、休刊しました。そのころは私も20代後半に差し掛かっていて、営業職には興味はなかったですが一度メジャーな会社で働いた方がいいかもしれないという思いと、広告について勉強したかったこともあり代理店に転職しました。すごく面白かったですが勉強のためと割り切っていても、自分の理想と違うことをしている状況、かつ苦手なことに耐えなければいけない時期で、気持ちの折り合いをつけるのが大変でした。でも必要な時期だったと思います。そこで3年過ごしたのち、たまたまハースト婦人画報社の「エル(ELLE)」が募集していて、転職しました。

WWD:ファッションや編集の道を諦めようと思ったことはなかった?

小栗:ないですね。もちろん常々小さい悩み事はありましたが、自分で決めた道だったので、大きく迷うことはありませんでした。苦労はしていても、やっぱり何だかんだ楽しかったのだと思います。あと私が20代のころの特技は、諦めないことでした。できないことはできるようになるまでやるのが私の基本スタンスです。これは簡単なようで意外と実践している人は少ないんです。周りと比べて突出したスキルはありませんでしたが、任されたことを途中でやめたことはありません。自分で決めたゴールに向かう過程で何回失敗できるか、悔しい気持ちになれるかでしかない。今の仕事に就いているのも、いつか編集長になると決めてそのビジョンを持ち続けたからこそだと思います。

WWD:若手時代に仕事をする上で心掛けていたことは?

小栗:自分の得意なこと、好きな分野を明確にしておくことです。所属する組織を観察し、そこに欠けているものは何か、自分が得意なことで周りとかぶらないことは何かなどを昔からよく考えていました。例えば、代理店時代に営業が苦手な私でしたが、周りが持っていない視点がクライアントに響いた時や、編集のスキルを使っておしゃれな企画書を作り周りから評判になったりした時はすごく嬉しかったです。ファッション業界に入れば、ファッションが好きなのは当たり前。でも全方位的に詳しい人はなかなかいないので、まず自分を知って、何が好きで何をやりたいのかを周りに明確に伝えることはとても大事だと思います。

WWD:仕事のストレス解消法は?

小栗:好きなことを仕事にしている場合、仕事のストレスは仕事で解消するのが一番いいと思います。仕事中にこれは良くできたなとカタルシスを感じる瞬間があります。小さなことでもいいんです。展示会で可愛い服を見れたとか、誌面に文字がぴったり収まったとか。忙しい中でも、喜びや楽しさをちゃんと感じて自分の気持ちを盛り上げることは大事にしています。

WWD:最後に、ファッション業界に足を踏み入れた新入社員の皆さんにエールを。

小栗:もしこの業界が好きなら絶対に後悔しないと思います。いろんな問題はありますが、世の中にとてもポジティブな影響を与えられる仕事です。ものすごく過酷な現場も経験するかもしれません。でも失敗することを恐れないでほしい。その経験がないと絶対に先に行けないと思うので。

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「ハーパーズ バザー」編集長、修行時代の特技は「できるまでやめない」 【私が新入社員だったころ vol.6】

「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を掲載している。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若かったころに心掛けていたことや、それが今にどうつながっているかを取材。連載形式でお届けする。今回はハースト婦人画報社の「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」の小栗裕子編集長に若手時代からの仕事の極意を語ってもらった。

WWD:学生時代から編集者の道を志していた?

小栗裕子「ハーパーズ バザー」編集長(以下、小栗):ファッション誌が好きで、中学生のころにはその道に進みたいと思っていました。高校まではいわゆる赤文字系のギャル雑誌を読み漁っていてそういう世界しか知らなかったです。でも大学でサンフランシスコに短期留学した時に、アートや音楽、カルチャーに没頭している同世代の子たちに出会って衝撃を受けたんです。それまで渋谷で服を買うことが人生の全てだった自分の世界が広がった瞬間で、ファッション・カルチャーの世界に惹き込まれました。留学中に「デイズド・アンド・コンフューズド・ジャパン(DAZED & CONFUSED JAPAN、以下デイズド)」の編集部に手紙を出して、帰国後にインターンをさせてもらうことになったのが始まりです。当時は本当に世間知らずでもっとほかの業界の可能性も考えればよかったのかもしれないですが、いつもその時の情熱で動いてしまうタイプなんです(笑)。

WWD:インターン時代はどんな経験を?

小栗:今でも初日のことを鮮明に覚えています。「では、小栗さん、先輩方にいろいろ教えてもらってください」と言われて編集部に入ったんですが、先輩たちは忙しそうにパソコンのキーボードを打っていて、誰もこっちを見てくれない。先輩の一人が「あのね、僕たちね、別に何も教えないから。知りたかったら盗んでください。以上です」って。さすがに驚きましたよ。でも、本当に何も教えてくれず、現場を見たかったら着いてきてください、聞きたいことがあれば答えますという感じでした。人を育てる気は全くなくけど、現場ではまあまあ対等に接してくれる面白い編集部でした。逞しさはそこで磨かれたと思います。

WWD:大学卒業後は、そのまま「デイズド」に就職した?

小栗:インターンも忙しかったですし、もうこの道に決めていたので就活はしませんでした。「デイズド」に入るつもりで卒業後もインターンを続けていたんですが、何人かいるインターンのうち就職できるのは1人。その時は残念ながら選ばれず、軽い挫折を味わいました。その後、今はもうないR&Bやヒップホップなどクラブ音楽をテーマにした雑誌「ルイール(LUIRE)」の編集部に就職しました。当時はヒップホップがめちゃくちゃはやっていて、クラブカルチャー全盛期でした。でも、私は音楽については全く疎くて入社試験では、デビュー前のR&Bシンガーの新譜についてレビューを書けと言われ、何も知らずにほとんどハッタリで書いて、なぜか合格しました(笑)。

WWD:編集のイロハはそこで学んだ?

小栗:いえ、そこでは入社して1年以内に先輩がほぼ全員辞めてしまって。残された編集長が私のデスクに来て「小栗ちゃん、そういうことだから、よろしく。よかったね」と言われました。インターンでは誌面を任されたことはなかったので全く未経験の私が、先輩たちが残していった表紙や紙面作りを一気に任されたわけです。

WWD:インターンの経験のみ、ましてや自分の興味範囲とは全く違うジャンルで誌面作りはどうやって乗り越えた?

小栗:意外とやってみるとできるものなんです。音楽雑誌のなかでもどちらかというとファッション分野を担当していたこともありますが、でも、相談できる先輩もいませんでした。当時23、4歳でしたが、自分で良いと思ったことを表現し、読者の反応を責任を持って受け止める経験をしました。キャパシティーを超えることに挑戦し続けていると、自ずと力がつくものでいい経験だったと思います。

WWD:常に大変な状況に置かれていたと思うが、20代で一番大変だった時期は?

小栗:「ルイール」の後に入った広告代理店で営業をしていた3年間ですね。「ルイール」は、時の流れと共にクラブカルチャーのトレンドが終焉を迎え、休刊しました。そのころは私も20代後半に差し掛かっていて、営業職には興味はなかったですが一度メジャーな会社で働いた方がいいかもしれないという思いと、広告について勉強したかったこともあり代理店に転職しました。すごく面白かったですが勉強のためと割り切っていても、自分の理想と違うことをしている状況、かつ苦手なことに耐えなければいけない時期で、気持ちの折り合いをつけるのが大変でした。でも必要な時期だったと思います。そこで3年過ごしたのち、たまたまハースト婦人画報社の「エル(ELLE)」が募集していて、転職しました。

WWD:ファッションや編集の道を諦めようと思ったことはなかった?

小栗:ないですね。もちろん常々小さい悩み事はありましたが、自分で決めた道だったので、大きく迷うことはありませんでした。苦労はしていても、やっぱり何だかんだ楽しかったのだと思います。あと私が20代のころの特技は、諦めないことでした。できないことはできるようになるまでやるのが私の基本スタンスです。これは簡単なようで意外と実践している人は少ないんです。周りと比べて突出したスキルはありませんでしたが、任されたことを途中でやめたことはありません。自分で決めたゴールに向かう過程で何回失敗できるか、悔しい気持ちになれるかでしかない。今の仕事に就いているのも、いつか編集長になると決めてそのビジョンを持ち続けたからこそだと思います。

WWD:若手時代に仕事をする上で心掛けていたことは?

小栗:自分の得意なこと、好きな分野を明確にしておくことです。所属する組織を観察し、そこに欠けているものは何か、自分が得意なことで周りとかぶらないことは何かなどを昔からよく考えていました。例えば、代理店時代に営業が苦手な私でしたが、周りが持っていない視点がクライアントに響いた時や、編集のスキルを使っておしゃれな企画書を作り周りから評判になったりした時はすごく嬉しかったです。ファッション業界に入れば、ファッションが好きなのは当たり前。でも全方位的に詳しい人はなかなかいないので、まず自分を知って、何が好きで何をやりたいのかを周りに明確に伝えることはとても大事だと思います。

WWD:仕事のストレス解消法は?

小栗:好きなことを仕事にしている場合、仕事のストレスは仕事で解消するのが一番いいと思います。仕事中にこれは良くできたなとカタルシスを感じる瞬間があります。小さなことでもいいんです。展示会で可愛い服を見れたとか、誌面に文字がぴったり収まったとか。忙しい中でも、喜びや楽しさをちゃんと感じて自分の気持ちを盛り上げることは大事にしています。

WWD:最後に、ファッション業界に足を踏み入れた新入社員の皆さんにエールを。

小栗:もしこの業界が好きなら絶対に後悔しないと思います。いろんな問題はありますが、世の中にとてもポジティブな影響を与えられる仕事です。ものすごく過酷な現場も経験するかもしれません。でも失敗することを恐れないでほしい。その経験がないと絶対に先に行けないと思うので。

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就活人気ランキング1位、伊藤忠の敏腕キャリア女性を支えた「新人時代の一言」 【私が新入社員だったころ vol.5】

 「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を企画した。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若手だったころに心掛けていたことや、それが今の仕事にどうつながっているかを取材。連載形式でお届けする。今回は女性総合職が少ないと言われてきた総合商社で、商い道に邁進する伊藤忠商事の森梨絵さんに話を聞いた。

WWD:なぜ女性総合職の割合の低い総合商社を?

森梨絵・伊藤忠商事 ブランドマーケティング第一部ブランドマーケティング第5課(以下、森):父も総合商社で働いていて、海外赴任時にパリで過ごしたこともあって、小さいころから漠然とグローバルなビジネスをしたいと思っていました。私が就活していた当時、伊藤忠には行きたい部門を選んで入社試験を受けられる枠があって、私は「繊維カンパニー」枠を選んで受けました。幅広い事業を展開しているのが総合商社の特徴ではありますが、私自身は「グローバルなビジネス」「ブランドビジネス」という2つをやりたいという思いが強かったからです。

WWD:就職が決まったときのご両親の反応は?

森:自分もそうだったからか、父は激務のことを心配していましたね。

WWD:入ってみてどうでしたか?

森:繊維カンパニーの場合、新入社員は最初の数年間、商社業務の基礎となる「受け渡し」と呼ばれる貿易物流の支援を行うのですが、私の配属されたブランドマーケティングは、OEM(相手先ブランド生産)のように数量を競うビジネスではないので、そういった部署の同期と比べると忙しくなかったかもしれません。

ただ、学生時代はP/L(損益計算書)やB/S(賃借対照表)のことなど全く知らなかったわけで、いきなりビジネスの最前線に放り込まれるようなものなので、挨拶の仕方からメールの文面、業務レポートの書き方、服装の注意まで、とにかく毎日のように怒られていました。言い方は厳しかったですが、ビジネスの基礎を文字通り叩き込まれました。ただ、当時はその先の不安の方が大きかったです。

WWD:不安とは?

森:ライセンスビジネスを例に取ると、市場調査などをした上で戦略を策定し、かつ十数社あるライセンサーの利害の調整をしながら、実行していかなければならない。しかもライセンサーとして仕事のパートナーになるのは、自分よりも年齢も実績も仕事能力もずっと上のアパレル会社の役員や社長クラスなわけです。自分で本当にできるのか、そのことがずっと不安でした。

転機は「ディーン&デルーカ」への出向

WWD:転機は?

森:2009年〜11年まで出向したディーン&デルーカジャパンです。もともと、学生時代の留学先のニューヨークで知った「ディーン&デルーカ(DEAN&DELUCA)」を好きになって、日本に持ち込んだ伊藤忠を志望したようなところもあったのですが、バックグラウンドもキャリアも多彩な人たちと一緒に横川正紀社長(当時)の下で、東京ミッドタウン店のオープニングに関わったり、店頭に立ったり、MDや広報を担当したり、小さな企業なのでとにかくなんでもやりました。「ディーン&デルーカ」の濃い理念を、日本流にどうアレンジして展開するか。つまり「ブランドとは何か?」について、走りながら考えて実行する毎日でした。大変だったけど楽しかったですね。

それに当時の同僚に言われたことで「はっ」としたのが、「仕事の進め方がきれいだね」という一言でした。右も左もわからない当時なので、そのくらいしか褒めるところがなかったのかもしれませんが(笑)、段取りの仕方や書類の作り方、社内外に出すレポートなど基礎があれば少なくともプロとしてのスタートラインには立てるんだ。そう実感もしましたし、伊藤忠商事のそういった環境にも感謝しました。

2013年に1人目、16年に2人目を出産。仕事との両立は?

WWD:かつては「企業戦士」の代名詞だった総合商社も徐々に変わりつつある。森さんから見て「働き方」はどう変わった?

森:今は、朝は5時半に起床して出社は7時40分ごろ。17時に退社して子どもを学童に迎えに行って帰宅。場合によって夜に自宅で海外とのテレカン(ウェブ会議)が入ることもあります。プライベートでは2013年に1人目、16年に2人目を出産しました。この間に産休も育休も取るので、どう復帰して、どう働くのかを必然的に考えました。特に一人目を生んだ2013年は、保育園が全然見つからない時期でした。

WWD:「保育園落ちた日本死ね!!!」が話題になって待機児童対策が本格化したのは2016年でしたね。

森:はい。見つけられず復帰できない人も多い中で、当社の社内託児所の存在は復帰の後押しになりました。それに一人目を生んでからの復帰のときには、正直戸惑いました。以前と同じは無理だけど、それならどういったスタンスで働こうか、と。これは自分で決めて伝えていくしかない。だから「海外も含め、出張は行きます」と宣言しました。出張に限らずですが、出張時には実家の母が手伝ってくれました。

WWD:コロナ禍の影響は?

森:コロナ禍は大変でしたが、働き方改革の観点で見れば、小さい子どもと過ごすという貴重な時間も取れましたし、悪いことばかりではなかったと思っています。総合商社は時差のある海外の取引先とのテレカンも多く、昔は「上司が帰るまでは帰れない」「テレカンはオフィスで」といったようなこともありましたが、コロナ禍で在宅勤務が導入されたり、オンラインミーティングも当たり前になりました。より合理的になったと思います。今は17時に退社して子どもを保育園に迎えに行った後に、自宅で海外の取引先とテレカンする、ということが当たり前になりましたが、かつては海外とのテレカンのために夜にわざわざオフィスに戻ることが普通でした。それに先ほど17時退社と言いましたが、伊藤忠は朝型勤務が可能なので、時短勤務ではなく、定時退社なんですよ。もちろんフレキシブルになった分、パフォーマンスや結果へのプレッシャーは強くなったとは思います。

WWD:最後に新入社員の皆さんにメッセージをお願いします。

森:失敗を恐れず積極的に「挑戦」してほしい。この歳になると、やっぱり失敗や挑戦ができるのは、若さの特権だとしみじみ思います。新入社員の立場だと「こんなこと言っていいのかな」とか、逆に「もっとこうした方がいいのでは?」「これをやりたい」みたいなことがたくさん出てくると思いますが、そういったときは臆せずどんどん言ったり発信したりした方がいいと思います。自分ごととして捉えているから、そういった考えになるわけで。こうしたことは、おそらく自分が思っている以上に周りの先輩や上司もよく見ていて、言い続けると「この子は面白いからちょっと話を聞いてみよう」とか「一緒に仕事しないか?」みたいな誘いにもつながるはずです。

子どもができてからは、取引先とのタフでシビアな契約のネゴシーエションも、子どもの翌日の漢字テストのことも、どっちも同じくらい大変な「悩み」であって、そしてそういったことは毎日毎日、しかも次から次へといろんなことが同時多発的に起こったりもします。

これまで働いてきて思うのは、「どんなに大変でもやるしかない。そして、いずれは終わせられる」ということです。先ほど「キャリアも実績もずっと上の歴戦のプロが相手」と言いましたが、私だってこの5〜6年でようやく私も自分の言葉で話せるようになったという感じです。ビジネスは本当に難しい。でもライセンスビジネスのような契約書ありきの仕事であっても、やはり最後は人と人。言い方一つ、聞き方一つで、最終的な成果は良くも悪くも変わります。一つ一つ、一生懸命に取り組むことで、次のステップが見えてくる。

あ、あとは仕事を楽しんでほしいです。つらくて目の前の仕事から逃げ出したいみたいなことは今でもよくあります(笑)。けど、会社を辞めたいと思ったことはありません。もともとブランドビジネスをやりたいと思って入った会社ですし、「商い」自体、大変さをふっとばすくらいの面白さと奥深さがありますよ。

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「ウィゴー」古着事業営業マネジャーが語る、20代で体得した販売の面白さと熱い仲間 【私が新入社員だったころ vol.4】

 「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を企画した。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若手だったころに心掛けていたことや、それが今の仕事にどうつながっているかを取材。連載第4回はウィゴー(WEGO)で古着事業を担う齋藤純輝サスティナブル事業部営業チームマネジャーに話を聞いた。仕事で熱くなれる仲間を作るためのアドバイスとは?

WWD:20歳でアルバイトを始めて、17年「ウィゴー」一筋だ。そもそも「ウィゴー」に入ったきっかけは?

齋藤:地元の群馬・高崎で友達と遊んでるときに、友達の一人が当時の真っ青なショッパーを持っていました。「それどこのショッパーなん?」て聞いたら、「これ『ウィゴー』っていう古着屋だよ」と教えてもらったのが出合いです。「じゃあ行ってみようかな」と行ってみたら、レジの所にアルバイト募集の告知が貼ってあって。軽い気持ちで応募したのが、きっかけです。

WWD:特にすごく古着が好きだった?

齋藤:古着はもともと好きでしたが、暇だし働いてみようかなくらいの感覚でした。「ウィゴー」は、人が良かったっていうのが一番ですかね。人情味あふれる会社というか、そういうところにずっと引かれています。

WWD: 20代の頃はどんなふうに働いていた?

齋藤:当時もキツイと感じていましたが、今でいえば、いわゆるパワハラだらけでした(笑)。何も分からずに入ったのですが、誰かが何かを教えてくれるという環境じゃないんですよ。例えば、いきなり「チャンスエここに引っ掛けとけ」って言われるんです。「チャンピオン」スエットの略なのですが、知らないですよ。でも「なんで知らないの?」みたいに言われて(苦笑)。

 一番しんどかったのは、週に1度の売れたものをカテゴリー別にランキングにまとめる作業です。当時はまだレジも手書きで、通常の業務時間内では絶対に終わらないんです。だから1週間に1回アルバイト4人で一番先輩の家に集まって、夜から朝近くまで集計するんです。今なら本当に考えられないと思いますが、朝まで「あれ売れてるな」「これ売れてる」みたいなことをひたすらやる。でも、今思い返してみれば、あの経験があってよかったなって思うんです。皆で同じモチベーションが持てますし、団結します。ただこの経験を今のこれからの人たちに継げるかとなると、すごく難しいなとも思います。もちろん、今はそんな働き方をさせたりしていません。

 販売が楽しいと知ったのもこのころです。当時の店長(松浦孝俊デジタルグロース本部コミュニティレーベル部ビジネスデベロップメントチームリーダー)が“売ること大好き人間”で。本当に「売ることが好きだから、俺は」って、ずっと言っていて、それに感化されたんです。売れることは当然、正義だと思うんですけれど、「売れるってどういうことか分かるか」みたいな話になったときに、「売れるってことは、それだけ店がお客さまから支持されてるってことだぞ」って。結局、売れていないということは、人気がないということです。「じゃあ、どうすれば売れるのか」。その考え方は今も変わらないですね。古着の奥深さもオタクな先輩たちから教わったというか、有無を言わさず買わされたりもしましたが、身銭を切りながら学び、ハマっていきました。

店のスタッフが全員退職

WWD:それで2年目に店長に?

齋藤:そうです。路面の桐生店のオープニング店長でした。とはいえ僕も高崎ビブレでのやり方しか知らないので、そのやり方をそっくりそのまま持っていくじゃないですか。そうしたらオープン3カ月くらいで、オープニングスタッフが8人全員辞めたんです。僕が一番年下だったのと、オープニングのために採用した「ウィゴー」歴のないスタッフだったのに、高崎ビブレで自分がされたことを、そのままやってしまったからですね。まぁ、思い返してみればパワハラです(苦笑)。でも、されたことしかできないじゃないですか、20代前半で経験もなかったので。

 400平方メートルくらいの店でしたが、それを2、3人で1カ月休みなしで回すハメになり、古着の扱いも縮小されるし、体調も崩して、本当にしんどかったです。「ここまでして、やっている意味あるかな」って思ったときに、高崎ビブレ時代の店長に連絡したんです。

 そうしたら、「(体調壊して)良かったじゃん」って言われたんです。「これでおまえもようやく一人前だな」って。今だったらありえないセリフです。でも、僕はそのとき、その一言にめっちゃ救われました。そんなふうに言ってもらえたのが、本当にうれしかったんです。それで、「もうちょっと頑張ってみようかな」となりました。あの言葉がなかったら、僕は2年目、3年目くらいで辞めていたと思います。悔しいことに向こうは全然覚えてないんですけど(苦笑)。

WWD:そこからは店長としていいチームが作れるように?

齋藤:20代半ばで下北沢店の店長に異動になりました。初めて東京に移転して、その時一緒に働いたメンバーがすごく好きで。1年半で僕が異動になってしまったのですが、そのときは涙しましたね。当時の副店長も泣いてくれたんですよ。異動はたくさん経験してきましたが、異動で泣いたのはこの時だけでした。

WWD:いい上司や先輩、一緒に働く仲間に恵まれた。近年、「ウィゴー」としても原点である古着事業に注力している。

齋藤:社長の園田(恭輔)が、古着が大好きなんです。それこそ先週もミーティングしましたが、会社全体を見ている人が、古着にこんなに熱くなれるんだ、と刺激を受けます。僕も古着事業をスケールしたくて、社長に直接プレゼンして、今のポジションを任せてもらったので、期待に応えたいという思いもあります。

「仕事で熱くなるのは、仕事外の時間」

WWD:今も働く仲間に恵まれている?

齋藤:今ももちろん人情味ある会社ですね。昨日もちょうど、下北沢のエリアマネジャーと原宿竹下通り店の店長と、下北沢でワン缶(1缶飲み)したんです。そのときに、「今なんでこの会社にいるか」みたいな話になったんです。そうしたら「結局、人情でしかなくない?」みたいな話になって。仕事で熱くなれる仲間や一緒に頑張りたいと思える人がいるのが、一番大きいんですよね。

 仕事に情熱を持っている人って、仕事の時間外でも仕事に関係することをしたり、話をしたりしているんです。というか結局、仕事で熱くなるときって、仕事外のときなんですよ。これは若い人に伝えたいですね。仕事外でのコミュニケーションが、モチベーションを上げるし、仕事を面白くすると思います。

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「NARS」の国内チームを率いるブランドマネージャーの原点は「常に挑戦」【私が新入社員だったころ vol.3】

 「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を掲載している。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若かったころに心掛けていたことや、それが今にどうつながっているかを取材。連載形式でお届けする。今回は資生堂ジャパンで「ナーズ(NARS)」のブランドマネージャーとして働く山中美樹さんに話を聞いた。

WWD:化粧品業界に入ったいきさつは?

山中美樹ナーズ ジャパン ブランドマネージャー(以下、山中):実は化粧品会社は資生堂1社しか受けていません。学生時代にNPOを通じて発展途上国でフィールドワークをしていたので、就職先も途上国の女性の経済自立に貢献できる仕事に就きたいと考え、政府機関やNGOなどで考えていました。そのほかも菓子メーカーなど、女性の教育機会や経済自立に市場を見出して活動している企業という視点で探していました。

WWD:フィールドワークなどの活動のきっかけとなった出来事は?

山中:子どもの頃に親戚がメキシコに住んでいて、小学生高学年の時にその親戚を訪ねて行ったんですが、初めてストリートチルドレンを目にして以来、ずっと関心がありました。それでジャイカ(国際協力機構)が主催するイベントに幼い頃から参加するなどしていました。

WWD:最終的に資生堂に入社したのは就職活動を通して変化があったから?

山中:当初は直接的に女性たちを支援するのが正しいと思っていたんですが、支援が継続しないと発展につながらないと感じるようになりました。こちらが支援的な立場になるのではなく、彼女たちに経済の仕組みの中に入ってもらえるようにしなくてはならないと思ったんですよ。経済を回している企業がそこに価値を見出して事業にしなければ、自立や発展にはつながらないと考え企業に入った方がいいのではないかと。資生堂は、BOP(Base of the economic Pyramid=世界の人口の過半数を占める低所得消費者)プロジェクトやSLQ(資生堂ライフクオリティーメーキャップ)※事業、資生堂子ども財団などの活動に形だけでなく取り組んでいるところが決め手でした。

※ソーシャルビジネスの位置付けで超高齢化社会の課題解決を目指す事業。2013年から「資生堂ライフクオリティービューティーセミナー」を展開

WWD:やりたいことについては、入社してから上司に話していた?

山中:20代のうちに国際部に行きたいという目標を立てて、機会があれば現地で働くことも含めて常々上司に希望を伝えていました。そのためにマーケティングの知識を身につける必要を感じていましたし、経験を積みたいという話もしていました。私が入社した当時は、総合職は全員営業に配属が決まっていました。営業として仕事をスタートし、転勤も含めて3年ごとに3カ所をジョブローテーションのような形で回ります。その中で“資生堂人”として価値を生むために学べることはたくさんありますし、そこで成果を上げなければ違う部署には行けないということも分かっていたので、全力で取り組みました。運よく、最初からグローバルな商品に携われるデパート営業本部に配属されて、その後国際部に行く先輩も結構いたので、いろいろと話を聞くこともできました。最近はジョブ型雇用になってきているので、専門的なキャリアステップを踏む人も増えてきています。社内公募制度を使って自分がやりたいことをジョブエントリーできたり、チャレンジできたりする風土はあります。

WWD:デパート営業本部の営業時代に力を入れていたことは?

山中:1年目で千葉エリアを担当して、2年目には(2年目が抜擢されるのは)かなり異例ではあったんですが、銀座や日本橋エリアを担当していました。その時ちょうど三越銀座店で新館が改装オープンするタイミングで、そのプロジェクトの営業担当のとしてリーダーを任されました。当時は、社名を冠したブランド「シセイドウ(SHISEIDO)」が本格的に立ち上がり、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」と切り離して販売促進していこうとしていた初期。営業活動も従来とは違うアプローチが必要でした。店舗のミッションをクリアしつつ、自分のチームの50人ほどの美容部員とブランドホルダーの間に立ってブランドの価値をお客さまに伝えるためにイベントを企画したりセミナーを開催したり。小さなマーケッターとして、店舗の課題を分析してどう売り上げを作っていくかを考えていました。

WWD:新入社員時代にこれをやっておけば良かっということは?

山中:営業時代に意識していたのは、先輩たちがやってきたことをそのままやるのではなく、新しいことの提案。そうしたチャレンジ精神が今に生きていると思います。その後マーケティングに異動になりましたが、当時配属されたデパート部には20代はほぼいませんでした。営業などで約10年経験を積んだ社員が異動することが多く、自分は周りより若かったですが、多分会社がチャンスをくれたんだと思います。

WWD:現在は資生堂ジャパンの戦略ブランド部で「ナーズ」の国内市場を管轄するブランドマネージャーの立場だが、期待されているミッションは何だと思うか?

山中:「ナーズ」は日本ではニッチなブランドでしたが、今はある程度育ってきました。私のミッションはあと3年で、もう一段階上のメジャーブランドに持っていくことだと思っています。マス化するのでではなくメジャーなブランドです。つまり、ブランドイメージや価値を保ちながらメジャーにするということです。「ナーズ」はここ数年、大きく成長できました。それはベースメーキャップを核に人気アイテムを育てることができた結果なのですが、ベースメーキャップは購入に際しエモーショナルな側面よりも機能的な価値が受けられてきたと言えると思います。「ナーズ」にしかない(エモーショナルな)価値を磨いて市場に伝えていくこと、ファンを増やすことが必要だと思っています。

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イタリア企業カルツェドニアPRが、新卒でマネジメント職に就き学んだこと【私が新入社員だったころ vol.2】

 「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を掲載している。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若手だったころに心掛けていたことや、それが今にどうつながっているかを取材。連載形式でお届けする。今回は、イタリア発ランジェリー「インティミッシミ(INTIMISSIMI)」やレッグウエアの「カルツェドニア(CALZEDONIA)」、ニットウエア「ファルコネーリ(FALCONERI)」などを展開するカルツェドニア ジャパンのPR&マーケティング スペシャリスト、笹岡ひかる子さんに新入社員時代について語ってもらった。

WWD:新入社員時代、どのように働いていたか?

笹岡ひかる子カルツェドニア ジャパン PR&マーケティング スペシャリスト(以下、笹岡):カルツェドニア ジャパンにはアルバイトで入って正社員になりました。経理でキャリアをスタートし、販売部門で「カルツェドニア」の店舗スタッフのマネジメントをするディストリクトマネジャー(以下DM)に。渋谷店、新宿店、池袋店、六本木店、名古屋店の5店舗を管轄していて、毎週名古屋に出張していた時期もあります。私は新卒で、店舗には年上の店長やスタッフがいたので、経験がないのに高圧的にならないよう、とはいえ甘く見られないように仕事をしていました。仕事のマネジメントはもちろんですが、スタッフの悩みごとの相談にのったりもしていましたね。スタッフとはLINEでつながっていて、週末も常にLINEをチェックするなど気を張っていました。

WWD:カルツェドニアに入社しようと思った理由は?

笹岡:「ユニクロ(UNIQLO)」のファーストリテイリングや「ザラ(ZARA)」のインディテックスのようなグローバル企業ということで興味を持ちましたが、カルツェドニアそれらとは違って、日本ではまだこれからという状況。だから一緒に成長できると思いました。本国であるイタリアからのスタッフも多く、日々働く環境もグローバルであることにも魅力を感じました。

WWD:新卒で、いきなり管理職に?

笹岡:私が新卒では初のDMでした。販売スタッフ一人一人の売り上げなどを管理する仕事でしたが、スタッフに「笹岡さんは数字しか見ていない」と言われたこともあります。ある人に、「まずは、人間関係作りから始めないと。数字について話すのは、スタッフに自分の弱みも見せて信頼関係を築いてから」と教えられました。

WWD:新入社員時代に苦労した点は?それをどう乗り越えたか?

笹岡:年下から年上まで経験の異なるスタッフがいたため、人間関係では難しいと思うことも多かったです。私が発する一言がスタッフの悩みにつながることもあるので、言葉使いには気をつけましたね。一人一人のスタッフを束ねることやスタッフのモチベーションをどうキープするかという点に特に苦労しました。コロナで何が正解か分からない状況だったときは、スタッフの配置やモチベーションアップが本当に大変でした。物事の伝え方を変えてみたり、マネジメントやリーダーシップなどの本を読んだり、先輩に相談したりするなどして乗り越えました。

20代は吸収するしかない年代

WWD:新入社員時代のどのような経験が今どのように生きているか?

笹岡:2021年にPR&マーケティングという現在の部署へ異動しましたが、販売部門でDMとして話し方や言葉の選び方について学んだことがコミュニケーションに役立っています。また、部署によって意見が対立することがありますが、(店頭で販売する)営業チームのありがたみを実感してきたことが、社内で同じ方向を見ていくために役に立っています。店舗スタッフには本社の動きが見えにくいので、できるだけ情報を伝えるようにしていて、広告が店舗とどうつながっていくかを店舗スタッフに見せることが大切です。だから今でも、週に一回は店舗に行ってスタッフに声を掛けるようにしています。

WWD:自身のモットーは?

笹岡:まず、ノーと言わないことです。20代は吸収するしかない年代です。とにかく挑戦してみることが大切。

WWD:新入社員に勧めたい“やっておくといいこと”は?

笹岡:パワーポイントやエクセルを使いこなせるようにしておくこと、ビジネスに関連する本を読むことや、他分野の知識を広げることですね。勉強することが大切です。勉強だけしておけばよかった大学時代には、このようなことを思う日が来るとは思いませんでした。また、社内では英語を使うことが多いのですが、(日本の取引先とのやり取りのために)ビジネス日本語を学んでおけばよかったです。

WWD:仕事で嫌なことがあったときのストレス解消法や気持ちの切り替え方は?

笹岡:映画やリアリティーショーを見て泣くとスッキリします。経済書などを読むことで、感情を無に持っていくこともあります。長期的には、旅行に行くことです。国内は温泉や海などの自然のある場所が好きですね。海外はヨーロッパに行くことが多く、町を歩いたり美術館に行ったりします。環境を変えることでかなりリフレッシュしますね。

WWD:新入社員へのエールは?

笹岡:何があっても前を見て、少しでも前進すること、自分を客観視して、謙虚に自分の身の丈に合ったことをすることです。

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ユニクロで50人のプロジェクトを束ねるMDが語る、若手時代に磨いたリーダーシップ【私が新入社員だったころ vol.1】

 「WWDJAPAN」は4月3日号で、ファッション&ビューティ業界の新入社員や若手社員に向けて、「プロになろうーー知っておくべき業界の今」と題した特集を企画した。それと連動し「WWDJAPAN.com」では、業界で活躍するアラフォー世代以下のリーダーたちに、自身が若手社員だった頃に心掛けていたことや、それが今の仕事にどうつながっているかを取材。連載第1回は、ユニクロで「UT」の氏家慶多MDリーダーに話を聞いた。新入社員や若手社員の皆さんは、先輩の言葉の中にぜひ働き方のヒントを見つけてほしい。

WWD:就職先にユニクロを選んだのはどんな理由からか。

氏家慶多ユニクログローバル商品本部UT事業推進部UTコラボレーションMD・商品計画チームリーダー(以下、氏家):一番大きかったのは、若くして活躍できる環境があるということと、グローバルな企業であること。日本にはそういった企業が実はそんなに多くないと思う。就活で会社説明会に何社か参加したが、ユニクロの担当者が自分たちは本気で世界一を目指しているんだと語る姿はインパクトが強かったし、非常に共感した。また、私が学生時代を過ごしたのは1990〜2000年代で、アメカジや裏原カルチャーの全盛期。服自体もともと好きだったことも入社理由だ。

WWD:衣料品店でのアルバイト経験などはなく、配属先の山梨・富士吉田店で初めて服を売ることになった。

氏家:配属辞令が出る日の朝、家から当時蒲田にあった本社に向かう際に、電車の中から富士山がとてもきれいに見えたのを覚えている。それで配属先が富士吉田。運命的なものを感じた(笑)。富士吉田店には当時50人前後のスタッフがいて、売上高は年間5〜6億円。この店舗で長く働いているスタッフもたくさんいる中で、経営幹部として入社して、いきなり店長の代行者を任せられる重責を感じたが、店のメンバーとどうやったら商品の魅力が最大限にお客さまに伝わるかを考えることはすごく楽しかった。毎週月曜に商品が入荷すると、皆で「これはどういう人に売れる商品か」「どんな風に売るといいか」といったことを考える。もちろん本部からの指示もあるが、富士吉田は観光客が多くカジュアルアイテムが好まれ、地元住民は比較的年配者が多い。そういった店舗特性に合わせて商品の見せ方をアレンジしていくのは面白かったし、売り上げにもつながった。売り上げはお客さまから評価されたことの証だ。すごくいい経験になった。

WWD:吉祥寺の店舗を経て、24歳で店長職に就いた。数字に責任を持ち、スタッフのマネジメントも行う店長は1つの商店の社長にもよくたとえられる。どんな苦労があり、それをどう乗り越えたか。

氏家:売り上げ、利益といった会社が掲げる大命題があり、それを店舗に今いるメンバー、有限な時間の中で構築していくことには難しさもあった。トライ&エラーしながら、店舗の組織を変えたり、人員配置を変えたり。異動して何店舗か経験する中で、店舗のある地域によって、働いている人の気質も異なるということにも気付いた。そのような(さまざまな変数がある)中で、売り上げや利益目標を達成するチームをいかに作るかという点ではその時々に苦労があった。

 店舗や地域のことを何も知らない人間が突然店長として現れて、本部からの指示そのままの言葉で目標を語っても店のメンバーには響かない。会社の考えは理解しつつも、それに対して自分はどう思うか、どうしたいかという自分の言葉でみんなに伝えないと、頭でっかちなだけで全然伝わらない。実際、そういうことも何度もあった。自分よりもベテランのスタッフも多い中で、彼らの経験をリスペクトしつつそこから自分は何を学ぶか、彼らの働き方をさらに引き上げていくような動機付けをいかに行うかといった点などは、仕事をしながら身につけていった。仕事だけではないコミュニケーションの部分も大切だ。自分自身をさらけ出して知ってもらって、相手が自分に対してどう思っているかを受け入れながら人間関係を築いていく。結果的に、それがいい組織やチームを作ることに一番つながったと思う。こうした経験はどんな組織、職場でも大切だろうが、それを若くして身に付けられる環境にあるというのがユニクロの特徴だと感じる。

WWD:数店舗で店長を務めた後、スーパーバイザー(エリアマネジャーを指す)を経て入社7年目に本部に異動。メンズ担当のMDになった。本部への異動はどんな経緯だったのか。

氏家:ずっとMDになりたいとは思っていたので、それは面談などで伝えていた。しかし、ユニクロの場合は現場を知らないと仕事がうまくいかない。だから、自分のけじめとしてスーパーバイザーまでは現場でしっかりやり切ると決めていた。それでスーパーバイザーを丸1年やって、そろそろMDにチャレンジしたいと思っていたときに、偶然本部から声が掛かって異動することになった。(異動に限らず)なりたい自分を第三者に発信しておくことは大切だと思う。秘めていても分からないので意志は伝えていくべきだ。

 MDという職種は知っていても、何をしているか実態が分からないという人も多いだろう。商品をどう売っていくかを考えるという点で、本質的にはMDの仕事も店頭の販売と同じ。ただ、MDはそもそもどんな商品を作るか、どれだけ作るかといったより川上の段階から取り組むことになる。MDは何でも屋で、商売の根幹を作りながら、最後の1点を売り切ることにまで責任を持つのが仕事。MDの部門内だけで仕事が完結することはほとんどない。マーケティング担当、生産担当、デザイナー、商品が売れ残ったときには店頭といったように、さまざまな部門と連携を取って、商品を企画・発信し、売り切っていく。(グローバルな働き方が必然となっていく中で)米国や中国の担当者とやり取りをする機会も多くなっている。

意志を表明することで、仲間が集まる

WWD:今はグラフィックTシャツ「UT」のMDを担っている。さまざまなコンテンツとの話題のコラボレーションも多いが、ヒットの芽はどのように見つけるのか。

氏家:「UT」はあらゆる人にとっての、カルチャーを知るきっかけになることを目指しているブランド。たとえば、幼いころにキース・ヘリング(Keith Haring)の「UT」をそれとは知らずに着ていた人が、大人になってアートに興味を持ってくれたら嬉しい。そういう意図で運営しているので、単に話題のコンテンツとコラボして売り上げを取っておけばいいというものではない。若いころから意識的にいろんなところにアンテナを張るようにしていたことは、今の仕事に生きていると思う。(若手業界人へのメッセージとしては)家電でも美容でも映画でも漫画でもジャンルは何でもいいが、興味があることはより深く知る努力をしてほしい。興味がないと思っていたことも、触れてみたら景色が変わることもある。アンテナを広く張って興味関心を広げることは必ず将来の糧になる。私自身も富士吉田にいたころに、休日にすることがなくて映画を観たり、本を読んだりしていたことが、「UT」担当になって生きている。

WWD:MDとして米国赴任も経験した。異文化を背景に持つ米国のメンバーと仕事をするのは、日本で店長としてスタッフをまとめていくこと以上のカルチャーギャップがありそうだ。

氏家:まだ米国の店舗数が今のように多くなかったころ、1年間赴任した。日本と米国のスタッフが一緒に働いていくための仕組み構築のために、教育の意味合いも兼ねて日本から10人ほどのチームで行ったが、MDはここでも何でも屋。気づいたことは何でもやるスタンスだった。当時、米国は部門ごとの縦割りで仕事をしている印象が強かったので、情報を連携して、どう組織に横ぐしを刺していくかを意識して動き回った。日本でできている当たり前を、米国でも当たり前にするための土台作りだ。現地のスタッフは、日本企業で働いているだけあって日本文化に明るいし、オープンマインドで日本のことを好きでいてくれている人が多い。自分の英語力には問題もあったが、ボキャブラリーは一旦置いておいて、端的な単語で伝えるとか、分からない表現はその都度調べるというのを繰り返して、積極的にコミュニケーションを取るようにしていた。

WWD:22年からは「平和を願うチャリティーTシャツプロジェクト」である「ピース・フォー・オール(PEACE FOR ALL)」のプロジェクト推進役を担っている。建築家の安藤忠雄や映画監督のヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)など重鎮も参加し、社内では部門を超えて50〜60人が関わるプロジェクトだと聞く。プロジェクトをまとめていくため心掛けていることは何か。

氏家:「ピース・フォー・オール」は、柳井(正ファーストリテイリング会長兼社長)から22年3月に立ち上げの話が出た。その時点で「5月の連休にはもう店頭で売りたい」というスピード感だった。そのためにはどのような相手(著名人やデザイナーなど)と取り組むべきか、彼らの平和への願いをどうTシャツのデザインに落とし込むか、グローバルで同時に発売するためにはどのような手順が必要か、短期で生産するためにモノ作りではどんな準備をするかなど、決めなければならないことは山のようにあった。部門を超えて50〜60人が参加するプロジェクトとなり、今でも週に2回、議題ごとのミーティングをそれぞれの担当者で行っている。私の仕事はミーティングを進行し、分野ごとに課題や期限を決め、全体の共通課題としてまとめ上げていくこと。これまで社内でさまざまな仕事やプロジェクトに関わってきたが、これだけ短期間に多くの人が1つの目的に向かって、各所でつながりながら同時に動けた経験はなかったように思う。

 どんなミーティングもプロジェクトも、“フワッと”したところからは始まらない。自分の意志を持って、「自分はこう思っていてああしたいから、あなたにはこれをしてほしい」と伝えることで、賛同してくれる仲間やアイデアが集まってくる。チームや組織をリードしていくためには、自分の考えをまず発信することが大切だと思う。同時に、自分の意見ばかりを押しつけるのではなく、いろんな意見やアイデアが出てくるような環境を作ること。意見をミックスして、皆でより良いものを作り上げることが重要だ。ここには、店長や店長の代行だった時代に、チーム作りのために店舗で試行錯誤した経験がかなり生きている。

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「インスタグラムのフォロワー数が伸び始めたきっかけはメイク投稿」【二刀流美容師:SHIMA】

 ヘアだけでなく、メイクアップもこなす美容師を“二刀流美容師”としてピックアップする連載企画。インスタグラムによる集客が主流となった今、ヘアスタイル投稿だけでなく、メイク投稿もできるとサロンユーザーの関心をより引き付けられるため、注目度が増している。第3回は「SHIMA HARAJUKU LEAP(シマハラジュク リープ)」のSAYAKAトップスタイリストに、 メイクを始めたきっかけや、美容師がメイクもやることのメリットを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):メイクにはどのように取り組んでいる?

「SHIMA HARAJUKU LEAP」SAYAKAトップスタイリスト(以下、SAYAKA):メイクは、お客さまのご希望があればお受けする形にしている。あと撮影の際は、極力自分でメイクをするようにしている。ヘアを作るうえでメイクの感じも合わせていかないと、トータルスタイルを打ち出すことはできないと思う。

WWD:顧客からの希望があるのはどんなとき?

SAYAKA:最近だと成人式や卒業式のセットが多い。あと普段のメイクでも、「韓国風にしたいけれど、自分ではできない」というお客さまから求められるケースも多い。

WWD:メイクはいつから、どのように勉強している?

SAYAKA:私はヘアだけでなくメイクもすごく好きで、学生のときから個別にメイクレッスンを受けに行ったり、モデルに施したりして勉強していた。あとユーチューブのメイク動画も役立った。入社してからは、1年目から先輩のコンテストや撮影に同行させてもらってメイクをしていて、スタイリストデビューと同時にお客さまにメニューとして提案し始めた。

WWD:以前からインスタグラムにメイクの投稿をしている。

SAYAKA:メイク系の投稿も結構行っていて、評判もいい。最初にフォロワー数が伸びたのは、メイクの投稿を行ったときだった。“盛れる”といったワードや、“純欲メイク”(血色感などであどけなさを強調したメイク)など流行りのワードを入れるとアクセス数が伸びる傾向がある。

WWD:メイクのトレンドや技術はどこから仕入れている?

SAYAKA:私は“BLACKPINK”などの韓国アイドルが好きなので、彼女たちを担当するメイクアップアーティストのインスタグラムやユーチューブを見ている。あと(欧米系の)海外からインスパイアを受けることも多いので、海外セレブのSNSもチェックしている。

WWD:美容師がメイクにも取り組むことのメリットは?

SAYAKA:取り組んでいる美容師が少ないので武器になるし、撮影にも有利だと思う。あとお客さまに「この人はヘアもできるし、メイクもできる」と認識してもらえることで、安心感というか“分かってくれている感”が生まれ、安心して任せてもらうことができる。お客さまにも「このアイシャドウの色、似合いそうですね」などと提案したり、お客さまからも「どんな感じのメイクが合いますか?」などと聞かれることが多くなったり、コミュニケーションの幅が広かる。

WWD:今年の春夏に提案するヘアカラーのトレンドと、それに合わせるメイクは?

SAYAKA:やっぱり春先は明るめのヘアカラー。「イルミナカラー」から4月6日に登場する新色3シェード(“マリーン”“ビーチ”“サンセット”)のようなベージュ系が流行ってくる。それに合わせるメイクは、コーラル系などの暖色系で艶のある感じがいい。ベースを艶のあるものにしたり、ハイライトなどもパウダーではなく練りものを使ったりするのがおすすめ。艶感がすごく大事。

WWD:SAYAKAさんがヘアを手掛けた「イルミナカラー」新色3シェードのビジュアルでも、艶のあるメイクだった。

SAYAKA:(メイクは「SHIMA」ヘアメイクチームが担当したけれど)全体的にナチュラルで、リップもコーラル系で仕上げてくれたり、艶感のあるアイテムを使ってくれたりして、すごく良かった。

WWD:「イルミナカラー」の新色3シェードに代表されるような、解放感のあるL.A.(ロサンゼルス)のムードを感じさせるトレンドもあると思うが、L.A.トレンドのヘアに合わせるメイクは?

SAYAKA:L.A.でも、コーラル系で艶感のあるヌーディーなカラーが流行っている。またセレブのインスタグラムを見ていると、リップペンシルの薄い色でラインをとってヌーディー系で仕上げるリップラインも流行っているので、そういうのを取り入れたい。

WWD:L.A.テイストを求める方には、どのようなヘアカラーを提案する?

SAYAKA:ハイライトをベースにしたい人が多いので、「イルミナカラー」をかぶせて使い、きれいにベースカラーを出したいと思う。徐々に海外旅行に行けるようになってきていて、留学生を担当することも多いので、実際のサロンワークでも提案している。

WWD:例えば「イルミナカラー」の新色3シェード、“マリーン”“ビーチ”“サンセット”を使った場合、どんなヘアカラー&メイクを提案する?

SAYAKA:“マリーン”はくすみ過ぎないベージュのイメージで、きれいに赤味を消しつつ、ベージュ感の強い仕上がりをかなえることができる。それに合わせるメイクはハイライトでメリハリをつけて、肌の艶感と髪のコントラストをつける感じの提案をしたい。“ビーチ”はアッシュ味が少なく、春夏っぽい軽めのベージュで柔らかい雰囲気に仕上がるので、「明るくしたい」「柔らかくしたい」というお客さまにおすすめ。そういうお客さまには、艶感のあるメイクや、コーラル系のメイクを合わせたいと思っている。“サンセット”はピンクブラウンが好きなお客さまや、パキッとしたピンクと赤の間の色にしたいお客さまに提供したい。そういうお客さまには、ちょっと濃いブラウンや赤寄りのブラウン、赤っぽいメイクをおすすめしたい。

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ブルーボトルコーヒー創業者が「コーヒーのみ」8000円のコースメニューで表現する至高の体験価値

 ブルーボトルコーヒージャパンは、コーヒー数種のコースメニューを提供する新業態「ブルーボトル スタジオ(BLUE BOTTLE STUDIO以下、スタジオ)」の1号店を京都に3月31日オープンした。

 「スタジオ」は、築100年を超える古民家をリノベーションした既存店「ブルーボトル 京都カフェ(以下、京都カフェ)」はなれ2階の一室。歴史を感じさせる漆喰と畳張りの空間で、カウンター越しに熟練のバリスタが1杯ずつ丁寧にドリップ&サーブする。世界中から厳選した豆を使い、独創的な方法で抽出したコーヒーやオリジナルドリンクを提供する。

 コースはコーヒーチェリーの果実部分を使用したドリンクから始まり、希少なシングルオリジン豆3種の飲み比べ、ネルドリップの濃厚なコーヒー、カフェオレと続く。合間には一口サイズのスイーツを提供するが、役割はドリンクの味を引き立てたり、味覚をリセットしたりすること。あくまで主役はコーヒーだ。

 コースは各回4席の予約制で、1人8250円。コーヒーの相場が1杯数百円であることを考えればかなり攻めた価格設定だが、5月初旬の大型連休まで予約はほぼ満枠という。

 30日に行われた内覧会に合わせて、米ブルーボトルコーヒー創業者のジェームス・フリーマン(James Freeman)が来日。現在は経営から退いているものの、「スタジオ」を創業(2002年)から培ってきた思想や創造性を凝縮した場とすべく、メニューや空間の設計に全面的に携わった。彼のコーヒーに向き合う姿勢や探究心、「スタジオ」1号店の出店地に京都を選んだ理由を聞いた。

WWD:日本に対する印象は。

ジェームス・フリーマン「ブルーボトルコーヒー」創業者(以下、フリーマン):私は「ブルーボトルコーヒー」の故郷は日本にあると思っている。喫茶店という文化が大好きだ。15年前、日本で初めて喫茶店に入ったときの衝撃が忘れられない。渋谷の「茶亭 羽當(はとう)」という店だ。カウンター越しにマスターの職人技のようなドリップを眺めた。カップに注がれるのを待つ時間、カウンター越しの距離感は、まさに僕の理想とするものだった。

WWD:「スタジオ」の1号店に京都を選んだ理由は。

フリーマン:「ブルーボトルコーヒー」は、はるか昔からあるコーヒーという文化を、どう現代にフィットする形で表現するかを考え続けてきた。グローバルでは100店舗以上を展開しているが、この「京都カフェ」はその考えを最も象徴的に表現している店舗の一つだからだ。100年以上前からある京町家をリノベーションすることで、過去のものを風化させずモダンに作り変えた。時を重ねた建築木材と漆喰の空間で過ごしていると、私自身も「ブルーボトルコーヒー」の哲学を反芻しているような感覚になる。

WWD:中庭があり、内と外が溶け合うような設計がユニークだ。

フリーマン:「ブルーボトルコーヒー」ではコーヒーだけでなく、空間も含めてお客さまに提供する価値だと考えている。ここでコーヒーを頼んで椅子に腰掛けると、さまざまな「音」が聞こえてくる。レコードプレーヤーから流れる音楽、木々の葉の擦れ合い。外では他のお客さまが中庭の砂利を踏みしめている。それらを聴きながら傾ける1杯は、とても奥深い味わいになる。

知識、経験を余すところなく表現
コーヒーを高尚にするつもりはない

WWD:日本人のコーヒー文化に対する理解は。

フリーマン:日本人は創作において、無駄を削ぎ落として素材のピュアな魅力を楽しむ。その技術やプロセスに対する尊敬もある。日本には現在24の店舗があるが、私が創業した時にはここまでスケールできることを想像していなかった。それができたのは「ブルーボトルコーヒー」が大切にしていることと、日本人の感性に重なる部分があったからかもしれない。

WWD:「スタジオ」で伝えたいこととは。

フリーマン:私がこの20年で培ってきた知識や体験を通じて、今考えうる最高のコーヒー体験を表現する。豆の繊細な個性を引き出すためのさまざまな方法をカウンター越しにお見せする。日本人の皆さんなら、きっとその時間を楽しんでいただけると思う。例えば京都でうなぎ屋さんに入って、漂ってくるいい匂いを感じながら、ゆっくり待っているときのようにね。「スタジオ」は京都を足がかりに他の地域、国にも広げていくことを考えている。ただもしアメリカで同じことをやろうものなら、「まだか?早く飲ませてくれ」と舌打ちされてしまうかもしれないね(笑)。

WWD:レストランでコース料理も食べられるような価格設定だ。

フリーマン:僕はこのコースの価格決定のプロセスには関わっていないんだ。価格を高くすることで、コーヒーを高尚なものにしようという意図はない。私がこれまで培ってきた知識や経験をすべて注ぎ込んで、それをお客さまに余すことなく伝えられるにはどうしたらいいか?しか考えることはなかった。(価格は)もちろん決して安くはないけれど、ここでの体験を通じてそれだけの価値を感じていただけると思っている。「こんな味わいがあるんだ」「抽出の仕方でこんなに変わるんだ」というふうに、皆さんのコーヒーの新しい扉を開くことになればうれしい。

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IMALUが性教育をテーマにラジオ番組 日本のフェムテックマーケットの火付け役と共に

 タレントのIMALUと、フェムケアグッズ専門店「ラブピースクラブ(LOVE PIECE CLUB)」を運営する北原みのりアジュマ代表は、FM FUJIで新番組「バイエルンから愛を込めて〜わたしたちの眠れない夜に〜」を4月2日にスタートする。ドイツ・バイエルン発のセルフプレジャーグッズブランド「ウーマナイザー(WOMANIZER)」が番組スポンサーとなり、「ドイツから多くの女性に健康と幸せを届けたい」という思いを込めて名付けた。放送は毎週日曜日夜7時30分から8時。

 同番組ではIMALUがホストを務め、さまざまな分野のプロフェッショナルを招いた性教育コンテンツを発信していく。なぜ2人が今性教育に目を向けるのか、話を聞いた。

WWD:2人の出会いは?

IMALU:去年の9月です。2020年に私が「ハダカベヤ」というポッドキャストで体や性の悩みについて語る番組を始めたことがきっかけで、いろんな出会いが広がって知人を通して紹介してもらいました。

北原みのりアジュマ代表(以下、北原):もともとIMALUさんの等身大の発信がすごく好きだったんです。もっとIMALUさんの言葉が広がるといいなと思っていたところに、今回のスポンサーであるウーマナイザーが手を上げてくれてこの企画が実現しました。

WWD:北原さんから見てIMALUさんの発信の魅力は?

北原:どんなことにも偏見を持たずに意見できる姿勢に驚きました。今もクリトリスの形のピアスを付けていらっしゃいますが、これをご紹介したときに「クリトリスっておしゃれですよね」とおっしゃっていました。なかなかそういうことを言える人っていないよなって。

IMRU:ちょっとおしゃれじゃないですか(笑)。オランダのプレジャーグッズブランド「バード(BIIRD.)」のアクセサリーで、みのりさんに紹介してもらいました。この時クリトリスがこんな形をしていることを知りました。発信してくれる先輩がいるからこそ出合えたブランドです。

北原:過激なものやユニークなものではなくて、自分の体のおしゃれな部分というふうに転換してくれて、私自身もハッとさせられました。こういうIMALUさんの言葉をもっと聞きたい。ラジオは一番言葉が届く世界だと思うので。「クリトリスはおしゃれ」は番組の裏テーマですね(笑)。

WWD:フェムテックの広がりもあり女性が自分の体について話すことへのハードルは下がってきたように感じます。IMALUさんはポッドキャスト「ハダカベヤ」やファッション誌などでも積極的に発信を続けていますが、語ることに抵抗はありませんでしたか?

IMALU:私はもともと自分の体や性教育について全然知らず、みんなで語す場所を作りたいと思いポッドキャストを始めました。というのも、30代になった翌日からいきなり周りから「いつ結婚するの?」「子どもは欲しいの?」と質問されるようになって。最初はすごくプレッシャーを感じて、今は欲しくないけど考えたほうがいいのかな、でも産婦人科もちゃんと通ったことないしな、といろいろ考えていくうちに自分の無知に気付いたんです。始めてみてリスナーからの反応がとても濃くて驚きました。私と同じように知らない人もたくさんいて、共感してくれたり、「私はこうだった」と話したりしてくれます。その延長でみのりさんをはじめ今まで発信してきた女性たちとの縁が広がったので怖さや抵抗はなく、優しい反応が多かったです。

美容ツールとして広がるフェムテック、一方で命に関わる情報が足りていない

WWD:IMALUさんとフェムテックの出合いは?

IMALU:私は吸水ショーツに本当に救われたんです。人生変わったと言っても大げさじゃないくらい。ロケ先では、いつトイレにいけるか分からないし、行けたとしても、どんなトイレかが分からず不安でした。人の家でロケの場合は、ナプキンを捨てる場所がなくて困ったり。吸水ショーツで、その日のストレスが一気に無くなりました。でもそもそもそれがストレスだったことも気付かなかったんですよ。

北原:やっぱり今まで我慢することがあまりにも多くて、ちょっとぐらい不快でも生理なんだから当たり前、プレジャーグッズに関しても、女なんだから別にそんなに気持ち良くならなくたっていいとか、本当は100いけるのに、6ぐらいでこんなもんでいいと思っている人が多い。ご飯やファッションのように、もっと新しい体験やベストなものを求めていいんです。だから「ラブピースクラブ」でもいろんな所にニーズに気付くポイントを仕掛けるように心がけています。

WWD:この番組もその気付くきっかけの一つになると。女性誌でもフェムテック特集が組まれたりするようになりましたが、まだまだ情報が足りていないと感じますか?

北原:情報過多な部分と足りてないところのバランスが悪いと思っています。過多なのは、膣の中をきれいにしましょうといった美容的なところ。こんなにケアしなくてはいけないのかなとプレッシャーを感じるぐらいあるけれども、避妊の話やピルの種類については、どのぐらい知っているのでしょうか。実は命や健康に関わることに関しては、知識や教育が足りていない。

WWD:だからこの番組では、性教育をテーマに掲げているわけですね。具体的にはどんなコンテンツを予定していますか?

北原:ちょうど2回収録を終えたところで、1回目は「コンドームで防げる性感染症」について。2回目は「ウーマナイザー」からセクソロジスト(性科学者)をお招きし、ドイツの性教育事情や避妊の話などをしてもらいます。毎回テーマを変えていきますが日曜の夜なので、IMALUさんの明るい雰囲気でいろんな人の気持ちが引き出されるような番組にしていきたいです。「眠れない夜が訪れないように」の思いを込めてタイトルにしましたが、みんなが語り出して逆に眠れなくなってしまうかも(笑)。でも性にまつわる話題は、みんなが複雑な気持ちや経験をしてきているから、みんな語ることがある。にもかかわらず語れてこなかったことに気付いてほしい。

IMALU:リスナーとはどんどんコミュニケーションをとって、みんなの思いを共有できるような番組にしたいです。特に私と同世代の人たちやもっと若い人たちにもいろんな選択があっていいと伝えたいし、私も一緒に勉強していきたい。家族でもぜひ聴いてもらいたいです。

語ることで生きづらさが解決するきっかけに

WWD:日本の性教育の問題点はどういうところにあると思いますか?

北原:まず、性教育を受けてないことです。

IMALU:そうですね。以前アンケートで「性教育受けたことがありますか?」と聞いたときに、「ある」と回答した人は多かったですが、ドイツの性教育の中身を聞くとあまりにも質が違っていて驚きました。たとえば避妊の方法もかなり具体的に、種類や体への負担などを解説して、避妊方法を子どもに議論させたりしている。すごいなと思いました。この番組でもいろんな角度から楽しく性教育を学ぶことを目指します。

北原:女性にとって生はまだまだ生きやすい社会ではないと思います。でもそれぞれの生きづらさを口にすると、何か解決が出てくるかもしれない。IMALUさんの言葉を通して何かが変わっていってほしいと願っています。

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【動画】トレンドは“デニム”と“テーラード”  東コレ2023-24年秋冬来場者をキャッチ

 日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)は2023-24年秋冬シーズンの「楽天 ファッション ウィーク東京(Rakuten Fashion Week TOKYO以下、東コレ)」を開催した。今回、「WWDJAPAN」映像チームはトレンドアイテムの“デニム”と“テーラード”を着用した来場者のスタイルを調査した。

 Z世代を中心に人気のリバイバルファッション“Y2K”によって1990~2000年代初頭に盛り上がった、デニムルックが再燃している。23年春夏シーズンのコレクションも、デニムのアイテムを発表するブランドが国内外で多く見られた。23-24年秋冬の東コレでも「チカ キサダ(CHIKA KISADA)」や「フェティコ(FETICO)」、「シュタイン(STEIN)」などがデニムのルックを披露。ショー会場でもデニムを取り入れたスタイリング上級者が多かった。

 また、テーラードを軸にしたスタイルも台頭。23-24年秋冬シーズンのコレクションでは「サンローラン(SAINT LAURENT)」や「バレンシアガ(BALENCIAGA)」をはじめとしたエレガントが目立った。東コレでも「タカヒロミヤシタザソロイスト.(TAKAHIROMIYASHITATHESOLOIST.)」や「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」などもテーラードを軸にしたコレクションを披露した。会場にも、テーラードを独自に着こなす来場者を多数見かけた。

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WMHグループが10年を経て考える ファッションビジネスの明るい未来

 デジタル化が進む過程で、トレンドやコミュニティーは細分化と同時に短命化する傾向にあり、ファッションビジネスに求められるものも大きく変わっている。ファッション、そしてビューティ領域に特化したグループである、ワールド・モード・ホールディングス(以下、WMH)ではこれからのファッションビジネスをどう考えているのか。WMHの小西聡常務取締役が、ファッションと日本文化に精通するロバート キャンベルを迎え語り合った。

社会背景から読み解く
ファッションビジネスの現在地

WWDJAPAN(以下、WWD):WMHはファッションビジネスを支えるため、長い間業界と向き合っている。近年のファッションビジネスをどう捉えている?

小西聡WMH常務取締役(以下、小西):今は地政学的混乱も影響し、社会のイデオロギーが揺らぎ、ファッションの方向性も変わっていくのでは?という予感を持っている。ファッションは、社会的基盤と切り離すことができない。かつて明確だった価値のヒエラルキー(終身雇用や年功序列等)は、バブル崩壊後に崩れた。さらにデジタルの進展の過程で価値の微分化、短命化が進んだ。価値とも呼べない気分のようなものがSNS上で日々膨大にやり取りされている。このような中でブランドを成立させることが難しくなっている。

2000年頃には、アメリカ的な価値観の行き詰まりが始まる一方、市場は地球規模で拡大を続けた。大資本を背景にしたマスブランドの力が相対的に強くなっている。
ファッションは芸術や文化、経済性が渾然一体としたものだと思うが、経済的要素が前面に出すぎると創造性が退行する。もう一度、本来ファッションが持つ、先端性、前衛性、創造性をとり戻すことが大切ではないかと思う。

WWD:ラグジュアリーとマス・ファストファッションに二極化し、資本力が乏しいアップカミングな人々でも活躍できる両者の中間のフィールドが失われている。

ロバート キャンベル(以下、キャンベル):個人の価値観はファストファッションと超ハイブランドの間にある“真ん中”を基点に、年齢やステイタス、ライフイベントに合わせてアップデートしたり築き上げたりしていくものであるが、“真ん中”がないとそれができないのではないかと思う。

ヨーロッパでの戦争や、アメリカにおける民主主義的なぐらつきは、同じ社会現象を見ても人々が同じように認識できない認知能力の分裂を示していて、それはファッションにかなり反映されているように感じる。

小西さんが言う、価値のヒエラルキー、憧れの構造体の崩壊についても同意だ。デジタルの発展により人々の選択肢が無数に広がった。現代は、それまで自己表現もできなかった人々が自分のアイデンティティーを自ら総合的に組み立ててゆく時代だ。

WWD:ファッションをビジネスの側面から見れば、利益を出す経済性、サステナビリティやダイバーシティーといった社会性はもちろん、“自分たちが何をしたいのか”という内発性が一番重要だ。ブランドやクリエイターがこの内発性にフォーカスするうえで、WMHのように多方面からファッション業界をサポートしていく存在は大きな意味を持つ。彼らが経済性や社会性を学ぶ環境を提供し、本来一番大事な内発性にフォーカスできる体制を整えて欲しい。

小西:ブランドが「定見」を持ちにくい世の中になった。かつては、もっとブランド側から社会に発信するテーゼを探っていたように思う。例えば、60年代のPOPカルチャーの時代、80年代のポストモダンの時代。WMHは個々のクリエイターが世に出したいものをビジネスの仕組みの面で支えていきたいと思っている。そうしてブランドから社会に新しい価値観や方向性を発信するお手伝いをできればと思う。

キャンベル:軸が建ちにくい時代というのは、すぐそばにチャンスがある時代でもあるとも言える。自分が関わっているラジオ局では70年代の名曲から最新のヒット曲をまぜこぜにして放送している。それを若い世代は、ひとつの気分として捉えていて、古い、新しいという区別はない。組み合わせて、崩して合わせる行為が新しさという価値を持つ。

昨年12月に私は茶道の道具についての本を出したが、茶の湯の道具というものは、例えば千利休が好んだということが価値になる。オーガナイザーとしての役割を果たす利休を中心に、器物や掛け軸といった、さまざまな要素で構成される価値体系が生まれる。

TikTokやインスタグラムなどのSNSで面白いと感じる投稿がある。ファッションだけを投稿するのではなく、メイクやダンスと渾然一体となったものとして表現しているものがバズる。いくつものベクトルが同時に存在するコンテンツが評価されている。

エステティック(審美)やカッコいいと感じさせる気分、価値の呼応、共振など、自分の才覚や仲間、良いものに行き着くための自分だけの道がそれぞれにある。チョイスに対して何かを感じ、表現することにこだわり、そのこだわりに気付く感覚が今の若い人にはある。

WMHはグループ各社が異なる機能を持ち、顧客課題に合わせて、単体でまたは連携してふさわしいサービスを提供している。さまざまな構成要素を持ち、いくつものベクトルが同時に存在するという点で、似たものを感じる。

小西:価値のカオスから再構築するところに、むしろ面白さやチャンスがあるということだろうか。日本には伝統的に西洋的な「善と悪」や「神と悪魔」という二元論的なものの捉え方はせず、混沌としたものを総体として捉える文化がある。雑然とした関係につながりを見出し、新しい価値を生み出す創造性を持っている。冒頭で述べた社会基盤が崩れて方向性が見えにくいという現在の状況は、ある意味で危機的とも考えられるが、混沌とした中から日本的なクリエイションを紡ぎだす好機かもしれない。

WWD:個人が好きなように表現できることを良しとする消費者が増えるとしたら、WMHのようにさまざまな法人を持ち、さまざまな形で支えられる存在は、これからのブランドにとってかけがえのないものだ。

小西:人材、教育、店舗、マーケティング、IT、空間デザイン、海外支援などの事業ネットワークをさらに広げ、お客さま、お取引先、クリエイター、各種専門家の方々の橋渡しをしながら新しい社会的価値を創造していきたい。同時に経営面をサポートしながら、事業体の革新性の中心になるクリエイターを支える。この両面をやっていきたいと考えている。

消費者に寄り添い過ぎない
ブランドを創造

小西:経営的側面で言えば、DX(デジタルトランスフォーメーション)やCX(カスタマーエクスペリエンス)などの言葉先行ではなく、バリューチェーン全体の経営システムをデジタル起点で再構築する地道で継続的な経営変革が本来は求められる。

また、クリエイションの観点から言えば、市場や消費者に過剰におもねらない主張のあるブランド作りに寄与したいと思う。売らんがために市場に受け入れられることに目を向けすぎると、ブランドとして成立しなくなってしまう危険性がある。 

キャンベル:テレビ業界でもまったく同じことが起きている。想定しているマーケットに寄り添うコンテンツばかりを作り、結果として面白くないと人が離れてしまう。

バブル崩壊後、消費傾向はどんどん目減りしている。10代から30代の消費者は、クルマや飲食やファッションに張り込んでも、ペイバックがないと考えている。

一方、コロナショックで海外の宝飾ブランドが非常に好調だったというトピックもある。特に女性が、外向きの消費ではなく自分自身のために価値のある宝飾を手に入れようとした。持続的かどうかはさておき、高度経済とは違う、ひとつの新しい消費行動が生まれていた。過去や現状を意識しながら価値の再構築をしていくことが求められている。

小西:需要を探すのではなく、需要を作るというマーケットクリエイション的な視点は、これから重要だと考えている。クライアントの課題解決とともに、クライアントのリソースから新しい展開を図るというお手伝いができれば、非常に光栄だ。デザイン面における創造性と同じように、経営革新における創造性も社会にエネルギーを与える大きな要素だ。

キャンベル:東京の立川駅前に多くの土地を持っている企業があり、その企業が主体で新しい街区が完成した。温泉を掘り、インフィニティープールがあるホテルを作り、市民が集えるホールを作り、商業施設がある。そのテナントはほとんど西東京の中規模な企業で、地域ですごく愛されて面白いことをしているものに限っている。キャンプが盛んな地域だが、著名ブランドが入るのではなく、西東京で面白いキャンプグッズを作っている若い人が店を構え、そしてその街区は人をひきつけものすごく成功している。

デベロッパー主体でありがちな商業施設をいくつも作るのではなく、その土地に根ざした人々をマトリックスのようにつなぎ合わせて訴求力のあるものに仕上げてゆく。たくさんのノード(個)が集まり、集合体になったときに新しいものが生まれるような存在を作っていく。ブランドというよりもラボのようなものがこれからの未来に必要なのではないか。

小西:日本には、商社という特殊なビジネス形態を生みだし、高度経済成長のけん引役を担ったという歴史がある。異質なものを融合させ、事業をオーガナイズしていくという独自の文化は日本の強みでもある。ファッション・ビューティに特化した私共のネットワークを駆使し、オーガナイザーとして新しいものを生み出していきたい。

キャンベルさんとの対話により、異質なものも受け入れつつ、混沌とした中から新しい価値を創造していくという日本的なクリエイション、ネットワークの中でアメーバのようにふるまいながら新しい価値を創造していくという可能性に目を開かせていただいた。良い意味で消費者の期待の範囲を超え、そこに消費者が自らの思いを載せていけるようなストーリー性のあるブランド作りをお手伝いしたい。心が躍る世界観を提示できるクリエイターとともに歩むことがファッションの未来につながる、そんなビジョンをあらためて持つことができた。

ワールド・モード・
ホールディングスとは?

 ワールド・モード・ホールディングスは、専門性や教育力を強みとする人材サービスの「iDA」、研修や店舗メソッドを提供する「ブラッシュ」、広告やSNS、ECなどを自在に組み合わせクライアントの課題解決を目指す「AIAD」、顧客とのタッチポイントに点在するデータをテクノロジーを使い分析し中長期的戦略を提供する「AIAD LAB」、接客スキルの高い販売員らが店舗運営を代行する「フォーアンビション」、コンサルティングから施工までVM領域のあらゆるサービスと教育にも力を注ぐ「ヴィジュアル・マーチャンダイジング・スタジオ」の国内6事業会社で構成。そしてシンガポール、オーストラリア、台湾、ベトナム、マレーシアの海外5カ国の拠点を有する。各社の高い専門性と連携を生かして、ファッション・ビューティ業界を専門に、クライアントの課題に応じた実効性の高いソリューションを提供するグループで、2022年に設立から10周年を迎えた。

 グループ一丸となって業界のサステナビリティへの貢献を目指し、販売員を対象としたウェビナー開催など、業界全体の発展を支えるための活動にも取り組んでいる。

社長が語るこれからのWMH
“人とサービスの
プラットフォーム”へ

 WMHグループが誕生してから10年が経つ。父が創業し二代目のバトンを受けた人材サービスの会社に研修会社を加え、その後マーケティングや店舗開発・運営など、様々な分野の事業会社や専門性の高いプロフェッショナルとの縁に恵まれ、WMHは現在国内に6事業会社と海外に5拠点を持ち、総合ソリューショングループとして活動している。

 取り巻く環境は複雑化している。局所的な対応では本質的な課題解決は難しい。現在の主要なトピックは、デジタル対応の推進とリアル店舗での体験との融合、IT投資による生産性や在庫効率の向上、海外からの消費者と働き手の獲得、海外への事業展開、そしてサステナビリティへの対応の推進など、部門横断的に取り組むべき課題が増加している。WMHグループ各社が単一のサービスを提供するだけでなく、グループ内の連携をより活発にして複数の選択肢を用意する、あるいは必要に応じサービスを融合することが実効性を高める。多角的な視点でクライアントの本質的な課題を解決する姿勢が今後求められると感じている。

 ファッションの仕事は人生に豊かさを提供する。人の心を動かす心のこもった対応や創造性の創出は、機械にはできない人間のみが可能な仕事だ。転換期を迎えているファッション業界の変革にも、人の情熱が必須。WMHグループは人の成長と専門性の高いソリューションによって付加価値を生み出し、ファッション業界を盛り上げ、さらに魅力的な人材を多く業界に集めるといった好循環に貢献する。海外展開についても本部機能を増強し、まずアジア太平洋地域で存在感を示せるよう成長を加速する。世界中のファッション市場や地域社会の発展に貢献し、日本と各国でさらに人と企業が行き来し、持続的に成長する未来を実現する。

 働き手の不足について相談が多く寄せられている。弊社の人材サービスにて鋭意対応することはもちろん、多くの働き手を惹きつける魅力的な業界になるよう業界全体が協力し合い課題解決していきたいと考える。さらに企業間連携や業界横断的な活動にも積極的に取り組む。

 次の10年では、世界中のパートナーやコミュニティーと繋がり、”第二創業”の意気込みで、業界の持続的な発展を支える“人とサービスのプラットフォーム”を目指す。そして業界中の人々とともに、ファッションの力で世界の人々を豊かにしていきたい。

INFORMATION
2月8日開催 サステナビリティウェビナーのアーカイブ動画を期間限定で公開
「ファッションの現場から発信するサステナビリティ
~ポストコロナにおける業界の変化を知り、行動する~」

登壇者:向千鶴「WWDJAPAN」編集統括サステナビリティ・ディレクター 、山内秀樹WMHサステナビリティ顧問
視聴期間:4月30日まで視聴可能
費用:無料
視聴先:ワールド・モード・ホールディングス オフィシャルサイト〈SUSTAINABILITY〉コンテンツのArchive

EDIT & TEXT : TSUZUMI AOYAMA
PHOTOS : KAZUSHI TOYOTA
問い合わせ先
ワールド・モード・ホールディングス
03-3374-8107

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ゴールドウイン渡辺社長&スパイバー関山社長が語る「夢の繊維のネクストステージ」

 ゴールドウインとスパイバーは2023-24年秋冬物から、「ザ・ノースフェイス(THE NORTH FACE)」「ゴールドウイン(GOLDWIN)」「ウールリッチ(WOOLRICH)」「ナナミカ(NANAMICA)」の4ブランドで、スパイバーが開発する人工タンパク質素材「ブリュード・プロテイン(BREWED PROTEIN、以下BP)」を使ったアイテムの販売を開始する。これまでは数十着の数量限定販売にとどまっていたが、スパイバーは昨年夏にタイで、世界初の人工タンパク質原料の量産工場の稼働をスタートしており、数千着を売り出す、"世界初”の量産販売になる。

 2015年にゴールドウインがスパイバーに約30億円を出資して本格的にスタートした「夢の繊維」の開発は、いよいよ次のステージに移る。渡辺貴生ゴールドウイン社長は「14年夏に、初めて見せられた人工タンパク質素材は、小さなボビンに巻かれたとても短い青い糸だった。それから10年も経たずに、人工タンパク質素材『ブリュード・プロテイン』は量産にこぎつけ、当社の有力ブランドから製品を販売できるようになったのは感無量だ」と振り返りつつ、「ここからが本当のスタート。2030年までにはゴールドウインで生産する素材のうち、約10%をこの『ブリュード・プロテイン』に置き換えたい」という。
 
 ゴールドウインは15年9月、当時はまだほぼ無名だったスパイバーに30億円を出資すると発表。以来、ゴールドウインの渡辺社長(当時は副社長)とスパイバーの関山社長は、二人三脚で「ブリュード・プロテイン」素材を使った製品の開発に取り組んできた。19年6月にTシャツを、11月には高性能ウエア「ムーンパーカ(MOON PARKA)」を、数量限定ながら販売にこぎつけていた。

 今回「ノースフェイス」など4ブランドで販売するアイテムは、全部で15アイテム。価格は「ノースフェイス」の人気ダウンジャケット「ヌプシ ジャケット」が11万円(税込み)や、「ナナミカ」のバルマカーンコートが19万8000円など。いずれも表地のテキスタイル「ブリュード・プロテイン」を使っており、価格は通常のタイプに比べて2倍〜2.5倍ほど高くなる。9月には丸ビルに「ブリュード・プロテイン」を使用した全製品を販売する期間限定店をオープンする予定で、一部のアイテムについては米国や欧州、中国など海外でも販売する。

 ゴールドウインの渡辺社長&スパイバーの関山社長の2人と、メディアとの主なやり取りは以下の通り。

――2015年9月に提携を発表。多くの困難を乗り越えて、ようやくここまで来た。

渡辺貴生ゴールドウイン社長(以下、渡辺):3月上旬に私もタイ工場に行ってきたが、まさに感無量だ。2014年8月に、山形県鶴岡市にあるスパイバーのオフィスで初めて見せられた「ブリュード・プロテイン」糸のことはよく覚えている。小さなボビンに巻かれた、原着の短い青い糸だった。そのときに感じた「この小さな糸が世界を変える」、という確信はずっと変わらない。大変なことも多かったが、わずか10年足らずで、量産化がまさに始まるところまでこぎつけられた。

――現状は?

渡辺:タイの「ブリュード・プロテイン」の工場は、23年度には240トン、24年度には500トンのフル生産を計画している。それでも年7000万トンに達する、石油由来のポリエステルやナイロンといった合繊に比べると、遥かに小さく、すぐに価格を同水準にもっていくのは難しい。しかし、カシミヤやビキューナ、ファーなどの希少な獣毛素材とは競争できる。すでに最高グレードのカシミヤと同水準の素材はほぼ完成している。スポーツ分野以上に、ファッション分野ではかなりインパクトがあるはずだ。

――カシミヤの代替はファッション分野だと確かに大きいが、ゴールドウインはスパイバーとの間で素材の独占権などを設定していないのか。

渡辺:ゴールドウインはスポーツ分野にのみ独占権を設定しているが、それ以外の用途に関しては一切の制限をかけていない。今回販売するアイテムの中には入っていないが、妖艶なタッチと表情を持ったファー素材を筆頭に、実は「ブリュード・プロテイン」を使った素晴らしい素材開発はかなり進んでいる。むしろ色々なブランドに使ってほしいと思っている。

――未知の素材を使ったテキスタイルや製品開発には、それこそ膨大な試行錯誤が必要になる。つまり、大きな先行投資がかかっている。ファーにしろ、ニットウエアにしろ、そうした苦労をせず他社が使用することに抵抗はないのか?

渡辺:世の中を変えると言いながら、ゴールドウインが(「ブリュード・プロテイン」を)独占使用する。そこに大義はあるのか?もちろんノーだろう。世界を本当に変えるのなら当然スケール(規模)が必要になる。日本の有力な繊維企業や産地企業に私自身が声をかけコンソーシアムを設立して、一体となって開発に取り組んできた。それらの企業も含め、我々は「世界を変えたい」という強い思いの下に試行錯誤を繰り返してきた。最終製品として販売することにこだわってきたのも、糸や生地を見せるだけでは説得力がなく、製品販売に到達できれば、いろいろな企業が「ブリュード・プロテイン」を認知し、使用を後押しする強力な武器になると考えてきたからだ。「ブリュード・プロテイン」を広く使ってもらうことが最も重要であり、開発に成功した糸や生地を外部にも提供することなど、そう大したことではない。

――改めて「ブリュード・プロテイン」に取り組む理由は?

関山和秀スパイバー社長(以下、関山):振り返ってみれば、僕が2004年にタンパク質研究に着手したのは、ITとバイオ(テクノロジー)が融合する稀有なタイミングだった。今までの100年間は言ってみれば石油を原料とする「石油化学」の時代だった。ここから衣類で言えばポリエステル、世の中全体では多種多様なプラスチック製品が生み出され、「大量生産・大量消費・大量廃棄」社会を支えてきた。一方で、自然の生態系には一切のムダがなく、そもそも「ゴミ/不要物」自体が存在しないわけで。人類はまだまだ学ぶべきところがある。世界では、バイオがコンピューターサイエンスと結びついたことで非常に注目を集める分野になっている。

――米国では当局の金融引き締めに伴い、スタートアップ企業は資金調達や経営に大きな影響がでている。スパイバーへの影響は?

関山:すごく大変です。米国では穀物メジャーのアーチャー・ミッドランド・ダニエルズ(以下、ADM)と組んで、大掛かりな人工タンパク質の原料工場を建設する予定だが、インフレと円安で資材や建設費が高騰している。コストを削減するために設備設計の見直しを行っており、着工が遅れている。

――資金調達は?

関山:2021年夏にカーライルやクールジャパン機構などから340億円の大型資金調達を行っており、資金調達は一旦の区切りをつけていた。振り返ってみると、「運が良かった」の一言に尽きる。もう少しタイミングが遅ければ、資金調達ができず、とんでもないことになっていたはず。

ただ、悪いことばかりではない。「ブリュード・プロテイン」が目指す地球環境をより良くするという本質的な価値に対して、むしろ関心が高まっており、特に欧州のラグジュアリー・ブランドからの引き合いが強まっている。詳細は控えるが、かなりの熱量で取り組みが進んでいる。

――それらが店頭に並ぶのはいつ?

関山:2015年から二人三脚で取り組んできたゴールドウインだから例外的に早いだけで、他のブランド・企業の製品が店頭に並ぶのは、早くても24年の春夏物以降だ。

――どういったブランドになる?

関山:タイの工場はフル操業でも年間数百トン程度で、まだ原料自体が高く、今後数年間は欧州の高級ブランドが中心になる。ただ「ブリュード・プロテイン」はスケール(規模)を目指しており、特定の販路だけをターゲットにはしていない。中長期的には幅広いブランド・カテゴリーに展開する。タイの工場は、世界最大規模の人工タンパク質の製造工場であると同時に、最新鋭の技術や設計思想を取り入れており、敷地は東京ドーム2個分ほどの大きさだが、かなり自動化が進んでおり、オペレーターは4人しかいない。

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東レ新社長の大矢氏、「二人三脚で(事業の)体積増やす」 会見の一問一答

 東レは3月27日、東京都内で大矢光雄・副社長(66)の新社長就任会見を行った。6月末の定時株主総会を経て、正式に社長に就任する。大矢氏は1980年の入社以来、繊維の営業一筋だが、ファイバー、テキスタイル、縫製までの全領域を担当しており、「長い東レの歴史の中でも、全般を担当した人は珍しい」という。東レのコア・バリューである研究開発技術を、繊維事業で培ったブランディングやグローバルサプライチェーンの拡充などをミックスした経営手腕を生かす。

 大矢氏は1956年6月11日生まれ、千葉県出身。慶応大学法学部を卒業後に1980年4月に東レ入社。2002年に長繊維事業部長、08年6月にインドネシア・トーレ・シンセティクス副社長、11年6月産業資材・衣料素材事業部門長、12年取締役、14年6月東レインターナショナル社長、16年6月専務取締役繊維事業本部長、20年6月代表取締役副社長執行役員、23年6月社長就任(予定)。

 メディアとの一問一答は以下の通り。

――なぜ今なのか?

日覚昭廣・社長(以下、日覚):東レは高い技術力で革新的な素材を生み出し、事業を拡大してきたし、社会課題の解決にも貢献してきた。ただ、最終製品を作っていないため、一般での認知度だけでなく、市場での価値評価の低さが課題だったと認識している。大矢さんは、厳しい事業環境の中で、大矢さんは課長時代から繊維の高付加価値化やサプライチェーン改革などを成し遂げ、グローバル市場でも確たるポジションを築き上げてきた。加えて、繊維事業は拠点もグローバルに広がっているが、外部も含めた人望の厚さもある。これらが決め手になった。

――日覚社長が2010年に社長に就任した際は61歳だった。若返りという意味では物足りないが。

日覚:若返りも重要だと考えているし、現在は50歳以下を対象にした幹部育成にも取り組んでいる。だが、いまの厳しい状況を考えて、知識と経験、実力、人望を考えると、それらを満たす人材を考えると、(結果として)大矢さんという結論になった。

大矢光雄・副社長(以下、大矢):もともと老けて見られるので、10年前もこーゆう顔だったので、次の10年も変わらないはず(笑)。冗談はともかく、私自身は健康であれば年は関係ないと思っている。

――打診はいつ?

大矢:昨年末に打診があったが、そのタイミングでは一旦保留した。私は繊維の営業一筋で、東レの広範囲にまたがる事業を、どうカバーしていくか考えたかったからだ。だが全社を見渡してみて、ゼロイチではなく、10から100に、100から1000にするような事業も多く、それなら私の経験や力が生かせるのではないかと思い、受けることを決めた。

――趣味と座右の銘は?

大矢:趣味は週一で行っているゴルフ。座右の銘のようなものは特にないが、この10年は吉田松陰の「夢なきものに成功なし」を、折に触れて掲げている。「夢なき者に理想なし、 理想なき者に計画なし、 計画なき者に実行なし、 実行なき者に成功なし。 故に、 夢なき者に成功なし」というものだ。この言葉自体は、日覚(現社長)さんが常に言っていることとかなり近いかもしれない。

――先ほども触れていたが、東レの幅広い事業領域をどうカバーする?

大矢:(会長に就任する)日覚さんと二人三脚で、ときには力も借りるが、自分自身でも事業の中身を精査して判断できるように精進していく。

――この数年は不正問題もあった。どう対処する?

大矢:すでに日覚社長のリーダーシップの下、再発防止と不正防止策に全力で取り組んでいるが、再発防止の取り組みはエンドレス。絶え間なくコンプライアンスの徹底を続行していくが、結局は一人ひとりのモラルの問題だ。最後の一人にまで、再発防止の意識を徹底させたい。

――出身の繊維の今後は?

大矢:繊維事業はプラザ合意移行、構造改革を余儀なくされてきた。だが東レはグローバルなサプライチェーンの拡充、グローバル拠点の高度化、新規市場への取り組みなどを掲げ、事業の拡大を実現してきた。単に面積を増やすのではなく、体積を増やしていく、といった考え方だ。今後もこの考え方で成長を目指したい、

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1位は、【一粒万倍日】「ティファニー」から“T”がワンポイントの羊革財布| 週間アクセスランキング TOP10(3月16〜22日)

1位は、【一粒万倍日】「ティファニー」から“T”がワインポイントの羊革財布| 週間アクセスランキング TOP10(3月16〜22日)

「WWDJAPAN」 ウイークリートップ10

 1週間でアクセス数の多かった「WWDJAPAN」の記事をランキング形式で毎週金曜日にお届け。
今回は、3月16日(木)〜22日(水)に配信した記事のトップ10を紹介します。


- 1位 -
【一粒万倍日】「ティファニー」から“T”がワンポイントの羊革財布

03月17日公開 / 文・三澤 和也

 「ティファニー(TIFFANY & CO.)」は、アイコンの“ティファニー T”コレクションに着想した財布やカードケース、バッグを発売した。

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- 2位 -
【一粒万倍日】「アナ スイ」や「ピエール・カルダン」など仕事運や対人運アップのラッキーカラー財布が登場

03月20日公開 / 文・WWD STAFF

 クイーポのライセンスブランド「アナ スイ(ANNA SUI)」と「ランバン オン ブルー(LANVIN EN BLEU)」「クレイサス(CLATHAS)」「ピエール・カルダン(PIERRE CARDIN)」「アイアイズ(I EYE'S)」 は、今年最強開運日とされる3月21日に向けて、今年のラッキーカラーと言われる3色の財布を発売した。

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- 3位 -
55周年の「セイコー 5スポーツ」が「仮面ライダー」とコラボ 主人公・本郷猛が作中で着用

03月20日公開 / 文・三澤 和也

 時計ブランドの「セイコー 5スポーツ(SEIKO 5 SPORTS)」は今年55周年を迎えたことを記念して、「仮面ライダー」とコラボしたモデルを4月14日に発売する。世界限定4000本(国内では550本を販売)で、価格は5万1700円(税込)。

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- 4位 -
佐藤可士和が語るゴルフショップの見どころ 「キャロウェイ」旗艦店をデザイン

 キャロウェイゴルフは、大阪に旗艦店の心斎橋店を3月10日にオープンした。同社は2021年5月にキャロウェイアパレルと合併して以来、ゴルフ用品とアパレルの両方を取り扱うようになり、東京の旗艦店である青山店を22年6月に開いた。心斎橋店は青山店よりも規模が大きく、国内最大となる。店舗デザインは、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏が担当した。キャロウェイアパレルと佐藤氏のコラボによるアパレルコレクションも心斎橋店と青山店で限定販売する。

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- 5位 -
遅咲きのルーキーラッパー18scott 現役シップス販売員の顔も持つ29歳の苦悩、葛藤、友情

 2021年12月、28歳の日本人ラッパー18scott(ジュウハチスコット)が1stソロEPをリリースした。10代でのデビューも少なくないヒップホップ・シーンにおける“遅咲きのルーキー”は、その1枚で自身の挑戦が間違っていなかったことを証明してみせた。

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- 6位 -
Snow Manが新曲「W」のミュージックビデオで着用したのは「ヴァレンティノ」

03月20日公開 / 文・三澤 和也

 ジャニーズ事務所所属の9人組男性アイドルグループSnow Man(スノーマン)は、3月15日にリリースした8枚目のシングル「W」のミュージックビデオ内で「ヴァレンティノ(VALENTINO)」を着用している。※「WWDJAPAN」編集部調べ

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- 7位 -
ビオトープと「リーバイス」がメンズで初タッグ ルーズフィットの“568”を発売

03月17日公開 / 文・三澤 和也

 セレクトショップのビオトープは3月25日、「リーバイス(LEVI’S)」に別注したメンズのジーンズを発売する。価格は1万6500円(税込)で、17日に公式オンラインストアで予約受付を開始した。ビオトープに加え、アダム エ ロペ全店でも扱う。

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- 8位 -
小嶋陽菜のランジェリー「ロジア バイ ハー リップ トゥ」が伊勢丹新宿店で初のポップアップを開催 4月5日から

03月17日公開 / 文・福永千裕

 ハートリレーションは小嶋陽菜が手掛けるランジェリーブランド「ロジア バイ ハー リップ トゥ(ROSIER BY HER LIP TO)」のポップアップストアを4月5〜11日の期間、伊勢丹新宿本店2階 イーストパークに開く。ポップアップでは、ショーツ以外のアイテムの試着が可能で、希望者にはバストサイズの採寸も行う。また、「ハー リップ トゥ ビューティ(HER LIP TO BEAUTY)」の一部アイテムも販売する。

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- 9位 -
MVP大谷翔平が掲げたWBC優勝トロフィーは「ティファニー」製 重さは約11kg

03月22日公開 / 文・三澤 和也

 「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2023」の決勝戦が3月21日(日本時間22日)、米国フロリダ州マイアミのローンデポ・パークで行われ、日本代表が米国代表を3対2で下して優勝した。日本の優勝は、連覇した09年の第2回大会以来3度目。

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- 10位 -
【一粒万倍日】「ルイ・ヴィトン」の開運日に向けた新作財布をプレイバック ※随時更新

03月16日公開 / 文・福永千裕

 “一粒万倍日”は、幸運が何倍にもふくらむとされる縁起の良い1日だ。この日は新しいことをスタートするのに相応しい日で、財布を新調するのにも適していると言われている。このラッキーデーに向けて、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」はたびたび日本限定の新作財布を発売しており、過去発売してきた商品は、「WWDJAPAN」読者からも大きな反響があった。この記事では、「ルイ・ヴィトン」による “一粒万倍日”に向けてこれまで発売してきた財布を新作含めまとめて振り返る。

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NYの若手ブランドリポート キーワードは“タイムレス”、緻密でソリッドなパターンとクラフト感の両極を行く

 2023-24年秋冬のニューヨーク・ファッション・ウイークはベテランの復活に沸いたが、個性豊かな若手の活躍にも注目したい。まず、移民の国アメリカではアメリカン・コリアンをはじめ、韓国人の勢いが増しており、ファッションにおいても同じことが言える。「アシュリン(ASHLYNN)」のアシュリン・パーク(Ashlynn Park)や「ナヨン(NAYON)」のナヨン・キム(Nayon Kim)など、ソリッドなデザインを提案する韓国系の若手は要注目だ。また、クリエイションとしては両極を走るが、今シーズン初めてファッションショーを行った「メルケ(MELKE)」や「サム フィンガー(SAM FINGER)」など、アップサイクルやリサイクル素材を使った古着のような風合いのコレクションを発表する若手も目立った。ファッションへの価値観が変わってきている今、時代を超えて着ることができる“タイムレス”な服がキーワードとなっている。

注目の若手、「あしゅりん」の
アシュリン・パークにインタビュー

 アシュリン・パークは「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」や「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」でパターンメーカーとしての経験を持つ、韓国出身の実力派若手デザイナーだ。2022年度の「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ(LVMH YOUNG FASHION DESIGNER PRIZE)」のファイナリストにも選ばれ、緻密なパターンと構築的かつ女性らしいシルエットに定評がある。23-24年秋冬コレクションは観客の目の前で布を裁断し、スカートを構築していくというプレゼンテーションを見せた。現在はニューヨークを拠点に活動をするアシュリン・パークに今シーズンのコレクションについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):今回のコレクションは、16世紀の生活と歴史に目を向けたが、なぜこのテーマを?

アシュリン・パーク(以下、アシュリン):今シーズンのテーマ「サブライム・ビューティ」は、16世紀の生活と歴史に基づいています。私は、宮廷の服装や生活、遊び、時には戦闘シーンにおける、王子の美学やアイデンティティに興味を持ちました。物事の二律背反を探求し、歴史と関わりながら、異質な要素から意味のあるデザインを生み出すことに挑戦しました。

WWD:王子の美意識とアイデンティティに関心を持ち、それをウィメンズに落とし込もうと思った?

アシュリン:すべてのデザインにおいてボリュームとシェイプで遊び、マスキュリンとフェミニンをミックスしています。16世紀のチューダー様式やエリザベス様式、宮廷服や軍服など、時間、空間、性別の垣根を越えて、洗練されたロマンチックなコレクションを作り上げました。

WWD:近年、ジェンダーレス化が進んでいるが、今回のコレクションでも意識した?

アシュリン:そうですね、ジェンダーレスな服をコレクションに取り入れることは、以前からずっと考えていたことです。

WWD:「女性らしさ」や「男性らしさ」という言葉や表現がある中で、ジェンダーレスなファッションが進むことは何を意味している?

アシュリン:意図的にジェンダーレスなものをデザインしているわけではありませんが、「男性らしさ」と「女性らしさ」を掛け合わせたデザインを楽しんでデザインしています。今までメンズとウィメンズのデザインに携わってきました。2つの要素が自然に混ざり合って、デザインに表れているのだと思います。男性用、女性用と分けてデザインする必要はありませんが、機能面を考慮する必要はあると感じています。

WWD:実際に布を裁断し、シェイプを作っていくというプレゼンテーションを選んだのはなぜ?

アシュリン:服をデザインすることの背景にあるリアリティを紹介し、そのプロセスを見せたかったのです。私たちのチームは、常に細心の注意を払いながら一着一着を作り上げています。それがプレゼンテーションで伝わったと思います。

WWD:今回のコレクションで一番見てほしいポイントは?

アシュリン:大胆で遊び心のあるエレガントな洋服と、マスキュリンとフェミニンのコントラストの美しさです。また、素材やプロポーションを試しながら、歴史的なコンセプトや要素を自分のデザイン言語や現在のコアバリューとミックスしたあたりにも注目してほしいです。


他にも要チェックの若手はコチラ

「メルケ」
デザイナー:エマ・ゲージ(Emma Gage)

 ニューヨーク・ファッション・ウイークでの初のランウエイショーを発表。小説家ロアルド・ダール(Roald Dahl)の名作「ジャイアントピーチ」などからインスピレーションを得た今シーズン、モデルのジャケットやドレスに桃のアプリケを施し、ニットやボトムスにもネズミのアプリケ。ダークな一面と遊び心のあるアイテムが溢れた。職人の手仕事に焦点を当てて不揃いであることを受け入れたというだけあり、刺しゅうやニットワークなどのクラフト感は色濃い。サステナビリティにフォーカスした素材を多用している。シューズは「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」とのコラボレーション。

「サム フィンガー」
デザイナー:サム・フィンガー(Sam Finger)

 デザイナーの思いがこもった14体でデビューした。アップサイクルなピースをクチュール的に昇華させたというコレクションは、一点モノと既製服が交差し、日常服へと落とし込まれている。リサイクルデニムと引っ越しで使う緩衝材を使ったトレンチコートなど、サステナビリティな方法で生産した素材やデッドストックを用いる。一点モノさながらの個性的なアイテムが多く、素材そのままの風合いがいい雰囲気を出している。ニューヨーク出身のデザイナーらしく、ニューヨークを取り巻く環境や文化、コミュニティーがコレクションに表れている。

「ナヨン」
デザイナー:ナヨン・キム

 K-POPスターのスタイリングを手がけていた韓国出身のスタイリスト、ナヨン・キムが2022年にスタートしたブランドで、今シーズンが初のお披露目となる。ジェンダーニュートラルに焦点を当てたコレクションは、ハンサムな印象を抱くテーラードアイテムが中心だ。無骨な建築のスタイルでもあるブルータリズムにインスパイアされたというコレクションは打ちっぱなしのコンクリートを思わせるグレーに統一。鎧のように身体を包むコートやドレスには留め具がなく、鎖だけで縛られている。ジェンダーレスでハンサム、性別にとらわれない無骨なコレクションだ。

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「ジーユー」が「コジマプロダクション」とコラボ 3月24日に日本発売のアイテムをアートディレクターがNYで語る

 「ジーユー(GU)」は3月17日、世界的ゲームクリエイターの小島秀夫率いる「コジマプロダクション」とコラボレーションし、4型の商品をアメリカのニューヨーク、ソーホーの店舗で発売した。日本では3月24日、全国の「ジーユー」で全5型を発売する。

 今回のコラボレーションは第二弾だが、ソーホー ニューヨーク店での販売は初めて。本コレクションの商品監修を担当したコジマプロダクションの新川洋司アートディレクターが来店し、ライブペインティングを行ったこともあり、販売初日は開店前から行列ができた。

 「コジマプロアクション」は、19年にリリースをしたプレイステーション4の「デス・ストランディング」をはじめ、22年末にはプレイステーション5向けに最新作「デス・ストランディング2」の制作を発表したゲームクリエイター集団。今回のコラボレーションでは同社のシンボルキャラクター“ルーデンス”をモチーフにしたTシャツ($29.9、約3400円)やシャツ($39.9、約5200円)、ボトムス($49.9、約6500円)などの4型を販売している。

新川洋司アートディレクターに直撃!
「ゲームキャラクターを描くイメージ」

WWDJAPAN(以下、WWD):今回のコレクションのインスピレーション源は?

新川洋司(以下、新川):アルチザン的な、少し崩したようなデザインが好き。自分が着たいと思うものと同時に、みんなに着てもらいたいものをデザイン画に落とし込んだ。アパレルのデザインというよりは、ゲームのキャラクターをイメージしてデザイン画を描いた。

WWD:一番こだわったポイントは?

新川:「ジーユー」が「なんでもやりますよ!」と言ってくれたので、ルーデンスのディテールを落とし込むなど、難しいものを作った(笑)。シャツの胸の丸いデザインもルーデンスから。コレクションを着ると、キャラクターになれる。仕上がりも良く、「この値段で、ここまで出来るんだ」いう感想。

WWD:どういう人たちに着てもらいたい?

新川:ゲームのファンはもちろん、それ以外の人たちにも着てもらいたい。ニューヨークの街を歩くまでは想像がつきにくかったが、街を歩いている人たちを見て、「今回の商品が似合いそうだな」と思った。ゲームの中には色々な人種が出てくる。コラボレーションした商品も、色々な人種の方達に着てもらいたい。

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ヒット本著者に聞く パーパス思考が重要な理由

 企業は「何のために存在するのか、社会においてどのような責任を果たすのか」というパーパス(社会的存在意義)が問われ始めている。しかし、「パーパス」は抽象的な言葉ゆえ、その本質や採り入れ方を理解するのは簡単ではない。そこで、『パーパス 「意義化」する経済とその先』(NewsPicksパブリッシング)共著者でビジネスデザイナーの岩嵜博論・武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科教授にパーパス思考をビジネスに取り入れる利点について聞いた。

WWD:パーパスとビジョンとの違いは、またパーパスの再定義によって企業にもたらせる利点とは?

岩嵜博論・教授(以下、岩嵜):パーパスが企業活動の中心にあると、何のためにこの活動をしているかが明確にシェアできるので、ステークホルダーをはじめとしたさまざまな人たちと領域横断でコラボレーションしていくときに進めやすくなる。ビジョン、ミッションとパーパスの違いを船に例えると、ビジョン、ミッションは企業がなりたい姿を一方的に示しているので、船はその企業しか入らないサイズの「小さな船」、パーパスは企業がけん引する「大きな船」で、提唱する企業だけでなく、あるべき世界に共感する多くのステークホルダーが乗ることができるもの。企業は多くの共感を集める大きな船をステークホルダーと共同でつくり、実現に向けて協働していくことになる。そういう時代が到来しつつある。

WWD:確かに、何のためにやっているのかがわからないと気持ちがぐらつき、いい仕事に繋がらない。

岩嵜:「何のため」が明確でパワフルだとステークホルダーはそのために自立的、自発的に動くことができるようになる。そうなると自分ごと化できるようになる。組織論的にもパーパスを定義することは強味になる。

WWD:アパレル企業の中ではパタゴニア(PATAGONIA)がパーパスを明確にして成功していると感じる。2019年に企業理念(パーパス)を「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」と変えてから、さまざまなプロジェクトがスピード感を持って形になっている。各部署の現場のスタッフがそれぞれの持ち場で何ができるかを考え、それを実現するために組織全体で支援しているように見える。

岩嵜:ステークホルダーには、顧客はもちろん従業員やサプライヤー、株主や地域の人なども挙げられパーパスは、それらの意識をつなげる力がある。

「とにかく実行すること。小さくても実行を重ねることが重要」

 

WWD:ファッション企業が、突然明確でパワフルなパーパスを掲げるのはイメージやビジネスモデルなどさまざまなしがらみがあって難しい側面もある。

岩嵜:ビジョン、ミッションの時代と大きく違うのは掲げて終わり、表面的なところを飾って終わりではなく、実行することが大事だということ。小さくても実行を重ねていくことが重要になる。大きな企業であれば、新しい事業やブランドを作って実行していくことが大切になる。例えば「無印良品」は、店舗の大改革を進めていて“地域土着化”した店舗も増えている。当たり前だったチェーンオペレーションを否定し、その方法を乗り越えて、地域課題を解決する地域密着型の店を作ることに舵を切っている。全ての店舗を変えるのは難しいが、着実にそういう店を増やしている。小さく始めたことがうまくいけば応用していくことができる。

 そもそもアパレル企業は、ビジネスモデル自体も考え直さなければいけないだろう。回収やリセール、リペアなどを行うことが求められるだろう。長期的に見ると、いいものをリペアしながら長く着る方向に向かうと思うから。ここ数十年が異常だった。異常な大量生産・大量消費の無責任な数十年に生活者が気付き始め、若い人を中心に心理的な負担を持ち始めている。それに対してどう備えるか。パタゴニアは、かなり前からリペアを行っており、巨大なリペア工場がある。そうした実績から回収やリセールも行っているが、こうした事業が儲かっているのか、と疑問には思う。

WWD:パタゴニアはリペアやリセールだけでは黒字化できていないと聞いたことがある。パーパス経営が成功していると感じるアパレル企業とその理由は?

岩嵜:わかりやすいのはいろんな面でパタゴニアだろう。修理工場を作り、バリューチェーンを見直し、結果として利益率が高いビジネスができている。売価をキープして直販化も進めており、ここ10年で卸売りを相当止めて直販化している。ECも強化していて、独特のウェブデザインだが、メディアECも早くから始めている。会員に送るダイレクトメールはプロダクトにフォーカスしたものではなく、いいコピーとビジュアルが付いたストーリー。そんなことができる企業はあまりないし、相当考えられていると思う。パーパスを掲げるだけでなく、バリューチェーン、コミュニケーション、セールス全てを見直し、一気通貫したパーパス的アプローチが整っている。

 ナイキ(NIKE)もパタゴニアと似ていて、成長ドライブがパーパス思考とデジタルトランスフォーメーションで、うまくいっていると感じる。著名アナリストのベネディクト・エバンスの最近のレポートでも、2010年の直販比率は10%弱だったのが今や約40%に伸びているとあった。彼らの成長を支えているのが直販。デジタル顧客データを駆使して直販率を上げているように見える。

 新興ブランドのスニーカー「オン(ON)」もパーパスドリブンとデジタルトランスフォーメーションで奏功している。

 ビジネスの本質はパーパス思考×デジタルだろう。パーパスを掲げるだけでは既存ブランドと同じかもしれない。顧客と直接つながるルートを持つことと、ビジネスそのものの変革をセットにすることで効果を発揮する。

アパレル産業はどこに進むべきか

WWD:アパレル産業をどう見ているか。

岩嵜:バリューチェーンをどう再構築するか、そして、どう新しいビジネスを作るかが重要になる。アパレルは買う前も買った後もブラックボックスが多すぎる。どこから来て、捨てた後どうなるのかが分からない。ブラックボックスを透明化することは必要だろう。ビジネス全体を変革して、その際に領域横断も必要になる。重要なポイントは包括的に見ること。学生によく「鳥の目、虫の目」と伝えているが、「虫の目」でディテールを見て、「鳥の目」になって全体を見る。個々のディテールがどうあるべきか、全体はどうなっているか。時間軸も超越する必要があり、過去、現在、未来がどうあるべきかを数十年単位で見るような包括的な視点が理想だ。

 アパレルは外圧も大きく変革の機運がある。そして、実は変革しやすい産業ではないかとも思う。もちろん設備投資は必要だが、作っているものがライトウエイトだから、他の産業に比べると恵まれていると感じる。やろうと思えば、戦略がそこにあれば変革できるのではないか。アパレルビジネスが面白いのは外圧があること。外圧と向き合いポジティブにとらえて、自らを変えるきっかけにすることが大事だと思う。それがこれからのアパレルビジネスの成否を分けるのではないか。

WWD:注目している動向は?

岩嵜:「修理する権利」だ。世界的に注目されていて、アップル(APPLE)も対応せざるを得なくなっているし、自分で修理ができてパーツ交換ができるスマートフォンを提供しているオランダのスタートアップ「フェアフォン(FAIRPHONE)」は、着実に売り上げが伸びているし、先日4900万ユーロ(約70億円)の資金調達をした。リペアは大事になるだろう。

WWD:アパレルの場合、低価格帯だとリペアサービスを売価に吸収しづらいので事業化するのは難しい。

岩嵜:価格帯を上げて長持ちするモノを作り、リペアを含めて利益を出せるビジネスへの変革が必要になる。その点で自動車産業から学べることは多い。車は購入時に加えて、車検や点検などの費用を消費者は払いメンテナンスしており、結果として長持ちするし、中古車市場もある。中古車市場は早くからDXされていて、オークションはどこからも入札できるようになっている。あるいは、キッチンウエアの「ストウブ」や「ル・クルーゼ」に表れている消費者心理に近いかもしれない。家電も売価を上げている。例えばドライヤーや炊飯器、洗濯機の価格帯は上がっているが、それでも一定数売れている。数字を見たわけではないけれど、おそらく売る数量は減っても売り上げは変わっていないのではないか。

成功のカギはパーパス思考×DX

WWD:リペアやリセールを視野に入れるとして、数十年単位で見られないジレンマを抱える企業も少なくない。

岩嵜:事業の成果をどのスパンで出すかと、事業そのものをどのスパンで考えるかは異なる。事業そのものの過去50年とこれからの50年を考えつつ、単年度で利益をどう出すかも「鳥の目、虫の目」で考えることになる。どのビジネスもそうだが、近視眼的になり過ぎると四半期、単年度予算はクリアできても長期的に見ると負のサイクルに入り、気づいたら抜けられないということが起こる。

WWD:成長と環境や社会課題の改善の両立を狙う企業も増えてきているが、両立の難易度は高いと感じる。企業の理想的な姿とは?

岩嵜:規模は企業が決めればいい。ある程度の規模感に留めることもできるし、永遠に成長したいという考え方もある。抑えるメカニズムはない。ただし、規模に応じた社会的責任を果たさないと、ステークホルダーから支持が得られない。サステナビリティの制約に企業はそれぞれどう向きあうかが大切になる。

 デザインはどっちかではなく、どう両立し得るかを考える統合という考え方を大事にしている。成長とサステナビリティが両立できる、トレードオフを乗り越えたソリューションが出せる。それがデザインの力で、グローバルではデザイン人材が活躍している。日本では要素還元(分解したそれぞれの要素を良くすれば最終的に合体させればよりよくなること)が主流だが、なかなかそうはならない。「鳥の目虫の目」で見ていく必要がある。

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遅咲きのルーキーラッパー18scott 現役シップス販売員の顔も持つ29歳の苦悩、葛藤、友情

18scott/ラッパー

PROFILE:1993年生まれ、神奈川・藤沢出身。高校生で初めてヒップホップクルーMAD VIBES CASTを結成し、その後CreativeDrugStoreに加入。約2年の活動期間後に脱退し、ソロ活動をスタート。プロデューサーでトラックメーカーのSUNNOVAとの活動を経て、2021年12月に1stソロEP「SCHOOLBOY」をリリース。セレクトショップのシップス販売員としての顔も持つ

 2021年12月、28歳の日本人ラッパー18scott(ジュウハチスコット)が1stソロEPをリリースした。10代でのデビューも少なくないヒップホップ・シーンにおける“遅咲きのルーキー”は、その1枚で自身の挑戦が間違っていなかったことを証明してみせた。

 18scottは、小学生でヒップホップと出合い、高校生でマイクを握り、大学生で初めてステージに立った。彼の音楽を一度聴けば、その確かなスキルと豊かなバックグラウンドの土壌に気付くはずだ。では、なぜ28歳までソロ作品を出さなかったのか。もしくは出せなかったのか。その苦悩と葛藤をバイオグラフィーと共に語ってもらった。さらに今月リリースしたばかりの2ndミニアルバム「SCHOOLBOY」に込めた思い、そしてセレクトショップのシップス(SHIPS)で働くスタッフとして並々ならぬファッション愛についても聞いた。

ーーまずは、ヒップホップとの出合いから教えてください。

18scott:父親が漫画家で、職業柄かは分かりませんが、とにかくいろいろなカルチャーを与えてくれる人で、小学校低学年の時に教えてもらった中の一つがヒップホップでした。最初は、KREVAさんやKICK THE CAN CREWさんなどジャパニーズ・ヒップホップ(以下、J-Rap)が中心で、自発的に音楽を吸収しようと思って聴き始めたタイミングでエミネム(Eminem)やリル・ウェイン(Lil Wayne)らのUSラッパーも教えてくれましたね。ほかにはプロレスが好きで、いわゆる日本で生まれ育つ一般的な小学生が通ってきたゲームやアニメにはあまり惹かれず、「ポケモン」の最新作をほしがるよりもプロレスを観たがる謎な子どもでした。

ーーその頃からすでにラッパーになることを思い描いていたのでしょうか?

18scott:ヒップホップに限らず、プロレスしかり、好きになったら自分もステージに立ちたくなるタイプだったので、漠然と夢を見ていましたね。でも、どうすればいいか分からなかったし、ハッキリと意識し始めたのは高校2年生の時です。中学校の同級生だったin-d(現在ヒップホップ・クルーCreativeDrugStoreのメンバーとして活躍するラッパー)が、高校の同級生だったBIM(同じくCreativeDrugStoreのメンバーとして活躍するラッパー)と、高校は別だった僕を誘う形で、3人組のヒップホップ・クルーMAD VIBES CASTを結成したんです。ただ、僕の大学進学もあってすぐに解散して、ちゃんと楽曲を製作してリリースするようになったのは大学生になってからですね。

ーーそもそも、in-dさんとの出会いは?

18scott:地元が近くて、中学校が偶然一緒だったんです。その中学校は制服通学だったんですけど、中学2年生で「ア ベイシング エイプ®(A BATHING APE®)」の“ベイプスタ(BAPE STA)”を履き、「ステューシー(STUSSY)」のバックパックを背負って、足元やバックパックで周りとの違いを作るくらいファッションの熱が高くて(笑)。だからこそ私服で行く修学旅行は戦いで、僕が「ベイプ」のタイガーパーカを着ていたら、in-dが「俺、シャークパーカ持ってるよ」って対抗してくるような関係性でしたね(笑)。なので、ヒップホップではなくてファッション先行の縁なんですけど、結局好きだった裏原系のファッションはJ-Rapとも密接なので聴いている音楽も一緒で、それから仲良くなりました。

ーー大学進学後、18scottを名乗る前はCreativeDrugStore(以下、CDS)のメンバーとして一時活動していたそうですね。

18scott:高校3年生から2年ほど所属していたんですけど、当時の僕はめちゃくちゃ問題児で協調性が無かったんですよ。CDSは、2010年代初期からSNSでプロモーションしたり、ユーチューブに動画をアップロードしたり、自分たちのブランドを立ち上げたり、今では当然のことだけど当時ではかなり新しい動きをしていました。その中で、僕は“自らユースカルチャーを作っていく”ようなアクションに対して、「音楽だけに向き合った方がいいんじゃないか」「ブランドを運営することは音楽活動に支障をきたすんじゃないか」って疑問を持ち、撮影に行かなくなっていくなど、とにかく非協力的で……。今思い返すと、ただただ僕が頑固で彼らのことを理解できていなかったと反省しかないです。CDSの活動にフィットできずに勝手に辞めてしまったのが20歳くらいの時で、それからソロとしての活動を始めました。

ーーそれでは、ソロとして活動する中で18scottと名乗るようになった理由は?

18scott:“scott”は、1980年代のプロレスブームの時に活躍していたプロレスラーのスコット・ホール(Scott Hall)が由来ですね。活躍していたのはもちろん、ラッパーのようにゴールドチェーンを首から掛ける見た目もカッコよかったんですよ。“18”は特に意味がなくて、とにかく数字を入れたかったので“scott”に合う語呂のいい数字を選んだだけです(笑)。数字にこだわったのは16FLIPさんというビートメーカーの影響で、彼のステージ名はMPCにある16個のパットとスケボーの技のフリップを組み合わせていて、“FLIP”には“ネタを裏返す”みたいな意味も込められているらしく、それに憧れて数字と英単語を組み合わせました。

ーーソロ活動を開始し2021年に1stソロEP「Northside Love」をリリースするより先に、プロデューサーでトラックメーカーのSUNNOVAさんとの作品をリリースしていました。この経緯を教えてください。

18scott:23歳のときに出演した恵比寿のクラブ「バチカ(BATICA)」でのイベントにSUNNOVAさんがいて、「ライブがかっこよかったから一緒に曲を作ろうよ」って声を掛けてくれたんですよ。クラブ特有のあいさつノリかと思っていたらすぐにビートを送ってくださり、それでできたのが「ALLRIGHT」って楽曲です。

 「ALLRIGHT」の反応が思いのほか良かったので、楽曲をいろいろと制作しているうちに「PHONE CALL」(注:初期の18scottを代表する楽曲)が生まれ、2018年に1stダブルネームアルバム「4GIVE4GET」を、20年に2ndダブルネームアルバム「PAISLEY」をリリースしてから、本格的にソロ作品の制作に取り掛かりましたね。あと当時はビートメーカーとしても活動していて、仲のいい身内を中心にビートを提供していました。

ーー現在、J-Rapひいては世界的に見ても10代でデビューするラッパーが多い中で、21年12月に28歳で1stソロEP「Northside Love」をリリースしたのは、ある意味で狙ったタイミングだったのでしょうか?

18scott:やっぱり納得がいく作品でデビューしたかったし、自分に合ったラップスタイルや伝えたいメッセージ、ビジュアルの見せ方、やるべきことなど、全体が見えてきたのが結構遅かったんですよ。結構どんなスタイルでもこなせてしまうからこそ、20代中頃まで自分のカラーが定まらない器用貧乏のまま活動しちゃっていて、方向性が明確に固まるまでソロ作品に踏み込めずにいました。それに、SUNNOVAさんとの2ndアルバム「PAISLEY」は自分の中で満足度が高かったんですが、周りのリアクションが良くなくて、ラッパーを辞めようとまで思っていたんです。でも、ラッパーとしてソロ作品は絶対に残しておきたい気持ちがあったので、最初で最後のような気持ちで「Northside Love」の制作に着手しました。結果的に、「Northside Love」で方向性を見据えることができたし、ラッパーとしてのキャリアを続ける気持ちになりましたね。

ーー「Northside Love」から約半年後の22年7月に1stミニアルバム「People Around Me」を、さらに約半年後の23年3月に2ndミニアルバム「SCHOOLBOY」をリリースするなど、かなりのハイペースで作品を制作していますね。

18scott:自分の中で1年間に2枚のまとまった作品を出すことをルーティーン化させたくて、「SCHOOLBOY」はできれば22年中に出したいと思って制作を始めました。ただ、ちょうどこの時期にリリックが全然書けなくなってしまって、ようやく納得できたものが11月頃に作った「R.E.A.L.」だったんです。そこからは比較的いいスピード感で制作を進められましたね。

ーー「SCHOOLBOY」というタイトルに込めた意味とは?

18scott:収録曲の中で一番最後に制作した「北口5分のマンション」でもラップしているんですけど、僕はジャック・ハーロウ(Jack Harlow、アメリカを拠点に活動するラッパー)が好きで、かなり影響を受けています。彼がまだティーンエイジャーだった頃の「Started From The Middre」って楽曲があって、言うまでもなくドレイク(Drake)の「Started From The Bottom」のリミックスなんですけど、ジャックが貧困層でも富裕層でもない中流階級で育ったことをラップしていて、そのMVを観た後に「First Class」(注:ラッパーとしての成功をラップした楽曲)とかを聴くとマジで食らうんです(笑)。僕も中流階級育ちで普通に学校に通って、部活に打ち込んで、夜は家族で晩飯を囲んでいた普通の少年だったので、そんな少年が時を経て1人のラッパーとして活躍していることを1枚の作品で表現できたらと思って「SCHOOLBOY」にしました。内容とタイトルのミスマッチな感じも気に入っていますね。

ーー「SCHOOLBOY」だけでなく、「Northside Love」や「People Around Me」でも地元・藤沢や家族をテーマにした楽曲が多く、等身大のリアルなリリックが印象的です。

18scott:「Northside Love」の時に思ったんですけど、自分がラッパーとして活動するうえで、どれだけ作品を作っても家族と地元への思いは変わらないと分かったんです。ヒップホップには少なからず環境に恵まれなかった人がのし上がることを良しとする文化があって、そういったバックボーンがほしいと思った時期もありました。だけど、恵まれた環境で育ったからこその悩みを抱えている人もいるだろうし、自分の生きてきた道を正直に楽曲にすれば、聴いてくれた人たちに何かが伝わるなって。それに、家族と地元は普遍的なものだから、僕のパーソナルなリリックでも端々で自分に通じるところが見え隠れして、照らし合わせて思いをはせることができるんですよ。

ーー作品として特にこだわった点はありますか?

18scott:僕がリリックを見ながら聴くヒップホップが好きなので、流し聴きできないような楽曲を意識した結果、これまで以上に膨大な時間を作詞の作業に費やしました。ヒップホップには“ワードプレイ”という言葉遊びの文化があるんですけど、簡単に言えば1つのワードが複数の意味につながるようなリリックだったり、繰り返して聴くと気付くようなおもしろい仕掛けですね。ちょうど今、日本の若いアーティストを中心にはやっているスタイルで、その流れとはまた別の文脈で僕もその手法を意識的に取り入れています。というのも、先輩のラッパーのサトウユウヤさんが驚くほどヒップホップの知識が豊富で、いつもいろいろと教えてもらう中で印象的だったのが、USヒップホップシーンにおける“ワードプレイ”の話でした。もちろん僕自身も知っているつもりだったのに、改めて2人でUSラッパーたちのリリックを調べていたら、たくさんの驚きと感動に出合ったんです。それから今まで以上にリリックと向き合う時間を増やして、今作に向き合いましたね。

ーー作品のラストを飾る「Cry Later - Remix」は、もともと「People Around Me」に収録されていた楽曲のリミックス版です。今回新たにBIMさんが参加した経緯は?

18scott:まず、CDSのメンバー、特にMAD VIBES CASTを組んでいたin-dとBIMとはいつか一緒に楽曲を作りたいとずっと思っていました。でも、正直僕の中でCDSという存在はコンプレックスだったというか。当時は器が小さかったので、自分がくすぶっている間に昔の仲間たちが結果を出していく姿を素直に喜べず、嫉妬の気持ちの方が強かったんです。そんな複雑な感情を抱いていたからこそ、ラフな感じで「一緒に曲を作ろうよ」とはならなくて。彼らと一緒に曲を作るには、僕自身がもっと上のステージに立たなくてはいけないという思いもあり、ベストなタイミングをずっと考えていました。そうしたら、BIMの方から「『Cry Later』のリミックスやらせてほしい!」と連絡をくれたんです。

  最初はすごいうれしかったんですけど、「向こうから与えてくれたタイミングでいいのか」「今が本当にベストタイミングなのか」と熟考し、今回は断って僕が今よりも上のステージに立ったときに改めてお願いしようかなとも考えました。ただ、「Cry Later」は自分自身のキャリアがうまくいかないと感じていた時に作った楽曲で、“アイツらと比べて何が足りない”ってリリックは、暗にBIMやin-dのことをラップしていたりもするんですけど、BIMはそれも理解したうえで「この内容の曲に俺が参加するのってアツくない?」って提案してくれて。だから、BIMが作ってくれたタイミングこそがベストだと思い、ビートを送ったらその日のうちに返してくれました。

ーーBIMさんのリリックは、MAD VIBES CAST時代のことも綴っているようですが、当時の思い出は?

18scott:MAD VIBES CASTは、クルーというよりもサークルに近くて(笑)。in-dがBIMを紹介してくれて、初めて3人で会ったのが確か「サイゼリヤ」で、その場のノリで結成しましたね。当時、iPhoneの「I Am T-Pain」ってアプリがあってラップを吹き込むとオートチューンがかかったりするんですけど、それで作った楽曲を2人に勝手にひたすら送り付けていました。この僕のラップに対する異常な熱量が2人を困らせていた部分があったと思うんですけど、後から聞いたらその熱量にBIMも食らっていた部分があったみたいで。彼らが本格的に活動し始めてからは、その勢いに僕の方が食らっちゃったんですけどね......。今回のBIMのヴァースには、そんな甘酸っぱいメモリーがまとまっている手紙のような内容になっています。でも、BIMは僕が作ったその頃の音源を未だに所持していて、飲んでいると不意に流してくるので勘弁してもらいたいです(笑)。

 あと、昔から「PHONE CALL」をいいって言ってくれていて、「俺が嫌いなPHONE CALL」というリリックを粋でサンプリングしています。共演自体は、CDSの時に一般流通していないポップアップ限定のVaVaくん(CDSのメンバーとして活躍するラッパーでプロデューサー)のアルバムに収録されてる楽曲で一度だけやっていますけど、ちゃんとしたリリースでは初めてですね。とにかく、BIMは本当にいいやつなんですよ。J-Rapを代表するラッパーになったけど昔からの仲間やつながりを大事にする義理堅い男で、非協力的なままCDSを抜けた僕のこともずっと気にかけてくれて、今よりも全然知られていない時期にCDSのパーティに呼んでくれたり、何度も助けられて本当に感謝しかないですね。

ーー3月25日には、そんなBIMさんも出演する「SCHOOLBOY」のリリースパーティーを渋谷のライブハウス「WWW」で開催するそうですね。

18scott:もともとは、「WWW」で開催する予定ではなかったんです。というか、いつかはやりたいけどまだ時期尚早なのかな、と思っていました。でも、とある飲みの席でイベントブッキングや企画をしている昔からお世話になっている方に声をかけてもらい、協力を得ながら挑戦してみることにしたんです。それで、僕が去年初めて主催した「ブロークン・ハーツ(BROKEN HEARTS)」という自主パーティーのVol.2というかたちで、3月24日に「SCHOOLBOY」のリリースパーティーを開催することになりました。作品に参加してるラッパーはもちろん、普段お世話になっている方々や注目のアーティストも出演するので、ぜひ遊びに来てほしいです!

ーー先ほど、in-dさんとの出会いがファッションだったとお伺いしましたが、幼い頃から興味があったんでしょうか?

18scott:そうですね。母親は普通の主婦なんですけどめっちゃファッションが好きで、その影響が大きいです。小学生の時にヒップホップを聴くようになったタイミングでストリートファッションの存在も知り、そこで音楽とファッションがリンクして中学校から一気にギアが入りましたね。普通は、高校生になったらちょっとファッションに気を使い始めるくらいだと思うんですけど、さっき話したように通っていた中学校のファッション熱がすごすぎて、それが普通だと思ったまま高校に進学しちゃったんですよ。案の定、ヤバいレベルのやつがいると認識されて、“ファッションリーダー”ってあだ名をつけられました(笑)。それが恥ずかしすぎて、すぐに調整してみんなと足並みをそろえましたね。ラッパーとして活動していく中でも、“そんなに好きじゃないよオーラ”を出している時もありましたが、今は振り切っています。好きすぎて、音楽をやるうえでちょっと気持ち悪いんじゃないかな、とさえ思うときがありますね。

ーーでは、好きなブランドは?

18scott:“ガーメント・ダイ”(縫製後の商品を染色する製法)の生地の風合いと“ナイロンメタル”(特殊な構造と染色で独特な光沢感を放つナイロン糸)が好きなので、「シーピー カンパニー(C.P. COMPANY)」と「ストーンアイランド(STONE ISLAND)」ですね。この2ブランドに関しては、デザインだけでなく素材開発から行っているところも含めて好きで、今はアーカイブをディグってコレクションすることが趣味になっています。あとは、「アークテリクス(ARC'TERYX)」と、ロンドンを中心に活動しているスタイリストのダニエル パシッティ(Daniel Pacitti)がアドバイザーとして関わっている「ジェントルフルネス(GENTLE FULLNESS)」も気になっています。国内だと今日も着ている「サプライヤー(SUPPLIER)」ですね。クオリティーが高いのに意外と抑えめの価格帯で、リル・ナズ・X(Lil Nas X)も着用しているなどワールドワイドな動き方も面白いです。

ーーMVのファッションスタイルを見ていると、UKラッパーのようなスタイリングが印象的です。

18scott:USヒップホップは好きなんですけど、アメリカのファッションにはグッとこなくて、ヨーロッパ系の着こなしを意識しています。端的にいうと、イケてるとされるシルエットがアメリカはワイドですけど、ヨーロッパは身幅が細くて縦長で、なおかつストリートでもスポーツでも土臭くなく上品に落とし込んでいるところが好きです。スロータイ(slowthai、UKを代表するラッパー)が「シーピー カンパニー」をよく着ていて、USラッパーも同じようなアイテムを着ていることがあるんですけど、着こなし方が全然違うんですよ。ドレイクの「ストーンアイランド」の着方をはじめ、北米のラッパーはどうしてもメインストリーム感が強くなっちゃって、UKラッパーが着るとカウンターカルチャー感がにじみ出る。理由をうまく言い表せないけど、とにかく違うんです(笑)。

ーーファッション好きが高じて、新卒でシップスに入社されたそうですね。

18scott:シップスは、小さい頃に母親によく連れられて行っていたし、高校生の時にもよく買っていたお店で、音楽活動と両立できると聞いて入社を決めました。思っていた以上に音楽活動を前向きに捉えてくれていて、20年にSUNNOVAさんとの2ndアルバム「PAISLEY」をリリースした際にはポップアップを開いてもらったり、シップスのユーチューブチャンネルで取り上げてもらったり、MVで着用する衣装をリースさせてもらったり、ありがたいことにかなりサポートしていただいています。もう7年目で、本当は店長に昇格しちゃうくらいなんですけど、今は忙しくて全然店頭に立てず……本当に申し訳ないです。それでも在籍させてくれているので、可能な限り働きたいと思っています。

ーー最後に、人気曲「PHONE CALL」は「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス(CHILDREN OF THE DISCORDANCE)」2020年春夏コレクションのランウエイでBGMに採用されていましたが、この経緯は?

18scott:もともと僕が「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」が好きで、それを知った元シップスの先輩が「デザイナーの志鎌(英明)さんも元『シップス』だから紹介するよ」って展示会に連れて行ってくれたんです。その時に「PHONE CALL」が収録されているアルバム「4GIVE4GET」を渡したら、次の日の朝にインスタグラムのDMで「アルバムが良かったのでランウエイの音楽をやってもらえませんか?」って連絡が届いていて。夢だと思いながら打ち合わせをしたら、志鎌さんが以前働いていたシップス傘下のセレクトショップ、エイシクル(Acycle)に僕が高校生の時に通っていたり、志鎌さんが働いていた時のエイシクルの店長が当時僕が働いていた渋谷店の店長だったり、運命的なつながりが多かったので担当させてもらうことになりました。「PHONE CALL」のほかにも僕のビートを気に入ってもらえて、結果的にランウエイBGMを全て手掛けることになり、本当にいい経験でしたね。当日は音出しの確認もあってリハーサルから現場にいたんですけど、ずっとほしかったバンダナシャツを本番前にプレゼントしてくださって、震えながら着てフロントローで見てました(笑)。また何か一緒にできたらうれしいです。

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資生堂の新鋭メンズコスメ「サイドキック」 若きブランド責任者が語る展望

 資生堂の「サイドキック(SIDEKICK)」は、同社としては「シセイドウ メン(SHISEIDO MEN)」以来19年ぶり(当時)となる新メンズスキンケアブランドとして昨年6月にスタートした。

 ターゲットは若年層の男性。歯磨きのようなチューブ容器に、メタリックにきらめくブランドロゴ。同社の既存ブランドにはなかった、ストリートブランドを思わせる斬新なデザインのパッケージに、彼ら特有の肌質・悩みにアプローチするエッセンスを詰め込んだ。

 まずはメンズコスメの先進市場である中国から着手。そこで得たノウハウや知見を逆輸入し、日本市場の開拓にもつなげる。ブランドローンチからの進捗と今後の展望を、同社経営戦略部のブランド開発責任者である藤田悟氏(31)に聞いた。

藤田悟/資生堂経営戦略部「サイドキック」ブランド開発責任者

PROFILE:(ふじた・さとる)2015年慶應義塾大学文学部英米文学科卒。外資系大手化粧品メーカーにてマーケティングを経験後、資生堂へ。紫外線を美肌光に変換する「サンデュアルケア」のコンセプトを生み出し、後にビューティブランド「バウム(BAUM)」「サイドキック(SIDEKICK)」の立ち上げに携わる。現在は「サイドキック」専任でブランド開発に従事

WWD:斬新なパッケージデザインの理由は。

藤田悟「サイドキック」事業責任者(以下、藤田):ブランドは現在、経営企画室の若いメンバー6人が中心となって運営しており、中国支社にもマーケティングチームがいます。私自身もコロナ前には中国に何度も足を運んで、現地の若い男性に関する情報を収集してきました。中国人の購買行動における日本人との顕著な違いとして、「人との違いを表現したい」という欲求が大きいことがあります。そんな彼らの価値観や感性に訴える上でも、これまでの資生堂ブランドにはない斬新なパッケージデザインを目指しました。

 「人口13億人の国に暮らす彼らにとって、“埋もれたくない”という意識は私たち日本人より遥かに大きい。スキンケア用品であっても、彼らの自分なりの創造や発信と結びつけようとします。たとえば「サイドキック」をご購入いただいた中国のお客さまのSNSをのぞいてみると、自分のお気に入りブルーのスニーカーの横に、ブルーメタリックの「サイドキック」の洗顔料を並べて投稿してくださっています。

WWD:社内の反応は。

藤田:プロダクトのデザインに関しては反対を覚悟していました。ただプレゼンを終えてみると、「いい意味で資生堂っぽくないね」「先進的で新しさがある」と前向きな反応をたくさんもらいました。

 「シセイドウ メン」は当社のメンズスキンケアにおけるフラッグシップブランドという位置付けですが、「サイドキック」は会社としての新しいチャレンジ、新しい成功体験を作るための“投資”であると自覚しています。「資生堂」という看板や既成概念を意識しすぎず、ブランドの個性を追求することが肝要だと考えています。

洗顔からスキンケアへは
飛び越えるべき“溝”がある

WWD:中国でのビジネスの進捗は。

藤田:Tモールやジンドン、TikTokなどのEC販路で開拓を進めています。白敬亭(バイ・ジンティン)という現地で人気の若手俳優とファッションデザイナーを起用したプロモーションを実施したことも認知拡大につながりました。

 中国では“チャイナプライド”を合言葉に国産ブランドに投資する機運もあります。しかしやはり日本製のプロダクトに対する信頼は厚く、品質にこだわる層に手に取っていただけているようです。お客さまによるSNSなどの口コミも蓄積されてきており、購入を後押ししている要因になっています。売り上げは計画通り進捗しています。

WWD:中国で一番人気の商品は。

藤田:エアゾール式の洗顔フォーム“シャインオフ ハイブリッド クレンザー”(120mL、日本価格で税込1980円)です。中国では洗顔料を泡立てずにするのが一般的。そんな彼らにとってフォームタイプの洗顔料は新鮮で、きめ細かな泡が気持ちいいと好評です。

 ただ調査結果では、中国の男性は洗顔料の使用率は80%以上と高いものの、スキンケアに関しては60%以下に留まります。洗顔だけをしていた男性にスキンケア用品に手を伸ばしてもらうには大きな溝があるわけです。

WWD:“溝”を越えるためには?

藤田:実は僕自身も、新卒でビューティ業界に入るまでは元々肌悩みが少ない方で、化粧品へのこだわりもありませんでした。今となっては、自分に合う化粧品を選ぶ意味と価値を深く理解しましたが、だからこそ「当時(大学生)の僕にそれを伝えるにはどうしたらいいか」という視点で考えることも大事だと考えます。スキンケアに全く興味がない層に、スキンケアの文脈でいくら“説明”しても響かないのです。

 昨年12月には、原宿の「ビューティー・スクエア」で早稲田大学の学生とコラボしたポップアップイベントを実施しました。テーマは学生が発案した“ゲームセンター”。化粧品会社で働く僕らからすると、「スキンケアと何の関係もないじゃないか」というツッコミを入れたくなったんですが(笑)。ただ彼・彼女たちと同年代のお客さまがカップルで来店して、クレーンゲームやダーツを楽しみ、景品の商品サンプルを笑顔で持ち帰っていくのを見て、これも一つの入り口になると感じました。既存のスキンケアの枠組みにとらわれず、ワクワクするような体験から付加価値を作り出すことにも、積極的にチャレンジしていきたいと考えています。

変わる中国人の消費
化粧品にも本質を求める

WWD:課題はあるか。

藤田:私たちのプロダクトは2000〜3000円前後と、バラエティーショップと百貨店の中間程度の「プレミアムマス」と呼ばれるゾーンです。中国では現在、百貨店コスメなどの高価格帯のプロダクトを使っていた方から高い評価をいただけています。これはいい意味で予想外でしたが、今後はブランド本来のターゲットである、「良質なスキンケアに興味がある若い男性」へのリーチを加速していきます。

 これまで(日本円で)数百円程度のドラッグストアなどの商品を使っていた方々に、倍以上もする商品に乗り越えてもらうためにはどうしたらいいのか。軌道修正しているのが、お客さまとのコミュニケーションの部分です。われわれが以前中国へ調査を行ったときは、現地の消費者はパッとみたデザイン、イメージを重視する傾向がありました。その後コロナ禍でしばらく中国現地に足を運べない期間が続いたのですが、お客さまの価値観はより本質を求める方向へと変化しています。

 化粧品についても、効果・効能に関心を向ける消費者が増えているようです。EC上の購買行動を追ってみると、カートには入るのですが、購入ボタンが押されないケースがまだまだ多い。成約に至らず脱落した方々にインタビューすると、最後はやはり他にはない配合成分や効果・効能といった、「納得できる情報」が購買の決め手になるようです。

 「サイドキック」は、イザヨイバラエキス、ワイルドタイムエキスをはじめ、若い男性特有の肌の揺らぎにアプローチする成分をふんだんに配合しています。試用者によるレビューも他社の競合商品を上回る結果を出せている。そもそも、スキンケア商品としてのクオリティーには絶対の自信を持っているんです。鮮烈なイメージやビジュアルに、これまで意識的に排除してきた「機能」の訴求を融合できれば、お客さまの購入のトリガーを引くことにつながるはずだと考えています。

WWD:国内戦略については。

藤田:中国で蓄えた知見は活用できる部分はあるものの、(日本に)そのまま持ち込んでうまくいくとは考えていません。例えばスキンケアに関心の高い中国人男性は、すでに自分の肌質や必要なプロダクトを理解しており、オンラインで買うことに抵抗がない。一方で日本のお客さまは「まずは自分の肌のことを知りたい」という人も多く、リアルなタッチポイントを必要とする傾向にあります。ただ、限られたリソースを合理的に活用するという意味でも、まず中国で地盤をしっかり固めることが最優先事項です。

WWD:ブランドの長期的な展望は。

藤田:ゼロからブランド開発をするのは初めてで苦労もありましたが、それ以上に喜びや興奮の方が大きかったです。今でも「サイドキック」を使っていて、ふと「本当に自分で作ったブランドなのかな」と不思議な気持ちになります。学生時代から「世の中にない未来の“当たり前”を作る」ことを夢見てきました。今はまだ新しいブランドを作っただけの、ほんの通過点にすぎません。若い男性がスキンケアを選ぶときに、「サイドキック」が真っ先に思い浮かぶ未来を作ること。これが僕の次なるミッションです。

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「エトロ」のデザイナーが語る服作り “僕の頭にはイタリア生地メーカーの地図が入っている”

 イタリアファッションは今、転換期を迎えており、歴史ある企業が新任CEOやデザイナーを迎えてブランドを次のステージへ進めようとしている。「エトロ(ETRO)」もその一つで、2021年に新たな最高経営責任者(CEO)にファブリッツォ・カルディナリ(Fabrizio Cardinali)が着任し、2023年春夏シーズンからはクリエイティブ・ディレクターにマルコ・デ・ヴィンチェンツォ(Marco De Vincenzo)が就任した。イタリアのファッションを代表する一企業である彼らはどこへ向かおうとしているのか?アイコンバッグ“ラブトロッター”のお披露目のため、2月に来日したヴィンチェンツォに話を聞いた。

 「エトロ」にはファミリーという言葉が本当によく似合う。同ブランドは1968年にジンモ・エトロ(Gimmo Etro)が生地メーカーとしてミラノで創業し、80年代にはペイズリー柄で一世を風靡。96年に初のウィメンズコレクションを発表するなど、領域を広げて40年以上、一族経営でその世界観を守ってきた。今春発売したヴィンテージ生地を使ったバッグ“ラブトロッター”にはまさにその歴史が凝縮されている。制作にあたっては、ヴィンツェツォ自身がコモにある2つの生地倉庫に赴き、膨大なヴィンテージ生地から選んだという。

 ヴィンツェンツォは制作背景を次のように説明する。「ヴィンテージ生地のアーカイブは2種類あり、1つは創業後に『エトロ』自身と他のデザイナーのために作った試作で、もうひとつは10年ほど前から始めたコレクション制作の残布。何千種類もの生地が全部保管されている。“ラブトロッター”の生地は、バッグを少なくとも10個作れる用尺があるもの、という基準で選んだ。ほとんどがホームコレクション用だけど、中にはレディトゥウエア用も入っている。色ごと、柄ごとに分けてピックアップして組み合わせを考える。いわば自分が選んだ生地で作ったパッチワークなんだ」。長年のファミリーの記憶を、外部からやってきた新任デザイナーがパッチワークすることで完成したバッグ。だからこそ同ブランドはヴィンチェンツォのデビューシーズンに “ラブトロッター”を世界中で大きく打ち出している。日本では3月22日以降、大丸心斎橋店、日本橋三越、横浜高島屋でポップアップのオープンが続く。

僕の頭にはイタリア生地メーカーの地図が入っている

 44歳のクリエイティブ・ディレクターは、生地や色柄に関する類稀なる理解・表現力を持っている。「僕自身は生地を作らないが、デザインに合わせてどのテキスタイルメーカーにお願いしたらいいかを熟知している。イタリア全土にそれぞれの分野で優秀なメーカーがあり、たとえば“花柄ならコモのあのメーカー”、あれはトリノ、あちらはフィレンツェなど各地・各メーカーの一番よいところをわかって調達をしている。一番良いものを提供してくれるメーカーのマップを持っているようなもの。『エトロ』は素材の多様性で愛されているからそれがとても大切なんだ」。

 ヴィンチェンツォはシチリアに生まれ、ローマで学んだ。ならば、と投げかけた「イタリアならではの美意識」とは?の質問には意外な答えが返ってきた。「イタリア出身だからといってデザインがイタリアの美意識だけで構成されているわけではない。ブランドビジネスは世界に目を向けているしね。イタリアの美意識がどこに現れるか?といえば、それは製造業の作り手の仕事の中ではないだろうか。イタリアのファッション産業は、生地やレザーなど素晴らしい製造業に支えられている。それがイタリアのファッション界の資産であり、イタリアらしさそのものだと思う」。

グラデーション色のニットが象徴すること

 では彼は老舗ブランドをどう変えてゆくのだろうか?自身のブランド「マルコ デ ヴィンチェンツォ(MARCO DE VINCENZO)」では、実験的な素材使いが特徴的だった。しかし「『エトロ』にもその革新性を吹き込んでいくのか?」と問うと、「あそこまではやらない」と返ってきた。「私自身のブランドでは私自身のコードを発信し、私自身のストーリーを語る場だから極端に急進的なこともしてきた。けれど『エトロ』においての革新性は別の切り口で表現すると思う。なぜなら『エトロ』には『エトロ』が築き上げたストーリーがあり、コードがあるから。私が加わったことで新しい視点を感じてはもらえるとは思うけど、やりすぎてはいけない。今まで培われたものをベースにゆっくりした歩調で一歩一歩進めていきたい」。

 ゆっくり、でも確実に。その考え方は2023年春夏コレクションのニットの色使いに見られた。空の色の変化を捉えたようなニットのグラデーションは優しく楽観的な明るさがあった。「発表するたびに『エトロ』らしさの中に自分らしさを少し加えたい、グラデーションはその表れです。長いファミリーの歴史は本当に貴重だと思う。同時にそこに新しい酸素は必要。エトロファミリーが、僕のような新しいクリエイターを迎え入れようという気持ちを持っているからできることだ」。

 イタリアのファッションの魅力は、生地や色に加えて仕立ての技術がある。1月に発表したメンズの2023-24年コレクションは、柔らかく流れるようなシルエットでモダンな印象へとつながった。パターンチームを刷新したのか?と推測するほどの変化だった。「チームは以前と変わっていないが、自分が考えるシルエットの方向性が反映されたと思う。『エトロ』の表現にヒッピーという言葉がよく使われるが、私の感性では『エトロ』とヒッピーは結びつかない。ジンモ・エトロが最初に作ったカタログを見ればそこにはイタリアのサルトリアによる綺麗な形がたくさん見られる。メンズではその原点に立ち返った。ウィメンズもそれを反映していく」。

2023-24年秋冬は満を持してペイズリーも登場

 2023-24年秋冬コレクションは「この半年間での進化、デビューショーと比べて深く研究した成果が見て取れると思う」と語っていた。その言葉通り、同コレクションは充実したものとなった。キーワードは“エトロラディカル”だ。「ラディカルには“急進”の意味に加えて、実はラテン語に由来する“ルーツ”の意味もある。ルーツへのオマージュと革新性のスピリットを込めた」。満を持して登場した多彩なペイズリーやタータンチェック、動植物をモチーフにした柄と多彩な色。それらを流れるようなシルエットの服にのせて開放感いっぱいのルックを次々登場させた。得意のバッグも充実し、オーバーサイズのレーザーカットのトートバッグや新しいアイコンバッグ“サトゥルノ”が登場した。

 「フェンディ(FENDI)」のアクセサリーデザイナーも兼任する今は、「ものすごく忙しい」。その中でオフには大好きな室内装飾関係のアンティークショップを見て回るというヴィンチェンツォ。この先、同ブランド展開するホームコレクションへの広がりなどもあり得そうだ。

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武蔵野美術大学がデザイン教育をビジネスや政策に適応 課題解決を実践する力を養う

 デザイン教育が大きく変わろうとしている。世界の有力校ではすでにビジネスや政策に適応したデザイン教育が始まり、大学と企業や行政組織などと課題解決に取り組む。日本でもさまざまな大学でその試みが始まっている。武蔵野美術大学は2019年、課題解決を実践する総合力を身につけることを目的にしたクリエイティブイノベーション学科を新設、今年一期生が卒業する。「『創造的思考力』を実社会で応用する方法を学ぶ、新たな美術大学としての試みの場」として東京・市ヶ谷にキャンパスを構える。企業・自治体・政府機関と連携したプロジェクトを実践し、それらを支える先端専門教育を通して、自身の視点でビジョンを見いだすことを目指す。入試に実技がないのも特徴だ。これからのデザイナー像とは?どのような人材を育てていくのか?同学科で教鞭をとる岩嵜博論・教授に聞く。

WWD:ビジネスデザイナーやストラテジックデザイナーという肩書きは日本ではまだまだ聞きなれない。その岩嵜さんが教鞭をとる意図は?

岩嵜博論教授(以下、岩嵜):ビジネスデザインはデザインの方法論でビジネスを考えて実行すること。ストラテジックデザインの考え方も、デザインの方法論をビジネスやソーシャル・イノベーション、政策のために用いている。

 狭義のデザインは造形中心のデザインで、今も大切だしこれからも大切。僕は広義のデザインに取り組んでいる。日本では構想や設計という概念で考えられている。領域横断型になり、例えばサービスデザインやデザイン思考なども含まれる。デザインの方法論が一番使いやすかったのがビジネスで、その次に社会、そして政策に広がっている。

WWD:デザインの領域が拡張する中で、これからのデザイン教育とは?

岩嵜:領域特化型の専門的なデザイン教育はこれからも必要だが、領域特化型でも、デザインリサーチの部分を増やすことが大切になるだろう。もちろんすでに行っているところも多いが、思い付きやインスピレーションだけでモノを作るのではなく、リサーチに基づいたデザインを行うことが必要だ。リサーチすると自ずと戦略性が生まれるから。リサーチによって方向性が示され、どの方向性にするかが戦略になり、その戦略に基づいた造形を作るという具合だ。

 もう一つ大切なのは領域横断性、いろんな人たちとコラボレーションすることだ。今までと異なるデザインアプローチとしてはチームによるデザイン活動がある。例えばデザインコンサルタント会社アイディオ(IDEO)は特定のデザイナーの名前を積極的に出さない。チームで作ることを重視していて、誰かが偉いとか誰かがクリエイティブをリードしているとはいわずに施行している。

WWD:これからのデザイナー像とは?

岩嵜:デザイナーの職能にファシリテーターが求められるだろう。人と人、組織と組織、領域と領域の間を媒介できる人が未来のデザイナー像にはある。孤高の作家みたいなパーソナリティではなく、ファシリテーターとしてのデザイナー像、そしてアクティビストとしてのデザイナー像はあると思う。

WWD:クリエイティブイノベーション学科は武蔵野美術大学のキャンパスがある小平ではなく、東京・市ヶ谷に新設された。

岩嵜:CBSソニーが入っていた通称“黒ビル”を大学として取得し、市ヶ谷キャンパスとして2019年に新設した。ニューヨークのパーソンズやロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートなど都心にキャンパスを構え、社会と接点を持ちながら、総合的に領域横断型のデザイン教育を行う学校が世界中にあるが、東京にはなかった。それを武蔵野美術大学が作った。

 これまで培ったクリエイティブ教育を行い、社会に影響を与える活動家を育成することを目的に、新たな学部として造形構想学部を新設。そこに学部のクリエイティブイノベーション学科を作った。同学科は入試で実技試験を課していないので、一般大学を検討していた学生も含めた多様な学生が集まっている。学部と同時に大学院修士課程のクリエイティブリーダーシップコースも開設し、博士課程も設置した。大学院は夜に授業を行っているので社会人の学生も多い。

 ソーシャルクリエイティブ研究所という研究機関も併設し、企業との共同研究も行っている。学部・大学院・研究所が一つの市ヶ谷キャンパスに集結している。美術大学の教育・研究組織としては新しい取り組みだと思う。

WWD:大学に移る前は長く博報堂にいたが、領域が異なるように感じる。

岩嵜:キャンパスに行った瞬間に大学がやりたいことが伝わってきて共感したからだ。僕の中ではリサーチと実践はつながっていて、博報堂にいたときからリサーチもしていた。博報堂には同じような思考の仲間がいて、大半は外にいて活躍しているが、当時は、皆、博士課程に行っていたり、研究していたり、本を書いていたりしていた。そういう環境が当たり前のようにあった。僕自身は06年にデザイン思考に出合い、博報堂時代にイリノイ工科大学のデザインスクールに留学、その後京都大学の博士課程を修了した。

WWD:リサーチと教育、実務をどのように考えているか?

岩嵜:実務と教育・リサーチをつなげていきたいと考えている。アイディオをはじめとした世界のデザインファームや、フィンランドのデジタルデザイン会社と領域を横断する方法で仕事をしてきた経験から、デザインがビジネスに貢献できると実感した。さらに、世界がより複雑化したことで、領域横断的なアプローチがさらに有効になってきている。社会課題も一本足打法だと弱いので、いろんな領域を束ねて課題解決を目指すことが大切になっている。博報堂時代はリサーチ3、実務7の比率だったのが、今はちょうど逆転。教育とリサーチに起点を起きながらビジネスデザイナーとしての実務も行っている。

 大学では、社会実装という言葉を大事にしている。美大はきれいなものを作ることを目指しがちだけど、どんなにラフなものでもいいから行動することを、小さな実装でもいいから、何かを社会に定着させることを働きかけることを大事にしている。

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メイクはヘアカラーの似合わせにおける“強み”になる【二刀流美容師:SHIMA】

 ヘアだけでなく、メイクアップもこなす美容師を“二刀流美容師”としてピックアップする連載企画。インスタグラムによる集客が主流となった今、ヘアスタイル投稿だけでなく、メイク投稿もできるとサロンユーザーの関心をより引き付けられるため、注目度が増している。第2回は「SHIMA HARAJUKU(シマ ハラジュク)」の高垣賢司スタイリスト兼ヘア&メイクに、 メイクを始めたきっかけや、美容師がメイクもやることのメリットを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):メイクを始めたきっかけは?

「SHIMA HARAJUKU」スタイリスト兼ヘア&メイク 高垣賢司(以下、高垣):もともと興味はあったけれど、実際に始めたのは4年前くらい。ヘアスタイル写真を撮るときに、自分のやりたいイメージにより近づけたいと思い、メイクアップも自分でやるようになった。作品撮りの際、メイクは得意なスタッフに任せるスタイリストが多いけれど、僕は興味があったし、全部自分でやりたかった。

WWD:どうやって勉強した?

高垣:ユーチューブなどの動画を見て独学で学んだ。営業後にモデルさんを呼んで、少しずつ実際にチャレンジするということを続けて、お客さまに入ったのは2年前くらい。インスタグラムで、ヘアスタイルと同時にメイク作品も投稿していたが、その反響があり、お客さまから「メイクもやってもらえるんですか?」という質問があった。それをきっかけにメニューに取り入れていった形だ。インスタグラムで、美容師によるヘアスタイル投稿はジャンルとして確立しているけれど、メイクは未知数。まだ試行錯誤の途中だが、普段はあまりやらないような、少しエッジイなメイク投稿の方が反応が良いようだ。

WWD:メイクメニューはどのような顧客がオーダーする?

高垣:結婚式や卒業式、パーティーなどのイベントの前に来店する方が多い。先日はマッチングアプリに使う画像の撮影のためにオーダーしてくれた方がいて,今っぽいなと感じた。また、やり方を教わって自分でできるようになりたい、という方も少なくない。「今年のメイクはどんな感じですか?」とか「おすすめのマスカラは?」などと聞かれるケースも増えた。人それぞれ髪質が違うように、肌質やまつ毛の毛質なども違う。回数を重ねるにつれ、それに合った提案もできるようになった。

WWD:メイクもできることのメリットは?

高垣:よりトータルビューティの提案をできるようになった。ヘアカラーに合わせて「こういう色にしたから、このアイシャドウが絶対かわいいですよ」とおすすめしたり、ハイトーンに合うまつ毛のカラーを提案したりすると喜んでもらえる。ヘアカラーの作品撮りの際も、ヘアだけ手掛けて撮るよりも、メイクも合わせて変えて撮った方が絶対にかわいく見せる自信があり、僕の強みになっている。最近はサロンワークのほかにヘアメイクの仕事もするようになったが、お店の他のメンズスタッフもメイクに興味を持ってくれるようになった。お客さまにとっても、美容室に来てヘア以外の情報も吸収できることは、メリットになると思う。

WWD:今年の春夏はどんなヘア&メイクを提案したい?

高垣:ヘアカラーに関しては、「イルミナカラー(ILLUMINA COLOR)」から4月に登場する新色3シェードを提案したい。これは、L.A.(ロサンゼルス)の自然や街からインスパイアされた、“マリーン”“ビーチ”“サンセット”の3シェード。ソフトアッシュベージュが入っているため、くすまずに柔らかい色味が出せる。

WWD:合わせるメイクは?

高垣:“マリーン”はブルーグリーンが入っているので、外国人風カラーにより適している。メイクを合わせるなら、シェーディングでほりの雰囲気を変えることで、より外国人っぽく見せることができる。あとアイラインとアイシャドウで目の印象を変えることもおすすめ。“ビーチ”は暖色と寒色の中間のニュアンスで、柔らかさを残しつつ、クールなベージュを表現できる。アイシャドウを合わせるなら、淡いオレンジ系がおすすめ。“ビーチ”はとても気に入っていて、キービジュアルを作らせてもらった際は、L.A.のきらめきを表現するためブラウンとゴールドのアイシャドウを使ったが、ばっちり決まってかわいく仕上がった。また別軸で、韓国のトレンドもまだあるが、それを求めるお客さまには柔らかい青みピンク系の目周りと、淡く広めに入れるチークを提案したい。合わせるヘアカラーは、「イルミナカラー」の“サファリ”や“アンバー”がおすすめだ。

WWD:「イルミナカラー」の新色3シェードはベージュベースだが、メイクは合わせやすい?

高垣:ベージュにもよるけれど、いろいろな色を取り入れやすくなる。アイシャドウはヘアカラーに通じているところがあり、絶妙にくすませるなど、ヘアカラーとの似合わせで提案の幅が広がる。

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ホームレスを救うシェルタースーツ 「クロエ」ともコラボしたデザイナーが信じるファッションの力

バス・ティマー/シェルタースーツ ファンデーション創設者

PROFILE:オランダ・アーネムにあるArtEZ芸術大学卒業後、自身のブランド「バス ティマー」を設立。友人の父親がホームレス生活で凍死したことをきっかけに、デッドストックを使ったシェルタースーツを2014年に考案した。その後、非営利団体シェルタースーツ ファンデーションを立ち上げ、世界各地のホームレスに配布し続けている。20年には、米「タイム」誌の「次世代のリーダー」に選ばれた

 シェルタースーツは、オランダ人バス・ティマー(Bas Timmer)が2014年にホームレス支援のために作った、命を守るためのスーツだ。そのジャケットと寝袋をつないだシンプルな1着が、ティマーの「たくさんの人を助けたい」という思いと共に反響を呼び、100着、1000着、1万着と徐々に生産数が増加。現在は非営利団体シェルタースーツ ファンデーション(Sheltersuit Foundation)を世界各地に設立し、デッドストックの生地のみを使ったシェルタースーツを各国のホームレスに提供している。その活動が現「クロエ(CHLOE)」クリエイティブ・ディレクターのガブリエラ・ハースト(Gabriela Hearst)の目に留まり、ハーストが「クロエ」を率いて初のシーズンとなった2021-22年秋冬コレクションで協業が実現。知名度を広げると、ティマーはその後もさらなる支援資金調達のために「シェルタースーツ」をブランド化し、昨年3月にはパリでコレクションを発表した。ティマーは、なぜホームレスの支援を続けるのか。シェルタースーツ誕生の裏側からスーツに込める思い、パリでコレクションデビューを飾るまでを、本人に聞いた。

きっかけは友人の父親の死

WWDJAPAN(以下、WWD):シェルタースーツの構想が浮かんだ経緯を教えてほしい。

バス・ティマー(以下、ティマー):元々大学でファッションの勉強をしていて、自身のブランド「バス ティマー(BAS TIMMER)」を立ち上げ、フーディーやタートルネック、マフラーなど、冬服をメインに作っていた。デンマーク・コペンハーゲンでのインターン時代、街中でたくさんのホームレスを見かけ、「自分が作った服が、寒い中を路上で過ごす彼らの助けになるのでは」と思い、ホームレスのために服を作って無料で配布することを母親に相談してみたんだ。でも、「無料で服を配ったら、誰もあなたの服を買ってくれなくなる」と心配された。正直その答えをすぐには受け入れられなかったが、ひとまず母親の言葉に従うことにした。

WWD:そこからシェルタースーツ ファンデーション設立に至った理由は?

ティマー:それから数年後、僕の友人2人の父親がホームレスになり、路上で凍死したというニュースを耳にした。友人の父親は、母国オランダでシェルターを訪れたそうだが、薄いブランケット1枚しかもらえず、そのまま路上で夜を過ごし、低体温症で亡くなってしまった。その話を聞いたとき、「あのときアクションを起こしていれば……」と罪悪感を覚え、悔しくて、人を助けたいという使命感に駆られた。そこで、「日中も着られて、夜の寒さからも守ってくれるものを作ろう」と、最初のシェルタースーツを手掛けた。初代シェルタースーツは、ファスナー付きのジャケットに手持ちの寝袋を付けたシンプルなデザインだった。それを持ってシェルターを回っていたら、一人の男性を紹介されたんだ。彼は最初僕を怪しがっていたけれど、シェルタースーツを見せると表情が変わり、「友人にもシェアしたい」と言ってくれた。その瞬間、「もっとたくさんの人のために作らなければ」と思い、最初の100着を作った。

WWD:シェルタースーツはこれまでに何着作った?

ティマー:シェルタースーツとシェルターバッグを合わせて2万個だ。シェルターバッグはバックパック状で、広げると1人用の寝袋になる。

WWD:デザインは自身で手掛けている?

ティマー:初代シェルタースーツもシェルターバッグも、昨年デビューしたファッションレーベルも、私が全てデザインした。今はサポートメンバーも増え、素材調達の専任メンバーも在籍している。

WWD:現在活動に関わっている人数は?

ティマー:ここ8年ほどで、数百人がわれわれの事業を支えてきた。オランダで工場を立ち上げ、労働権利を得たシリアからの難民を雇うところからスタートした。オランダの工場では現在25人、南アフリカのケープタウンの工場では、女性15人が働いている。ファッションブランドのチームを含めると、現在メンバーはグローバルで50〜60人ほどだ。

WWD:デザインのこだわりは?

ティマー:一番重要なのは機能性。はっ水性に優れ、高い保温性を有するなど、機能性と品質を大切にしている。次に見た目の美しさ。見た目が美しくなければ、誰も使おうと思わない。路上で過ごすホームレスの人々にも好みがある。だからなるべく多くの人が魅力的に感じてくれるよう、美しくデザイン性に長けたスーツを意識している。われわれはデッドストックの素材をアップサイクルしているが、アップサイクルの強みは、全てがオリジナルで、1点ものであることだ。ベージュからブルー、ビビッドピンクまで、人々のいろいろな趣味嗜好に合ったアイテムを作ることができる。

WWD:デッドストックはどれぐらい調達している?

ティマー:1着のシェルタースーツを作るのに、テントなどに使われるはっ水性の素材を5m(寝袋2.5個分)要する。企業に声をかけて、デッドストックや廃棄予定の素材をもらえないか交渉している。ほかにも寝袋を作る会社からは、生産過程のミスで売れなくなった、ファスナーが故障した寝袋を1000個提供してもらっている。

WWD:今では逆に「提供したい」と声をかけてくるブランドも多いのでは?

ティマー:もちろん。最近は「3M」や「アンダーアーマー(UNDER ARMOUR)」「アークテリクス(ARC'TERYX)」といった世界中のブランドから声がかかっている。それでもまだまだ足りない。もし「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」のような大手アウトドアブランドが素材や商品を寄付してくれるなら大歓迎だ。

ホームレス支援には賛否両論

WWD:シリアからの難民に仕事を与え、雇用を生み出すことへの思いとは?縫製などはどのように教えている?

ティマー:シリアで内戦が起きて以来、多くの難民がヨーロッパに避難してきた。難民の多くは縫製工場で働いていた経験があったが、オランダ語が話せないため、難民キャンプや施設に閉じこもっていた。われわれがオランダで工場を立ち上げたとき、彼らに「ボランティアで働かないか」と声をかけてみたところ、多くが喜んで働いてくれた。当初は工場で働いてもらう代わりに語学レッスンを提供したり、住む場所を一緒に探したり、ビザなどの書類申請を手伝ったりしていた。その後寄付金を集り、彼らにきちんと賃金を支払えるようになるまで工場をコツコツと成長させてきた。「助けを必要とする人を支援したい」という思いもあったし、彼らのスキルを生かせるチャンスでもあった。

WWD:では、縫製は特別に教えていないということ?

ティマー:当初は必要なかった。それよりも、オランダのカルチャーや言語を教えた。最近は従業員も増えたので、主に南アフリカの工場では縫製のレクチャーも行っている。

WWD:最初は厳しい声もあったと聞いた。現在、反響はどう変わった?

ティマー:“ホームレスを助ける”というセンシティブな社会問題に携わっていたので、最初はネガティブな声も多かった。批判の多くは、「シェルタースーツをホームレスの人に配ると、ホームレス状態から脱却しようと思わなくなる」といったおかしな意見だった。ホームレスの人は、誰もが住む場所や仕事を欲しがっている。シェルタースーツを与えたからといって、その思いは変わらないはずなのに。シェルタースーツはホームレス生活を促しているわけではなく、むしろ路上生活を強いられた人々を守っている。そして、シェルタースーツを介してソーシャルワーカーとホームレスの信頼関係が強まり、彼らを支援しやすくなる。これはオランダの大学と研究して実証したデータなので、それを証明できるようになってからは、周りの意見もだいぶ変わった。今は、多くのシェルターがわれわれの事業に賛同してくれている。

WWD:展開国は?

ティマー:オランダ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、南アフリカ、アルゼンチン、パナマ、メキシコ、コロンビア、オーストラリア、アメリカ(ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス)だ。ギリシャのレスボス島やシリアの難民キャンプにも多く寄付している。日本でホームレスの問題がどれほど深刻か分からないが、近い将来日本でもシェルタースーツ ファンデーションを立ち上げたい。そもそもレーベルを立ち上げたのも、世界中にファンデーションを設立するためだ。

「クロエ」とのコラボも話題に

WWD:昨年は「クロエ」ともコラボレーションした。その経緯は?

ティマー:アメリカでシェルタースーツ ファンデーションを立ち上げるためにニューヨークへ行ったときに、ガブリエラ・ハーストに出会ったのがきっかけだ。その出会いから3カ月たったころ、彼女から「『クロエ』のクリエイティブ・ディレクターに就任した」と電話があり、「シェルタースーツ ファンデーションとコラボレーションしたい」と言われた。そして、シェルタースーツ ファンデーションの資金調達のためのチャリティーバックパックと、2021-22年秋冬コレクションのランウエイピースをいくつかデザインした。アイテムは全て「クロエ」とシェルタースーツのデッドストックで製作した。

WWD:ハーストからはどんな要望があった?

ティマー:一番大きなリクエストは、社会的な影響を残すこと。そして、デッドストックの素材からアップサイクルすることと、自社工場でエシカルに製造すること、またバックパックの収益をシェルタースーツのために還元すること、といった条件を話し合った。でも、デザインは自由にやらせてくれた。

WWD:メゾンとの協業で学んだことは?今後もファッションブランドとの協業を考えている?

ティマー:多くを学んだし、これからもたくさんのファッションブランドと協業していきたい。コラボして良かったのは、私たちが掲げる“People Helping People(人が人を助ける)”というメッセージを多くの人に届けられたこと。ビッグメゾンとコラボしたことによって団体の活動をたくさんの人に知ってもらえるきっかけになったし、コラボで得られた収益でより多くの人々を支援できた。そしてわれわれだけでなく、コラボした相手側にもポジティブな影響を与えられたと思う。「クロエ」の社員は、パリのホームレスを支援するために、シェルターなどでボランティアをしているそう。大きなインパクトを残すためにも、今後も多くのブランドと協業したい。

WWD:「シェルタースーツ」をブランド化した理由は?本格的な事業化も視野に入れている?

ティマー:シェルター ファンデーションでは寄付を募り、その寄付金で作ったスーツやバッグを無償で提供している。ブランドとして「シェルタースーツ」レーベルを立ち上げたのは、その収益をファンデーションにさらに還元するため。レーベルはファンデーション同様、“アップサイクルした素材を使う”というフィロソフィーを持ち、別の事業だが、考えや目的は同じだ。互いに支え合えるよう今後も営んでいく。

WWD:ブランド設立後、パリで開催したファーストコレクションの手応えは? 

ティマー:個人的にはとても良い反応だったと思う。計3回ショーを行ったが、各回にプレスや評論家など、ファッション業界の著名人が多く駆け付けてくれた。ファッション好きもたくさんSNSに投稿してくれて、われわれが発信するメッセージをポジティブに受け止めてくれたようだ。ショーを通じて、ファッションは“ソーシャル・グッド”を生み出すツールとして活用できる、ということを発信できたと思う。実際の服にもポジティブなコメントをたくさんもらった。

WWD:ブランドでは、ジャケットやセットアップなど、シェルタースーツ以外のバリエーションも広がった。デザインにおいて意識した点、発想を変えた点は?

ティマー:デザインするに当たり、難しいと感じた点はいくつかあった。1つ目は、デッドストックを用いること。というのも、そもそも企業から提供してもらう素材しか使えないので、素材を自由に選ぶことができない。従来のファッションブランドだと、まずはデザインをスケッチしてから素材を調達し、そこから生産を始めるが、私たちの場合は素材調達から始まり、それに合わせてデザインする必要がある。そういう意味では、通常のデザインプロセスとは全く異なる考え方だった。

 また、われわれはなるべく多くの人を支援したいという思いがあるため、あらゆる人が着られるジェンダーレスなデザインを意識した。ストリートウエアとしてだけでなく、ビジネスシーンでも着られるよう意識した。例えば、ウールコートは一見とてもクラシカルだが、裏地はファンキーでビビッドな色を使い、ストリートウエアの要素を取り入れた。ポンチョやバッグなど、一部のアイテムはシェルタースーツ ファンデーションでも使える機能性だ。

WWD:「シェルタースーツ」として伝えたいメッセージ、目指すゴールは?

ティマー:助けを求める人を支援する大切さを伝えること。周りに苦しんでいる人がいれば、手を差し伸べてあげてほしい。彼らの助けになるだけでなく、他人を支えることは自分のためにもなる。私は、ファッションは美しいものを人々に提供するだけでなく、人々を助けるパワーがあると信じている。特に、今の時代はますます環境汚染が進み、経済力がない人にとってはどんどん生きづらい世界になっている。ビジネスを通して、そんな困難な状況にいる人を助けたい。シェルタースーツ ファンデーションを、支援を必要とする全ての国で立ち上げ、経済的に困窮している人々を雇い、素晴らしい製品を一緒に作っていきたい。

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バロック村井社長が語る 新生「ザ シェルター トーキョー」の価値、原宿のこれから

 バロックジャパンリミテッドは、東京・原宿の旗艦店「ザ シェルター トーキョー(THE SHEL’TTER TOKYO以下、シェルター)」を3月3日にリニューアルオープンした。

 コロナ禍で失ったにぎわいを取り戻しつつあり、海外観光客の本格的な復活も期待される表参道・原宿エリア。リアル店舗に求められる役割も大きく変化する中、ラフォーレ原宿などと共に神宮前交差点に立つ「シェルター」は、どのような店舗に生まれ変わったのか。村井博之社長に改装の狙いを聞いた。

WWD:オープンまでの経緯は?

村井博之社長(以下、村井):当初は東京五輪の開催に合わせ、2020年7月にリニューアルオープンする予定だったが、コロナ禍によりおよそ2年半後ろ倒しになった。オリンピックを意識してスポーツやアスレジャーに絡めた商品、中国最大規模のスポーツブランドとのコラボレーションなどを仕込んでいたが、全て白紙にして再出発した。ここまでこぎつけられたことに、まずはほっとしている。

WWD:改装方針をどう転換したのか。

村井:コロナ禍を経てECやSNSなどデジタル上でモノを売り買いしたり、発信したりすることが当たり前になった。店舗は、「リアルでしかできない体験」「わざわざ足を運んでも手に入れたい価値」を研ぎ澄ませる必要がある。また業界を見渡しても、自社ブランドのみをセレクトした大型店に成功事例は少ない。これまでの枠組みにとらわれず、感度・鮮度の高い仕入れ商品やイベントでお客さまを呼び込まなくてはならない。

 改装以前に「アズール バイ マウジー(AZUL BY MOUSSY以下、アズール)」を展開していた1階は、「ゾゾタウン(ZOZOTOWN)」発のD2Cブランドやユーチューバー、ティックトッカーなどがプロデュースする商品を展開する。地下1階では、「マウジー(MOUSSY)」の中でも「シェルター」でしか手に入らないスーベニアライン“クラブ マウジー 303(CLUB MOUSSY 303)”を販売する。同階にはアートギャラリーのほか収録スタジオを設置し、店舗外壁の巨大なスクリーンを通じて、収録番組を街ゆく人々にも中継する。

WWD:単店での売上高にはこだわらない?

村井:広々とした店舗に商品ラックをぎっしりと並べ、売り場としての効率性を追いかけるのは時代遅れだ。陳列商品の数や面積でみれば、リニューアル前よりも減らした。ただ、中国をはじめとしたインバウンドのお客さまが増えれば、(売り上げなどの)数字面もついてくるはずだと考えている。

カリスマ販売員の接客を世界へ

WWD:2階では「アズール」を派生ラインを含めトータルタインアップする。

村井:ブランドは今年で15周年。これを契機に、改めてブランドの方向性をしっかり定めていく。地方消費が落ち込む中で、地方・郊外のSCに出店する「アズール」は、より優位性を高めなければ選ばれない。今後は日本人の体型にあったデザインやサイジング、百貨店ブランドなどにも負けない着心地や品質を実現し、海外のファストファッションと差別化する。デザイン性を高めた“プラス(PLUS)”や大人向けを意識した“クリー コンフォルト(CLIE CONFORTO)”などの派生ラインも、そういった考えに基づくものだ。

 1階に都内初のショップインショップを構えた、松本恵奈がキュレーションする「スタイルミキサー(STYLE MIXER)」はいいお手本になる。「アズール」と「マウジー」の中間程度の価格帯ながら程よいモード感でバランスがいい。既存店舗はどこも絶好調だ。店舗は郊外型SCが中心だが、都心でどの程度戦えるか試してみたい。「シェルター」はその実験にもなるだろう。

WWD:インバウンドの復活への期待値は。

村井:半年もすれば、原宿の街の様子はガラリと変わっているはずだ。来店客における海外観光客比率は、コロナ前には20%を超えていたが、(改装前の)旧正月の時期にはそれに近い数字まで戻ってきていた。これから中国のお客さまも戻ってくることを加味すれば、さらなる押し上げ効果が期待できる。

 店舗の役割は変わっても、当社の財産がカリスマ販売員をはじめとした“人”であることは変わらない。「シェルター」のオープンからしばらくは、当社が誇るカリスマ販売員を結集させ、世界中のお客さまに最高の接客を体験していただく。中国には「マウジー」をはじめとする300以上のリアル店舗があり、「シェルター」のオープンを大々的に宣伝する。東京に来ていただいたからには、一度は必ず立ち寄りたくなる場所を作っていく。

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Z世代を掘り起こせ、「マウジー」「スライ」運営会社の「ゾゾモ」活用術

 ZOZOは2021年11月に「ゾゾタウン」に出店するファッションブランドのOMO(Online Merges with Offline:オンラインとオフラインの統合)プラットフォームである「ゾゾモ(ZOZOMO)」をスタートした。これにより、「ゾゾタウン」を訪れたユーザーは、サイト上で対応ブランドの実店舗にある在庫有無の確認や、サイト上でそのまま取り置きができるようになった。日々膨大なアクセス数があり、年間購入者数が1000万人を超える「ゾゾタウン」で、リアル店舗へ誘導する道筋を開いた意義は大きい。その一方で、ブランドにとって「ゾゾモ」はどのような効果をもたらしているのか。「マウジー」「スライ」などの有力ブランドを擁するバロックジャパンリミテッドでEC事業を率いる、アパレルECのキーパーソンの一人であるバロックジャパンリミテッド EC事業部長兼OMO推進部 部長 田村英紀氏と、「ゾゾモ」プロジェクトを担当するZOZOのブランドソリューション本部 ブランドソリューション推進部 ディレクションブロック所属 遠矢大介氏に、OMOの最前線を聞いた。

バロックジャパンリミテッド
のOMO戦略

WWD:これまでのOMOの取り組みと考え方は? 

田村英紀バロックジャパンリミテッド EC事業部長(以下、田村):当社は今で言うOMOにはかなり早い段階から取り組んでいて、自社ECサイト「シェルターウェブストア(SHEL’TTER WEBSTORE)」で、2018年から店舗在庫の表示を行い、EC在庫の店舗決済も行っていた。

遠矢大介ZOZO ブランドソリューション推進部(以下、遠矢):それは早い。18年の段階で「ゾゾモ」のような仕組みをやっていたのですね。

田村:ありがとうございます。ただ、そもそもOMO自体、オフラインとオンラインの施策をシームレス、チャネルレスに展開する、みたいな本来の意味を考えると、実はものすごく広義なもの。だから数年前から「OMO」に関して、何をどう実行していくか、について部署横断のタスクフォースを作っていた。21年からはOMO推進部という形になり、CRMをキーワードにお客さまとの接点を増やす取り組みを行っている。

WWD:バロックジャパンリミテッドのようにオフライン発のブランドが強い企業やブランドがOMOに取り組む意義は?

田村:当社の場合「マウジー」「スライ」を筆頭にSNSなどオンラインでの情報発信力も強いが、SNSでの情報発信もその起点はカリスマ販売員たち。顧客化という観点で見ると、やっぱり店頭が起点になる。「店頭を起点に、どうECやSNSなどのデジタルコミュニケーションに広げていけるか」という考え方なので、OMOに関しては一般論にあまり意味がなく、企業規模やブランドのキャラクターなどによって、考え方はかなり変わるだろうな、と思っている。

導入コストはゼロ!?
「ゾゾモ」導入のプロセスとは?

WWD:改めて「ゾゾモ」の仕組みとは? 

遠矢:「ゾゾモ」は「ゾゾタウン」に出店しているファッションブランドを支援しようと、21年11月にスタートしたOMOプラットフォームです。「ゾゾタウン」上でブランドの実店舗の在庫確認と取り置きができるサービスで、「ゾゾタウン」の膨大なアクセス数を生かし、実店舗に「ゾゾタウン」ユーザーを送客することで、ブランド実店舗の売上を支援しています。店頭での取り置きには販売員用のアプリ「ファーンズ(FAANS)」を開発し、販売員の方々に使っていただいています。2021年11月に在庫表示をスタートし、1年で在庫表示店舗数は約3倍にまで増えました。

WWD:導入の発端は?

遠矢:21年10月に「ゾゾモ」を発表後、私からすぐにお声がけをさせてもらいました。

田村:そうですね。途中で当社のシステム関連の入れ替えなどがあった関係で、実際の導入は22年3月になったけど、導入プロセスはスムーズでしたね。

遠矢:その期間を抜かすと、実際に導入にかかった時間は2カ月ほど。現時点ではバロックジャパンリミテッドの全ブランドの店舗在庫をゾゾタウン上に表示、店舗での取り置きサービスもほぼ全店舗にあたる約350店舗で導入していて、導入が決まった後のスピードはものすごく早かったです。

WWD:「ゾゾモ」は、最初の窓口はEC担当者でも、実際には店頭の販売員も巻き込む必要がある。その調整は大変だったのでは?

遠矢:当社にとって、店頭の販売員さんも巻き込んだ本格的なサービスは初めて。だから田村さんが窓口になっていただけたのは本当に大きかった。本来は時間のかかる社内調整や折衝ごと、さらには導入にかかる細かな作業や調整も、田村さんがバリバリと進めていただけた。田村さんはメールの返事がいつも「即決・即レス」(笑)。とにかくスピードが早い。

田村:ありがとうございます。メールは基本、即レスを心がけています(笑)。加えて私はすぐ電話もするので遠矢さんとはかなり話していますが、実はリアルで会うのは今日が初めて(笑)。ぜひ今度飲みに行きましょう!

遠矢:ありがとうございます。当社の本社は西千葉ですが、私は東京在住で、実は田村さんと自宅もけっこう近いんです(笑)。ぜひお願いします!

「ゾゾモ」がもたらす効果とは?

WWD:どのように導入準備を進めたのか? 

遠矢:当社側では運用マニュアルを作成し、各ブランド事業部の担当者の方々へオンラインでの説明会を4~5回実施しました。田村さんには、社内の関係各所と調整していただいたり細かなフォローをしていただきました。

田村:そもそもの話になるのだけど、「ゾゾモ」の導入にあたっては、早い段階で経営陣からの同意も得ていて全社で取り組む下地ができていた。なぜなら全社的な経営課題の一つとして新規顧客の獲得、特にZ世代の獲得に関してかなり優先度が高かったから。「ゾゾモ」なら、ゾゾタウンを利用しているZ世代を含む幅広いユーザーを店舗に送客し、かなりコストパフォーマンスよく新規顧客獲得に繋がる、という点が相当に魅力的だった。

WWD:導入の準備段階で、田村さんを通じて全社的に取り組む下地を作っていた、と?

田村:そうです。それだけ、新規顧客の獲得に関しては優先度が高いんです。これは当社に限った話でなく、有力なアパレル企業ならどこも同じような悩みを抱えていると思います。

遠矢:導入後の効果はいかがでした?

田村:これは予想通りというか計画通りだったのですが、「ゾゾモ」経由で来店するお客さまの多くが新規で、店舗に初めて来たという人も思ったより多かった。「取り置き」をしている時点でかなり購入意欲が高いわけで、さらに当社のように店舗が強いと、リアル接客でセット買いや、ついで買いも期待できるし、リピーターにもなりやすく、それは数字面でも裏付けられている。さらに、取り置きまでしなくても、在庫表示だけ見て来る人がいることを考えると、実際にはこちらが把握している数字以上の効果があるかもしれない。新規顧客の獲得という意味で、手応えを感じている。

遠矢:Z世代の獲得という面はいかがでしょう?

田村:「ラグアジェム(LAGUA GEM)」のようなZ世代に強いブランドからは、店舗でも効果を実感しているという声もある。導入費用はほぼゼロなので、当社からすると「ゾゾモ」による店舗への波及効果は「純増」になるため、その面でもメリットは大きい。

ECのキーパーソン2人が考える「OMO」の今後は?

WWD:となると今後にかなり期待している? 

田村:そうです。今後「ゾゾタウン」ユーザーに積極的な「ゾゾモ」プロモーションをかけて、もっともっと送客してほしい(笑)。

遠矢:ありがとうございます。他の導入企業からもそういった声を多くいただいていて、大変ありがたく思っています。今後もバロックジャパンリミテッドさんをはじめとする導入企業さまと密に連携しながら、考えうるリスクや影響などを精緻にシミュレーションし、対策もきっちり講じた上で、期待にしっかり応えていきたいです。

田村:真面目ですね。でもそこがZOZOさんのいいところ。それに「ゾゾタウン」のような強力な集客力のあるモール型ECプラットフォームによるOMOは、今後も含めてかなり可能性があると思っているし、ZOZOにとってもそこは大きな強みにもなると思います。

WWD:OMOの今後については?

田村:当社の課題感を一言にするなら「いかに顧客を増やしていけるか」。店舗を利用する人にECも使ってもらう、逆にECを見た人を店舗に送るといったことから、店頭の販売員と顧客のコミュニケーションをどうするかまで、やるべきこと、やらなきゃいけないことはものすごく多い。でも難しく考える必要はなくて、例えば店頭でのコミュニケーションなら、これまで当社は顧客とのワントゥーワンコミュニケーションは「電話」のみというルールだったのですが、現在はLINEでも対応を始めています。

WWD:最後にZOZOへの期待を一言。

田村:当社自体がZOZOさんとは長い付き合いですし、現場だけでなく両社の経営層レベルでも交流がある。非常に親しい関係です。やっぱり、お互いに「ファッション好き」「もっとファッションを盛り上げたい」という部分で一致していることが大きいのかな、と。「ゾゾモ」のような新サービスや新ツールは、やってみないと分からないことも多い。なのでそういった部分からどんどん一緒に取り組みたいと思っています。環境がものすごいスピードで変わる中で、「まずはやってみようよ」という関係を今後はさらに発展させていきたいですね。

遠矢:ありがとうございます。コロナ禍がようやく収束に向かっているとはいえ、まだ店頭に人が戻っていない部分もあります。当社は「ゾゾモ」を筆頭に新たなサービスやツールでブランドの実店舗支援を全社一丸となって取り組みたいと考えており、今後も新ツールやサービスがあればお声がけさせていただきます!

PHOTO:KENTO SHINADA
問い合わせ先
「ゾゾモ」担当窓口

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靴業界から渋谷を拠点とする東急百貨店コスメバイヤーに 「仕込んだネタの反響の大きさが醍醐味」

 東急百貨店がテナントとして運営する渋谷スクランブルスクエア6階ビューティフロア「プラスクビューティー」が若年層を取り込み好調だ。2019年11月の同館開業時に立ち上げメンバーの1人として携わり、現在は化粧品担当バイヤーとして東急百貨店全店を管轄するのが水田宜延=東急百貨店ファッション雑貨事業部 ビューティー・自主MD部ビューティー担当だ。「前職は靴小売」「接客が好き」という水田バイヤーが語る仕事の醍醐味とは?

WWD:前職の靴業界から百貨店への転職理由は?

水田宜延=東急百貨店ファッション雑貨事業部 ビューティー・自主MD部ビューティー担当(以下、水田):新卒で靴小売に入社し路面店の店長や新規店舗立ち上げなども経験しやりがいも感じていました。27歳の時に職場の環境が変わることになり、それまでも接客が好きだったので、百貨店だったら一人一人のお客さまともう少しゆっくり話ができるのではと思い、百貨店業界への転職を決めました。最初の配属は東横店婦人靴売り場に。百貨店では前職の売り場の1日の予算を1人のお客さまが購入する日もあって全く違う環境でしたね。入社から3年ほどを靴売り場で過ごし、15年8月に同じ店舗の化粧品売り場に異動しました。

WWD:化粧品売り場へは希望して?

水田:実はそうではなくて(笑)。なので、最初は不安の方が大きかったですね。ただ、仕事内容はお客さまに直接販売するのではなく、ブランドの美容部員や営業担当者とのやり取り、人気商品の発売日には行列ができるのでその整理など売り場の運営がメインなので、化粧品に詳しくなかったですがなんとかやっていけました。少しずつトレンドも勉強しながら約2年半、化粧品売り場にいました。心掛けていたのは、美容部員の人たちが気軽に話しかけやすい環境や雰囲気を作り。ちょっとしたことでも相談してもらえるように普段から雑談も積極的にしていました。例えば売り場の引き出しが歪んでいるとか細かいことを改善するだけで接客がスムーズになって売り上げが上がるんですよね。

WWD:その後、どのように現在のバイヤー職に就いた?

水田:その後、婦人靴売り場に戻り半年後に再び化粧品売り場へ。婦人靴と化粧品、隣接する売り場を行き来することに。でもさすがに半年で化粧品売り場に戻ったときは、美容部員たちに「送別品を返してください」と言われました(笑)。その後化粧品売り場で1年、同店舗の食品・酒売り場で9カ月を経て、19年5月に化粧品のアシスタントバイヤーとして本社に異動。昨年2月から化粧品バイヤーとして渋谷ヒカリエ シンクス、渋谷スクランブルスクエア「プラスクビューティー」、東急百貨店吉祥寺店、同たまプラーザ店、同札幌店を管轄しています。

WWD:百貨店のキャリアパスとしては、さまざまな売り場を経験してバイヤーになることが多い?

水田:人によって全く違い、店舗間や本社を短いスパンで渡り歩く人もいれば、同じ店舗にずっといたり、1つの売り場を長年担当したりする人もいます。百貨店の中で服飾雑貨は花形っていわれることが多いですが、当社は「東急フードショー」という大きな看板があって、同業他社より食品の売り上げが全体に占める割合が大きい。なので、食品売り場を経験できたのは良かったし、最近は化粧品でもインナーケアとしてサプリメントやハチミツなどの食品を扱ったりもすることも増えてきているので食品売り場を経験している強みを生かしていきたいです。

渋谷スクランブルスクエア「プラスク ビューティー」立ち上げに参画

WWD:19年5月にアシスタントバイヤーとして本部に異動して最初の仕事は?

水田:本部に異動した年の11月に渋谷スクランブルスクエア「プラスク ビューティー」がオープンしたんですが、その立ち上げメンバーとして関わりました。オープンまでの5カ月は店頭で配布する媒体の制作とそれに関わる限定品の準備などがメインの仕事でした。40ブランド全てにオープン限定施策をお願いしたのでその調整がなかなか大変でした。この時の化粧品売り場の立ち上げメンバーは現在、事業開発担当、ウエルネスカテゴリーのリーダーなど違う担当に就いていますが、化粧品を熟知しているメンバーと連携できるのが心強いですね。

WWD:渋スク「プラスクビューティー」の特徴は?

水田:開業直後にコロナ禍に入り、若者から徐々に外に出始めたため、観光スポットとして足を運ぶ10〜20代が多いです。そのため韓国コスメやジェンダーレスコスメの打ち出しに対しての反応が非常に良いです。来店客の4割が男性というのも他店より多いですし、カップルの来店も多いです。当初、6階のみでコスメ売り場を展開していましたが、昨年9月からは5階の雑貨フロア「プラスク グッズ」にコームなど美容ツール系、韓国コスメ、フレグランスを扱うコスメゾーンを拡充しています。

WWD:「渋谷を大人も楽しめる街へ」のコンセプトは今後どうなる?

水田:「プラスク」はそういう状況ですが、渋谷ヒカリエ シンクスはもう一回り上の30代、40代の仕事帰りのお客さまが多く来店しています。両方に出店しているブランドが複数ありますが、両方でしっかり売り上げを取れているところを見ると、結果的に良い棲み分けができていると思います。

WWD:注目しているブランドは?

水田:資生堂の自然派コスメ「バウム(BAUM)」。最初の出店は伊勢丹新宿本店メンズ館で、渋谷スクランブルスクエア「プラスク ビューティー」は2店舗目。カウンターを作った店舗としては初だったかと思います。サステナブルな商品設計やデザインなど館の客層にマッチしているし、ジェンダーレスコスメやメンズコスメは売り上げの規模としてはまだ小さいけれど今後を考えるとどんどん取り組んでいかなければいけないところだと思います。

WWD:今後やりたいことは?

水田:これまでも藤井明子さんや三上大進さんなどをゲストに招いたイベントを行いましたが、お客さまを集められるインフルエンサーを呼んで大型イベントを仕掛けていきたいですね。また、「バウム」でハンドマッサージの体験を行いましたが、本格的にタッチアップができるようになったので体験のイベントも増やしていきたい。コスメはイベントなど仕込んだ施策に対してお客さまの反応が分かりやすく返ってくるのが醍醐味。わくわく感や高揚感を伝えやすいですし、施策が跳ねた時は行列ができるなどの反響があるのでやりがいがあります。

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韓国最大手ビューティ企業アモーレパシフィック 日本支社を率いる女性リーダーの肖像

 「エチュード(ETUDE)」や「ラネージュ(LANEIGE)」などをグローバル展開する、韓国最大手のビューティ企業であるアモーレパシフィック。同社の日本事業子会社であるアモーレパシフィックジャパンを指揮するのが松井理奈代表だ。韓国ビューティが今ほど注目されていない時代から、その最前線でキャリアを重ねてきた彼女に、ジャパン社のリーダーとしてのミッションを聞いた。

松井理奈/アモーレパシフィックジャパン代表

(まつい・りな)大学卒業後、アモーレパシフィックジャパン (当時は太平洋ジャパン株式会社)入社。ヨーロッパ系グローバル企業でのマーケティング経験を経て、13年にアモーレパシフィックジャパンに再入社。「イニスフリー」「エチュード」の事業部長を歴任し現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

WWD:アモーレパシフィックジャパンの成り立ちは?

松井理奈アモーレパシフィックジャパン代表(以下、松井):アモーレパシフィックの前身となる太平洋化学工業が1978年に東京営業事務所を設置したのが初まりです。その後、本格的な日本進出を見据え、日本法人であるアモーレパシフィックジャパン(当時は太平洋ジャパン)が2005年に設立。11年に「エチュード」、12年にスキンケアブランドの「アイオペ(IOPE)」、18年に「イニスフリー(INNISFREE)」、そして昨年9月には「ラネージュ」の国内展開をスタートしました。

 ジャパン社の従業員は約60人。私はそのリーダーとして、部下に任せられることはできるだけ任せ、自走できるチームづくりを目指しています。私たちのプロダクトはすでに日本でもある程度認知されてきている手応えがあります。今後は「アモーレパシフィック」という企業の存在感を高め、日本の誰もが知る存在にすることも私のミッションです。

WWD:アモーレパシフィック(以下、アモーレ)に入社した経緯は?

松井:大学生時代に韓国語を学んでいたことがきっかけです。当時(90年代後半)はグローバル化が進む中で、学生は教授たちから「10年後はアジアの時代が来る」と吹き込まれていて。その言葉をうのみにしたんです。必修科目として大人気の中国語は諦めるも、マレーシア語、インドネシア語などと並んで穴場だった韓国語を選択しました。

 4年生の時にソウルの梨花女子大学に留学したことが、美容に目覚めるきっかけでした。梨花女子大学は当時のソウルの中でもホットなエリアにあり、さまざまな人と出会い刺激を受けました。その中で交流した友人から、「ピブガチョアヨ」と言われることが多かったんです。“肌がきれい”という意味です。日本にいた時は面と向かって言われたことがなかったので、なんだか気恥ずかしかったですね。

「肌がきれい」がキャリアの原体験

WWD:当時から美容には関心が高かった?

松井:当時はそこまででもなかったんです。でも、「私って肌がきれいなんだ」と自覚したとたん、化粧品にも手が伸びるようになっていって。単純ですよね(笑)。ただ、入念にスキンケアをすると肌もきれいに整うし、メイクをしっかりすればそれだけかわいくなる。その時点で化粧品会社で働きたい!という明確なビジョンがあったわけではなかったんですが、私のキャリアの原体験であったことは間違いありません。

 私が大学を卒業した1999年は、就職氷河期の真っ只中でした。たくさんの企業の選考に落ちたり、警視庁への就職試験も受けたりと迷走しているうち、一緒に韓国留学していた友達とで再会しました。その友達からアモーレ(当時の太平洋ジャパン)を就職先として薦められ、「とりあえず応募してみたら」と背中を押されたんです。アモーレが初めて総合職として採用した日本人が、私だったそうです。

WWD:何を期待されていた?

松井:うーん……。当時は右も左も分からない状態でしたから。アモーレは人の温かみや伝統、歴史を重んじる日本企業的な雰囲気も感じさせつつ、欧米企業のような合理主義的なフラットさもある、独特の社風です。私はある意味で日本人らしくなく、思ったことを何でも口にしてしまうタイプなので、そういう気質がマッチすると思ってもらえたのかもしれません。入社してからは、日本市場のマーケティングや、通訳、アテンドをこなす毎日を5年ほど送りました。ジャパン社が設立されてからは、日本でのブランドローンチにも関わることができました。

WWD:その後一旦アモーレを離れ、外資系の他業種に転職した。

松井:ブランドをゼロから作るノウハウを集中的に学びたいと考えたからです。知見を積んで、いつかは(アモーレに)戻りたいとは思っていたものの、“片道切符”になることは覚悟の上でした。ですがありがたいことに、当時の上司や法人長のはからいもあって13年に再びアモーレにジョインできました。「イニスフリー」と「エチュード」の事業部長を経て現在に至ります。

WWD:アモーレの強みをどう分析する?

松井:根底にあるのは美に対する向き合い方だと思います。それを象徴しているのが韓国の本社ビルです。オブジェのような建造、ウオーターガーデンも備える壮大でオープンな空間で、地下1階には美術館があります。世の中を美しくいい方向に導くアイデアやクリエイティブは、美しい環境に身を置かなければ生み出せないという考えに基づいています。

 研究所は宇宙船をモチーフにしており、宙に浮かんだようなユニークな構造をしています。コスメは“コスモス(宇宙)”が語源という説もあります。人体そのものを宇宙と捉え、研究所はその中に浮かぶ宇宙船なのです。アモーレのR&D(研究と開発)とは、無限の可能性が広がる世界での「未知の探求」であり、ここからクッションファンデーションのようなイノベーションが生まれました。

韓国は自分が“引き伸ばされる”場所

WWD:女性リーダーとしてのキャリアの捉え方は?

松井:小さい頃から男子と混ざってバスケをしていたような女の子でしたから、あまり女性としての振る舞いやハンデは意識してこなかった方かもしれません。そんな私も、今は中学1年生と高校1年生の息子がいます。子供は泣いたり、笑ったりと本当に不思議な生き物。育児を通じて、「自分が全ての物事をコントロールできるわけではない」ことを痛感しましたし、ビジネスマンとしての自分も影響を受けた部分があります。ただ産休をとっている間も、私は大人としゃべりたくて仕方がなかったし、ピリッとした時間が恋しかった。自分自身の「働くこと」へのモチベーションの自覚的になる機会でもありました。

 メイクをする男性の韓国アイドルの影響などもあり、息子は2人とも「かっこよくなりたい」という願望が強いようです。私がアモーレに勤めて25年くらいの間で、若者を中心に、日本の韓国に対する見方はずいぶんポジティブな方向に変わりました。私の姪っ子も大学の韓国語科に入りました。

WWD:若者の間での韓国ブームをどう捉えるか。

松井:私が大学で韓国語を学んでいた時は、「どうして?」とけげんな顔をされました。韓国文化への理解が進んだ今をうらやましくも、素直にうれしくも思います。それに化粧品を通じて韓国の考えや文化を取り入れることができれば、日本人にとって必ずプラスになるはずです。

 私が韓国にいた時は「ニキビができているけど、どうしたの」とか、「なんか今日浮腫んでるね」とか、見た目に関していちいち言われました。最初は結構傷つきましたが、慣れてくると、「自分が気づかないことを周りが言ってくれて助かるな」みたいな感覚になってくるんですね。韓国では我慢して溜め込んでいくと、周りから浮いてしまうこともあるくらい。ずけずけと遠慮なく発言するムードがあります。

 日本の生真面目さや調和を重んじる性質はすてきですが、その中で生きていると、知らず知らずのうちに窮屈になっていく部分もあります。私自身、累計で100回以上は韓国に出張しているのですが、訪れるたび、自分の中の何かが「引き伸ばされる」感覚があります。最近の若い子達は自分をはっきり主張できる子も増えています。それは少なからず、韓国カルチャーのいい部分を吸収しているからかもしれません。

 メイクにしてみても、日本では「礼儀」「同調」の要素はまだまだ強いですが、韓国はどんどん「個性の表現」に向かっています。「エチュード」はこの春、“メイクアッププレイリスト”をコンセプトに、自分だけのプレイリストを作るようにメイクを楽しめるブランドに一新しました。新たにアンバサダーに就任したLE SSERAFIMのKAZUHAさんは、バレリーナとして世界を目指すためにオランダに飛び、そこからまた全く違う韓国の芸能の世界に飛び込みました。彼女の自分の脚で歩み、挑戦を楽しもうという姿勢に「エチュード」は共感したのです。周りのためではなく、自分のために美しくなる。そんなKビューティの楽しさや醍醐味を、私たちの商品を通じて日本へも広げていきたいと考えています。

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コーセーとアマンがパートナーシップ展開 ラグジュアリーを体現する高機能スキンケアが誕生した理由

 リゾートホテルを運営するアマン(AMAN)のライフスタイルブランド「アマン エッセンシャルズ(AMAN ESSENTIALS)」から新スキンシリーズ“アマン エッセンシャルスキン”が誕生した。コーセーがOEMとして商品開発に協力し、無香料処方を採用したミルククレンジング、化粧水、美容液、フェイスクリーム、アイクリームの5品をラインアップする。

 全ての商品に、アマンが掲げる「古代の遺産から叡智を讃える」という理念をかなえるべく、日本古来の栄養価が高い紫玄米とミネラルを豊富に含む藍の2つの植物成分を厳選して配合した。伝統的な2つの植物成分の働きにより、紫外線や乾燥などの外的環境によるダメージにアプローチする。世界20カ国のアマンブティックで販売し、今後、ロンドンの高級百貨店ハロッズでの取り扱いも計画する。

 “アマン エッセンシャル スキン”を手がける、モデルでアマン エッセンシャルズCEOを務めるクリスティーナ・ロマノバ(Kristina Romanova)氏とコーセーの小林一俊社長に話を聞いた。

WWD:今回のプロジェクトはどのように始まったのか。

クリスティーナ・ロマノバ=アマン エッセンシャルズCEO(以下、クリスティーナ):2018年に誕生した“アマンスキンケアコレクション”は、お客さまから「アマンのスパで使っていたアイテムを商品化してほしい」というリクエストがあり、誕生した。自宅のバスルームに置いてでもホリスティックなスパ体験をしてほしいという思いから、ボディーケアをはじめ、サプリメントやキャンドルといったライフスタイルの商品を拡充し、お客さまにも評価されてきた。その延長線で、スキンケア"アマン エッセンシャルスキン"を作るということは自然の流れであった。

小林一俊コーセー社長(以下、小林):コーセーとアマンの関係は、21年にアマン・スパでハイプレステージブランド「コスメデコルテ(DECORTE)」の最高峰ライン“AQミリオリティ”のアイテムを使用したトリートメントを導入したところから始まった。以降、関係を深める中で、スキンケアシリーズの話をいただいた。

クリスティーナ:今回のスキンケアは、日本のメーカーと協力して作りたいと願っていた。私は日本のビューティをとても尊敬しており、文化をはじめ、細部にわたって完璧主義であるところが、日本の素晴らしい魅力だと思っている。コーセーは、商品をスパで導入していたこともあり、非常に質の高い商品を作っているということを知っていた。2年以上にわたる協業によって、ジェンダーや肌タイプ関係なく使っていただける商品に仕上がり、誇りを持って紹介できる商品となった。私自身、すでにこれなくしてはいられないほどになっている。

WWD:「コスメデコルテ」をアメニティーにするという考えはなかったのか?

クリスティーナ:アマンは世界観を大切にしており、世界観に合うものを作りたいという意識が強い。(アメニティー含め外部に)全てお任せするという方法を好まない価値観を持っている。

小林:アメニティーではなく、アマンと一緒にラグジュアリーラインとして作るのはコーセーにとっても大きな意味がある。(アマンからはわれわれが)乗り越えていかなければならない多くのリクエストがあったが、それに応えようと、開発に携わった若手の精鋭部隊(企画担当者)は大きく成長した。これまでの延長線上にないチャレンジとなり、刺激をもらいながら非常に面白い取り組みができた。

WWD:こだわったところは。

クリスティーナ:保湿でありながら、ヘビーすぎないテクスチャーが重要だった。さまざまなアマンのデスティネーションを取り巻く環境で、山や砂漠など劣悪環境にさらされる肌を真剣に考えた。あらゆる気候・環境に対応できる、浸透力の高い保湿性と非常に柔らかくシルキーなテクスチャーを実現できた。また、都市型のニーズにこだわり、旅行に持ち歩きしやすく、シンプルでクリーンなデザインに仕上げた。

小林:開発メンバーからサンプルは通常よりも多く、10以上作ったと聞いている。アマンからは安全性から成分、品質、デザイン性、意匠など妥協することなく、さまざまな視点でこだわりのある意見をいただいた。コーセーが長い歴史の中で培ってきた知恵と技術を駆使し、経験したことのないような使用感と幸福感をもたらすような商品に仕上がっている。

WWD:無香料にした理由は。

クリスティーナ:個人の感覚としては、ラグジュラリーのスキンケア=香りではない。効果や成分の方がよりラグジュアリーとつながりが深いと感じている。それに香りはそれぞれ好みがある。香りがないことで、商品自体の良さを繊細に感じ取れ、研ぎ澄まされた肌感覚までも深く満たすことができる心地よい高機能スキンケアを作り上げた。

WWD:コーセーにとって今回のタッグによって得られるものは。

小林:世界中のアマンファンや、アマンの世界観に共感する方々に、この商品が自然と受け入れられ評価されるようになれば、成功したと言えるだろう。得られるものとしては日本だけではなく、世界中でこれまでコーセーと接点がなかった新たなお客さまや、取引先との出会いをもたらしてくれると考えている。早速、海外から高い評価をいただいている。

WWD:今後、継続する予定は。

小林:コーセーではあらゆるステークホルダーと高め合う関係性を「Beauty Partner Ship(以下、BPS)」と呼んでいる。アマンとの取り組みはまさに、BPSの考え方を体現しており、今後の新たなつながりや関係の強化など、さまざまな可能性を秘めた取り組みだと感じている。

 今回、アマンとパートナーシップを築き、アマンの最高のホスピタリティー、そしてラグジュアリーの哲学に触れ、当社のさらなる飛躍に向けて夢が広がった。今後も良きパートナーとして、お互いを高め合いながら、世界の皆さまに愛される商品を作っていきたい。

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「ランコム」が「イカゲーム」のチョン・ホヨンとフレンチポップの女王アヤ・ナカムラをアンバサダーに起用 2人に独占インタビュー

 ランコム(LANCOME)はこのほど、大ヒットドラマ「イカゲーム」で知られる韓国人モデルで俳優のチョン・ホヨン(HoYeon Jung)とフランスで人気の歌手、アヤ・ナカムラ(Aya Nakamura)をグローバルアンバサダーに起用した。ナカムラとはこの夏、コラボレーションドキュメンタリーをユーチューブで公開する。

 ホヨンは16歳でモデル活動を始め、2016年にニューヨーク・ファッション・ウイークでランウエイデビューを果たした。以来、世界各国のファッションショーを歩き、雑誌の誌面を飾ってきた。21年にはネットフリックス(NETFLIX)の大人気ドラマ「イカゲーム」で大ブレイクし、同作で全米映画俳優組合(SAG)賞ドラマ部門の女優賞を受賞した。現在インスタグラムで 2200万のフォロワーを持つ人気者だ。

 一方のナカムラは“フレンチポップの女王”と称され、18年にリリースした曲「ジャジャ(Djadja)」で人気を得た。マリ出身のアフロトラップ歌手のナカムラは14年、19歳で音楽のキャリアをスタート。自作の曲の試聴回数は累計60億回を数える。

 「ランコム」は先日、ユーチューブ界のスターで若年層から支持を集めるエマ・チェンバレン(Emma Chamberlain)と契約したばかり。新たにZ世界に人気のアンバサダー2人を起用したことについて、「ランコム」のフランソワーズ・レーマン(Francoise Lehmann)=グローバル・ブランド・プレジデントは「ブランドの進化」と指摘した。「2人は前の世代の女性とは違う方法で、自ら成功の道を切り開いてきた。ブランドの進化を体現する存在だ」と述べた。

 米「WWD」はホヨンとナカムラにビューティやファッション、キャリアについて聞いた。

ホヨンが語るビューティと演劇の世界

WWD:「ランコム」のグローバルアンバサダーに就任した感想は?

チョン・ホヨン(以下、ホヨン):昔から憧れてきた女優の皆さんと共にアンバサダーになれたことを大変光栄に思う。以前から「ランコム」は外面も内面も美しい女性を起用してきた印象があったのでうれしかった。

WWD:韓国初の「ランコム」グローバルアンバサダーとして伝えていきたいことは。

ホヨン:アジア人女性の美しさの概念を発信できる機会になるのでは。多様な美の形や考え方を発信していきたい。

WWD:ビューティへのこだわりは?

ホヨン:水をたくさん飲むこと!内側から潤うことが何よりも大切で。美容に気を遣うようになったのは遅かったが、最近はスパで週に1回フェイシャルマッサージと保湿パックをしている。

WWD:ホヨンさんは「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」との仕事をはじめファッション業界での経験も長い。どんなファッションを好むか?

ホヨン:頑張りすぎず、それでありながら身なりがしっかりしているファッションを昔から心掛けてきた。とにかくディテールが大切。至って自然体でクールだけどところどころに色をさしたりして、遊び心を加えている。

WWD:「イカゲーム」が俳優としてのデビュー作だったが、難しいことも多かったのでは?

ホヨン:本当にチャレンジだらけで、中でも一つ選ぶとしたらセットで自信を持つことの困難さ。私はあまりにも経験がなかったので、自信を持つのが大変だった。一方で自分とは全く違うキャラクターを演じるのは楽しかった。

WWD:最近アップルTVプラス(Apple Tv+)のスリラー作品「ディスクレーマー(Disclaimer)」にも出演した。

ホヨン:主演のケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)をはじめ、一緒に仕事をするのが楽しいクルーだった。これまでロールモデルは特にいなかったが、この作品で彼女から多くのことを学び、大きなロールモデルになった。

WWD:今後どのような役に挑戦したいか。

ホヨン:特定の役やジャンルはないが、人の役を演じ続けたいと思う。できる限りいろいろなタイプの人を演じたい。

アヤ・ナカムラに聞く音楽とファッションスタイル

WWD:「ランコム」のアンバサダーを引き受けた理由は?

アヤ・ナカムラ(以下、ナカムラ):「ランコム」はいろいろなブランドのお手本になる存在で、私のような人がアンバサダーになるのは意外で面白いのではと思った。これからたくさんのエキサイティングなプロジェクトが控えており、披露するのがとても楽しみ。

WWD:アンバサダーとしてどのようなメッセージを発信していきたいか。

ナカムラ:人に自信を与えられるようになりたい。「やればできる!」と思わせたいし、他人の意見に惑わされず自分の夢を持ち続けることを伝えたい。

WWD:そうしたメッセージは自身の音楽と通ずるのでは?

ナカムラ:その通り。私は常に自分らしくいることを大切にしている。気分によっても変わることももちろんあるが、我慢して自分らしさを消すことはない。常に率直で正直だ。

WWD:美の秘訣は?

ナカムラ:美とはスタイル、メイクアップ、ヘア、態度など全てに表れるもの。自信を持ち、自分を愛することができたら、周りはそれを感じるだろう。

WWD:新アルバム「DNK」をリリースしたばかりだが、今までのアルバムとどう違うか。

ナカムラ:今回のアルバムは愛をテーマにした。例えば、祭りのような雰囲気のアップテンポの曲は若いころの恋愛をイメージした。アコースティック調の曲もあり、いつもとは違う雰囲気で私の生の声を生かした。「ジェ マル(J'ai Mal)」という曲はまさに素の自分が際立っている。

WWD:ナカムラさんは“フレンチポップの女王”と称されている。

ナカムラ:とても嬉しいことだが、私が考える「ナカムラ」らしさは型にはまることはない。今後はいろいろなジャンルの音楽を模索していきたい。

WWD:ファッションを学んだり、「ジャックムス(JACQUEMUS)」デザイナーのサイモン・ポート・ジャックムス(Simon Porte Jacquemus)と親しかったりファッションとの縁も深い。自身のファッションのスタイルは?

ナカムラ:ファッションは大好き。常に新しいスタイルに挑戦しているし、コネクションがあるのでいろいろなショールームやファッションショーを見ている。とにかくファッションへの愛や情熱が大きいので毎日のコーディネートが楽しい。ファッションは常に変化していて、若くてクリエティブなデザイナーたちが新たなファッションを生み出していて本当に面白い。

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メイクアップはお客さまにとって“楽しい体験”になる【二刀流美容師:アソート】

 ヘアだけでなく、メイクアップもこなす美容師を“二刀流美容師”としてピックアップする連載企画。インスタグラムによる集客が主流となった今、ヘアスタイル投稿だけでなく、メイク投稿もできるとサロンユーザーの関心をより引き付けられるため、注目度が増している。第1回は「アソート トウキョウ(ASSORT TOKYO)」のタカ・オザワトップスタイリストに、 メイクを始めたきっかけや、美容師がメイクもやることのメリットを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):キャリアのスタートは?

タカ・オザワ(以下、タカ):1996年に日本で美容師としてキャリアをスタートし、サロンワークを行いつつ、ヘアプロダクツメーカーのレッドケン ジャパン(REDKEN JAPAN)のヘアカラー講師として全国を回った。2002年にカナダ・トロントへわたってカラーリストとして活動し、06年にメイクアップアーティストとしても活動するようになった。

WWD:メイクを始めた理由は?

タカ:トロントで働き始めて5年くらい経ったときに、念願だったNY行きのチャンスが来た。NYのトップサロンの1つ「カトラー サロン(CUTLER SALON)」がソーホーにインターナショナルのサロンをオープンするため、オープニングスタッフを募集した。当時のアメリカでアーティストビザを取得できる条件は、5人くらいの著名人からの推薦レターと、雑誌に載った証拠100ページ分くらいを用意すること。でも、用意できなかった。なぜ用意できなかったか……。その理由を自分なりに分析してみたところ、トロントでカラーリストとして働くことに慣れ、“俺はノースアメリカで1番うまい”などと思い上がっていた自分に気付いた。カラーリストを目指したときに抱いていた、“人をきれいにしたい”という初心を忘れていた。そこで全てをリセットし、カナダでメイクの勉強を始めた。

WWD:メイクはどのように勉強した?

タカ:カナダでメイクを覚えたときに、たくさん数をこなして早く上達したかったけれど、メイクアップアーティストの仕事はそれほど多くはなかった。そんなときに、知人から「ヘアサロンで自分の顧客にメイクをすれば?」というアドバイスをもらい、それ以来、サロンのお客さまに必ずメイクをするようになった。NYではさらに、他のカラーリストのお客さまにも「今日これから出かけますか?メイクさせてください」などと声をかけ、カラーリングに合わせたメイクをしていた。

WWD:メイクは喜んでもらえた?

タカ:喜んでもらえていることは、お客さまを見ていれば分かる。ヘアをやっているとき、お客さまは普通に背もたれにもたれて座っているけれど、メイクのときは大半が鏡の近くまで乗り出してくる。さらに、施術を終えたときの言葉も変わってきた。ヘアだけのときは「ありがとう!」だったけれど、メイクをするようになってからは「楽しかった!ありがとう!」になった。つまり、体験型に変わったということだと思う。

WWD:2019年に帰国したのは?

タカ:日本の美容師に“美容師がメイクもやることのメリット”を伝えたいと思い帰国した。ちょうどコロナ禍と重なってしまい思うような活動はできなかったが、ヘアサロンや美容学校のメイク講師を務める中で、いくつかの課題を見つけることができた。1つは、アシスタントはよく勉強会に参加してくれるが、スタイリスト、トップスタイリストとなるにつれて、なかなか参加してくれなくなること。サロンのシステム的に仕方のない面もあるが、課題だと感じた。もう1つは、練習に時間がかかる割に、マネタイズのやり方が分からないこと。結婚式などのメイクは有料メニューとして確立しているが、私が取り入れてほしいのはデイリーなメイク提案。まずは集客&お客さまとの信頼関係構築のためのツールとして活用し、いずれはプラスオンメニューとしていくのがいいと思う。

WWD:「アソート」ではどのようにメイクを提案している?

タカ:ヘアの施術中にメイクの話をし、悩みを聞くなどして「それだったら、こうしたほうがいいかもしれない」とか「前髪作ったからメイクはこうした方がいいよ」などと振る。それから「後でちょっとやってみてもいい?」と提案する感じ。カラー施術でファンデーションが取れてしまったときに、「メイク直ししましょうか?」と提案することもある。短時間でお客さまに喜んでもらうのに1番いいのが、くまを消してあげるタッチアップ。普段使っているファンデーションの下に、赤めのベースをしくだけで、驚くほどきれいに消える。そういったことを続けると「タカさんはメイクもしてくれる」と認識されるので、お出掛けの前に来店してくれるようになる。ただ、私でも新客には提案しない。まずヘアで満足してもらうことが最重要で、信頼を得てから提案するのもポイントだ。

WWD:最近の活動は?

タカ:ようやく海外に行けるようになり、約3年ぶりにカナダ・トロントでサロンワークをしてきた。その中でニューヨークにも行き、ニューヨーク・コレクションの「ショウタヒヤマ(SHOTAHIYAMA)」のリードメイクアップアーティストを務めてきた。オフィシャルではなくゲリラ的に行ったショーで、地下鉄の駅のスロープをランウェイに見立て、そこからモデルが出てくるというもの。雲をイメージしたメイクを施すなど、独創的なショーになったと思う。

WWD:最後に改めて、美容師がメイクもやることのメリットは?

タカ:デザイン提案の引き出しが増える。メイクの勉強をすることは、色の勉強をすること。例えばヘアカラーにおいても、ただ「かわいい」「似合うから」だけでなく、どうしてこの色を選んだのか、肌やメイクとの関係性から説明できるようになる。

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スマイルズ社長交代について代表と新社長を直撃 “自分ごと”を大切にユニークネスを持った企業としてさらに前進

 「スープストック トーキョー(SOUPSTOCK TOKYO)」やネクタイブランドの「ジラフ(GIRAFFE)」、デッドストックや規格外品の蚤の市「パス ザ バトン マーケット」などで知られるスマイルズの社長が交代した。同社は2000野崎亙前スマイルズ チーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)が取締役社長兼CCOに、遠山正道・創業者兼社長は代表取締役代表に就任。野崎社長は、11年にスマイルズ入社。すべての事業のブランディングやクリエイティブの統括、事業開発などを率いてきた。

 同社は2000年に創業。上記ブランド以外にもファミリーレストラン「100本のスプーン」や海苔弁専門店「刷毛じょうゆ 海苔弁山登り」などを手掛けるほか、外部のコンサルティングやプロデュース業も行っている。年商は11億3100万円(2022年3月期)で、ここ数年はコンサル・プロデュース業を強化しており、21年の売り上げ前年比は69%増、22年は45%増と売り上げを伸ばしている。創業23年を機に社長交代した意図や背景を遠山代表と野崎社長兼CCOに聞いた。

スマイルズでは一担当、今まで以上に幅広く活動

WWD:社長交代の意図は?

遠山正道代表(以下、遠山):ここ数年タイミングを見計らっていた。実質、何年も野崎社長が中心で運営してくれており、私もアート関連のプラットフォーム「チェーンミュージアム(THE CHAIN MUSEUM以下、TCM)」の社長をしながら、一担当者的にプロジェクトに関わっていたため、実際あまり変化がない。

WWD:野崎前CCOが社長に立候補したようだが?

遠山:“自分ごと”として、一番いいパターンだと思う。責任を持って自分でやるというのがスマイルズらしい。

WWD:代表になった感想は?

遠山:ますます忙しくなっている。TCMでは一担当者としてプロジェクトに参画しているので打ち合わせなどが多い。それ加えて昨年、個人会社「とおい山(株)」を設立した。同社では、起業などを対象に、利益の追求だけでなく、その存在意義や文化的価値、従業員の幸福などを見つめ直して軌道修正していくようなコンサルティング活動をしていきたい。また、アートや執筆などの作家活動も行うつもりだ。今年の年賀状にも書いた「ピクニック紀」は、ピクニックのように目的や勝敗のないことをどう価値として捉えられるということや、資本主義が成熟した今後、世の中に必要とされるであろう自分で幸福を導き出す人物像などについて考察したもので、本などにまとめられたらと思っている。これまで手掛けてきたことをベースに、今まで以上にいろいろなことをやっていきたい。

WWD:会長ではなく代表という肩書きにした理由は?

遠山:“会長”という肩書きだと、現場との距離感を感じるので、代表(代表取締役)にした。

WWD:今後の代表としてのスマイルズへの関わり方は?

遠山:各社員の主体性(自分ごと)に任せて、各自仕事を進めてもらっているので、今までとあまり変わらない。スマイルズの経営ついて口出しするつもりはなく、むしろ今後は、一担当者としてプロジェクトに関わればと思っている。

WWD:今後のスマイルズに期待することは?

遠山:個人性を存分に生かしながら、チームだからこそできる価値づくりも含めて、さまざまな活動を掛け合わせながらユニークネスを持って活動してほしい。

WWD:スマイルズ以外の活動とのバランスをどのように取っていくか?

遠山:基本、スマイルズについては任せているので、あまり意識せず、さまざまなチャレンジをしていきたい。

一人一人が“自分らしさ”を出しながら期待値を超えられる企業に

WWD:社長に立候補したそうだが、そのタイミングおよび理由、目的は?

野崎亙社長兼CCO(以下、野崎):ここ数年間、社長という気持ちで働いてきた。スマイルズとしてクリエイティブの価値提供ができるようになり、主業として成立するようになったので、今後は、コンサルティングやプロデュース業を主軸にしていくという意思も込めて、このタイミングで立候補した。

WWD:遠山代表とのリレーションはどのように取っていくか?

野崎:飲み仲間だ(笑)。

WWD:スマイルズを新社長として再定義するとしたら?

野崎:スマイルズは意志そのもの。独自のやり方で世の中の体温を上げていくという意志は今までも、これからも変わらない。「スープストック トーキョー」などの実業を中心としていたが、その知見を生かしてクリエイティブという手段を用いながら価値提供している。意志さえ変わらなければ、形に縛られることなく、手段は変化してもいいと考える。

WWD:スマイルズが今面している課題は?

野崎:実業もコンサルも全てビジネス的な手段なので、もっと高度なレベルでそれらを有機的に融合していくこと。

WWD:社長として達成したいことは?

野崎:“船頭多くして船山へ登れる”はずだと考える。スマイルズは、得意なこと、性格、価値観、全てが全然違う集団だ。全員の役割範囲が明確ではないので、年齢、性別、上下関係なくそれぞれの"自分らしさ"を出し合いながら、一人の力を超えて皆で見たことのない景色を見に行ければと思っている。想像つかないことを実現できるのが理想。いい意味で期待値をスタッフ皆が超えてくれたらいい。それが私の新しい創造性をかきたててくれると思う。

WWD:スマイルズとして、新たにチャレンジしたいことは?

野崎:今までしたことないことなら、ほぼ全てやってみたい。経験したことのない業界のプロデュースや業態も手掛けたい。それがわれわれの可能性を押し広げてくれる唯一の手段で、船で山を登るための大事なプロセスだと思っている。

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3月開業の「東京ミッドタウン八重洲」にジャパンブランドが集結 「HOSOO」も東京初出店

 三井不動産が東京駅八重洲口東側エリアで再開発を進めてきた「東京ミッドタウン八重洲」が3月10日、グランドオープンする。施設コンセプトは「ジャパン・プレゼンテーション・フィールド〜日本の夢が集う街。世界の夢に育つ街〜」。日本ブランドにこだわって集積した商業ゾーンには、京都西陣織の老舗、HOSOOが展開するオリジナルブランド「HOSOO(ホソオ)」が東京初出店する。開発の狙いや見所について、東京ミッドタウン八重洲の開発担当者である三井不動産の安田嵩央・商業施設本部アーバン事業部事業推進グループ主事と、HOSOOの細尾真孝社長に聞いた。

才能の掛け算やコラボレーションで、
ジャパンバリューを発信する

WWD:東京ミッドタウンのコンセプトと、3施設目が八重洲になった理由は。

安田嵩央・商業施設本部アーバン事業部事業推進グループ主事(以下、安田):東京ミッドタウンのコンセプトは、「『ジャパンバリュー』を世界に発信し続ける街」だ。2007年に最初に開業した東京ミッドタウン(六本木)では上質な日常を提供し、東京ミッドタウン日比谷(18年開業)では新しい感動体験を提供できるエンタメの街を作った。では、なぜ3施設目が八重洲かというと、日本の玄関口であり、交通量もエネルギーも抜きん出た場所だからだ。ジャパンバリューとは、いろんな才能の掛け算で出てきたものを発信する意味でもあり、コラボレーションで価値を作って多くの人に届けられる情報発信力が高いエリアが八重洲だった。多様な人が参画するプラットフォームとして、類を見ない多彩な要素で構成するミクストユース(複合)型の再開発事業となっている。

WWD:八重洲はビジネスエリアのイメージが強い。

安田:東京駅周辺では2000年代に丸の内、10年代に京橋と銀座で開発が進んだが、20年代に最も大きな変貌を遂げるのが八重洲だ。28年までに東京駅八重洲口駅前3街区が誕生する。これまで交通の結節点というイメージが強かった八重洲が、東京ミッドタウン八重洲をきっかけに“滞在する街”へと変わるわけだ。小学校やブルガリホテルも入居し、街への参画者は多様になるだろう。今回商業ゾーンに出店する57店舗は、八重洲のエリア価値を高めてくれるパートナーで、それぞれがどう交流できるかも重要になる。

WWD:日本ブランドを集積した商業ゾーンのコンセプトと狙いは?

安田:八重洲の強みは、情報発信力の高さとトラフィックの多さのほかにも、多様な人々が街作りに参画でき、才能の掛け算がしやすく、コラボレーションの可能性があるところだ。世界中から人、モノ、コトが集まり、新しい体験価値ができる街。それが八重洲の新しい個性にもなる。地下1〜地上3階の商業ゾーンも、日本のいいものを集め、交わらせ、未来志向の新たな価値を世界に発信していくのがコンセプト。八重洲からの発信がいい磁力になると思う。

日本の玄関口で、
日本の工芸の現状を変える
きっかけを作りたい

WWD:では、大変貌を遂げようとする八重洲エリアに「HOSOO」の出店を決断した経緯と理由は?

細尾真孝社長(以下、細尾):4年前、八重洲の街をどんなふうに変えていくべきかというコンセプト構想に関する相談を安田さんから受けた。八重洲はオフィス街の印象しかなかったが、江戸時代は職人の街で、人が集まり、文化が行き交うハブだった。日本の美意識を展開するうえでは、いい意味で色がついていないので最適な場所なのではと考えた。

安田:工芸は自分とは縁遠いものだと思っていたが、実は日常に根付いているものが多く、実際に西陣織や朝日焼の職人の技を直に見せていただいてすごい熱量を感じた。クラフトマンシップは、体感するとものすごい感動体験がある。

細尾:出店の話がある前に、館全体のエントランスゲートについての相談があり、当社が初めて開発した外壁技術が採用されることになった。最初は驚いたが、過去の素晴らしい価値観が現代的にブラッシュアップされていく時代に突入するという感覚があったので、これまでに培ったものでチャレンジしようと決断した。その後、施設のコンセプト構想やエントランスゲートだけでなくHOSOOとして「HOSOO TOKYO」の名前を冠して出店することになったのだが、出店にあたっては、この場でないと絶対できないものを作っていこうと思った。日本文化の中には素晴らしいものが脈々と根付いているが、まだ最大化できていない。日本の玄関口である八重洲で多くの方にメッセージを発信し続けることで、そんな状況を変えるきっかけになるのではと。1社でやるよりも同じ思いを持った三井不動産と連合してやることでより強い力になると思った。

安田:東京ミッドタウンブランドらしいラグジュアリー感は、八重洲でも大事にしたいと考えている。ラグジュアリーという言葉には、ものの本質に触れたり、丁寧に生きることを通して心の豊かさを上げてくれる体験といった意味合いもあると思う。それをここで掘り起こしていくわけだが、同じ船に乗って同じ方向性でフィロソフィーを共有し、具現化していける方々と成長していくことが大事だと思う。

過去を振り返り、
現代的な形で未来につなげていく、
「HOSOO」のものづくり

WWD:「HOSOO TOKYO」のコンセプトとラインアップは?

細尾:一つは工芸建築だ。さまざまな技術を持った職人の協業で店舗を作る方法を採用した。床は京都の左官職人が独特の技法で作っていて、4mの柱のアートウォールは京都の表具師が数カ月かけて工房で作った。ここがかなり挑戦的なところだ。店舗でショッピングされる方だけでなく、前を通行される方にもインスピレーションや豊かさを与えられるよう、できる限りの力を結集した。商品は、「HOSOO」のテキスタイルを使ったコレクションとアクセサリーに加え、今回オープンに合わせて作った寝具とパジャマも販売する。開発に5年かけた着心地のいいシルクで、平安時代の染色技法で染めた。ニホンムラサキという絶滅危惧種の植物の根で染めるのだが、出雲の農家が伊勢神宮の式年遷宮用に栽培されているのみで数が不足している。そこで、HOSOOは古代染色研究所を立ち上げ、ニホンムラサキを自家栽培するための植物農園を京都の丹波に開設し、栽培に成功した。農園の隣には古代染色工房を設け、手染めしている。「HOSOO TOKYO」には、このニホンムラサキを使った染めたてのパジャマが並ぶ。自然染色の生地はほぼ触れる機会がないので、商品として販売することでいいものを長く使い続けることの大切さも伝えていきたい。店内の接客では、パジャマの染め直しのサービスも提供していく。また、テキスタイルセラーに展示した200種類の「HOSOO」コレクションから選べるアートピースのオーダーも可能。素材の良さを最大限引き出しながらお客さまに合わせて提案していきたい。

WWD:ターゲット層に向けてのメッセージは。

細尾:時代が大きく変わるタイミングなので、より本質的な価値を伝えていきたい。過去を振り返った分だけ未来のことも考えられる。何千年もの歴史がある工芸品には、振り返られる振り幅がある。だから、その中からいいものを引っ張り出し、現代的な形で未来に展開していく。サステナブルな観点からも、お直しして価値を高めながら受け継いでいく考え方を伝えていきたいし、そういう仲間も増やしたい。

安田:「HOSOO」の強みは、工芸や西陣織を常にアップデートし続けている点だと思う。古代染色についても、過去を研究して残していくべき技術を使い、協業先とのコラボで新たにプロダクト化されている。そこが、東京ミッドタウンのコンセプトであるジャパンバリューの発信とも共通する。商業施設は、リアルでモノや空間に触れて感じることができるので、リアル価値を上げてくれる存在だ。東京ミッドタウン八重洲に来れば、知らなかったものにも出合えるし、体験もできる。

日本初進出の「ブルガリホテル」や
小学校の新校舎、バスターミナルも入る
大規模複合ビル

 JR東京駅と直結する、地上45階建ての「東京ミッドタウン八重洲」は、オフィスフロア(7〜38階)と商業ゾーンに加え、日本初進出の「ブルガリホテル 東京」(40〜45階)(2023年4月開業予定)や国内最大級の高速バスターミナル「バスターミナル東京八重洲」(地下2階)(2022年9月開業済み)があるほか、再開発区内にあった小学校の新校舎(1〜4階)やビジネス交流施設(4・5階)など多彩な要素で構成される大規模複合ビルだ。地下1〜地上3階の商業ゾーンには、「HOSOO」「CFCL」「TOKYO UNITE」など初出店6店舗、東京初出店11店舗を含む注目のジャパンブランド57店舗が集結。2階の公共スペース「ヤエスパブリック」は、立ち飲みスポットと物販・休憩エリア、裏路地からなり、八重洲を行き交う全ての人がふらりと立ち寄れる場所を目指している。

TEXT:HATSUYO HASHINAGA
問い合わせ先
三井不動産 広報部
03-3246-3155

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衣料品の回収と再資源化の現在地 古着からポリエステル樹脂を再生する企業の社長が語る

 いらなくなった衣料品の再資源化には課題が山積みだ。衣類を廃棄せずに活用する方法については世界中で議論され、技術開発が進んでいる。大前提として、着られなくなった衣類を回収して再利用・再資源化する前に、衣類の長寿命化が求められる。

 JEPLAN(旧日本環境設計)は「服から服をつくる」をコンセプトに、自社で開発したポリエステルのケミカルリサイクル技術で、古着からポリエステル樹脂を再生する。日本にポリエステルのケミカルリサイクルのプラントを持つ代表的な企業で、日本での衣料品の店頭回収を進めたパイオニア的存在でもある。2023年2月15日現在、199のブランドと取り組み、4536カ所の回収拠点(スポット開催を含む)がある。22年は1500トンを回収し、そのうち7.8%をポリエステル樹脂再生のために用いた。

 ポリエステル単一素材での製品開発は、日本国内での資源循環が可能で資源回収効率も高いため、経済合理性が高く、環境負荷低減にもつながると考えられる。一方、ポリエステル単一素材では狙った風合いや表現が叶わない場合も多いため、衣類の多くは混合素材で、再資源化への難易度は高い。服の再資源化の未来とは。高尾正樹JEPLAN社長に話を聞く。

WWD:回収した衣類をどう循環させているか。

高尾正樹社長(以下、高尾):店頭回収と企業のユニフォームの回収を行っている。回収した衣類を当社で分別し、まだ着られる状態で価値のあるものはリユース用として、提供先を確認の上で、当社が信頼する業者に業務委託している。それが全体の75.3%(22年実績)。リユースするかしないかはお客さまのご要望に応じて対応している。リユースできないものは、ポリエステル100%の衣類はケミカルリサイクルしており、それが全体の7.8%(同)。再生ウールが0.1%(同)、自動車内装材が0.1%(同)、コークス炉化学原料化法(プラスチックを石炭の代替品として利用する技術で新日本製鐵が開発)が16.1%(同)。いずれにも該当しない0.6%は産業廃棄物として廃棄している。

WWD:リユースの先はどうなっているのか?

高尾:リユース後の売れ残りに関しては現状把握の調査を進めており、商品にならないものをリサイクルする仕組み作りに取り組み始めた状況だ。リユース先から海外に流れてわからなくなったものが不法投棄されたり、燃やされたりしているという報道も承知している。先日、洋服が大量に不法投棄されているチリの砂漠を見てきた。多くは米国の古着で日本のものは見つけられなかった。

WWD:回収量の推移は?

高尾:コロナ前は600トン、21年1200トン、22年1500トンだ。ポリエステル樹脂の生産量の数字は出せないがわずかだ。技術が未熟で、量が増やせない。

WWD:生産量が上がらない理由は?

高尾:ポリエステル100%と表示があっても他の素材や、染料や顔料が入っている。この不純物の種類と量が圧倒的に多いが、物質の組成まではわからない。わからない中で取り除こうとするので、取り除けないものもあり、それが入ってくると全体がダメになる。結果、工場の生産性が上がらない。

WWD:JEPLANは「服から服」のケミカルリサイクルを推進しているが、衣類の多くは複合素材で、そのリサイクルの技術が確立されていないなど、課題は多い。

高尾:繊維から繊維のリサイクルはあきらめていない。正直全然儲からないし、ずっと大赤字(笑)。でも僕がやりたいからやりたいと言い続けている。消費者の関心が高まっているので(消費者を巻き込んだ仕組み作りの)心配はしていない。洋服はペットボトルのように安くなく、付加価値が付くもの。コスト構造として吸収されやすいのでビジネスとして成立しやすい。唯一の問題は技術がないことだ。(リサイクルしやすいからといって)モノマテリアルにはしないほうがいいし、それでは洋服の文化的側面が消えてしまう。複合素材であっても、さまざまに染色していてもリサイクルできる技術開発が必要だ。圧倒的な技術力を持つ化学会社が世界中にはいくつもある。そういった企業が本気で開発に取り組めばいいのに、とも思う。

WWD:赤字を黒字化するために必要なことは?

高尾:われわれもわからないため試行錯誤しているのが現状だ。

WWD:「服から服」「ペットボトルからペットボトル」という水平リサイクルにこだわっているが、その他のリサイクル方法を考えているか。

高尾:服は服、ペットボトルはペットボトルとして循環させるべきだと考えている。なぜならトータルのCO2排出量削減が最も大きいと考えるからだ。例えばペットボトルからフリースを作り、フリースが燃やされるのでは意味がない。燃やさないためにエネルギーをかけてでも回り続ける水平リサイクルがいいのではないか。

WWD:形が変わったとしても、エネルギー量を抑えるリサイクル方法がいいという考えもある。

高尾:その考え方は一部を切り取っているだけだと思う。目指すべきは、いかに燃やさないか、埋め立てないかだ。そのための仕組みを作ることが重要だ。ゴミ焼却場でのエネルギーの回収率は10%も満たないなど、燃やすときに発生するエネルギーがもっとも効率が悪い。

ペットボトルのケミカルリサイクルを商業化

WWD:ペットボトルのケミカルリサイクル技術も開発したとか。

高尾:約20年かけてケミカルリサイクル技術を開発し、ピカピカのペットボトルに戻すことができるようになった。世界でペットボトルのケミカルリサイクルを商業レベルで行っているのは当社だけだ。世界には技術確立している企業もいくつかあるが、商業レベルに達していない。われわれのプラントは21年5月から稼働し、大手飲料メーカーにPET樹脂を販売している。年間2万2000トン生産しているが、日本国内で年間60万トン生産されているのに対してはまだまだ少ない。

WWD:どこから回収しているか。

高尾:自治体と連携し、自治体で回収したペットボトルや、自動販売機横にあるリサイクルボックスから回収されたものを用いている。また、ペットボトルのメカニカル(マテリアル)リサイクルの過程で出るクズも活用している。メカニカルリサイクルは、必要なエネルギー量はケミカルリサイクルに比べて少ないが、3割がリサイクルできないという課題もある。われわれはその3割を活用しているが、通常は焼却していたりする。またメカニカルリサイクルの場合、再生されてもどんどん劣化するので、いずれリサイクルができない状態にもなることが課題だ。

WWD:理想はメカニカルリサイクルを何度か行った後、ケミカルリサイクルをするということか。

高尾:その通りだ。メカニカルとケミカル両方を活用した事例を示したいと考えている。メカニカルとケミカル、両方のリサイクルプラントを持っているのは日本だけだ。課題は、一見してもペットボトルがどの程度劣化しているかわからない点だ。

WWD:欧州進出についての進捗は。

高尾:フランスのリヨンにペットボトルのケミカルリサイクル工場を作る計画だが、まだ着工していない。

WWD:今後の目標は?

高尾:われわれが行いたいのはリサイクル業ではなく、製造業だ。石油ではなく不要なものを原料とした製造業としてモノ作りをする。洋服を原料としたポリエステル樹脂やペットボトルを原料としたPET樹脂の生産量を増やしていく。それを市場に売り、黒字化する。ペットボトルは見えてきたが、洋服は全然見えない。


衣料品の再資源化に向けた技術開発の現状とその先

 廃棄物の輸出が難しくなった今、自国で出たゴミは自国で処理するしか方法はない。環境省のレポートによると、服がゴミとして出された場合、再資源化されるのは5%程度でほとんどは焼却・埋め立て処分されているという。その量は年間48万トン。捨てる量・作る量を減らすことを前提に、企業、行政、生活者が協働し、衣料廃棄物の再資源化が求められる。

 ポリエステルと混合される素材は、コットンやポリウレタンが多い。混合素材の再資源化に向けて、環境負荷低減を前提とした分離技術の採用も望ましいだろう。ポリエステルとポリウレタンの分離回収や、ポリエステルとコットンの分離技術はいくつかのスタートアップが開発済みだ。いずれもスケールが必要な段階だが、こうした技術を活用していくことで、混合素材のより効率的な再資源化が可能になるはずだ。すでにナイロンのケミカルリサイクル技術は商業化されているし、コットンなどのセルロース繊維のケミカルリサイクル技術も商業化に向けてスケールしている段階。ハードルは高いが、上記したポリエステル以外の繊維リサイクルが可能なプラントを日本に構えることができれば、これまで廃棄されていた衣料品の再資源化が可能になる。

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峯岸みなみが語る 「ズボラな私」だからできたシートマスク

 元AKB48でタレントの峯岸みなみがプロデュースするスキンケアブランド「イトマ(ETOMA)」は、初となるポップアップストアを2月23日に東京・原宿の「アットコスメ トーキョー」で実施する。

 ブランドは、広告エージェンシーのクリーク・アンド・リバーの子会社で、D2Cブランド事業などを手掛けるforGIFT(白井崇文代表)が運営。第1弾商品として昨年12月、美容乳液シートマスクの“オールインワン・フェイシャル・マスク”(22mL×5枚入り、税込2900円)を発売した。1枚で化粧水・乳液、美容液の3役をこなす。ポップアップ当日は峯岸が店頭に立ち、購入客にシートマスクを手渡しする(事前予約制)。

 元々、スキンケアには疎かったと明かす峯岸。「いまだに、メークをしたまま寝てしまうこともよくあるんです」と笑う。ただ「イトマ」のシートマスクは、「そんなズボラな私だからこそできた商品です」と胸を張る。着想から3年を要したシートマスク開発の背景、「イトマ」にかける峯岸の思いを聞いた。

WWD:ブランド名は「暇(いとま)」が由来と聞きます。どんなブランドかを教えてください。

峯岸みなみ(以下、峯岸):「イトマ」を使うことで忙しい毎日の中でも、自分と向き合う時間を作ってほしいという思いで立ち上げたブランドです。

 私自身、化粧品の成分について詳しいわけでもなかったし、こだわってきた人間ではありません。もともと私は、肌悩みが多い人からしたら「ずるい」と思われるくらいに、肌トラブルは少ないほう。20代前半の頃は周りの子もピチピチだし、特段目立っていたこともなかったです。ただ年を重ねるにつれて「肌がきれいだね」と褒められることも多くなってきました。この肌は私の長所で、もっと磨いてアピールすれば武器になるんじゃないか、と思ったんです。

 ただぶっちゃけてしまうと、私自身はめっちゃズボラな人間(笑)。今でも多いときは週に2、3回、メイクを落とさずに寝てしまうことがあります。だから私のようなズボラには重宝する、スキンケアが1枚で完結するシートマスクを作りました。

WWD:“オールインワン・フェイシャル・マスク”はどんな商品?

峯岸:とにかく楽にスキンケアが完結できることを目指しました。しっかりとした美容意識のある女性なら、お風呂を出たら化粧水をして、パックして、美容液やクリームを塗るのが「普通」だと思うんです。ただそれが全部できない、やりたくないと思った時に、「お願いします!」と1枚で頼れるものになっています。

 “オールインワン・フェイシャル・マスク”は「美容乳液マスク」で、保湿力がとにかく高いです。自分で試しながら、朝になってももちもちする感覚を、納得いくまで追求しました。

WWD:開発には3年を要しました。初めてのスキンケア商品開発では大変なことも?

峯岸:初めはメイクも落としつつ、お肌を潤せる「クレンジング&スキンケア」的なコンセプトで作ろうと思っていたんですが、それはあまりにもズボラすぎるし、処方的にほぼ不可能だからお蔵入りになって、軌道修正しました。だからちょっと回り道した部分もありますね(笑)。

 香りに関しては、5、6回くらい試作を重ねました。シートマスクを作っている間は「こだわり、なかったんじゃ?」と言われるような、面倒臭い人間になっていたと思います。ベッドの上で使ってもらえるような、とろんと眠たくなるような、ほのかにジャスミンを感じる香りです。

 私はいいと思っても、皆にいいと言ってもらえないと不安。だから香りを決める時も、数人が「一番いい」と言っているものより、誰からも嫌われていないものを選びました。

WWD:最近は化粧品開発において、万人受けよりもコアなコンセプトを重視する流れもあります。

峯岸:「イトマ」のシートマスクはめちゃくちゃ安価でもないから、手に取ってくれた人にはせめて嫌な思いをさせてくないと思ったんです。自信のなさ、ここでも出ちゃってますかね?(笑)。

WWD:峯岸さんは元トップアイドルなのに、等身大の親しみやすさがあります。

峯岸:スキンケアブランドを立ち上げる人って、普段のスキンケアは完璧だし、自分に自信を持っている人が多いですよね。それに比べて、「イトマ」は「ズボラな私みたいな人に届けたい」というコンセプトからネガティブ(笑)。でも弱い自分すらさらけ出して共感していただくのが、自分のアイドル時代からのスタンスでした。

 普段からズボラな生活をしている私だからこそ、しっかり丁寧にスキンケアをした次の朝は、肌の調子がよくて感動します。ズボラな私だからこそ作れる、共感してもらえるブランドにしたいです。

WWD:ファンの反応は?

峯岸:「イトマ」の情報は、9月のスタイルブック発売と同時に“匂わせ”投稿をしたんですが、びっくりされていたファンの方も多かったみたいです。私がずっとメークに興味なかったことはばれていますし。それに、私が主体性を持って何かを始めることにもファンの方はびっくりして、「あの、みーちゃんが?」と喜んでくれていて。あー私って甘やかされているなと思いました(笑)。

 私がAKB48にいたときは、「アイドル」として決まった道を進むだけでよかったんです。与えられた役割にはもちろん一生懸命に取り組んでいたけれど、自分で主体的に選択する機会は意外となかった。だから、スキンケアブランドは初めて自分の意志でするチャレンジで、ドキドキしています。もちろん、(小嶋)陽菜みたいに自分の足で立って歩んでいこうというメンバーもいましたけれど。

WWD:小嶋さんは自身のアパレルブランド「ハーリップトゥ(HER LIP TO)」を立ち上げ、経営者としての道を歩んでいる。

峯岸:(小嶋)陽菜は私とは真逆の人間で、自分で何もかも選択して、返ってくるものは全部自分の責任として受け止められる人。プライベートのことは普段からよく話す仲ですが、シートマスクのことは一切話さなくて。というか、話せなかった。陽菜が仕事にかける熱量をずっと見てきたので、自分が戸惑っていて、ふわふわした状態で相談するのは失礼だし、幻滅されたら嫌だなと思って。

 陽菜の顔も頭に浮かんで、シートマスクを作るなら、自分の言葉で薦められるものを作らなきゃダメだと思っていました。ファンの皆さんにも、顔向けできないようなものを作ったら、自分が苦しい思いをするだけ。だからやっとできた「イトマ」のシートマスクをプレゼントして、陽菜に「がんばったね」って言ってもらえたときは、すごくうれしかったです。

 自己肯定感はめちゃくちゃ低いし、自分に自信がない。そんな私がこのシートマスクに関しては100%に近い納得度で、「いいものができたよ」って言うことができます。私自身、「イトマ」を使うようになったらスキンケアの時間が楽しみになって、毎日メイクも落とせるようになってきました。もちろんズボラが治るわけではないんですが、「イトマ」を使うことで「スキンケアって楽しい」「もっと肌がきれいになりたいな」というモチベーションが湧いてきました。手に取った皆さんが、きっとそうであってほしいなと思います。

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イタリア発ジュエラー「ポメラート」と共に歩んだ20年 クリエイティブ・ディレクターに聞くブランドのDNA

 イタリア発ジュエラー「ポメラート(POMELLATO)」のヴィンチェンツォ・カスタルド(Vincenzo Castaldo)クリエイティブ・ディレクターが約3年振りに来日した。

 昨年、カスタルドはポメラート入社20年を迎えた。今までの「ポメラート」との歩みとブランドのDNAなどについて話を聞いた。

WWD:今回の来日の目的は?

ヴィンチェンツォ・カスタルド「ポメラート」クリエイティブ・ディレクター(以下、カスタルド):コロナ前の最後の出張が東京、そして、今回はその後初の出張だ。東京は大好きな町で、数年間来れずさびしかった。日本の文化が持つ繊細さや細やかさ、全てのことが儀式のようで魅了されている。“金継ぎ”コレクションのインスピレーションでもある。

WWD:昨年、ポメラート入社20周年を迎えたが?

カスタルド:入社初日のことを覚えている。当時のクリエイティブ・ディレクターが“ヌード”コレクションを見せてくれた。「ポメラート」の世界に飛び込んだ感じだ。もともと、家族経営だったが、ケリングの傘下に入り、2015年に私がクリエイティブ・ディレクターになった。それからハイエンドのファインジュエリーを提供するブランドに昇華させたことを誇りに思う。

WWD:20年間デザインしてきて変わった点は?

カスタルド:クリエイティブアプローチは変わらない。クリエイティビティー、イノベーション、アルティザンのあくなき探求を続けている。「ポメラート」が持つ類まれなDNAを守るのが私の役目だ。20年で周囲のジュエラーは変わったと思う。今では、ジュエラーだけでなく、あらゆるファッション・ブランドがジュエリーを販売するようになった。ジュエリーと人の関係も変化した。「ポメラート」は1967年創業当初から、日常に着けるジュエリーというビジョンを持っているが、50年前は、ジュエリーは特別なときに着けるものだった。それが日々着けるものという考え方になった。

WWD:ジュエリーをデザインする上で常に心掛けていることは?

カスタルド:全てのジュエリーが主役であるということ。また、消費者を驚かせるのではなく、タイムレスなデザインで、時代を問わず変わらない価値を持つジュエリーを提供したい。

「ポメラート」はミラネーゼのエフォートレスシックを表現

WWD:「ポメラート」のジュエリーの一番の魅力は?

カスタルド:1つ選ぶのは難しい。ミラネーゼの肩肘張らないエフォートレスシックを表現しており、クリエイティビティー、イノベーション、職人技のバランスが取れたエレガンスがあること。

WWD:最近、ハイジュエリーに注力している理由は?

カスタルド:67年の創業以来、ブランドとして成熟し、さらにプレシャスなものをつくるようになった。ハイジュエリーは予算の限度がないし、職人がじっくり時間をかけてつくる喜びを感じられる。楽しんで制作しているよ。

WWD:「ポメラート」とミラノには深い関係があるが、どのようなものか?

カスタルド:「ポメラート」はミラノ生まれ、ミラノ育ちのブランドなので、深いつながりがある。ミラノには金細工の伝統があり、デザインやモードの中心地でもある。そして、常に何かを探し求めるダイナミックさがある。ミラネーゼは現代的で、新しいものを求め、文化的な関心が高いと思う。

WWD:今後、新たにチャレンジしたいことは?

カスタルド:未来が私に何を運んできてくれるか楽しみだよ。

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“青一色”の異質な古着屋 業界歴25年のオーナーが脱サラして選んだ息子のためのセカンドキャリア

 東京・中野にブルーのアイテムのみを取り扱う古着店がある。「M.O.S ブルー(M.O.S BLUE)というこの店は、看板もレイアウトしているアイテムもブルー一色。通行人は異質なオーラを放つ同店を、思わず二度見していく。さらに、同店の徒歩圏内にはグリーンを集めた2号店「M.O.S グリーン(M.O.S GREEN)も出店している。2店舗のオーナーである大間洋一郎 M.O.S代表は、ファッションブランドで店長やエリアマネージャーを長年務めてきた人物だ。今回は、大間代表にカラーを絞った店づくりの裏側を聞いた。

家族のために選んだセカンドキャリア

WWDJAPAN(以下、WWD):経歴を教えてください。

大間洋一郎代表(以下、大間):僕はずっとファッションブランドで営業をしていたので、業界歴は25年くらいになります。最初はギャップ(GAP)に入社し、レナウンの「J.クルー(J.CREW)」を経て、オンワード樫山で複数のブランドの店長職を経験した後は、エリアマネジャーをしていました。

WWD:店を開こうと思ったきっかけは?

大間:高校生の時から古着が好きでした。当時は今より体が大きくて着る服を選べなかったのですが、たまたま出向いた高円寺でアメリカンサイズの古着にたくさん出合ったんです。その頃からアメカジ古着を買い漁るようになりました。就職してからも、いつか古着の店を出店したいという目標を持っていました。

 実際に店を開くきっかけになったのは、小学4年生の息子の存在です。息子が多動性自閉症という障がいを持っていて、生活するにも手助けが必要です。営業職は出張があったり、遠方の店舗に出向くと帰りが遅くなったりするので、できるだけ子供のそばにいられる仕事をしたかった。そこで、長年住んでいる中野に店を持つことにしました。隣の高円寺は古着の町ですが、息子が支援学校職員や地元の民生委員、放課後デーの保育士の方々にお世話になっているので、中野に恩返ししたいし、近隣に洋服屋が少ないこともあって地域密着型の店舗を目指していきたかったんです。

 色を絞ったのは、きれいな古着屋を作りたかったから。ごちゃごちゃとしてまとまりがないより、一つの色に絞ったほうが見栄えがいいのではないかと考えたからです。

WWD:目の前にホームセンターがある、この物件の決め手は?

大間:薄いグリーンに白い枠がついている外観が気に入りました。それに、都市部でこれほど大きいホームセンターがあるのはこの場所ぐらいなので、人通りもある。実際、駐車場の入り口の前だから、土日はすごく混んでいるのが分かります。青一色なので駐車待ちの人の目に付くようで、グーグルでの店名の検索数がすごいらしいんです(笑)。入店するかは別としても、会話のネタになっていたらいいですね。

WWD:店内のラインアップは?

大間:9割が古着で、オリジナルのアパレルやグッズを少し置いています。古着は状態のいいものを選んでいて、靴もできるだけきれいにしています。古着になじみのない方だと、古着だと気付かれない場合も多いですね。ブルーの店舗には、近隣で子供服を買える店が少ないので子供服も置いています。

 色をピンポイントで選ぶため、自分でピックできる国内の古着卸の業者から、好みのブルーとグリーンのアイテムを選んでいます。特にそろえているのはスエットで、4900円前後で販売しています。

WWD:価格設定のこだわりは?

大間:フェアプライスにはこだわっていますね。店内の商品はほとんど1万円以下で、例えば「リーバイス(LEVI’S)」のジーンズは全部3900円にしています。アパレル販売をしていた時、間に入る業者が多くなるとその取り分も上乗せされて、販売値段が高くなってしまっていました。最近は古着ブームで、1990年代の「チャンピオン(CHAMPION)」の“リバース ウィーブ(Reverse Weave)”が3〜4万で売られており、ファッションビルの店も若い人にとっては安くない。おしゃれしたい気持ちはあるのに、金銭的な理由で諦めざるを得ないのは悲しいので、この店では適正価格を大事にしています。

大型ホールがある中野
“推し活”のニーズにもマッチ

WWD:店に来るのはどんな顧客が多いですか?

大間:初年度は地元の年配の方が立ち寄ってくれることが多かったです。グリーンの店舗ができてからは、SNSで話題になって店の認知度が上がったのか、若い人も増えました。高校生の女の子が、制服に合わせるためのオーバーサイズのスエットを買っていくこともありますね。

 あと、カラーに特化しているので、“推しメン”のメンバーカラーのアイテムを探しに来る人も多いですね。最近はアイドルグループに“推しメン”がいて、そのメンバーカラーのアイテムを身に着けてライブに行く文化がありますよね。しかも、中野には中野サンプラザや、なかのZEROの大ホールなど大きな会場があるので、ライブの前に全身“推しメン"のメンバーカラーに着替えて行く人がいます。最近は、純烈ファンの年配女性たち3人組が来店しました。

WWD:中野に根ざした店作りを目指す上で、町の人とはどのように関わっていますか?

大間:近所のカレー屋と協力して店の前でカレーのランチを販売したり、子供服の在庫を近所の病院や保育園に寄付したりしています。あとは接客にもこだわっていて、お客さまがほしいものがあれば、仕入れの時に探すようにしています。でも、とあるお客さまからリクエストがあった「コンバース(CONVERSE)」のブルーの“ワンスター(ONE STAR)”はなかなか見つからないですね……。

WWD:今後の展望は?

大間:“推し活"に使うお客さまに「次の店舗は赤にして」と言われていますが、赤は難しいんですよね。アウターやトップスはあるけど、ボトムがなかなかない。でも、期待には応えたいです。黄色ならベージュのチノパンがあるから、可能性があるかもしれません。

 そして、もっと色を増やして中野をレインボーカラーに染めようとお客さまとも話しているんです。変なこだわりですけど、この1号店を一丁目、2号店を二丁目に出したので、次は3丁目に出したい。そして最後は、中野の聖地である中野ブロードウェイに進出したいんです。各店舗を歩いて移動できる距離にするのもこだわりなので、中野散策と称して各店を結ぶスタンプラリーができたら面白いなとか、夢だけは広がります(笑)。

■M.O.S used clothing blue
住所:〒164-0001 東京都中野区中野1丁目61-11
営業時間:10時30分〜19時
定休日:月曜日

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ル セラフィムのKAZUHA「メイクはポジティブなパワーをくれる」 韓国発「エチュード」の新製品発表会に登場

 韓国最大手アモーレパシフィックのコスメブランド「エチュード(ETUDE)」は、ティントリップとアイシャドウをリニューアルし、4月28日に新発売する。9日、東京・恵比寿で新製品発表会が開かれ、ブランドミューズに就任した韓国アイドルグループLE SSERAFIM(ル セラフィム)のKAZUHAが登場。自身のメイクについて習慣や考え方を語った。

 「エチュード」を学生時代から愛用しているというKAZUHAは、「ブランドミューズになれたことは本当にうれしい」と笑顔。韓国と日本のコスメ文化の違いについて問われると、「日本人は艶肌に見せることが多いけれど、韓国人はマットな印象を好む」と語った。また「最近は目元をグリッターでキラキラさせるのが気分。今日は(グリッターを)多めにつけた」と自身のメイクを解説した。
 
 「ル セラフィム」は昨年5月のデビューから楽曲リリースや広告、イベント出演など多忙な日々を過ごしている。だからこそグループのメンバーはスキンケアの時間をとても大切にしているという。「毎日メイクを落とした後には、鎮静効果のある『エチュード』のスキンケアがとてもありがたい」。今後について問われると、「私は落ち込んでいるときも、カラフルなメイク道具を見るとテンションが上がる。(ブランドミューズとして)メイクが持つポジティブなパワーを伝えていきたい」と抱負を述べた。

ブランドコンセプトを刷新
「年齢に捉われず、遊び心ある全ての女性へ」

 新発売する“グロウ フィクシングティント”(税込1485円)は水彩画からインスパイアを受けたみずみずしい発色が特徴。保湿成分を35%配合し、唇の乾燥を防ぐ。塗り重ねてもべたつきにくい処方で、重ね塗りで濃淡の違いを楽しめる。“プレイカラー アイシャドウ”(同2970円)は、トレンドを押さえた実用的な配色にこだわり、ジェルのような質感のラメが目元の輝きを長時間キープする。パーソナルカラーに応じて、春・秋向けの、“ウォームトップカリスマ”と夏向けの“クールバレリーナ”の2種のパレット(各10色)を用意する。

 2013年に日本に上陸した「エチュード」は、10周年を機にブランドコンセプトを刷新。“メイクアップ プレイリスト”をキーワードに、音楽のリズムを楽しむような、自由で自分らしいメイクを提案する。エチュードコーポレーション ブランドマーケティングチームのBin Lee氏は、「これまでのターゲット(〜20代中盤)からさらに裾野を広げていきたい」と展望を話す。「好奇心や遊び心を持ってメイクを楽しめる女性は、年齢に関わらず全てがブランドの顧客だ。リアル販路だけでなく、SNSも駆使し、多くの接点で日本の消費者との関係を深めていきたい」。

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革新的ジュエリーのECプラットフォーム「ザ・フューチャー ロックス」のトップを直撃 ラボグロウンダイヤモンドなど社会的意識の高い選択肢を提供

 ラボグロウンダイヤモンド(以下、ラボグロウン)やリサイクルゴールドを使用したジュエリーブランドのECプラットホームである「ザ・フューチャー ロックス」は1月、伊勢丹新宿本店(以下、伊勢丹)でポップアップショップを開催した。日本でも、ここ数年ラボグロウンダイヤモンドを使用したブランドが続々と登場。イベントのために登場したアンソニー・ツァン(Anthony Tsang)=ザ・フューチャー ロックス創設者兼最高経営責任者(CEO)とレイ・チェン(Ray Cheng)=ザ・フューチャーロックス創設者兼チーフデザイナーオフィサー(CDO)に話を聞いた。

WWD:ECプラットフォームを立ち上げてからの商況は?

アンソニー・ツァン=ザ・フューチャー ロックスCEO(以下、ツァン):2021年4月にプラットフォームを立ち上げ順調に推移し、22年には2倍の流通総額(GMV)を記録した。

WWD:プラットフォームのコンセプトは?

ツァン:テクノロジーを伝統やクラフツマンシップと融合させることで、ジュエリーの革新的で明るい未来を目指したい。グローバルECプラットフォームとして、未来志向のジュエリーへの出合い、そして楽しみ方を提案する。ラボグロウンダイヤモンドやリサイクルゴールドを使用したジュエリーには力強いメッセージがあり、環境に優しく受け継がれるものになるはずだ。

WWD:ラボグロウン製品の販売ブランド数は?

ツァン:世界中から21のデザイナーによるジュエリーを紹介。全てのデザイナーと、サステナビリティ、イノベーション、クリエイティビティーの情熱を共有する取り組みをしている。

WWD:ラボグロウン製品の売れ筋と税込価格帯は?

レイ・チェン=ザ・フューチャーロックスCDO(以下、チェン):売れ筋は“ヒカリ”コレクションだ。ラボグロウンを複数使用し、宇宙をインスピレーション源にした幻想的なデザインとかれんなシルエットが特徴。価格もエントリーで手に取りやすい。自家需要ではネックレス、ブレスレット、ピアスが人気。600ドル(7万9200円)程度。主要顧客は、30~40代の自立した女性で、ファッション感度が高く、ラグジュアリーブランドに対する知識も豊富。そして、よりよい選択肢を探しており、ラグジュアリーにおっける透明性や社会的責任を求める女性だ。

洗練された社会的意識の高い選択肢を提供

WWD:競合サイトは?どのように差別化を図るか?

ツァン:ラグジュアリー・ブランドやECプラットフォームとの競合は意識していない。未来志向のジュエリーやラボグロウンに興味のある消費者へ、洗練された社会的意識の高い選択肢を提供することを目指している。

WWD:プラットフォームやラボグロウンの認知度アップに行っていることは?

チェン:伊勢丹での初のポップアップショップでは、顧客と直接関わることができ、未来志向のジュエリーやラボグロウン、ブランドのストーリーを伝えることができた。今後も、実験的なポップアップを行っていきたい。

WWD:日本におけるラボグロウンの市場をどのように分析するか?

チェン:日本では、まだ、ラボグロウンはあまり知られていないが、ポップアップで、ラボグロウンやサステナブルなジュエリーのストーリーを伝えると関心を示していた。ラボグロウンにより、ジュエラーは既存の形や表現にとらわれなくてもよくなった。

WWD:日本市場における課題と戦略は?

ツァン:22年の「アマン東京(AMAN TOKYO)」のイベントや伊勢丹でのポップアップを行うことができてうれしい。私たちの革新的なビジョンを発信し続ける。ポップアップや限定アイテムなどの提案を通してブランドを身近に感じてもらいたい。ジュエリーとの親密なつながりを提供するには、顧客一人一人との結びつきが不可欠だと思う。

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人気ユーチューバー・セイナに聞く「ファッションブランドの作り方」

セイナ/ユーチューバー

PROFILE:1998年2月27日生まれ、福岡県出身。インスタグラム(@sei__pan、23.8万フォロワー)を筆頭に、ユーチューブやTikTokなどの総フォロワー数約70万人のインフルエンサー。ヘアメイクも自分でこなし、カラフルなアクセや服をまとったファッション好きとしても知られる。カップルインフルエンサー「ゆたせなcp」としてはSNSの総フォロワー数180万人を超える PHOTO:TAMEKI OSHIRO

 エニーマインド グループ(AnyMind Group)は、インフルエンサー事務所の子会社グローブ(GROVE)所属のカップルユーチューバー「ゆたせなcp」のセイナがプロデュースするアパレルブランド「セイニーブロンド(Seiney BLONDE)」を1月27日にスタートした。今回のブランドはカップルとしてではなく、セイナの単独プロデュース。インフルエンサーブランドが増える中で、どのようなブランドを目指すのか。なぜ今ファッションブランドを作ったのか。せいな本人に直撃した。

WWDJAPAN(以下、WWD):カップルでもブランド「キサマラ(KISAMARA)」を展開しているが、なぜ単独でブランドを?

セイナ「セイニーブロンド」プロデューサー(以下、セイナ):前から服が好きだったのでずっと自分のブランドを立ち上げたいとは思っていました。カラフルな服が好きでプライベートでもユーチューブの番組でもよく着ているのですが、彼氏のゆうたと立ち上げた「キサマラ」はファンに向けたブランドで、ファン向けのグッズやユニセックスアパレルの展開をしていた。ファンには女性が多く、スカートとかウイメンズのアパレルが欲しいという声をいただき、そういうアイテムを出すなら別ブランドで作ろう、と。

WWD:ファンの比率は?

セイナ:ユーチューブのカップルチャンネルの場合、普通は男女比が4:6、5:5と男女比はあまり変わらないのですが、私たちの場合は8割が女性で、ファンも私たちをファッションの面からも支持してくれているのかなあと。「セイニーブロンド」では、最初のコレクションは私が好きなものや私が着たいものを、デザインや丈、シルエットにとことんこだわって作りました。このファージャケット(1万3000円)なんかは丈をミリ単位でこだわって作りました。やっぱりブランドなので、きちんと個性を見せたいと思って。ただこれからは、色などに関してはライブでファンの声をしっかり取り入れたいと思っています。

WWD:ブランド運営はどこまで関わっている?

セイナ:アイテムの企画やデザイン、SNSの運用を担当しています。売り上げ目標も私を含めたチームで決めていて、SNS投稿からのセッション数や購入数、初速の売り上げも確認しています。ユーチューバーをやっていると、視聴回数や再生時間といったデータを見るのが当たり前なので、数字はよく見ている方だと思います。ただ、あくまでも私の役割は、「セイニーブロンド」をディレクションし、ブランドのファンを増やし、喜ばせること。売上や利益といった具体的な数字のプランニングやECサイトの運営、製品の生産などは基本的にはエニーマインドグループが行っています。

SNS投稿画像からルック撮影のメイクまでセルフプロデュース

WWD:ブランドのコンセプトは?

セイナ:私自身のスタイルを反映したブランドで、海外の女の子が着ているようなカラフルで個性的な、デザイン性のあるアイテムを揃えています。これまでも「周りの目を気にして個性を抑えていたが、セイナを見て個性を表現できるようになった」と言ってくださるファンもいて、そういった人たちも後押しできる個性のあるブランドを目指しました。

WWD:セイナさんのファッションのインスピレーション源は?

セイナ:私は海外の「ディズニーチャンネル」を見て育って、中でも(2000年代に流行したティーン向けドラマの)「シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ(Hannah Montana)」が好き。もともと2000年代のファッションやドラマの登場人物が好きでインスピレーションを受けています。なので、いわゆる「Y2K」は日本で流行る前から好きでした。実際にファンも海外のY2Kや「ディズニーチャンネル」を好きな子が多いと感じています。

WWD:ブランドのターゲット層は?

セイナ:明確なターゲット層はあえて決めていません。実際にユーチューブでやり取りしているファンの中には40代や子育て世代の方もいます。「セイニーブロンド」のテイストは、年齢やテイストでは区切らず、幅広い年代の人に着てもらえたら嬉しいです。ブランドサイトにはアメリカ、カナダ、韓国など海外からのアクセスも少なくなかったので、ゆくゆくは海外発送もできたらいいなと思っている。

WWD:ファーストコレクションのメインアイテムは?

セイナ:一番人気はアウターで、ピンクやブルーのカラフルなファー付きのレザー風ジャケット。ピンクやブルーのファーがかなり目立つ(笑)ので、ちょっと個性的すぎるかもと思っていたのですが、このアイテムが一番人気だったのは嬉しい誤算でした。

  「セイニーブロンド」のファーストコレクションはファージェケット(価格1万3000円)、毛足の長いシャギーカーディガンとキャミソールのセット(1万1000円)、ショートパンツ(7000円)、ロング袖のカットソー(5500円)の4アイテム。セイナを担当するグローブの岩堀拓舞ファンコミュニケーション事業部部長によると、「初速がよく、最初の10分ほどで売り上げ目標の1/3ほどが売れた」という。サイトやSNS、ユーチューブなどでセイナ自身がコーディネートを組んだルックを掲載したり、着用していたこともあって、そのまま“マネキン買い”をする人も多かったようだ。インフルエンサー発のブランドというと、ステッカーやカットソー、パーカなど低単価や定番アイテムを打ち出しがちだが、「セイニーブロンド」はECだと売るのが難しい高単価の重衣料やセット販売に挑戦し、見事に成功させたと言える。今後もコーディネート提案は継続していく。

ブランドを広げる鍵は「購入者が気に入って拡散すること」

WWD:自分のファン以外にブランドをどう広げる?

セイナ:オンラインのみの展開なので、SNSが鍵になると思います。私の周りのインフルエンサーさんに似合いそうな「セイニーブロンド」のアイテムをギフティングしたり、私自身が着て発信したりしていますが、一番重要なのは購入者が気に入って着た姿を拡散してくれること。そうなるためには、やっぱりファンの人たちの気持ちにきちんと向き合っていかないと。

WWD:最近はインフルエンサーブランドが増えている。「セイニーブロンド」はどんな立ち位置を目指す?

セイナ:それは私も感じています。インフルエンサーがブランドを始めると「自分の知名度を生かしただけのお金儲けじゃないか」と見られることも多いのですが、私は「セイニーブロンド」をきちんとファッションブランドとして確立させたいと思っています。そのためには、商品へのこだわりや、制作過程をSNSやユーチューブなどでファンと共有してブランドへのこだわりを知ってもらいたいと考えています。ブランドSNSも投稿画像まで私が作っていて、世界観を崩さないように細部までこだわっています。サイトに掲載したルックやビジュアルも、コーディネートからヘアメイクまで自分でやっています。

WWD:こだわりをどう伝える?

セイナ:ブランドロゴやアイテムのデザイン画は下書き段階からファンに見せていきました。そうすると、ファンの子にも自分で書いているんだ、考えているんだというのをわかってもらえるし、背景が見えるので。

WWD:今後の目標は?

セイナ:2つあります。私もファンもディズニーが大好きなので、ディズニーコラボはしてみたいです!多店舗展開は考えていませんが、ブランドの世界観を体現しつつ、ファンの人達が楽しめる場として、一つでいいのでお店は出したい。勝手な理想ですが、「舞浜イクスピアリ(IKSPIARI:東京ディズニーリゾートの玄関口の商業施設)」に出店するのが夢です。

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